主張
ルーラルネットへ ルーラル電子図書館 食と農 学習の広場 田舎の本屋さん
農文協トップ主張 2004年9月号

農家が担う「おとなの食育」
――環を断ち切る食から、環をつなぐ食へ

目次
◆流行や経済だけのつながりには限界がある
◆風土に合った生きものの環
◆「気持ちは半分ミツバチ」の養蜂家の都市への食育
◆主客合一の自然観で「食」をとらえる

 「子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身につけていくためには、何よりも『食』が基本であり、今、改めて、食育を、知育、徳育、体育の基礎となる教育の基本となるべきものとして位置づけることが求められている」――こんな趣旨の「食育基本法」が、この9月にも国会で成立する見通しだという。だが考えてみたい。「子どもの食育」を論じる前に、おとなは子どもに「食育」で何を伝えるべきなのだろう? 本当は、子どもの食育より「おとなの食育」の方が先なのではないか?

 たとえば「食の安全安心」に対する関心は高い。しかし、自分たちの食べているものに不安と不満を募らせるおとなたちばかりでは、食育は、たんなる安全食品の識別法になりかねない。また、安全と安心はイコールではない。ある大手外食チェーンの会長は、農水省の諮問委員会で「安全は客観化数値化できるが安心は主観的なもので数値化できない。そうした言葉は行政用語として採用すべきではない」と述べている。一方、岩手県盛岡市で直売所「ちいさな野菜畑」を経営する小島進さん(53歳)は「安全と安心は本来相反する概念。安全性という合理性は疑えば疑うだけ不安感が強くなり安心は得られない。安心は関係性がもたらす信頼感。人と人との関係のなかで育まれるもの」と述べている。

 両者の違いは、食をたんなる「商品」とみなすのか、あるいはお金ともののやり取りを超えた「人と人、人と自然をつなぐもの」とみなすのかの違いでもある。食でつながる人と人、人と自然の関係は、本来もっと豊かで創造的なものであったはず。いま、全国のあちこちで、「食の商品化」で断ち切られた「自然―農―食―人間」のつながりの環を取り戻そうと、食と農、まちとむらとの向かい合いが始まっている。「増刊現代農業」八月号『おとなのための食育入門――環を断ち切る食から、環をつなぐ食へ』から、「おとなの食育」とは何かを考えたい。

流行や経済だけのつながりには限界がある

 この6月5日、盛岡市で「牛飼いと肉屋が教える短角クッキングスクール」が開催された。主催は上記の小島さんが代表を務める「身土不二いわて」。食をテーマに生産者と消費者が交流を深め、顔の見える関係をつくり、ともに安心して暮らしていける環境を築いていこうと、7年前に設立された会員120名のグループである。「牛飼い」は、同県山形村の落安賢吉さん(57歳)。「肉屋」は、やはり山形村で短角牛専門の肉屋「短角考房 北風土」を開いている佐々木透さん(39歳)。「短角」は、東北地方で古くから飼育されていた南部牛を肉専用種として改良した日本短角種で、岩手県が発祥の地。山形村は現在でも岩泉町と並ぶ主産地だ。夏は山に放牧し、冬は牛舎内で飼育する「夏山冬里」と呼ばれる伝統的な方法で育てられ、繁殖は自然交配。赤身の肉質で「さし」が入りにくいため、いわゆる霜降り肉が上等の肉とされるようになって消費が伸び悩み、生産量も大幅に減少した。しかし最近では、粗飼料主体の飼育であることが「安心でヘルシー」だと評価され、首都圏の産直組織を中心に出荷されるようになり、むしろ地元の方が入手しにくくなっているという。

 クッキングスクールでは、まず山形村内に五カ所ある牧野での放牧のようすを写したスライドを上映、落安さんが「短角牛は子育てが上手な牛です。年間で3000kgから4000kgもの乳を出します。草をたくさん食べた母牛の母乳を子牛はたくさん飲む。だから短角牛の子牛は丈夫に育つ」「春には山焼きもやりました。山が一気に燃えないよう、まだ雪が残っているころに火を止める焼切という場所をところどころにつくる。こうすることで飛び火しないように山を焼いていくんです。焼いた跡にはきれいな緑の草がサーッと生えてくる。あの風景は本当にきれいでした」と説明。そして佐々木さんが、料理をしながら「短角牛は内臓もおいしいのが特徴です。健康に育っているから内臓もきれいなんです」などと解説し、試食へとすすむ。

