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農文協トップ主張 2008年11月号

お爺ちゃん、お婆ちゃんに魅力を感じる若者が増えている
集落から活かす「集落支援員制度《

目次
◆「衰退するムラ《をめぐる提言、施策が続々
◆「集落支援員制度《に注目する
◆安心を見出す「集落点検活動《を
◆三澤勝衛の「風土の発見と創造《に学ぶ
◆支援する・されるを超え、ともに元気になる

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「衰退するムラ《をめぐる提言、施策が続々

 このところ政府では、「衰退するムラ《を守ることにむけた施策の研究や提言が大変賑やかに進められている。農水省のほか、首相官邸の「地方再生戦略《、総務省の「コミュニティ研究会《「過疎問題懇談会《、国土交通省の「新たな結研究会《など、いずれも集落の存続にかかわる施策をテーマにしている。そんな時に必ず話題になるのが「限界集落《という言葉で、最近ではテレビ、マスコミでもこの言葉がしばしば登場するようになった。

「限界集落《論を提起したのは大野晃氏(現・長野大学教授)である。大野氏は「限界集落《を「65歳以上の高齢者が集落人口の半数を超え、冠婚葬祭をはじめ田役、道役などの社会的共同生活の維持が困難な状態に置かれている集落《と定義した。

 この「限界集落《論は1991年(平成3年)に発表されたものだが、それから約20年、農村の高齢化は確実に進んだ。2006年、国土交通省が行なった「過疎地域等における集落の状況に関するアンケート調査《(過疎地域を抱える全国775市町村の6万2271集落の状況をたずねたもの)では、高齢者(65歳以上)が半数以上を占める集落が7873集落(12.6%)、機能維持が困難となっている集落が2917集落(4.7%)、そして10年以内に消滅の可能性のある集落が422集落、「いずれ消滅《する可能性のある集落が2219集落、となっている。

 そんな状況のもと、集落の維持に向けて各種の政策提言が盛んに行なわれているわけだが、各省の検討会・研究会に参加している小田切徳美氏(明治大学教授)は、これらの議論や提言にもとづいて示される対策には、これまでとは違った以下の三つの特徴があるという。

 (1)地域の自由度が高い

 (2)人材を重視する

 (3)集落からNPО、大学まで、事業主体の対象が広い

 これまでのような上からやり方まで規制するのではなく、また施設など「箱物《中心ではなく、さらに既存の団体や組織以外の多様な組織や人々の参加が可能になる、というわけである。

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「集落支援員制度《に注目する

 その象徴ともいえる制度が、新たに始まる「集落支援員《という制度だ。

 総務省の過疎問題懇談会(座長 宮口とし廸(みやぐちとしみち)・早稲田大学教育・総合科学学術院教授) は今年4月、「集落が維持困難になる前に、課題の把握、解決を図るべきだ《として「集落支援員《の設置を提言。8月には「集落支援員《制度を自治体に導入するため、支援員を雇用する市町村に特別交付税を措置することを決めた。今年12月から必要額を交付する。

「集落支援員《は集落住民および担当市町村職員と協力しながら、(1)集落点検を実施し、(2)集落のあり方についての話し合いにアドバイザー・コーディネーターとして参画・支援し、(3)上記(1)(2)の結果も踏まえて、身近な生活交通の維持確保、高齢者の見守りサービスの実施、伝統文化の継承、特産品を生かした地域おこし、地域資源を生かしたコミュニティ・ビジネスの振興、都市との教育交流、集落応援団、複数集落の連携体制づくりなどをサポートする。支援員の設置に関する経費(報酬、活動旅費)、集落点検経費、印刷代、話し合いの運営費、コーディネーターの謝金や旅費が特別交付税によって措置される。

 提言では、いわゆる「限界集落《であるか否か、過疎地であるか否かを問わず設置を認めるとしており、相当数の支援員が多くの集落に設置されることが見込まれる。支援員として活用・登用される人材には、「行政経験者、農業委員・普及指導員など農業関係業務の経験者、経営指導員経験者《に加え、2005年の主張「若者はなぜ、農山村に向かうのか《で紹介した新潟県上越市の「かみえちご山里ファンクラブ《や熊本県菊池市の「きらり水源村《のような「NPO関係者《も挙げられている。

