主張

地上戦に入ったTPP
農業への影響を品目別に精査する

 目次
◆国民的議論を今一度、巻き起こすために
◆1%でも関税を残せば「聖域は守った」?
◆米の輸入特別枠は「蟻の一穴」の恐れ
◆日本農業の振興に寄与しない輸出拡大戦略
◆米国の価格支持、EUの「価格支持プラス直接支払い」
◆豊かな農林水産資源を活かし切る新しい日本へ

国民的議論を今一度、巻き起こすために

 周知のとおりTPP(環太平洋経済連携協定)問題は去る2月8日、ニュージーランドにおいて参加12カ国による調印式がおこなわれ、各国が批准するかどうかの段階に入った。そして日本では、3月8日にTPP協定の承認案とTPP関連法案を一括した法案が閣議決定され国会で審議が始まったが、例の黒塗りだらけの文書問題や西川公也TPP特別委員会委員長の出版問題をめぐり審議が紛糾、秋の臨時国会に先送りとなった。

TPP反対の大義』、『TPPと日本の論点』などのブックレットを発行してきた農文協では、このタイミングで『よくわかるTPP協定 農業への影響を品目別に精査する』を発行した。長年にわたり農産物の生産・流通・消費・貿易問題など広範な角度から農産物市場問題を研究してきた北海道大学名誉教授・三島徳三さんの著になる労作だ。

 その「まえがき」で、三島さんはこうのべている。

「私たちは、この法案の先送りという事態を『奇貨』として、TPPの内容と影響について十分な時間をとって議論する必要があろう。安倍晋三首相の言うように、TPPはまさに国家百年の計に関わる大問題であるからだ」

「奇貨」とは、利用すれば思わぬ利益を得られそうな事柄・機会のこと。それには、国民的議論を巻き起こすことだ。

 三島さんはいう。

「景気回復の実感がない中で、アベノミクスへの『期待』は徐々にしぼんできている。日経新聞の世論調査(4/29~5/1)でも、安倍政権の経済政策(アベノミクス)について『評価する』と答えたのは38%、これに対して『評価しない』としたのは実に53%に上っている。

 このようにアベノミクスへの『期待』が薄れてきている一方で、TPPについては賛成が49%、反対32%と、賛成が反対を大きく上回っている。これはなぜなのか。私は『成長戦略の切り札』としてTPPを推進したい政府と、政権寄りのジャーナリズムによる世論誘導に対して、TPP反対の側の運動や世論が大きく立ち遅れていることに原因があると考えている」(「あとがき」より)。

 安倍政権の政治手法の特徴は、美辞麗句で国民を煙にまきつつ、重要な問題を国民的議論にしないよう、あらゆる反対派を封じ込める“官邸独裁”を強化するところにある。自民党内の議論さえ抑制、ないしはすっ飛ばし、農水事務次官人事に見られるように霞が関も委縮させ、農協のナショナルセンターともいうべき全中つぶしも断行する…。同じ自民党政権でも、対話・調整・積み上げを旨としてきた一昔前までの自民党政権とは雲泥の違いがある。

 このような状況のもとでは、国民的議論を巻き起こすこと自体がたたかいだ。三島さんは、本書の執筆意図を、「まえがき」で次のようにのべている。

「TPPは、……わが国においては、最も影響を受けるのは農業であり、したがって国民の食生活であることは言うまでもない。だが、一口に『農業への影響』といっても、品目別に需給や生産の実状および制度の実態は違う。とくに日本では、品目別に価格・所得安定制度や国境調整制度が整備され、これらが全体として農業者を守り、国民への農畜産物の安定供給を支えてきた。しかし一般国民はこれらの制度の中身も意味もほとんど知らない。そのため、『TPPは農業問題』といっても、賛成論者も反対論者も、何を議論したらよいか実はわかっていないように思われる」

 そこで、国民的議論にむけ本書では二つの柱をすえる。

 第一に、農業への影響を品目別・食料品別(加工、調製品等を含む)に精査し、その実態を国民全体が広く共有できるよう分かりやすく解説すること。そのために本書は、TPP協定を三つの視点で分析、説明している。

 ①「真綿で首を絞める」= 段階的に関税を低くしていったり、数年後にはセーフガードなども発動できなくする、数年後の再協議を義務づけるなど、じわじわと国内生産をせばめていく手法がとられていること。

 ②「玉つき現象」= ある品目の輸入が増えると他の国産品目にも負の影響が連鎖、波及すること。これは、人間の胃袋は一つであるということに必然的に伴う、食料・農産物貿易というものの宿命だ。

 ③「蟻の一穴」= 豪雨のとき、初めはほんの数ミリの堤防の亀裂が突破口になって大洪水に至るのと同じように、初めは小さく見えてもやがて大きな影響をもたらすこと。

 第二には、国民食料の安定供給をそれなりに支えてきた価格支持政策や国境調整制度を振り返り、政策提案をすること。TPPによる低価格農産物の輸入拡大で消費者は得するといった農家と消費者の分断を許さず、国民的コンセンサスの再構築にむけて粘り強い議論を進めるための提案である。その角度から、アベノミクス農政の目玉の輸出拡大戦略の危うさも明確にしなければならない。

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1%でも関税を残せば「聖域は守った」?

