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農文協トップ主張 2002年11月号

日本と中国の農家が直接交流することの意義
国交正常化30周年に思う

目次
◆ブックロード なんとすばらしい道があったか
◆喜ばれた日本の酪農技術「2本立て飼料給与法」
◆近代化の矛盾を越えるために発見された技術
◆農家の直接交流はブックロードの再現
 

 日本と中国は2000年の交流の歴史を持ってきた国同士である。それはお互いを尊重しあい、学んで独自なものをつくる文化的な交流であった。日本は思想・哲学分野から生活分野に至る多くの文化的なものを中国から摂取してきたし、中国人は長い歴史の大部分の期間、そういう日本人に対し好感情をもって接していたのである(注1)

 中国と日本の間の文化的な交流こそ、これからのこの両地域、両国の将来を性格づけるものであることを考える必要がある。それは観光だけでできるものではなく、農家同士、むら同士の直接の民間交流によってこそ開かれるものであろう。なぜなら、農業は文化の中心であり、農家はその担い手なのだ。

 これからの隣国とのつきあいを考えるうえで、また、我々自身の未来を考えるために、農家同士の直接交流の意味を考えてみたい。

ブックロード なんとすばらしい道があったか

 「シルクロード」という言葉は多くの方がご存じであろう。中国から中央アジアを通り、ヨーロッパにつながる「絹の道」のことである。シルクの売買から利益を上げようとする交易商人が歩いた道がシルクロードである。これに対し日本と中国との間には、実はブックロード、すなわち「本の道」あるいは「文化の道」があったという、大変興味深い見方がある。それを提唱したのは中国浙江大学日本文化研究所教授の王勇さんである(注2)

 中学校の歴史で学んだ遣隋使、遣唐使の派遣や鑑真和上をはじめ多くの中国人の渡来は、そのブックロードの直接の担い手であったという。今なら中国まで飛行機で数時間であるが、そのころは着けるかどうかもわからない船が交通手段である。それは、大変な危険を伴った交流だった。

 その中国に、織物を中核とした朝貢物を持って渡り、帰途には万巻の書物を持ち帰った。経典をはじめとする多様な思想・哲学の文献は逐次日本人によって読破され、自らの文化と融合して新しい固有の日本文化に蘇っていった。

 シルクロードをたどる西域の商人は年に何回となく中国を訪れ絹などの物資を運んだが、しかし、その物資を受け入れた先あるいは途中の国々は中国文化を受け入れることはなかった。たとえばイランには中国的な文明は跡形もない。

 日本と中国の精神文化における関係の緊密さは、シルクロードの比ではない。

 王勇さんは言う。

 「物質は消耗されて文明を生産しないが、精神文明はみずからを再生する機能を持っている」(『奈良・平安期の日中文化交流』26ページ)。

 「日本と比べて不思議に思うのは、このような高濃度な人的・物的な交渉があったにもかかわらず、西側諸国は中国と同じような文化を創りあげなかったことである。物を受け入れても文化は融合しないとしか説明できない。日本の場合はどうであろう。われわれは日本各地の寺院建築や正倉院宝物などを目にすると、妙に懐かしさが込みあげてくる。(中略)人間の往来を荒海に阻まれながら、どうして彼岸の日本に祖国そっくりの文化が創られたのか、しばしば考えさせられる。」(同)

 漢字にしろ、書や茶道にしろ、暦にしろ、農業にしろ、宗教にしろ、漢方にせよ、中国から学び日本独自に発展させたものは限りない(注3)江戸時代に全国各地にあまたの農書が成立した事実にも、中国古農書の影響が深く感じられる(注4)また、東アジアの食の文化にも長い形成過程で中国が大きな役割を果たしている(注5)

