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農文協トップ主張 2006年7月号

農業のこれからを、学校給食でひらく

目次
◆ファストフード化の果てに、学校給食を見直すイギリス
◆いまどきの弁当にない給食を考えたら米飯・和食に
◆まずは地元の米をおいしく食べさせることから
◆ごはんが変われば、おかずもついてくる
◆「食育」恐るべし

ファストフード化の果てに、学校給食を見直すイギリス

 まずは海の向こうのイギリスで、学校給食が見直されはじめているという話から――。

 イギリスの学校給食は1980年代から民営化が進められ、合理化のために伝統的な料理が姿を消してファストフード型のメニューが主流になっていた。フライドポテトにチキンナゲット、またはピザかハンバーガー。材料は冷凍食品か缶詰が多く、野菜や果物はほとんどつかない、というのが小中学校の典型的な給食内容。まるでファストフード店のメニューと違いがない。

 そんな現状を憂いたのがジェイミー・オリバーという若手シェフ。有機農法による野菜や肉、魚を使って現代風のしゃれた料理をつくることで知られるこの人気シェフは、「子どもたちにまともな給食を食べさせよう」と給食改善運動に乗り出した。ロンドン郊外の小中学校で自らキッチンに入り、給食スタッフを指導しながら、新鮮な食材を使って、同じ費用で栄養のある給食をつくったのである。ファストフードを食べなれた子どもたちは当初、オリバー氏の料理を敬遠して手をつけず、おなかをすかせて帰宅するわが子を心配した母親たちが、昼食時間にハンバーガーを持参する始末だった。しかし、日が経つにつれて子どもたちは少しずつ食べるようになり、手づくりの食事のおいしさを実感するようになった。

 オリバー氏は献立の改善だけでなく、ファストフードがいかに健康によくないか、を子どもたちに見せるデモンストレーションを行なった。たとえばチキンナゲットは鶏肉と呼べるようなものではなく、鶏の骨と皮をミキサーで砕き、小麦粉を混ぜてだんごにして揚げたものであることを実際につくって示したのである。こうしたオリバー氏の活動がテレビ番組で放映されると、全国的な反響が巻き起こり、小学生1人当たり約74円という学校給食の食材費の低予算にも親たちの怒りが爆発、総選挙をひかえた与党労働党も無視できなくなって、選挙公約に学校給食の改善と予算の増額を盛り込まざるをえなくなったという。(以上、阿部菜穂子「イギリスで巻き起こる『給食革命』」『世界』2005年11月号より)

 果たしてこれは日本と無関係の出来事なのだろうか。いまの日本の学校給食がイギリスより格段にまともだということは請け合ってよい。だが、日本の子どもたちのふだんの食生活や好みはどうだろうか。子どもや孫の様子を思い浮かべてほしい。好物はハンバーガーやフライドチキン。ほうっておけば、野菜はほとんど食べない、という子どもが多いのではないだろうか。ファストフード文化に毒されているということでは、イギリスの子どもも日本の農村の子どもも大差ない。

 だいたいにして、いまの若い親の世代にしてから、ファストフードが大好きなのである。20代〜30代の親たちは、ファストフード店やコンビニエンスストアが全国展開した時代に育っている。子どもたちの様子を見て、何の違和感もないのも道理である。それでも親たちの多くは(とくに農村に住む親たちは)、夕食までファストフードやコンビニ食でいいとは思っていない。しかし、その「健全な感覚」が子どもたちに引き継がれる保証はない。

 生活習慣病を抑制するとして、「脂質を控え、ごはんを中心に野菜や魚、肉、豆類をバランスよく摂取する日本型食生活」が見直されて久しいが、事態はいっこうに改善されず、むしろ行きつくところまできたという感がある。だからこそ、「飽食」の中の貧しさに気づき、新しい食の豊かさを求める動きが、急速に起きている。その焦点の一つに学校給食がある。

