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農文協トップ主張 2001年11月号

共同の新しい形が生まれる

ムラの中で、ムラを超えて

目次
◆定年帰農の準備をムラが……
◆個別経営を展開させる「集落営農」
◆「自己完結」を支えるネットワーク
◆地域農業の新しい共同
◆新しい共同に地域の個性が生きる

定年帰農の準備をムラが……

 埼玉県の秩父にクリの名産地がある。その中心にある、いるま野農協の日高栗出荷部会には250人もの部会員がいるが、そのなかの30人近い人たちは「高麗川マロン研究会」をつくって、技術、とくに高齢者が低樹高栽培をするためのせん定法を開発し、部会の技術の先導役を果たしている。

 「高麗川マロン」と命名されたこの地のクリは、とにかく大きい。両の手にクリを載せていって、10粒載るか載らないか、そのくらい大きい。これは、夏季にせん定をするからで、結果母枝から出た2本の結果枝を残して、それから上はいくらたわわに実がついていても、剛快に切り落としてしまう。せん定というより「枝ごと摘果」といった方がわかりがいいかもしれない。

 「小さいのを5個拾うより大きいのを1個拾う方が楽ですからね」とは、定年になってから参加した小久保喜一さんのことば。いい得て妙とはこのことだ。「大蜂」という粉質の優良品種で、雌花が多く生理落果も少ない。そこで大胆な摘果ができるし、摘果による肥大効果がいちじるしい。大粒の味のよい「高麗川マロン」は、市内の3カ所の直売所で全部はけてしまう。

 さて、小久保喜一さんは長年市役所につとめていたが、近年定年退職して本格的にクリの栽培に取り組んだ人である。この部会は、こうした定年退職の人たちの「帰農」を総力をあげて支えている。しかも、その支援は定年前から始まる。

 クリは「桃栗3年、柿8年」というとおり、育ててから実の成るまでに早いといっても3年はかかる。そこで定年の3年前から苗を植えることを奨め、土地の算段や苗の入手や、3年の間の管理まで、部会の人たちがなにかと世話をしているのだ。久保田さんのばあいは、養蚕をやめた人から貸していた桑園が返ってきたので、ここにクリを植えた。家族構成に合った栽培プランの設計や品種の組み合わせを、部会の人たちにいろいろ教えてもらったし、土日には自分でせん定もしたが、夏はともかく冬のせん定は頭をつかう。マロン研究会の会員が圃場まで来て、手とり足とりで教えてくれた。「この期待をうらぎったらいけない」いう思いでやってきたら、定年のときには、立派なクリ園ができあがっていたという。

 この秩父の人たちがやっていることは、表面的には産地の維持ということだが、別の角度(「社会システム」という角度)から見ると、ムラの新しい共同の形を創り出している、ということになる。  高度経済成長が始まる以前、昭和30年代前半までは、農家の長男は学校を卒業すれば誰もが農業の後継ぎになった。そういう時代なら、こうした工夫は必要でなかった。しぜんに、親の技を身につけて、ムラの生産と暮らしが持続していたのだ。いまはそうはいかない。多くの若者たちがムラから出ていくか、ムラから町に通勤する時代である。

 こうした成り行きを「後継者難」といい、また、大げさに「ムラの崩壊」などともいってきたのである。ムラが「過疎化」し、「高齢化」し、昔からのムラの共同の力が弱くなってしまったと嘆く論調が幅をきかせてきた。ムラの住人も、それを嘆くほかない時期があった。

 だが、すたれたようにみえたムラ(村落共同体)の力は姿を変えて現れはじめている。

つぎは佐賀県での事例。

個別経営を展開させる「集落営農」

 佐賀県の伊万里市に、前平農業生産組合という157戸の農家がつくる組合がある。6つの集落(ムラ)にわたる地域で、全農家が参加している。その水田の合計は91・3ヘクタール。1戸当たり60アールたらずしかない。しかし、盆地のような水田地帯の周囲は丘陵になっていて、ここはナシとブドウとミカンの樹園地だ。昭和初期からの産地だという。合計で221ヘクタールというから1戸当たり1・5ヘクタール近い。和牛を飼う農家もあって、頭数は合計300頭。