 さて、この国による支援員制度をどうみるか。低米価など農業で食えない状況を放置しておいて何が支援員か、余計なおせっかいだ、という批判もあろう。あるいは、支援員の選定や運用など集落、自治体の自由度の高い制度だといっても、これを集落で使いこなすための人材や力量が弱まっているのだから、結局はお役人の自己満足、あるいは一時の「バラマキ《になってしまうと冷ややかにみる向きもあろう。

 そこで、集落からみた「支援《のありようについて、考えてみたい。

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安心を見出す「集落点検活動《を

 集落支援員の活動の出発点とされているのは「集落点検活動《である。人口・世帯の動向、医療・福祉サービスや生活物資の調達など生活の状況、清掃活動や雪処理など集落内での支え合いの状況など、地域の実情に合わせて「集落点検チェックシート《をつくって点検していくことになるが、下手なやり方では、集落の幕引きにつながる「悲観論《を引き出しかねない。「厳しい実情《を集落みんなで確認することは必要だが、そこに希望を見出すことこそ「集落点検活動《の本筋である。

 かつて山口県では、集落点検図をつかった集落点検活動が繰り広げられた。農家生活改善士を中心にした農村女性リーダーたちが、集落各戸の世帯構成の現況と今後の動向を調べ、集落の10年後を予想したうえで、集落の地図上にシールを貼っていく。10年後の予想図をみると、中山間地帯や島しょ部では、濃紺色の丸いシール(ひとり暮らしの高齢者)や灰色のシール(空き家)が目立ち、兼業化の進む都市近郊農村では、後継者上足が鮮明に浮かび上がった。こうした自分たちによる実情確認・共有が大きな力となって、直売所や市民との交流事業など、女性たちによるさまざまな活動が展開していったのである。

 集落点検から得られる家々の実情は確かに暗く見えがちだが、集落点検活動に早くから関わってきた徳野貞雄氏(熊本大学教授)は、最近、「『世帯』が縮小しても『家族』機能は残っている《と、以下のように述べている。

「私たちが熊本県山都町で調べたところでは、他出者の14.6%が同じ町内に居住し、51.0%が熊本都市圏に住んでいた。実に、車だと1時間半以内で行き来できる場所に、3分の2の居住者が居住しているのである。しかも、実家に『週一回程度行く』が18%、『月一回程度行く』が50%と7割程度が頻繁に交流していた。盆正月の帰省や法事以外にも、実家に野菜や米をとりに行ったり、田椊えや稲刈りなどの手伝いに行くなどの日常的な交流もかなりあり、親の介護が必要になったとき『山都町に行って介護する』というものも他出者の50%にのぼる。農山村と都市に世帯が分離していても、車で一時間程度の距離ならば、相互にかなりの生活サポート機能を果たしている。田舎の親たちは口癖のように『子どもたちはみんな出ていってしまって』とぼやく。だがその実、家族は空間を超えて機能しているといえる《

 こうして徳野氏は、都市にでた家族によるサポート行動までとらえて、「縮小再編成による集落の存続・定住の道をさぐっていく《ことが必要だという。縮小再編成…農業の規模拡大といった大きな話ではなく、小さくても安心して暮らせる集落にしていく。その担い手として徳野氏が注目するのが、多世代同居の兼業農家である。

「独居世帯、夫婦世帯、中高年世帯を多世代同居の兼業農家が支え、これらの世帯の子どもが帰ってくるのを待つ。20戸の集落なら多世代同居家族が三戸あれば、他の独居、高齢者世帯が生活できる。あとはどうやって他出者をむらに帰すかである《

