主張

人口ビジョンと総合戦略を小学校区から
『シリーズ田園回帰』発刊に寄せて

 目次
◆小学校区を壊す文科省の「手引」
◆廃校にさせてたまるか
◆「田舎の田舎」に移住する人が増えている
◆1%の所得増に、あらゆる分野で地域内循環を高める
◆地方創生プランを積み上げ方式で

小学校区を壊す文科省の「手引」

 全国の小学校ではいま桜の花の下、1年生が入学式にのぞんでいる。子どもたちの声ほどむらを元気づけるものはない。

 その一方で、年々児童数が減り、学校統廃合問題が持ち上がっているむらも数多い。小学校や中学校が廃校になると問題なのは、当初はスクールバスなどで通学するにしても、やがて通学に便利な中心集落や市街地に子育て世代がどんどん流出してしまうことだ。「子どもが少ないから学校がなくなってもしかたがない」というあきらめが若年人口のさらなる減少を生み、むらにあきらめ気分を蔓延させてしまう。この「あきらめの連鎖」はおそろしい。

 困ったことに、このような流れを加速させかねない方針が、この1月文部科学省から発表された。題して「公立小学校・中学校の適正規模・適正配置等に関する手引」。この手引は「適正規模」とされる12学級に満たない小中学校、とくに6学級(1学年1学級)以下の学校は速やかに統廃合を検討することを促している。いわば「学校統廃合の手引」である。

 さらに問題なのは、従来徒歩と自転車での通学を前提に定められた「小学校で4km、中学校で6km」という適正配置すなわち通学範囲の基準を実質的に改め、スクールバスなどを使っておおむね1時間以内に通学できればよしとしたことである。バスで片道1時間といえばおよそ60km四方、町村が一つの学校区にすっぽり収まってしまう。いや町村域を突き抜けてしまって、一校もいらないということにもなりかねない。

 小学生なら歩いて通えるところに学校があり、その道すがら、風物になじんで育っていく。そしてこの歩ける範囲の、思い出を共有した人たちが暮らす「小学校区」こそ、もっともベーシックな「地元」である。小学校が「地元」をつくり、「地元」が小学校を守る。この普遍的な原理に裏打ちされていたからこそ、1956年の文部省(当時)通達で定められた基準が60年もの長きにわたって存続してきたのではないか。手引にかかわった委員や官僚たちは、この重大な意味にまるで気づいていないようである。

 もっとも、今回の手引発表の背景には、教育予算削減をねらう財務省や「学校規模適正化の基準をつくれ」と主張する「教育再生実行会議」の意向が働いていたという見方が強い。

「国策」が背景にあるというならなおさらいいたいが、地域の活力の源である小学校を絶やして何が「地方創生」か。

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廃校にさせてたまるか

 文科省がどういおうと、むらの学校をそう簡単にあきらめるわけにはいかない。

 そもそも手引が示す12~18学級という適正規模の基準に収まっている小学校はわずか30%にすぎない。基準からすれば46.5%は過小、23.5%は過大ということになってしまう。こうした現実を反映してか、手引は前述のように「適正規模」以下の学校の統廃合の速やかな検討を促す一方で、「小規模校を存続させる場合の教育の充実」や「休校した学校の再開」にも一応ふれており、統廃合推進一本槍とは見られたくないという思惑がにじみでている。文科省の態度は結局のところどっちつかずなのだ。

 そしてこの手引にも明記されているように、公立小中学校の統廃合を決める権限は設置者である市町村にある。存廃問題をPTAだけの問題にせず、地域全体の課題として合意を集め、地元自治体に迫りたい。