 この6つの集落の人たちは、昭和46年、基盤整備の完成とともに、水田部会の経営を一気に協業経営(出役には労賃を払い、収益は面積割で配分)にしてしまった。もう30年も続いている。戸数は不変。コンバイン2台、トラクタ6台、農協から借りているライスセンターもある。

 オペレーターは47歳以下の者が当たるという約束ごとがあって、こちらはメンバーは変わっているが数は減らない。むしろ増えていて現在86人いる。

 この生産組合がなかった頃はイネと果樹あるいは和牛との、個別の複合経営だったのが、この方式を始めて以来、各農家は果樹経営に専念できるようになり、園地の新造成もみられるようになった。

 「集落営農」と呼ばれるやり方があって、集落全農家の組織で水田をつくる。オペレーターは作業労賃と所有面積当たりの収益を得るし、他の人たちはイネの作業はせずに収益の配分があり、兼業に専念できるわけである。これもムラの共同の力の新しい形であろう。そして、この前平生産組合も、集落のイネつくりを共同の力でするという点で間違いなく集落営農である。

 しかし、別の角度から考えれば、水田は協業経営として個々の農家経営からははずしてしまって、果樹の個別経営に専念する――ともいえる。単に集落のイネつくりを守るというのではなく、個別経営を自由に展開するための集落営農だったのである。これもまた共同の新しい形ではないか。

 次は栃木県の事例。

「自己完結」を支えるネットワーク

 栃木県の今市市にT&Tナーサリーという会社がある。ティアンドティとは手と手という意味で名付けたのだそうで、手と手をつなぐこと、いま流にいえば、「ネットワーク」をつくるということである。出資者8人(常勤2人)と社員4人の有限会社で、出資者たちはみな高校時代の友人たちであり、農業好きの農家出身者だ。

 ナーサリーとは、この会社がやっている内容からいえば「育苗所」とでもいう意味になる。(1)水稲苗の生産販売(苗土だけの供給も含む)、(2)野菜と花のプラグ苗生産販売、(3)イナ作の作業受託(ライスセンター業務を含む)である。苗土や育苗技術の研究を積み、地域の田に合った苗と苗土の生産が安定してできるようになって、いまや市内水田農家の4分の1以上の人たちがT&Tの苗と苗土を使っているという。

 社長の手塚博志さんは「育苗の作業工程は、施設・技術を集約化しなければならない部分で、本田移植以後の土地を相手とする部分とは異質の作業だ。育苗と、収穫後の調製作業は会社組織でやるのに適している」という。T&Tナーサリーの育苗場を見るとなるほどと納得がいく。苗箱に苗土を入れ、モミをまき、水をかける。その苗箱を展開する(並べる)。そうした一連の作業はみな無人で行なわれている。このオートメーション(ロボット)の装置は、自力で開発したものだという。自然を思いのままに制御するのがハイテクノロジーだと思いがちだが、事実は逆で「自然に合わせてハイテクがある」のだと手塚さんは言っていた。

 農業の基本は自己完結型の家族経営であるといわれてきた。種播きから収穫まで、耕耘も施肥も除草も、一家でやる。肥料も自給が主体である。だから家畜も飼う。このことはしかし、一切を家族だけでとりしきるということではない。必ずムラの共同作業と共同利用を伴って完結する。田植えという共同作業にはユイがあり、下草刈りという共同利用にはルール(約束ごと)があった。

 共同作業と共同利用によって支えられた自己完結型の農業。それを、T&Tナーサリーによる苗土やイネ苗の供給はこわしたのだろうか。そうではない。自己完結型農業で連綿と続いてきた、異なった作業のつながりの輪の、育苗の部分を切り取って専門化し、一層の良苗をつくり、それを自己完結型の輪の中にはめこむ。

 家族単位の自己完結の輪の中に、共同の新しい形が取り入れられている。

地域農業の新しい共同

 以上の3例は生産面での新しい共同の形であった。販売面ではどうか。

 JA甘楽富岡は群馬県の富岡市、甘楽町、下仁田町、妙義町、南牧村の5市町村からなる7000戸の大世帯農協だ。かつては養蚕とコンニャクで栄えたが、今はどちらも激減している。10年前にこのJA管内で50億円あった養蚕の売り上げは1億円を切った。コンニャクは30億円から8億円に落ち込む。7000戸ある農家のうち、販売農家数は3000戸程度となってしまった。