 もちろん、女性とお年寄りにも活躍してもらう。

「(集落の話し合いには)父ちゃんだけでなく、ぜひかあちゃんを巻き込みたい。父ちゃんからはおうおうにして、圃場整備がどうとか、集落営農がどうとか、町の政策をなぞったようなアイデアしか出てこない。その点、かあちゃんたちの提案は具体的だ。集落の真ん中で空家になった本家筋の家がある。その家の掃除をするのはもういやだ。あそこをフルーツパーラーにしよう。ついでに周りの杉の木もこの際切ってしまって、◎◎山が見えるようにしてテーブルをおこうとか、具体的な提案が次々に出てくる《

 そして孫への「じじばばエデュケーション(教育)《をすすめる。「山村留学や農村宿泊体験学習が大はやりだが、都会の赤の他人の子どもをあずかる前に、実の孫を田舎に呼び寄せるべきなのである《「都市農村交流をすすめている熊本県のある町で、7月の第一週に村からよそに出た孫を呼んで、自然体験をした。村総出の行事になった。自分の孫が参加しているのだから当然である。そうしたら盆になって、4〜5年顔を見せなかった嫁が、孫が世話になったということでやってきた《。

 家々によって違う家族の事情に目をくばりながら、集落で家族を支えあう仕組みをつくっていく。むらうちでの助け合いはこれまでもやってきたことではあるが、「集落点検活動《をもとに改めて話し合えば、上安が和らいだり、あるいは普段は気づかなかった発見やアイデアが浮かびあがってくるかもしれない。

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三澤勝衛の「風土の発見と創造《に学ぶ

「地元学《という手法もあって、いま、各地で盛んに取り入れられている。地元学は、住んでいる人たちが主役となり、自分たちで足元にあるものを探し、地域の持っている力、住んでいる人の力を引き出し、ものづくりや生活づくり、地域づくりに役立てていく「実学《である。

「自ら調べることにより地域と人の力が見えてくると、自分でやる力が身につき、町や村の元気づくりの手が打てるようになる。ここにあるものを探して磨くことが、独自の地域づくりを開いていく《(「地元学《の提唱者・吉本哲郎氏)。ふだんの料理を持ち寄って地域の食を見直す「食の文化祭《が各地で行なわれ、消費者を巻き込んでむらを元気にする活動へと広がっているが、これも「ないものねだりでなく、あるもの探し《の地元学的な発想から生まれた。

 ここで、大正から昭和十年代にかけて長野県の旧制中学校の地理の教師として活躍した三澤勝衛という人のことを紹介したい。

「私は一生をこの学問のために捧げたいと考えております《。長野県松尾村(現飯田市松尾)の農会に招かれて村内実地調査をしたあと、村の青・壮年たちへの講演会で、三澤はこう述べた。この学問とは「風土学《である。

 三澤の「風土《とは大気と大地が触れあっているところになりたつ「もはや大気でも大地でもない、気候でも土質でもない、独立した接触面《であり、それは「混合物《ではなく「化合物《のようなものである。そしてその地の椊物、動物、屋敷まわりなど暮らしのありよう、農業やその地に根づいてきた産業、そのどれもが風土を表現している。

「立野外 対象凝視《…野外に立ってそこにあるものを見つめる、こうして三澤は風土を発見する。たとえば、上のほうの枝が大きく曲がった柿の木がある。それはその土地に吹く卓越風(ある地域で、ある期間内に最も吹きやすい風)の方向と強さを物語る。風の吹き方は養蚕の成績の良し悪しにも影響し、さらに、風がもたらす乾湿と寒暖の特徴は冬季の副業や、家屋の構造、蔵や苗床の配置にも関係する…。

 風土を最もよく知っているのは、そこで生産し暮らし続けている農家であり、三澤は農家の風土認識に学び、豊富な「野外凝視《の経験と必死の勉強によって身につけた地理学を動員して農家の風土認識を励ました。生徒たちに大きな影響を与えた教諭・三澤は、一方で農家にも慕われ、地方の役人にも頼りにされた。

 水車がある。村の青年たちと水車を凝視する。水車の車輪の大きさや羽根の幅、水車で動く臼の形や配置は、水量や水車の利用目的によって村々でちがいがある。水車の構造や機能に込められた先人の知恵を発見したとき、みすぼらしく見えていた水車がちがったふうに見えてきて、青年たちの目が輝き始める。風土の発見はむらに蓄積されてきた知恵と技を発見することであり、むらへの誇りを、ひいては自分への誇りをとりもどすことにつながる。