 4月発売の『季刊地域21号』は「廃校にさせてたまるか」を特集している。たとえば、愛媛県久万高原町の仕七川しながわ小学校区では耐震強度問題と児童数減少を理由に統廃合をすすめようとする町の意向を早い段階で地区住民がキャッチし、「新築か、改築か、統合か」をめぐって、13ある自治会で徹底した協議を重ね、校舎新築推進の同意をとりまとめ、全自治会長連名の陳情書を町に提出した。町は地区の要望を受け入れ、2億円をかけて町内産の木材を多く使った校舎を新築した。自治会での協議のなかでは、かつて別の小学校や中学校があった地区の住民から「もしも仕七川小学校をなくしたらこの地区は急激な過疎・高齢化が進み、さびれが早まる」という懸念と助言も出されたという。そういう腹を割った議論をPTAを含めて進めたい。

 PTAや就学予定の子どもをもつ若い親からは、小規模校では「団体競技の部活が成立しない」とか「人間関係が固定化する」といった心配も出てくることだろう。しかしこうした問題についても全国ではすでにさまざまな工夫が生まれており、それも『季刊地域21号』に収められている。

 大きな学校にも小さな学校にもそれぞれメリット、デメリットがある。それは当たり前の話で、小学生の数が減っていくなら、それに合わせた新しい教育のあり方を構想すればよい。仕七川小学校には23haもの学有林があり、その収益から行政で対応できない費用を賄ってきた。小学生は地元の人々とともに学有林での作業や米づくりに取り組んでいる。こうした地域に密着した小規模校ならではの教育を津々浦々でつくっていきたい。

 そもそも規模の大小から考えれば考えるほどだめになるのが教育と農業なのだ。最近の「教育再生実行会議」やら「規制改革会議」の面々がいうことは、規模と経済効率を追求する古くさい企業論理を教育や農業に単純に当てはめているだけの話である。

 ついでに財政についていうと、学校統廃合をしても市町村には財政的メリットはたいしてない。教育予算で一番大きい教員の人件費を負担するのは国と県であり、市町村が負担するのは事務職員の人件費と施設の維持管理費だけだ。統廃合で学校数・学級数によって決まる地方交付税が減額される一方、スクールバス導入など新たなおカネもかかる。そうなると、むしろ市町村にとっては持ち出しになるケースもある。

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「田舎の田舎」に移住する人が増えている

 地元の小学校の存続が重要なのは、自然に恵まれた田舎の教育環境の魅力がUターンやIターンの大きな足掛かりにもなるからだ。というのも、農山漁村に定住してみたいという願望をもつ人は増えており、とくに20~40代でその伸びが著しい。すなわち独身+幼い子どもをもつファミリー世代で「田園回帰」傾向が強まっているのである。

 これは単なる願望にとどまらず、実際の行動にも結びついている。島根県中山間地域研究センターの藤山浩さんは、島根県の中山間部の小学校区・公民館区での最近5年間の人口動態の詳細な分析結果から、218エリア中、3分の1を超える73エリアで4歳以下の人口が増えていることを明らかにした。しかも市役所やスーパーなどがある市街地や中心集落ではなく、そこから遠い山間部や島嶼部といった「田舎の田舎」にその傾向が目立つという(「田園回帰時代がはじまった」『季刊地域19号』)。

 こうした動きの背景として、藤山さんはとりわけ30代の女性が都会を脱出して自然豊かな田舎に住み、子どもを育てたいという志向をもっていることを指摘する。こういう女性たちは「中途半端な田舎」ではなく、人・自然・伝統のつながりが息づいている「田舎の田舎」「本格的な田舎」に向かっているのだ。実際、川崎市から家族で島根県匹見ひきみ町に移住しワサビ栽培に取り組む女性は、「本格的な田舎」をあえて選び、都会では買えないものにあふれ、身近なもので工夫し、なければ手づくりする「本当のエコ」な暮らしを「元気な年寄り」に学ぶ楽しみを語っている(土屋紀子「私の田園回帰――そのWhyとHow」『はじまった田園回帰』農文協ブックレット12))。

 いわゆる「増田レポート」の衝撃から全国各地に「地方消滅」「自治体消滅」への不安が広がっている。これに対して藤山さんは、小学校区のような小さな単位で人口の予測を立て、対処策を考えていけばけっして恐れるに足らないという。