 その関係の長い歴史の上でのこれからの日本、中国、アジアの未来ができていくのだということを十分に考える必要がある。農耕民族としての自然認識の共通感覚。衣服も燃料も食料も自給していく農村としての生き様の共通感覚。狭い耕地で多数の人口を養うために耕地を丁寧に耕し集約農業を進めてきた共通感覚。

 中国は、これら狭小な土地に頼って生きる農耕民族としての共通感覚を持つ東アジアの人々に対し、数千年にわたって文化的なリーダーの役割を果たしてきた。

喜ばれた日本の酪農技術「2本立て飼料給与法」

 2000年2月、日本の酪農家たちが乞われて中国に渡った。酪農技術交流の開始である(注6)その交流団は日本で「乳牛の2本立て飼料給与法」を実践してきた酪農家及び獣医師である(技術の概要については232ページ参照)。今年まで3年間に7回渡航し、中国河北省鹿泉市のあるむらの酪農家たちと技術指導の交流を続けてきた。農産物が逆流してくるかもしれないのに指導に行くとは何事か、という声もあった。交流団はそれにどう応えるのかをいつも考えながらも、しかし現地では、自らが経験してきた失敗の末にようやく到達して経営の発展を導くことができたエサ給与法をすべて伝達するために誠心誠意、活動したのである。

 鹿泉市は河北省の省都・石家庄市の近郊都市である。その周辺は中国人なら忘れもしない日本軍による「三光作戦」(焼きつくす、殺しつくす、奪いつくす)が展開された地域であり、その被害は交流する相手の記憶の中に消えることなく存在している。

 酪農交流団が活動したのは鹿泉市銅冶鎮(昔は鍛冶屋のむら)の中の1行政村である南銅冶村。今、酪農が急速に発展しているところだ。23年間タクシーの運転手をしてためた貯金を全てはたいて牛を買うなどして、続々と酪農家が誕生した。3頭も持てば1万元近い収入が得られ、それは普通の作物を作っている農家の倍以上の収入であるから、だれしもが酪農に関心がある。ちょうど昭和40年代頃の日本と似ている。みな酪農業に参入し地域にはどんどん牛が増頭した。

 最初行ってみると、牛の爪は15センチ以上も伸びて巻いていた。さっそく次回の交流には削蹄師の資格をもつ酪農家が同行して野外の削蹄実演会を開いた。酪農家たちはこぞって自分にもやらせてくれと牛を固定し鉈をふるった。その3カ月後に3度目に行ってみると、もう1頭も、爪の長い牛はいなかった。

 1番の問題は、牛が増えても乳量が増えないという現実であった。かつて日本でも大問題になった繁殖障害の発生である。近代化の過程で、日本の酪農家がもっとも苦労した問題である。乳牛は草食動物である。濃厚飼料多給は一時の効率で乳を出させることはできても、体を壊す。繁殖障害などもろもろの障害がでる。2本立て飼料給与法で「基礎飼料」と呼ばれるエサを適切に設計をすることがもっとも重要なのである。そのうえで1頭1頭の乳量に応じて濃厚飼料でつくる「変数飼料」を給与する。基礎飼料と変数飼料の2本に分けて飼料設計するところから、これは2本立て飼料給与法と呼ばれている。

 鹿泉市一帯はトウモロコシ―小麦地帯であり、粗飼料資源は豊富である。しかし、日本の酪農家からみると、明らかに1頭当たりに与える粗飼料給与量は不足で、また、その粗飼料の栄養分としては蛋白質が不足していた。分娩前後の給与法もかつての日本と同じく混乱していた。何回かの訪問のたびにこれらを調査し、勉強会を重ね、ついには交流団は中国の酪農家向けに中国語の農業技術書を書いたのである(この秋、中国で発行予定)。

