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農文協トップ主張 2002年1月号

日中国交回復30周年

新しい友好が新しい人類史を拓く

日中の農村デモクラシー思想を現代に引き継ぐ

目次
◆梁漱溟の「郷村建設」―中国の伝統思想による立国
◆「自然と人間の敵対的矛盾」を克服するアジアの文化
◆江渡狄嶺の「家穡農乗論」―大正の農村デモクラシー
◆農文協の日中交流活動
◆日中の農家が直接交流する段階へ
◆中国の「自然と人間が調和する」経済発展が、新しい人類史を拓く

梁漱溟の「郷村建設」―中国の伝統思想による立国

 今年は日中国交回復30周年に当たる年である。1972年(昭和47年)9月29日、日本側は当時の田中首相・大平外相、中国側は周恩来首相と姫鵬飛外相により、北京の人民大会堂で「戦争状態終了」の共同声明に対する調印式が行なわれた。共同声明は「前文」と9項目の「本文」から成り、日本側は前文で「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」ことを表明した。本文の第1項目で、両国の不正常な状態(戦争状態)は共同声明発表をもって終了する、としている。

 1931年(昭和6年)9月の満州事変から1937年(昭和12年)9月の盧溝橋事件にはじまる日中戦争へ。さらに太平洋戦争に続き1945年8月ポツダム宣言受諾で戦争は終わる。満州事変以来、日本の中国侵略は15年間の長きにわたって続けられた。その日中戦争状態を終了させるのにさらに戦後27年間の歳月を要し、ようやく1972年に日中の国交関係が正常化した。それから30年、日中国交回復30周年に当たるのが今年なのである。この30年間、官民挙げて日中友好事業推進運動がすすめられてきた。日中国交回復30周年を機に、「21世紀」の日中友好運動は新しい段階に入るべきだと、われわれは考える。

梁漱溟の「郷村建設」―中国の伝統思想による立国

 日中関係の不幸の始まり、1931年(昭和6年)の満州事変の年、中国の山東省鄒平県に「郷村建設研究所」が設立された。設立者は1922年(大正1年)に「東西文化とその哲学」(註1)を著わした中国の偉大な思想家、梁漱溟である。梁漱溟は世界の文化を西欧・中国・印度の3つに分け、進歩はすべて西欧1辺倒の中国思想界の中で、中国の伝統思想による立国を「郷村建設」におかんとして、北京大学の教授の地位を投げ棄て、地方に下って「郷村建設運動」に対する全面的な取り組みを開始した。

 それから15年、梁漱溟は「郷村建設」の実践を経て、1937年(昭和12年)、盧溝橋事件の年に「郷村建設理論」(註2)を著わした。新社会は「郷村は本、都市は末となり、矛盾せず共存できる」「中国の建設はすべからく郷村建設の道を進むべし」「農業の振興を契機として工業を興す」「農業復興より着手して新しい社会に到達する」。今日の農文協の路線と相通じる「郷村建設運動」が、既に1930年代の中国にあったのである。

 そして、中国の「郷村建設運動」を模範に1931年1月、「左翼農民組合運動とはその理論と方向性を異にした文明批評的、アナーキズム的、農民自治的傾向の団体の代表思想家・評論家・学者・作家」らが結集して「日本村治派同盟」がつくられた。下中弥三郎、武者小路実篤、橘孝三郎らによってである。

 中国の「郷村建設運動」、日本の「村治派運動」ともに、「進歩は西欧的文明」一辺倒の時代の中にあって、アジアのもつ意味=アジア農村のもつ意味を問い直した運動であった。

「自然と人間の敵対的矛盾」を克服するアジアの文化

 産業革命以来、西欧思想が世界を、アジアをリードしてきた。このリードの仕方は侵略的な傾向を帯びていた。アジアの植民地化が科学と文明の名においてすすめられた。西欧文明の特徴は、科学による自然の征服である。グローバリゼーションによる地域個性の否定である。大量生産・大量販売・画一化による人間の生活の発展は、地球環境を破壊し、人口・食料・資源・環境問題という新しい矛盾を人類にもたらした。

 アジアにおいては、西欧文明の未来について否定的にとらえ、農村を基礎として未来社会を構築しなければならないとする運動が、大正期から昭和初期にかけて中国と日本でおこった。この2つの運動をふまえて、日中両国が手を携え、アジアの独自性を活かして21世紀を構築する。日中国交回復30周年を期して、新しい段階の日中友好運動を考えねばならない。

 大正期から昭和初期に展開された中国の「郷村建設運動」と、日本の「村治派同盟運動」は、戦前において手を携えることが出来なかった。しかし、21世紀はこの日中両国の2つの運動の提携を要求している。

 西欧文明がもたらした地球環境の危機、「自然と人間の敵対的矛盾関係」を克服する思想はアジア文化の中にある。「21世紀はアジアの世紀」といわれる意味はまさにそこにあるのである。