 島根県の標準的な小学校区である益田市の二条地区をモデルにとると、2014年人口572人・高齢化率46.0%のこの地区はこのまま推移すれば、10年後には人口432人(25%減)、30年後には230人(60%減)となる。しかし、この地区で20代前半の男女2名、30代前半夫婦とその子ども計3名、60代前半夫婦計2名の合計7名の定住を、毎年現状よりも増やしていけば、人口は安定的に推移し、小中学生の数は増加に転ずる。

 人口の1%強(1.2%)を毎年取り戻すだけで、状況は大きく改善し、人口は「定常化」するのである。

 このような「地区別人口シナリオ」のよいところは、具体的な目標が見えてくることである。小学校を存続させるために、子育て世代家族や若者夫婦のUターン・Iターンが何組必要かがわかる。そのような目で見れば、「広島に住んでいる○○さんのところの息子夫婦は子どもを連れてよく田んぼの手伝いにくるが、むらに帰ってくる可能性があるんじゃないか。今度いっしょに飲もう」とか「この前、新規就農塾に来ていた××さんに、このむらに住まないかと声をかけてみよう」といった、次に打つ手立てもはっきり見えてくるのである。

 この1%の人口増を実現するためのポイントを簡単にいえば、新たに1%の所得に相当する生活財を地域内で生み出し、地域外に流出している食料費や光熱費などの家計費を地域内消費に振り向けることだ。すなわち地域内循環の強化である。

 藤山さんのこうした分析と提言は『シリーズ田園回帰』の第1巻『田園回帰を促す1%の変革』(仮題、農文協から6月刊行予定)としてわかりやすくまとめられている。

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1%の所得増に、あらゆる分野で地域内循環を高める

 地域内循環を強化して、地域内に新しい仕事を生み出す。これまで「域外流出」していた仕事を地元の手に取り戻す。そのための工夫はいろいろある。

 たとえばむらの草刈り。『季刊地域21号』に登場する三重県松阪市の柚原ゆのはら自治会(人口82人)では、県が市外の土木業者に委託していた、集落内を走る県道の3kmほどの区間の草刈りを、7年前から自分たちで請け負うようになった。その代金として、年2回の草刈りで80万円ほどが県から自治会の口座に振り込まれる。

 柚原地区では10年以上前に農協支店が撤退、郵政民営化の際には簡易郵便局も廃止されそうになったが、自治会自ら簡易郵便局と灯油給油所を備えた店舗を運営してきた。自治会と郵便局と店は連結決算。草刈り代金は自治会員七人に手当を払って輪番管理している店舗(単独では赤字)の運営費の足しにもなる。

 草刈りには「お助けマン」として毎回20人ほどの大学生や地元出身者が参加している。外から足を運んでくれた人にはお昼のふるまいやおみやげの草もちのほか、ガソリン代として一人2000円を支払う。年2回、20人として年間8万円ほどかかるが、それでも来てくれたほうがずっと助かるからだ。それだけでなく、草刈りで「お助けマン」とむらとの関係はぐっと深まる。地元出身者がむらに帰ってきやすくなったり、大学生が住みつくといった、Uターン・Iターンの可能性を高める効果も期待できる。柚原自治会の「域外調達」80万円取り戻しの効果はおカネだけではない。

 米などの農産物の消費の取り戻しの効果も大きい。こちらは純粋な地元消費の拡大=「地産地消」だけでなく、都会に出ている地元出身者の消費=「地産外商」を含めて考えたい。

 島根県雲南市(旧大東町)阿用あよう地区は16集落からなる小学校区。減農薬・減化学肥料の特栽コシヒカリ「エコ米ほたる姫」に取り組んできたが、地元の直売所や松江市内のスーパーの直売コーナーではブランド米に押されて苦戦を強いられていた。阿用地区振興協議会は地元の保育園の給食を開拓したほか、京阪神地区などに住む旧大東町出身者の会の会員にDMを送り、毎年25軒ほどに10kg4000円で販売することに成功した(『季刊地域20号』)。これまた、消費拡大だけでなく、都会に出ている地元出身者とむらとの関係強化にもつながる実践である。