近代化の矛盾を越えるために発見された技術

 2本立て飼料給与法は、繁殖障害の多発で酪農家が困っている事実に直面した千葉県安房郡の獣医師・故渡辺高俊氏が、20万頭余の乳牛を直検(卵巣の健康具合を直接の触診で調べる方法)し、また、その給与飼料を聞き取り、乳牛の健康と飼料の関係、乳量と飼料の関係を結論づけたものである。単なる研究成果というのではなく、農家が実践することを目的として形づくられた技術である。また、水田農業からでる稲ワラを生かし、季節によって変化するさまざまな粗飼料をどう利用するかという、日本という風土に立った技術であった。さらに、牛という動物のいのちの働きを高めることと、人間にとっての成果物が高まって家族が豊かになることの両方を目指すという、自然=人間調和のアジア的な発想に立つ技術である。それは、アメリカのように広大な草地と穀物を背景に持つ経済効率主義の大農場型技術論とは異質なものであった。

 「鹿泉市は日本と似ている。1戸当たりの耕地は4ムー(2〜3反)しかない。集約農業でなければいけない。日本が伝統農業から近代化した技術を教えてください。ぜひ日本の酪農技術と提携したい」(鹿泉市農業担当副市長・王順才氏)という声に代表されるように、中国農村の現場は、同じアジア農耕民族である日本の技術を求めているのである。鹿泉の酪農は成牛が20頭しか入らない運動場で飼われている。広大なトウモロコシ畑があるといっても、1農家当たりではせいぜい2〜3反であり、購入飼料も必要である。コストを下げ、乳牛の1頭1頭を大切に飼うのでなければ経営が成り立たない。それはアメリカの大農場型ではなく、1頭1頭を大切に飼う集約技術である。限られた面積で多くの人口を扶養しなければならないから、大規模農場を囲って多数の農業人口を排除してしまう経営方式、技術では困るのである。

 農家同士の直接交流は同じ東アジア人として、その土地でたくさんの人口を養い、楽しく暮らしたいという同じ思いを持って行なわれたのである。そしてかつて自分たちが近代化の流れの中で失敗重ねた末に獲得した技術を伝えたい、という形で発展してきた。中国酪農家は大いに学び、繁殖障害の軽減、乳量の向上、経営コストの削減などに大きな成果を出してきた。交流団団長の小沢禎一郎さんは、「これは同じ百姓同士の助け合いなんだ」と述べている。

農家の直接交流はブックロードの再現

 酪農交流団は農家の目でさまざまな現象を見、考えてきた。その中で日本の農家が近代化の矛盾克服の中で獲得した技術や経験を、直接に中国の農家と交流する必要も感じてきた。

 たとえば砂漠化との闘いだ。黄河の干上がりや黄土高原の砂漠化が象徴しているように、中国の北半分は砂漠化の進行の危機に直面している。北方に属する鹿泉市でも小麦や野菜は地下水をポンプアップして栽培されている。当座の収量だけを目指す効率主義の農法では、土の団粒化が進まず、表層からどんどん水分が蒸発して砂漠化を進展してしまう。これに対し、下から上がってくる水を土の表層にキープする「表層ダム」をつくる技術も求められている。砂漠化を阻止するには、畑の表層から下にかけて菌の力で団粒形成していく「土ごと発酵」(10月号)のような技術も重要であろう。家畜糞尿の活用も畑の表層を団粒化するのに役立つであろうが、まだその面の技術は試みられていない。また日本の進んだハウス技術は、いわば砂漠条件のハウスで蓄積した技術でもある。育苗技術、根圏局所施用技術によって砂漠化に抗する作物生育をはかり、そのことで有機物を増やして表層の団粒化をはかれる。

 一方、WTOに加盟した中国では、国際競争力を持たないトウモロコシ、小麦、大豆は他品目への転換が模索されている。食料自給と商品生産のバランスが問題となる。日本でも転作は依然として大問題だ。中国の農家と智恵を出し合える局面である。