 こうした会を開いた理由について、小島さんは、「短角牛はいま『安心でヘルシー』ということで一部の都会の消費者から評価されていますが、もし同じように『安心でヘルシー』な牛肉が現れたらそちらに流れていくかもしれない。流行や経済だけのつながりには限界がある。短角牛がどんな風土で育てられて、どんな生産者ががんばっているのか、それらを知る地域、旬を共有できる地域のなかで守っていくことが大切だと思います」と語る。

 「旬を共有する」とはどういうことか? 小島さんは「旬は気候や風土によって異なります。旬を知れば何を食べたらよいかが分かる、自然が分かる、どう暮らしていけばいいかが分かる。ですから旬を共有するのが地域、旬は地域を認識させると思います」と、説明する。

 直売所「ちいさな野菜畑」では、農家だけでなく非農家も出荷できるのが特徴だ。たとえば春の山菜や秋のキノコの季節、農家は田植えや稲刈りに忙しく、山に行くひまがない。そこで非農家が採ってきた山菜やキノコを直売所に並べ、帰りに野菜を買って行く。

 「旬が地域を認識させる。地域の関係性を回復させるのが直売所。市場経済に左右されない人間関係を地域のなかに回復させていくことが大切です」

風土に合った生きものの環

 この4月には東京で「食話会」という催しが始まった。月一、二回のペースで十数名が集まり、生産者を招いて「食の現場」の話を聞く会だ。呼びかけ人のひとり、朝田くに子さん(48歳)は、「自給率の低下や農家人口の減少など、食をめぐる不安材料を数え上げればきりがないが、あれが悪いこれが悪いと人や社会のせいにして、情報のなかで右往左往するよりも、いま、できることを楽しく、少しずつつながりながら、小さな環をつなげていくことから実態をつくっていければと考えた。いま、できることを、いま、目の前にいる人と、話をしながら考えてみる。そうすれば自分たちの役割が少しは見えてくるかもしれない」と、食話会を始めた動機を述べている。

 4月24日の第二回食話会のテーマは「ミツバチから見た花の世界」。ゲストは本誌7月号のグラビアにも登場した盛岡市の養蜂家、藤原誠太さん(45歳)。藤原さんは3年前から、4〜5月の2カ月、東京永田町のビルの屋上でミツバチを飼っている。そのわずか2カ月のあいだに、25万匹のハチが125万匹に増え、千鳥が淵のソメイヨシノ、お堀端の菜の花、ユリノキなどから約1tものハチミツが採れると聞いて、参加者は、東京の都心にそれだけの豊かな食のめぐみをもたらす「自然」があることに驚き、なにげなく見ていた周囲の景色が一変するのを感じる。

 養蜂場の三代目に生まれた藤原さんは、学生のころブラジルに移住し、大規模養蜂を営むことを夢見ていたが、日本在来種の「日本ミツバチ」との出会いから、「シェアのぶんどり合い」のような大規模養蜂ではなく、「日本で、日本ならではのオリジナリティのある養蜂をやろう」と決意した。従来、日本ミツバチは、「すぐ逃げてしまう」「神経質」「ミツが少ない」などの理由で、飼育には向かないとされてきた。しかし、藤原さんは、ある出来事をきっかけに、飼育がうまくいかなかった原因が、明治初期に近代養蜂技術のテキストや養蜂具が欧米から入ってきたとき、種バチが非常に高価だったため、タダで捕まえられる日本ミツバチを、西洋ミツバチの飼育法で飼ってしまったことにあるのではないかと気がついた。そして、日本ミツバチに向いた人工巣などを開発し、飼育に成功してみると、それまで見落とされてきた日本ミツバチの性質や能力につぎつぎに気づいていったと、つぎのように話す。

