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農文協トップ主張 2007年1月号

小さい農家が創る、新しい「農型社会」
「農政の大転換」の時期に何をすべきか

目次
◆農政の大転換と、団塊世代の大量定年とがともにスタートする
◆「大綱」のもとになった「食料・農業・農村基本法」には
「農型社会」という「哲学」があった

◆農業は地域の自然を活かして個性的な「暮らし」をつくる、特別な産業である
◆都会人の農業に関する関心の高まりをバックアップして、未来を拓く
◆小さい農家がたくさんあればあるほど、新しい豊かな暮らしが創れる
◆自然と人間の敵対矛盾関係を克服するアジアの自然人間調和の思想

農政の大転換と、団塊世代の大量定年とがともにスタートする

 2007年は、農政の大転換=「経営所得安定対策等大綱」がスタートする年であり、同時に団塊の世代の大量定年の開始の年でもある。

 大量定年については、2006年1月号の「主張」で「ふるさと回帰支援センター」が中心になって、「定年帰農」が大きな社会の流れになっていることにふれ、さらに新しい「ほんもの体験教育」=体験型観光、市町村の「クラインガルテンづくり」=宿泊小屋付き農園、「農都両棲」=2地域居住などなど、様々な新しい「いのちとくらし」の流れが生まれていることを挙げながら、「農村と都市の交流・融合で、21世紀の個性的な地域社会をつくる」ことを提案した。

 一方、農政の大転換のほうは、「くらしといのち」の新しい流れとはまったく無関係に経営の規模拡大一点張り。政策の成否のカギを握るのは「担い手」と呼ばれる大規模な農家が増えるかどうかにあるとされている。

 これに対し本誌前号では、「動き出した! 新制度を取り込むしくみづくり」という企画を組み、「集落単位組織」を利用して、担い手要件に満たない小さい農家が「経営所得安定対策」の対象になれる方法を、JAの取り組みなど4つの具体的例で紹介し、小さい農家を守る道を追求した(326〜343ページ)。

「大綱」のもとになった「食料・農業・農村基本法」には
「農型社会」という「哲学」があった

 そもそも「経営所得安定対策等大綱」は、1999年(平成11年)7月に制定された「食料・農業・農村基本法」で示された政策方向を具体化したものである。「食料・農業・農村基本問題調査会」の会長は農業経済学者でも経済学者でもなく、歴史学者の木村尚三郎氏であった。その木村会長が答申直後の記者インタビューで、「21世紀のわが国の方向を、『土と共に生きる農型社会にすべきだ』と強調した」という(「日本農業新聞」1998年9月19日付)。

 木村会長はこうも述べている。

 「『くらしといのち』という言葉は、役所や男の言葉にはありません。『今日を犠牲にしても明日に向かう』生き方でなく、『今日を大事にしながら明日を考える』生き方が先進諸国の中でもとられてきています。つまり日常を大事にする女性の感覚を入れたいと、大和言葉を使いました」(「農民新聞」98年10月15日号)。さらにこう付け加える。

 「『くらしといのちの基本法』だと考えていながら、いつの間にか男の発想で新農業基本法といわれるようになっています。3年なり5年後に見直しながら変わってゆくと、私は思っています」(同)

 木村会長が述べたように、世の中の動きは変わっている。その表徴的な表われが「定年帰農」の動きである。

 都市で発生している農への志向。この歴史的には全く新しい流れ、これを木村会長は「21世紀のわが国の方向を、『土と共に生きる農型社会にすべきだ』」と述べているのである。

 農村とか都市とかの問題を超えて、高度経済成長による画一的生活の社会を、地域地域の個性を活かした農の「歴史・伝統・文化」に基づく農型社会に導く。それが新しい21世紀の未来をつくることだというのが、木村会長の意見である。まさにその方向で「食料・農業・農村基本法」は活かされるべきである。

農業は地域の自然を活かして個性的な「暮らし」をつくる、特別な産業である

 日本の農家はもともと、小さい農家が大部分を占めてきた。どうして大きな農家につくりかえなければならないのだろう。理由は簡単である。小さくては儲からないからである。農業を一般産業と同じように儲かるようにしないと国際競争に勝てない。補助金・助成金をこれ以上出すことは財政上困難だから、儲かる可能性のある大きな経営に限定して補助金を出す。小さい農家には農業をやめてもらい、大きくなる農家に農地を提供してもらいたい。大きい農家が増え、小さな農家が潰されることがいいことなのだ。そういう農政がすすめられている。