 2008年に開催される北京オリンピックにむけ都市建設が急速で、労力がそちらに流れている。さらに1人っ子政策の影響で20年後には日本と同じく、農業は年寄りと女性が担うことになるだろう。女性と高齢者が農業を担っている日本で盛んに追求されている「小力技術」と同じようなものへの転換が求められるだろう。小力技術とは、作業は楽になるのに品質も収量もよくなってしまうという技術である。近代化の過程では見落としていた地域の自然力、作物・家畜の生命力を発揚させることにより、人間の余計な仕事をなくして作業を楽にする技術である。中国の古農書にでてくる天・地・人を調和させて農耕するという3才論などと脈を同じくする発想のものだ。

 「天時にしたがい、地利を量れば、労力が少なくてすみ、多大な効果を収めることができる。道理を無視して勝手気ままにやれば、骨折り損の草臥れもうけとなる」(『中国農業の伝統と現代』92ページ、注7)。

 中国はかつて日本が経験したと同じ高度経済成長の過程にある。高度経済成長とテンポを合わせて進んだ日本の農業の近代化は、農村から都市への人の移動を促し、農業所得を向上させたが、農村の生活・生産環境をゆがめた。しかし、その過程で近代化を乗り越える各種の技術、暮らしの考え方、流通のあり方も見えてきて、現在は女性と高齢農家がそれを担っている。日本の人口の10倍を擁する中国が日本と同じ環境破壊的な近代化を進めたとき、その被害の克服には大変なエネルギーを要するであろう。アジア全域への影響も計り知れないものとなる。

 中国は歴史的に東アジアの文化的なリーダーの役割を発揮してきた。人口の多さ、国土の広さ、民族の多様さ、歴史的文化の深さなどからして、自然にそのように赴いてきた。現在の急速な経済成長を、またそれと併行して進む農業構造改革を、日本の轍を踏まないように成功させた後、これからの近い将来、再びそのような役割を発揮することは東アジアの発展にとってきわめて自然なことであろう。世界の7%の耕地で世界の20%もの人口を支えている中国が、まともな農業を確立することは、単にアジアの安定のみならず、世界の平和と安定にとっても大きい意味をもつ。かつての大東亜共栄圏思想のように、日本がアジアをリードするのだと力むのではなく、中国に、自然に、その役割を発揮してもらうために、日本が協力することが世界史的にみて意義のあることなのである。

 国交正常化30周年の年に、日中の農家の直接交流が発展していることの意味は大きい。自然と調和しながら生きるアジア的な考えにたつ交流が、効率主義だけでの農業近代化の矛盾を知り尽くした日本の農家によってはじめられたからである。「百姓同士の助け合い」は、新世紀のアジアの平和的発展に大きな意義をもっている。

(農文協論説委員会)

 

以下の注で紹介するものはいずれも農文協発行です。

(注1)『中国史のなかの日本像』(人間選書232、王勇著、2000年)

(注2)『奈良・平安期の日中文化交流』(王勇、久保木秀夫編、2001年)

(注3)中国と日本の共通する文化を図説で表した『図説 中国文化百華』が1月から発行開始。詳細は272ページ参照

(注4)『日本農書全集(第T期)』(35巻)『日本農書全集(第U期)』(37巻)『日本農書全集 別巻 分類索引』(1巻)がある。朝日新聞の「明日への環境賞」受賞作品

(注5)『講座 食の文化』第1巻「人類の食文化」の中の論文「東アジアの食の文化」(石毛直道)に詳しい

(注6)「河北省鹿泉市農業・農村発展計画」(2002年7月23日修正稿:中国側計画作成専門家委員会、日本側計画作成委員会、今村奈良臣)。A4判、180ページ。鹿泉市の農業を足かけ3年にわたって調査し計画としてまとめたもの。この過程で酪農の現状が把握され酪農交流がはじまった(刊行準備中)

(注7)『中国農業の伝統と現代』(郭文韜著、渡部武訳1989年)。中国の古農書多数の精髄を紹介整理しながら中国の現代農業と伝統農業の結合を考察した大作


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