 「西洋ミツバチが現在行きづまってきている原因のフソ病は、法定伝染病に指定されていて、一匹でもこの病気が出たら、その養蜂場の全群を焼き殺さなくてはいけない。この病気は、抗生物質以外防ぐ方法はありません。それが、日本ミツバチの場合は、この病気にかからないのです。また西洋ミツバチには大きなダニがつくのですが、日本ミツバチは、それをお互いに取り合うという性質をもっています。西洋ミツバチの最大の敵である大スズメバチも、日本ミツバチはあっという間に取り囲み、自分たちの体温で蒸し殺しにしてしまいます。風土に合った生きものの性質が、ひとつの環になっている。西洋ミツバチほど大量に増やせるわけではないけれども、病気に対する強さとか防ぎ方とか、そういう性質が、日本の風土に合っている。数は少ないけれど、けっして弱いわけではない。人に見捨てられても100年、絶滅することなく山のなかで生きてきた。西洋ミツバチなら、この野山ですべて2年以上もたないでしょう。天敵のスズメバチ、寒さ、病気……人間の管理の下に置かれたものしか生き残ることができません」

 「地に足のついたものというのは、利益になるとかならないではなく、どんなわずかなものでも大事にしたい。私は本当はもっと合理的な人間だったのですが、日本ミツバチに出会って、考え方が変わりました……」

 藤原さんのそんな話を聞いて、参加者は、自分たちの食が、どんな「環」につながっているのかを考え始める。「風土に合った生きものの環」をつないでいるのか、それとも断ち切っているのか……。

「気持ちは半分ミツバチ」の養蜂家の都市への食育

 藤原さんは、花がたくさん咲いているのを見て「きれいだ」と思う養蜂家は少数で、「これはすごい! すぐにミツバチを放そう」と思う養蜂家の方が多いのだと言う。

 「それは『儲かるぞ』という気持ちもあるかもしれないけれど、その気持ちを抜きにしてもミツバチを解き放ちたい。ミツバチがうれしいから自分もうれしい。つまり、気持ちは半分ミツバチなんです」

 その「気持ちは半分ミツバチ」の養蜂家が、いま全国でトチやユリノキなどの木を山に植え始めている。それはレンゲやニセアカシアなどの蜜源が減っているからでもあるが、トチやユリノキが「山を守る木」だからでもある。いま自然保護というと、ブナ林ばかりが強調されることが多いが、藤原さんは、ブナは沢沿いには生えず、沢を守るのはトチやサワグルミなどの水辺の木なのだと言う。

 「ブナが伐採されると、沢に運び出される。ブナを引っ張ってくるために、沢沿いに生えている樹齢100年、200年ものトチの木がぜんぶ切られてしまう。木が太いから、根っこは5年、10年はもちますが、そのうちに根が腐って土石流が起きて、その結果、海が汚されるというのが実態です」

 またユリノキは、酸性雨が葉に触れ、幹の下に降りてくると、そのときにはもうアルカリ性になっているという不思議な働きをもつ木で、スギの1.5倍の早さで生長し、花粉症も起こさない。「いまなぜ都心での養蜂か?」という質問に、藤原さんは「要するに『宣伝』です。ただし宣伝といっても、ミツバチや養蜂家のことをもっと知ってもらいたいという意味での宣伝です」と答えた。

 「養蜂家は、ミツバチの主人としてではなく、空気のような存在となって、彼らの周囲の環境を整える。それが仕事です。ただ、その環境も、いまの時代は自然環境だけではなく、社会環境も整えなければ養蜂はできないという切実な気持ちでやっています。トチの木のような木も守っていかなければ、ブナの原生林は守れないし、根本的な解決にはならない。トチの木は非常に大事な木だとわかってもらったうえで、その樹木の花から採れたハチミツであることを想像しながら味わってもらえたらうれしいけれど、たんに『なんとかの味が好き』ばかりでは、なにか悲しい」

 その話を聞いた食話会の参加者たちは、自分たちの食の選択の基準が、「『おいしいかまずいか』ばかりでも悲しい」「『安全安心』ばかりでも悲しい」と感じるようになり、自分たちの食が、風景、景色を整える環につながっているのか、乱す環につながっているのかを考えるようになる。「都心養蜂」による藤原さんの「宣伝」とは、つまりは農村から都市への「食育」なのだ。

主客合一の自然観で「食」をとらえる

 「「身土不二いわて」「食話会」などの集まりの特徴は、参加者がしだいに「食の商品化」がもたらした「生産者」「消費者」というお仕着せの役割分担を脱ぎ捨て、丸ごとの人間どうしとして知恵や思いを語り合うようになることだ。