江渡狄嶺の「家穡農乗論」―大正の農村デモクラシー

 その視点で「大正デモクラシー」の流れをみると、「大正デモクラシー」には、その根底に西欧デモクラシーとは異質の「農村デモクラシー」があった。あの時代にあって、徳富蘆花や石川三四郎や武者小路実篤らの帰農の流れは、何であったのか。今日の帰農の流れと本質的に重なる部分があるのではないか。

 その帰農の思想家の中に、西田幾多郎とは異なるが、同じ「場の思想」を展開した知られざる偉大な思想家、江渡狄嶺がいた。

 江渡狄嶺は立身出世の門、東京帝国大学政治学科を卒業まぎわに中退して棄て、小作百姓になった。そして百姓生活の中で、「家穡農乗」の思想を形成した。「家穡」は、権藤成卿の「社稷」からヒントを得たものであり、百姓生活の基本である「家」と「穀物」を意味した。「乗」は大乗仏教、小乗仏教の乗、乗り物である。日本の独自の思想を普遍化した西田幾多郎と江渡狄嶺が「場の思想」に到達し、共に西欧思想に対して、日本的な主客統一の論理を形成した。「大正デモクラシー」の根底には農村イデオロギーがあった。自然と人間が織りなす思想があった。

 21世紀を考える場合、日本の農村思想の創成者・江渡狄嶺と、中国の農村思想の創成者・梁漱溟を置かなくてはならない。われわれが継承し、発展させなければならない思想である。日中提携によって、21世紀を導く「アジアの思想」を生み出さねばならない。

農文協の日中交流活動

 農文協は中国とは極めて縁が深い。農文協の名誉会長・現財団法人農文協図書館理事長である近藤康男は、戦後日中交流の草分けである。1957年と1973年に中国を訪問し、訪問記は「近藤康男著作集第一3巻 新中国のあしあと」に収録されている。

 近藤康男は1947年に農文協理事に就任し、今日まで55年間にわたり農文協の理事を務めている。今年1月1日で満103歳の誕生日を迎えてなお、毎日、電車とバスを乗り継ぎ、図書館に出勤している。高齢化時代の先端を切る、世界中の図書館でトップの高齢図書館長である。

 現農文協会長の濱口義曠は、1948年に中国の日本大使館が開設される前年の1947年に、北京の日中貿易の覚え書き事務所に派遣されて、大使館の開設の準備に当たった先達である。農文協は戦後、日中交流の民間の草分けの近藤康男と、中国日本大使館の草分け官の濱口義曠の2人を会長として擁してきた、中国と極めて深い縁のある団体である。その農文協は1986年以来、中国の農業試験研究のセンターである中国農業科学院を中心に中国との交流をつづけてきた。

 農文協は1991年には農業科学院の中に「中日農業科学技術交流文献陳列室」を開設し、さらに1997年に、中国農業科学院の出版部門である中国農業科技出版社と提携して、「日本農業科学技術応用研究室」を開き、日中の農業科学技術交流の事務所としての活動を開始した。

 1999年には、この「応用研究室」の活動として、中国農業科学院のモデル市である河北省鹿泉市の「農業調査」と「農村計画」のために、「鹿泉市調査団」を組織し、調査活動を開始した。この調査団は農文協の現理事である青木志郎(農工大名誉教授)、今村奈良臣(日本女子大教授・東大名誉教授)に、常勤理事の原田津常務理事・斎藤春夫理事の4人の理事が中心になって組織された。この調査には国務院小域鎮改革センターや河北農業大学が協力し、日中協同での調査が行なわれた。調査は、青木チームと今村チームの2つにわかれて行なわれた。青木チームは鹿泉市の中心的町場である大河鎮の「地域計画」をつくるための調査。今村チームは鹿泉市全体の「農業農村計画」を立てるための調査である(註3)。

 農業を基礎とし農村・都市のバランスのとれた発展をとげることを念願して、この調査は取り組まれた。調査は自然と人間が調和する社会を形成するための計画を、鹿泉市の具体的な状況の中で明らかにすることを志した。

日中の農家が直接交流する段階へ

 鹿泉市は北京から車で3時間の地点にある。日本の農家が中国旅行で北京市を訪問し、万里の長城などの観光を終えて鹿泉市を訪問し、鹿泉市の農業を見て帰れるような、中国農業視察コースの設定をも志した。

 鹿泉市の農業は極めて多様である。小麦・稲はもとより、野菜、果樹も多様である。モモもあればブドウもある。酪農もあれば養豚もある。そのうえ養魚場もあれば観光農園もある。鹿泉市農業を視察するコースをつくり、視察の中で農家同士の交流を組織したいと考えたのである。

 鹿泉市の調査報告書を中国語で中国で出版するだけでなく、日本語版を日本で出版し、農業関係者に参考資料として提供したいと考えた。中国を訪問する農家に「鹿泉市農業の調査報告書」を読んでもらい、あらかじめ狙いを定めて農業視察をし、農家間の交流のチャンスをつかめるようにしたいと考えたのである。日中友好の活動が、日本農家と中国農家の直接交流の段階に入り、日本農家は自己の体験に基いた中国農家に対する技術・経営についての指導助言を行ない、中国農業の独自の発展を手助けすべきだと考えたのである。