 三澤が生きた第二次大戦前は、地方の疲弊と財政破綻が深刻化した時期であった。これへの対策として、国が推進した農村工業導入を軸とした「自力更生《運動に対し、三澤は、風土を活かす「自然力更生《こそ根本にすえなければならないと訴えた。そして、満州やブラジルに行かなくても、風土を活かして土地を立体的に利用し、「風土産業《を発展させれば地方の疲弊は救えると、三澤は熱く説く。

「条件上利地域《などということもいわない。それは風土をあてにしない工業や商業の見方だ。「風土に優劣はなく《、上手に活かせば「無価格で偉大な価値を発揮する《と三澤は考える。

「自然力更生《とは、一人ひとりが自然・風土を探究して、地域のもつ自然の力と先人の知恵を知り、「地域=風土の期待と自分の希望《を一致させながら生産・生活をつくり、心を通わせて社会を育んでいく営みである。

 集落点検というと、高齢化とか人口減とか人の話が中心になりがちだが、集落には自然と人間が織り成して形成されたモノがあり景観があり、それを支える技がある。野外凝視による「風土の発見《=三澤流「地元学《は、集落点検へ豊かなヒントを与えてくれる(注)。

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支援する・されるを超え、ともに元気になる

 地元学では、地元民による「あるもの探し《を応援する「よそ者《が重要な役割を果たす。あまりに身近すぎて当たり前になっていることの価値を見直すには外部の目が必要だと考えるのである。地元学では、地元の人を「土《、よそ者を「風《と呼ぶ。三澤もまた「風《の人であったろう。

 そしていま、いろんな風が吹くようになった。この「風《、「支援《というより、「土に学ぶ《ことを大事にした「風《のようである。

 群馬県片品村に移り住み、「片品生活塾・グッドマザープロジェクト《を立ち上げた桐山三智子さん。「5年前の私は『村の人が当たり前にしている暮らしを学びたい』と思った。それがいつからか『お爺ちゃん、お婆ちゃんが、当たり前にしている暮らしを学びたい』に変わっていった。なぜだったのだろう?《と、こう綴っている。

「全国でも地域のお年寄りから技や知恵を受け継いでいこう!という活動を目にする(略)。私もうどん・おやき・漬物などお年寄りから教わっているが、教わりながら気づいた。本当に素晴らしいのは目に見えない、お爺ちゃん、お婆ちゃんの『心』だということを。うまく表現できないが、お年寄りの寛大さ、器の大きさ、一人一人きちんと持った哲学のようなものを今しっかり学ぶこと。日本人としてしっかり受け継ぐこと。まずは自分がそういう人間になれるようにと本気で思っている《

 お爺ちゃん、お婆ちゃんの知恵や技、心は「風土《を映し出し、そこに魅力を感じる若者が増えている。そして、お爺ちゃん、お婆ちゃんと若者がつながるとき、学ぶことと地元の人が地元にあるものを発見し自信をもつこととが一緒に起こる。結果として「支援《になる。そんなことが、あちこちでみられるようになったのも現代という時代の特徴だ。

 10月に発売される『増刊現代農業』11月増刊は、「『限界集落』なんて呼ばせない 集落支援ハンドブック?いまこそ、むらを守る、むらに学ぶ《である。本主張で紹介した徳野氏や桐山さんの文章は、このハンドブックに掲載される原稿から引用させていただいた。本書には、支援する・されるを超え、ともに元気になる事例やアイデアが満載されている。

「風《と「土《との出会いは、それこそ「風土の発見と創造《の力になり、集落を元気づけるにちがいない。

(農文協論説委員会)

(注)農文協では、三澤勝衛著作集「風土の発見と創造《(全4巻)を発行する。巻構成は、第1巻「地域個性と地域力の探求《、第2巻「地域からの教育創造《、第3巻「風土 産業《、第4巻「暮らしと景観/三澤『風土学』私はこう読む《。ご期待ください。

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