 岩手県大東町の伊東庚子さん(62歳)と岩手県農民連女性部が行なっている「手づくりしょうゆ交流会」もその一例。一泊三食で参加費1万円のこの催し、今年は青森や首都圏からも84名が参加して、5月29日と30日の2日間にわたって開かれた。なぜその時期かというと、「ヌルデの葉の大きさがちょうどいいから」と伊東さん。しょうゆの仕込みは煎った小麦や煮た大豆、それに麹を混ぜて桶に詰め、ウルシ科のヌルデの葉をかぶせる。

 「葉が小さ過ぎると、たくさん採ってこないといけないし、大きくなり過ぎると、虫こぶやアリがいっぱいついてしまう。この時期は、湿度や温度も、麹が花を咲かせるのに最適なんです。ヌルデの葉が、麹づくりにちょうどいい時期を教えてくれるんですね」

 それは地域のお年寄りに聞いた、昔ながらの方法だったのだが、それにしても「なぜヌルデの葉なのか?」の理由はお年寄り自身も分からなくなっていた。伊東さんは、当初、それが消毒や防腐の役目をはたすのだろうと思っていたが、どうやら熱を吸収することに関係しているのではないかと考えるようになった。なぜなら、麹の上にかぶせたヌルデの葉が「焼ける」のだ。ホオの葉でもいいと聞いたので使ってみると、こちらはものすごくはっきり焼けた。

 「はっきり確信がもてたのは、しばらく経ってからのことです。一緒にしょうゆづくりをすることになった仲間が、山梨県出身なんですが、ヌルデを見たとたん、『あーっ、これ! 昔、ヤケドをしたときに、これを揉んでつけてたわ』って言ったんですよ。そしたら、今度は一関から来た人が、『子どものころ、熱が出たときに、この葉っぱを水枕の代わりに使ってた』って。やっぱり間違いないって思った。もう、首筋がゾクゾクってするくらい、うれしかったです」

 一方、5年ほど前からさまざまな人に「食の伝承」を始めた福岡県筑穂町の農産加工グループ「野々実会」代表、長野路代さん(74歳)は、6月のある日、「サンショウの実の佃煮を教えてほしい」という福岡市在住の30代の女性2人に、「いまごろのサンショウは佃煮には硬いから」と、庭のサンショウの実を採ってきて、こんなふうに語りかけながら、粉ザンショウのつくり方を伝授した。

 「サンショウの木には雄と雌があって、実がなるのは雌の木。春先の新芽を木の芽和えにするとおいしいけれど、摘みすぎると花も実も着かないから、摘みすぎないこと。佃煮によいのは、実のなり始めた4月下旬から5月上旬ぐらいまで。さっとゆでて削り節やしょうゆ、みりんで煮るとおいしいです」「粉ザンショウは実が青いうちの5月中旬から6月いっぱいぐらいがつくりどき。天日に干す前に必ず湯通しすることが大事です」「7月から先は実が赤く熟れ、ピリピリッとした辛味が薄くなるから、粉ザンショウには向かない。皮の部分だけをすって七味トウガラシの材料にすることはできますよ」

 長野さんは、食の伝承に力を入れていることについて、「若い人はよく『こんな料理はつくれない』と言うけど、つくれないのじゃない。知らないだけです。伝統食には、自然のなかにあるものやその土地で育ちやすいものを食べて暮らすための知恵がつまっています。せっかく身の回りに素材があっても使い方を知らないと、昔からの料理も素材も消えていく。さびしいことですよね」と語る。

 「食の安全安心」はもちろん大事なことだ。だが、ここには、「安全安心」の判断をトレーサビリティ、有機認証制度という「客観」に丸投げするのではけっして得られない、「自然―農―食―人間」の環のなかに飛び込んでこそ実感できる喜び、楽しみがある。

 冒頭の「身土不二いわて」の小島さんも、こう語る。

 「人間が唯一、自然を感じることができるのは、食べものであり、農という根源的な営みです。自然とのかかわり、人との交流を通じて、地域に住むことの喜びを知る。そんな社会にならない限り、環境問題は解決しないと思う」

 「おとなのための食育」とは、主客分離の自然観ではなく、主客合一の自然観で自らの「食」をとらえ、考え、食べることである。その「食育」の担い手は、農家以外にありえない。 (農文協論説委員会)

次月の主張を読む