 ところが、この中日農家間の直接交流は調査報告の完成を待たずに調査中に開始された。この調査に参加した斎藤春夫理事は雑誌「現代農業」の編集部長を永年つとめていたので、調査の中で、中国酪農の現在の問題点は、日本では1980年前後に体験した問題と極めて類似していることに気付いた。農業実用雑誌の編集者としては当然の発見である。斎藤は帰国して、当時の「2本立て給与」の指導的実践農家である小沢禎一郎に連絡し、訪中をうながした。小沢は中国酪農家の現状をつぶさに調査し、2本立てエサ給餌の方法を指導した。この指導は極めて効果を生み、交流は何度も続いている。

 現在、ここでの農家交流を土台に「2本立てエサ給与」の本を、そのままの翻訳ではなく、中国農家向けに組立てをかえた「翻案翻訳出版」として、中国農業科技出版社の編集者とともにすすめている。

 かかる「翻案翻訳」の試みの始まりは、日本語の本をそのまま翻訳するのではなくて、中国の実情に合わせるために著者に確認したり、中国の研究者に補強してもらったり、さらには数冊の日本語の本を1冊の中国語の農業書に再編集をするなど、中国農業科技出版社の「翻訳出版改革」の取り組みである。その編集方針が奏功して、「野菜のバスケット栽培」の中国語版は、中国の書籍流通大手の新華書店で科学技術書の予約番付の8位に入る人気振りであった。

 これを深めて、農家同士の交流を土台に「2本立てエサ給与法」の「オリジナル翻訳」出版が実現されれば、大きな反響を呼ぶだろう。

 農文協は1950年代に、「本を読まない農家」が本を読まないのは農家が悪いのではない。本がわるい。農家の要求にピタリとマッチした本がないからだと考え、農家の理解できる表現と農家の発想に合わせて新しい農業書を開発した。その第一号が浪江虔の「誰でもわかる肥料の知識」であった。この本は10万部を超えて普及し農業書の革命を生んだ。農民の立場に立った、翻訳農業書を日中農家の交流の中からつくり出してゆきたい。

 日中国交回復30周年を迎えて、直接農家間が交流し、農業科学技術を交流する段階に入りたい。

中国の「自然と人間が調和する」経済発展が、新しい人類史を拓く

 世界的不況が続く中で、中国の経済成長は続いている。人口13億。世界人口の2割を占める中国経済の動向は21世紀の経済発展に大きく影響する。WTOへの加盟が認められた中国の経済発展が、当面の世界の不況にプラスの役割を果たすことは間違いない。しかし、この経済の発展が、1960年代の日本の高度経済成長のように「自然と人間の矛盾」を激化させる経済成長であってはならない。既に発生している工場排煙による酸性雨の発生のような方向でなく、自然と人間が調和する方向での経済発展へ。農村の発展を基礎に都市を発展させる方向での経済発展にむけ、日本のマイナス経験を活かした援助が行なわれなければならない。

 沿岸地域の急速な経済発展に対して大きく遅れている内陸の西部地域の開発に、中国政府自身が財政的な投資をするだけでなく、沿岸都市からの投資を呼びかけている。官民一体となっての西部開発政策が、市場経済を土台にした社会主義経済という新しい社会主義の道を力強く前進させている。

 高度に発展した資本主義諸国が、この新しい社会主義を助ける。戦前の中国の「郷村建設理論」、日本の「家穡農乗論」を、21世紀段階において継承発展させることが、21世紀を人類が「自然と人間の調和」する社会として大変革させる基本的力になるだろう。21世紀はアジアの時代である。

(農文協論説委員会)

〈註1〉梁漱溟著「東西文化とその哲学」(農文協刊、定価5000円)
〈註2〉梁漱溟著「郷村建設理論」(農文協刊、定価5000円)
〈註3〉中国側は調査を支援するための専門家委員会を組織した(下段の資料参照)。
 調査結果は、中国の農村農業計画の専門家と日本の専門家との討議によってまとめられた。現実の具体的農村をめぐって中・日のトップレベルの農業専門家が討論して農村計画をまとめたところに大きな意味があった。
〈アピール〉農文協の中国関係の活動の全体をまとめた「出版ダイジェスト」(旬刊の読書新聞)の2001年10月1日号を無料で提供します。巻末のハガキでお申し込み下さい。
〈註3〉資料
 鹿泉市調査専門家委員会
 劉志澄 元中国農業科学院常務副院長
 陳錫文 国務院発展研究センター農村経済研究部部長
 劉志仁 農業部農村経済研究センター・学術委員会副主任
 銭克明 中国農業科学院国際合作與産業発展局副局長
 李榮剛 河北省人民政府農業局局長
 柳宝権 河北省農村工作部部長
 馬玉文 石家荘人民政府副市長
〈専門家委員会事務局〉
 武兆瑞 中国農業経済学会常務理事


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