 農協は残り4000戸の安定兼業農家に注目した。この人たちは耕作を全くやめたわけではない。自家用野菜のあれこれは作っている。それを少し余計に作って出荷してみてはどうかという誘いをした。誘う以上、しっかりした販路を作らなければならない。多種多様な農産物だから、市場出荷ではなく直売所方式を採用した。いま管内2カ所に「食彩館」という販売店を持ち、東京に3店と前橋、高崎に各1店、合計5カ所のインショップがある。インショップとは、スーパーなどの一角に専用の売り場を恒常的に設けるやり方である。

 この直売所に出荷する組合員を農協は精力的に募った。栽培の講演会などもひんぱんに開いた。現在1200人の老人や女性が参加しており、恒常的に無理なく出荷していれば年間300万円くらいの手取りとなるという。

 こうした、小さい農業を結集させて、農村に新しい社会システムをつくって、暮らしを豊かにしていくという動きは、JA甘楽富岡だけのことではない。愛知県のJAひまわり、徳島県の勝蒲郡農協上勝営農部会など、それぞれが個性豊かに展開させている。地域農業の新しい共同の形である。

新しい共同に地域の個性が生きる

 「集落営農」とか「村ぐるみの組織」とかいうとき、その意味するところは、さしあたり、あるムラの全農家または全世帯が参加しているということのはずである。そして、意味合いとしては一般に、その組織に村落の共同体的な性格が投影している(その組織活動に共同体的な慣習なりルール(約束ごと)なりが生かされている)ことを言外に含んでいるようである。そして現在はそうしたムラ(共同体)的な結合がもてはやされているから、総じて「村ぐるみ」は肯定的に受け止められている。

 一方に「機能集団」ということばがあって、これは昭和30年代前半から、社会学系の農村研究者によって使われはじめた。当初は「共同体的な結合から抜け出す(止揚する)動きをはらんだ集団」というニュアンスで用いられた。そのころはまだ「村ぐるみ」は否定的に受け止められていたのだ。そこで、特定の目的を持って、特定の人間によって組織された集団が、共同体による規制を破るものとして、いわば近代的な組織として(こともあろうに機能集団という丸はだかの学術用語によって)、評価されたのだった。

 そんないきさつがあるから、「村ぐるみ」の集団と機能集団とは対照的な組織形態としてとらえられることが多く、したがって、一方を肯定し一方を否定するという関係で対比されることが長くつづいた。農業近代化派は機能集団を是とし、反近代派は「村ぐるみ」を是とするという、単純すぎる構図が成り立ってしまったのである。

 時がたち、いまや村々に機能集団は無数にでき、一方で、共同体的な結合も、いつのまにか(論理的な反省なしに)否定的扱いを受けなくなって、さすがに「単純すぎる構図」は姿を消した。

 要するに村落共同体の慣習や約束ごとは「機能集団」であろうと「村ぐるみ」であろうと、時とともに潜在化したり顕在化したりしながら、その姿・形を変えているのであって、崩壊などしていない――ということなのである。

 機能集団の活動が刺激になって、潜在化した村落共同体を顕在化する。それが共同の新しい形である。

 農村に起こっているさまざまな事がらを、事実に則して見て、考えていかなくてはならない。そうすれば、すぐわかることがある。なんのことはない。「村ぐるみ」の組織であって、同時に機能集団であるという例はいくらもある。そして、生産や販売にかかわる組織は、それが目的を持ち、一定の機能を果たすものである以上「機能集団」であって、「村ぐるみ」であるかないかは、関係がない。

 機能をもった集団はムラの共同体的性格をもたないはずだというような机上論などとは関係なく、現実の農村には新しい共同の形(新しい社会システム、ネットワークといってもよい)が、全国どこにでも、その地域なりの個性の豊かさを持って、等質的でなく誕生しはじめている。「いるま野」や「前平」のようにムラの営みを持続させる共同、「T&T」や「JA甘楽富岡」のようなムラを超えて組まれていく共同、いずれも個性豊かな、等質性から多様性に移っていく新しい共同なのである。

(農文協論説委員会)

※いるま野農協栗生産部会については本誌2000年3月号、2001年1月号参照
※前平生産組合については『集団的営農の日本的展開』(農文協発売)、159ページ参照
※T&Tナーサリーについては『農業技術大系・作物編第8巻』参照
※JA甘楽富岡については本誌2000年1月号、農村文化運動157号、同一61号参照



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