 そのほかにも、飼料米・飼料イネの地元流通、生ゴミ堆肥化、小水力発電やバイオマス発電など、地域内循環を強化し所得(雇用)を増やす実践はあちこちで取り組まれている。たとえひとつひとつの金額は小さくても、その積み重ねが地域のなかに定住増の条件をつくる。それがまた地域の魅力が増すことにつながり、さらなる移住を呼び込む。

 藤山さんのいう「1%の人口取り戻し」=「1%の所得取り戻し」とは、そのような合わせ技である。

 本来の地方創生とはそういうものであり、とかくもてはやされるような地域産品を海外に輸出したり、海外の観光客を呼び寄せるような「一発逆転」型のプランでは、長い目で見て「田園回帰」を伸ばすことにはつながらないだろう。

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地方創生プランを積み上げ方式で

「まち・ひと・しごと創生本部」はいま全国の地方自治体に「地方人口ビジョン」と「地方版総合戦略」を2015年度中に立案することを求めている。このビジョンと戦略づくりは新型交付金とセットになっており、その一部は2014年度補正予算として先行実施されたが、せっかく自由度の高い新型交付金を創設しても、それが「プレミアム付き宿泊券」「ふるさと名物商品・旅行券」のような一過性の消費喚起の道具に使われてしまうのでは、地方分権、地方創生促進の役割を果たすとは到底思えない。

 いま必要なことは、これまでの地域づくりの積み重ねを確認しながら、地道に小学校区・公民館区ぐらいの単位で5年先、10年先の「人口ビジョン」を描き、「地域の総合戦略」を立てていくことではないか。その積み上げが市町村の人口ビジョンと総合戦略になっていく。そこで結果として、自由度の高い新型交付金が活用されるなら大いに結構なことである。

 いま山形県置賜おきたま地域(3市5町)で食料・エネルギー・医療を自給する「置賜自給圏構想」が立ちあがって、注目されている。「自給圏」というと閉鎖的社会を連想するが、そうではない。「圏外への依存度を減らし、圏内にある豊富な地域資源を利用、代替していくことによって、地域に産業を興し、雇用を生み、一方的な富の流出を防ぎ、地域経済を好転・持続させようとする、いわゆる『地域循環型社会』構築のための取り組み」だという(舟山康江「『置賜自給圏構想』がアツい」『季刊地域21号』)。この構想がカバーしようとしている分野は農と食をはじめ、森林・エネルギー、教育、医療と幅広い。この構想はまさに「1%の人口取り戻し」=「1%の所得取り戻し」に通じるものであり、それを広域で展開しているとみることができる。

 小学校区から市町村へ、さらに広域圏へ、地域循環の環を積み上げていく――このとき地方創生は「自給圏づくり」につながっていく。

 農文協は『シリーズ田園回帰』を6月から年4回発行する。編集委員のひとりである小田切徳美とくみさんは、その発刊のねらいを「たんなる農山村移住論、農山村論ではなく、都市を含めて社会のあり方を追求する。そこで田園回帰という言葉が国民経済・社会のあり方を論じる大きなキーワードになってくる。このシリーズも都市と農山村が共生する社会づくりという視点から本づくりを進めたい」と語る(『季刊地域21号』)。それがなぜいまかといえば、東京オリンピックが開催されて以来半世紀を経て、ようやく東京一極集中ではなく地方分散、成長ではなく脱成長、経済ではなく暮らし、という大きな潮流の変化が生まれているからだという。

 いままさに時代はターニングポイントにある。そのキーワードが「田園回帰」であり、その成否は足元の小学校区の5年先、10年先の展望をどう練り上げるかにかかっている。

(農文協論説委員会)

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