いまどきの弁当にない給食を考えたら米飯・和食に

 われわれは何とはなしに、子どもというものは大きくなれば自然に親と同じような食の好みに落ち着いてくるものだと思い込んでいる。しかし、京都大学の伏木亨先生によれば、それは甘い期待で、食の好みというものは親が子どもと食卓を同じくして、きちんと子どもに「伝達」する必要があるのだという。納豆でも味噌汁でも漬物でも、子どもの頃から親がおいしそうに食べているからこそ子どもも興味をもち、やがて食べられるようになるのである。反対に、子どもは親に教わらなくてもファストフードや、脂肪の豊富な欧米の料理をどんどん好きになっていく。なぜなら砂糖や脂肪が「やみつきになるおいしさ」をもっているからだ。そして、この「やみつきになるおいしさ」にはもう一つあると、伏木先生はいう。それが「うま味」だ。うま味は日本の伝統的なおいしさの中心であり、この味をもっともおいしく感じることが、伝統的な料理を好きになる近道なのだという。そして、ごはんを中心にすえてダシのうま味が利いた副食を少なくとも一ついっしょに食べること。その副食は野菜でも魚でも海藻でもいい。地域ごとの個性的な食材が生きる道がそこから開けてくる。

 問題はいまの親たちにそうした教育を家庭で行なう条件や能力が低下していることだ。そこに危機感を抱いた保育園や小学校の先生や栄養士は食のしつけを親まかせにせず、給食を通して子どもたちに食の「伝達」をしようとしはじめている。とりわけ熱心なのは、保育園の先生だ。

 大阪の「きのみ保育園」「きのみむすび保育園」園長の坂下喜佐久さんは、園の献立を見直すにあたって、各家庭で子どもたちがどのようなものをどれだけ食べているかを知りたいと考え、土曜日の保育にくる子どもたちに手づくりの弁当を持たせるように親に協力を求めた。その中身をチェックしてみると、ミニハンバーグ、ウインナー、ミートボール、から揚げ、ポテトフライなど、洋風の脂っこいおかずが圧倒的に多く、野菜はレタス、ミニトマト、ブロッコリーなどが彩りを添える程度にほんの少し入っているだけでもいいほうだった。

 そこで坂下園長は「園の給食の食材には、できる限り親御さんがお弁当に使う食材は使わないようにしよう」と決意した。そのメニューとは、たとえばカレイの煮付け、ぜんまいとかんぴょうの煮物、キュウリとニンジンのおひたし、ニンジンとタマネギ、油揚げの味噌汁、三分づき米、といったものである。献立だけでなく、素材や食べ方にも工夫をこらした。とりわけ、ごはんはおいしく食べさせたいと考え、契約栽培している農家にもみで冷蔵保管してもらい、発注してから随時玄米にして搬入したものを、当日食べる分だけ精米して食べるようにした。

 幼い子どもたちは受容力がある。園では離乳食にも玄米を乾煎りし、ミルにかけたものをかつお・昆布のだし汁で煮て、濾したものを使っている。そのせいもあって、玄米に近い米ほど「甘い」というようになった。そして、「おやつも、スナック菓子よりも玄米おにぎりのほうがいい」という子どもが増えてきた。年に2回のバイキング形式のお食事会で子どもたちに食べたいものを聞くと、もちろんカタカナの食べものの名前もあがるが、高野豆腐の煮物、かき卵汁、季節の野菜の煮物、アジの開きなど和風のメニューもあがるようになった。

 変わったのは子どもだけではない。「おうちのごはんよりも給食のごはんのほうがおいしい。保育園のようなごはんをつくって」と、子どもにせがまれて、何人もの親が圧力釜や家庭用精米機を購入したり、保育園の給食で出している料理のつくりかたをスタッフに尋ねたりするようになった。子どもに持たせる土曜日のお弁当にも分づき米や煮物のおかずが入るようになってきた。献立が変わっただけでなく、子どもと親が食事をめぐって会話をかわし、おいしく食べるために工夫をこらす――子どもが変わって親が変わり、家庭の食事空間そのものが変わってきたのである。

 大都市大阪の保育園でもこれだけのことができたのである。農山漁村の保育園・小学校なら、もっともっと豊かな給食がつくれるはずだ。実態は米は他県産、野菜は県外の大産地からのくだりもの、おかずは加工食品ということになっていないか。農家はその土地の個性的な食材を生産するだけでなく、その食材をいちばんおいしく食べる知恵をもっている。給食を変え、食の伝達をする力をもっているのは農家なのである。