 本当に小さい農家がなくなることがいいことなのだろうか。もともと日本の農業はアメリカやオーストラリアの大きな農業と比べると、途方もなく小さい農業である。もともと小さいのである。小さい農地を分けあって、山や川や森や林を利用して田畑を耕し、多くの農家が協力して暮らしをつくってきたのが、日本の農業である。農業は食料生産産業ではない。もちろん、食料生産は農業の基本的役割である。しかし、他の産業とは異なり、食料だけを生産しているのではない。「暮らし」をつくってきたのである。他産業とまったく異なる点は、他産業は製品をつくり売るだけで「暮らし」をつくることはしない。農家は田畑を耕し、食料をつくってきたが、同時に森・林の草を刈って堆肥をつくり、山の木を切り家もつくってきた。むらが力を合わせて木を育て、森や里山を育んできた。野山の恵みや農産物を加工・貯蔵しながら助け合って暮らし、村祭りや年中行事を行ない、むらの文化を創ってきた。

 農業は他産業と異なり、地域地域の自然を活かし、それぞれの地域にふさわしい個性的な「暮らし」をつくってきたのである。人間の個性はその根源を自然においている。自然は木の葉一枚でもそれぞれ異なっている。それに対して工業は、画一的に同じものを大量に生産しようとする。個性の大本は自然にある。その自然に人間が働きかけ、働きかけ返されることによって、それぞれの地域にふさわしい個性的な暮らしを創ってきたのである。それが日本の農業であり、日本の農家・農村である。

 1960年代以来、農政はただひたすら農業を食料生産産業としてとらえ、工業と同じように大量生産・大量販売をベースにする生産の合理化を「農業近代化」のスローガンのもとに進め、農業経営の拡大に取り組んできた。

 それを徹底させる。補助金は大きい農家に集中し、小さい農家には支払わない。それが農政改革の基本とされている。だが、「土と共に生きる農型社会」をつくるには小さい農家がむいている。

 たしかに、大量生産・大量販売による産業のグローバル化、生産の合理化によって、暮らしは豊かになった。しかし、それは食も住も画一化による豊かさである。21世紀に入って、人間は画一的豊かさではない個性的な豊かさを求めるようになった。個性の根源である自然のとりもどしを志向するようになった。

 それは何も、自然環境破壊に対する抵抗とか、「自然と人間の共存」といった理念からではない。人々は根底から、自然をとりもどすことによる新しい豊かさを求めるようになってきたのである。

都会人の農業に関する関心の高まりをバックアップして、未来を拓く

 これまでの人間にとっては、豊かさは都会にあった。便利・快適・豊富・暮らしやすさは都市生活にあった。その都市生活者は便利で快適なマンションのベランダに鉢物の植物をおき、屋上に花畑をつくり、休日には田舎で過ごす。それだけではない。農業に対する関心がしだいに高まり、勢いを増している。

 出版業界の集まりなどでも、かつてないほど農業についての話題がでてくる。ここ5〜6年のことである。

 出版界は今、不況である。書店の廃業が続き、売り上げは恒常的マイナス成長である。特に雑誌のマイナスが著しい。そのなかでなんと農業雑誌の『現代農業』は書店での売れゆきを伸ばしている。驚くべきことである。東京・大阪・名古屋などの都市の書店でも、『現代農業』がよく売れるようになったからである。

 このところ、「アンタのとこの本買っているよ」と声をかけてくる出版社の社長が多い。それだけではない。大学時代の友人からも「オマエのとこの本買ってるよ」と声をかけられる。たいていパソコンをやっていて、パソコン利用の新しい技術はテキストを勉強してマスターする。家庭園芸も同じことらしい。段々レベルが上がり、家庭園芸書から始まり、トマト栽培農家でもなかなか買わない1万円の「トマト」の専門書を買ってくれたりする。野菜についての勉強そのものが面白いらしい。

 東京の各区でやっている1坪菜園の貸し出しも、申込者が多くて借りられるまで何年もかかる状態だ。つまり、都会では、史上最大の農業ブームなのである。

 この都市民の農業に関する関心の高まりをバックアップすることで、木村会長のいう「土と共に生きる農型社会」という未来が拓かれる。農政の大転換と団塊の世代の大量定年の開始とが重なっているのが、何とも歴史の妙なのである。

小さい農家がたくさんあればあるほど、新しい豊かな暮らしが創れる

 自然と人間が調和した暮らしを創りたい。それには農村に住むことが早道だ。小さい農家がたくさんあるということは、自然と調和した暮らしを創るうえで極めて有利な条件である。1960年代以降の農業近代化を、農家は家族経営は守りながらくぐりぬけてきた。小さい農家を守ってきたことが、未来社会を創るうえで極めて重要な条件である。小さい農家を大きな農家にするのも大変な事業だが、大きな農を小さく分割するのは不可能に近い。

 この条件を活かして「土と共に生きる農型社会を創る」ことこそが、農に課せられた未来つくりの課題である。

 農家の大半を占める小さい農家の大部分が、60歳以上である。この60歳代が80代になるまで農業を続けていける条件をつくることが、未来社会をつくるうえで極めて重要である。品目横断的政策の対象者として、4ヘクタール以上の認定農業者のほか、一定の条件を備えた集落営農が挙げられている。この「集落営農」を利用して、小さい農家を経営所得安定対策の対象者にするための工夫が、先に紹介した本誌12月号の「動き出した! 新制度を取り込むしくみづくり」である。農協のバックアップで小農経営が維持できる仕掛けがいろいろと工夫されている。今年は全集落あげて、皆が「担い手」になるような取り組みをすべきである。

 高齢者の農業は小さいほうが持続しやすい。集落営農組織で、高齢農家の耕耘や刈り取りなどの作業をバックアップできれば、高齢者による農耕は持続可能である。そして、80代まで頑張れば、息子は間違いなく後を継ぎやすい。小さい農業ほど後を継ぎやすい。

 都会にでて、帰ってこない息子はどうしたらよいのか。

 80代まで働いたらじいちゃん、ばあちゃんに何が残るかというと金が残る。農業の金というよりも年金の通帳に残る。コロリといくのはいいが、金を残したままでは困る。葬式に来た子どもが金を下ろし懐にいれて都会に帰る。これは何とももったいない。

 金を残すな家を残せ。金が残ったら風呂場・炊事場を直し、バリアフリーにする。1000万円も残ったら家を造りかえる。気持ちのいい家で人生を送る。コロリと亡くなったときにいい家が残る。家は都会に持って帰れない。定年近い息子は、「こっちに住むか」となる。集落営農で機械仕事をバックアップしてやれば、帰ったその日から農業ができる。

 いい家を建て、定年になる前から休日は農村で過ごさせる。孫子一緒で農村での休みを楽しむ。

 小さい農家がたくさんあればあるほど、こういう新しい豊かな暮らしが創れる。日本の暮らしでは住居条件が最低である。日本の農家のお陰で日本の国民の多くが農村と都市の2地域に住宅地をもち、2地域居住が可能になる。これはすべて、小さい農家が多数あるから可能なのだ。

 何も自分の息子だけに限定することはない。最初に述べたように、ほんもの体験旅行もあれば、宿泊小屋付き農園もある。そのうえ産直先を産直が縁で迎えることも可能だ。団塊の大量定年と条件を活かした「新しい農型社会」によって、21世紀の新しい豊かさが創られる。21世紀の未来をつくるのは農家である。

自然と人間の敵対矛盾関係を克服するアジアの自然人間調和の思想

 大量生産・大量販売、経済のグローバル化で豊かな社会は出来上がった。その代償として人類は人口・食料・資源・環境の問題に直面している。

 近代はヨーロッパが世界をリードし、科学の力で自然に対する人間の支配を強めてきた。その極限が自然と人間の敵対矛盾関係である。

 これに対し、アジアは小さい農業が中心の、自然と人間の調和を基本とした社会である。21世紀の地球的規模での自然と人間の敵対矛盾関係。この基本的矛盾関係を克服するのは、アジアの自然人間調和の思想である。その担い手はアジアの小農民である。その先端をきって日本の小さい農家によって未来を拓く。新しい「農型社会をつくる運動」は、小さい農家を守る新しい運動として展開されなければならない。集落営農組織は、その力にならなければならない。

 日本農業はまさに、国際的な最先端の問題に取り組む段階に入っている。その課題に取り組むために制定されたのが「食料・農業・農村基本法」なのである。

 農水省の「経営所得安定対策大綱」をその角度からとらえなおし、「品目横断的安定対策」に対しては、「集落営農組織」を活用して小さい農家を守る。「米政策改革推進対策」も「農地・水・環境保全向上対策」も小さい農家がしっかり参画できるようにする。そのためのバックアップ組織としてJAを有効に活用する。大きい農家と小さい農家の相補的な関係づくりも大事である。

 これから続く「農政の大転換」の時期を、新しい「農型社会をつくる」時期にすることが、この国の21世紀の豊かさを創り、アジアと世界の平和に貢献する道である。

 (農文協論説委員会)

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