まずは地元の米をおいしく食べさせることから

 それでは給食をどこから変えたらいいか。それは米だ。なぜなら、米こそ第一番の地域の素材であり、そして地域にあるさまざまな素材を生かすには、ごはんと副食という組み合わせがふさわしいからである。米飯給食は全国で増えてきているが、その回数をもっと増やす。その米は当然地元産米ということになる。

 高知県南国市では平成9年度から市内の山間部の棚田で生産される米を学校給食に取り入れた。南国市は北部が山間地帯で南部に平野が広がっている。南部の平野部でとれる米が全国でもっとも収穫期が早いという付加価値のついた「売れる米」なのに対し、北部の山間地の棚田で育てられた米は、他県の米どころと販売時期が重なり、平野部に比べて価格が上がらない米だった。また、棚田は米の収量が低く、小さな田んぼには大型機械が入らないため重労働を農家に強いる。高齢化も進んで、耕作放棄された田んぼが目立つようになっていた。地場産学校給食の実施にはこうした「条件不利地」の農業を支えるねらいもあった。

 棚田で高齢者が苦労して生産した米――その米をおいしく食べるために南国市ではひと工夫した。平成10年からクラスごとに家庭用電気炊飯器で炊飯するようにしたのである。それまで、南国市では米飯給食を行なう際、自校炊飯を行なう二校をのぞいて、業者がごはんを炊いて各学校に配送する委託炊飯方式をとってきた。これでは、せっかく地元の米を使っても、業者が炊飯して配送するまでにごはんが冷めてしまい、味が落ちてしまう。電気炊飯器で炊いた炊きたてのごはんは子どもたちに大好評で、残食は驚くほど少なくなった。給食室から流れるごはんの炊けるにおいも子どもたちの食欲をかきたてた。

 このやり方、給食室で働く調理師さんにとっても助かる。自校炊飯にして、従来のように業務用の七升釜でごはんを炊いたのでは過重な負担がかかるおそれがあったのだが、一升炊きの炊飯器なら、最初からクラスごとに米を分けてスイッチを入れれば、ちょうど給食の時間に炊きあがる。教室へは炊飯器のまま持っていけばいい。

 南国市では実験校ではじめたこの方式をその年のうちに市内の全校に拡大、さらに平成15年からは週5日、毎日の学校給食で家庭用電気炊飯器による完全米飯給食を実施するようになった。

 もちろん、南国市の地場産米飯給食が実現するまでには、既存の業者との関係をはじめ、乗り越えなければならない壁があった。そうした問題の一つひとつを教育委員会と農林課、農業委員会が協力することで乗り越えてきたのである。JA南国市も電気炊飯器の購入などを支援した。

 南国市では、それぞれの地域で田畑を借りて農業体験学習が行なわれているほか、JAの主催により、中山間の学校給食米の生産地帯で田植えと稲刈りを行なう「米づくり親子セミナー」も10年目を迎えている。子どもたちはこうした場で農家の姿にふれることで、「一杯のごはんの向こう側」にあるものを日々意識するようになっていった。米飯給食と体験学習が相乗効果を発揮して、それまで、同じ町に住んでいてもあまり意識することのなかった、つくる人と食べる人がつながっていった。

ごはんが変われば、おかずもついてくる

 南国市の学校給食では米だけでなく、副菜の食材に使う野菜も、地域の直売所などを利用するようになった。また、味噌も栄養士が仕込んだり、中学生が体験学習でつくったものを給食に使うなどして、地場産の比率を高めている。米が変われば、食全体が変わり、地場産の食材が生かされるようになっていく。

 いま、全国津々浦々にできた直売所は地元の学校に野菜や味噌を供給する拠点になるにちがいない。

 福井県小浜市の国富地区丸山区では、地元の国富小学校から食材の提供を依頼され、集落の全農家17戸で「まるやま農園」を立ち上げ、うち13戸で学校給食の食材の提供をはじめた。そのなかであまった作物の直売をやろうという機運が生まれ、メンバーのひとりである岩崎恒一さんの車庫で週2回朝市を開くようになった。いまでは、7時の開店前から常連客が並び、シャッターを開ききらないうちに店内に押し寄せるほどの盛況である。

 学校給食で使われる野菜の価格はあまり高いとはいえない。そのうえ、学校給食には夏休みがある。給食用の出荷がないときのためにも直売所を持つ意味は大きい。逆に言えば直売所がすでにある地域では、すぐにも地場産学校給食に取り組める条件があるということだ。

 小浜市では小学校9校に対して、「まるやま農園」のような食材を提供する生産者グループが結成され、協議会が組織されるとともに、「地場産給食推進協議会」で学校や行政との連絡調整が行なわれている。そんななかで、若狭地方の伝統食であるサバの糠漬け「へしこ」を混ぜた「へしこごはん」や「ジャガイモのそぼろ煮」といった、地域の素材を生かした献立が実現した。伝統料理だけでなく、地域素材を生かした創作料理も次々開発され、校区ごとに特色ある給食が行なわれるようになった。

「食育」恐るべし

 戦後の日本の食生活は先進国では例を見ないほど変貌した。その大きな要因となったのは学校給食である。昭和25年にアメリカから寄贈された小麦粉によってパン完全給食が実施されて以来、日本の学校給食はパン食を広げる先導役を果たしてきた。その背景に余剰小麦の販路を求める穀物メジャーとそれを後押しするアメリカ政府が結託した戦略があったことは、いまや常識になっている。しかし、政府や企業がキャンペーンをはっただけだったらこれほど見事に食生活が変えられることはなかっただろう。田舎のすみずみまで、毎日の学校給食の場で“刷り込まれた”からこそ、日本中の食事が一気に変えられてしまったのである。

 日本が輸入食糧に依存しなければならなかった時期は、実は戦争直後のほんの短い間だけだった。その隙をついて、パン食と洋風化が急速にすすめられた。日本農業はまもなく自給能力を回復するのだが、すっかり変わった食生活のもと、食糧自給率はどんどん低下していく。米の一人当たりの年間消費量は昭和35年の114.9kgから平成15年61.9kgへとおよそ半減し、食糧自給率(カロリーベース)は昭和40年の73%から平成15年には40%に低下した。この過程は、農業が都市向けの大量生産・大量販売に変わり、地域の食を地域で自給することが後退していく過程でもあった。「食」が、農業のありようを変える。「食育」恐るべし。

 だが、逆もまた真である。学校給食を変え、食育をすすめることで、地域と農業の関係を回復する。とき折りしも、3月に「食育推進基本計画」が出された。そのなかでは「学校給食で地場産品を使用する割合の増加」が掲げられ、その数値を平成16年度全国平均で21%(重量ベース)から、平成22年度までに30%にするという数値目標も示されている。この目標値は、都道府県を「地場産」の範囲としているが、まずは自分が住む小学校の米、野菜を自給することからはじめよう。

 地域ごとの個性的な食材を生かした食事が、もっとも豊かな食事として見直されている時代である。学校給食に新しい豊かさを。そこから、地域の子どもが変わり、親が変わり、地域の食文化の伝承と創造が始まる。それが、日本の、地域の農業を守り、豊かな農業と暮らしを築いていく確かな道なのである。 (農文協論説委員会)

(注)それぞれの実践について詳しくは以下をご覧ください。

◎きのみ保育園、きのみむすび保育園 坂下喜佐久「お弁当によくあるおかずは給食では使わない」(『食農教育』2006年4月増刊号)。同「日本の伝統の味を子どもたちに届けたい」(『食育活動』2号)

◎高知県南国市の地場産学校給食 佐藤由美「『山のお米の給食』から食農教育へ―高知・南国市の10年の歩みをたどる」(『食農教育』2006年4月増刊号)。西森善郎「地域密着型学校給食が地域の『食の架け橋』を創る―南国市の食育10年の歩み」(『食育活動』2号)

◎小浜市の地場産学校給食 佐藤由美「地場産学校給食と朝市で高まる校区内自給率」(『食農教育』2005年11月号)。高島賢「『食育文化都市』御食国若狭おばまの生涯食育」(『食育活動』1号)

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