 本書では1章から4章でコメと稲作、畜産・酪農、畑作、野菜・果物の順に品目別の影響を精査し、5章以降でアベノミクス・TPP農政を批判的に検討し、その抜本的転換策を具体的に対置している。

 安倍首相や担当大臣などは「大筋合意」や協定調印後、「守るべきは守った」「国会決議も守った」としきりに強調した。農林水産品については関税撤廃率を81%(うち即時撤廃は51.3%)にとどめたのだから、政府としては聖域を含め「守るべきものは守った」と言いたいのだろう。しかしこれは「詭弁だ」と三島さんは批判する。

「例えば牛肉については、現行の38.5%の関税(従価税という)を協定発効後ただちに27.5%に削減し、その後段階的に関税を引き下げ、16年目には9%にする。豚肉については、現行では安い豚肉に対し1kg当たり482円の関税がかけられているが、これを協定発効後ただちに125円に削減し、10年目以降には50円とする。

 ほんの一例だが、これは『関税撤廃』ではなく、『関税撤廃の例外』になる。しかし、将来的に関税が4分の1になる肉牛生産者、約10分の1になる養豚業者にとっては、はかりしれない影響がある。『例外を確保したから、約束を守った』と言うのは詭弁である。

 農林水産委員会の決議では、牛肉・豚肉を含む重要農産物について、『10年を超える期間をかけた段階的な関税撤廃も含め認めないこと』としている。

 だが、先の牛肉・豚肉を含め、27.5%の品目が11年目までに関税が撤廃され、12年目以降の撤廃2.2%を含めると、実に(即時撤廃51.3%以外の)農林水産品の3割が「段階的な関税撤廃」となる。これで、どうして『国会決議を守った』と言えるのか。安倍首相や担当大臣の言い分では、1%でも関税が残れば、『関税撤廃の例外を残した、聖域は守った』ということになる。それは国民を欺く言語である」

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米の輸入特別枠は「蟻の一穴」の恐れ

 TPP交渉で日本政府が「聖域」として一応、守ろうとした最重要品目は米である。確かに米の関税は、5%程度削減されるもちや米菓など加工・調製品を除いては現行の関税が守られることになった。しかし、これで一件落着とはいかなかったのは周知のとおりだ。米の関税撤廃を強く要求していた米豪向けに5万6000tの無関税の輸入特別枠を与えることになったのは既報のとおりだが、さらに注意すべきことがTPP協定付属文書2-D「日本国の関税率表・一般的注釈」という文書の中に書かれている。

 国際条約特有の回りくどい表現なのでここでは省略するが、要はTPP協定が発効してから7年たったら米豪など5カ国と、市場アクセス増大のための協議をおこなうことを日本政府が約束したのである。国際約束だから日本政府は拒否できない。ここで言う「市場アクセスの増大」とは、日本が関税撤廃や大幅削減、さらには国家貿易のような関税割当を廃止することも含まれる、と考えるべきである。

 すでに1993年のガット・ウルグアイラウンド合意によって導入されたMA米(ミニマムアクセス米)輸入が年間77万tにものぼり、主食用米消費量の10%を超える水準に達している。主食用の輸入米は無関税のSBS(売買同時入札制度)米としてすでに10万t輸入されており、これにTPPの輸入特別枠約6~8万tが加われば、国産米の価格を下押しする圧力になるであろうことは素人目にも明らかだ。残念ながら国民1人当たりの米の消費量が減り続けている現在ではなおさらであろう。

 政府・農水省は、「TPP特別枠と同量の国産米を備蓄米として買い入れるので市場価格への影響はなく、生産額は減らない」と言う。果たしてそうか。三島さんはこれを「米流通の現実を知らない空論だ」と、以下のように批判する。

「この『分析』は内閣官房が行ったものだが、『供給量が変わらなければ価格も変わらない』という初歩的な価格論に依拠したもので、米流通の現実を知るものからすれば、空論の域を出ていない」

「これら輸入米はまず牛丼や回転寿司など外食産業で使われる。こうした業界では、具材やネタが第一でメシは二の次だからである。『安い』ことを売りにする弁当にも輸入米が使われる。最近の弁当はおかずが主体でご飯は少し、米の良し悪しは大きな問題ではない」

「最近のデータによると、勤労者世帯の米消費の約3割が外食・中食によるものである。この傾向は、高齢化による独居老人の増加や若者の米離れによってさらに進んでいくものと思われる。その結果、『安い』輸入米の市場はどんどん広がり、スーパーやコンビニに広がっていくだろう」

「今後、輸入米が市場に出回るようになれば、米小売価格はさらに下落し、連動して相対取引価格と生産者手取り価格が下がっていくことだろう。先に述べたように、TPP協定については、7年が過ぎたら再交渉ができる。輸入米の需要が増えれば、当然、米国などの輸出圧力が強まる。その結果、さらに国産米の市場が縮小し、米生産額が減少していく」

 6~8万tの輸入特別枠、少なく見えるかもしれないが「蟻の一穴」になる恐れがある。

 一方、影響が少ないとされている野菜、果物でも加工品、冷凍品などの輸入増による「玉つき現象」など影響は無視できない。「自身の経営作目以外については制度の実状をあまり知らない農業者が存在することを意識し、丁寧でわかりやすい説明」をめざしたと三島さん。本書では、品目別の精査をとおして、すべての農家に関わる悪影響を明らかにしている。

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日本農業の振興に寄与しない輸出拡大戦略

 アベノミクス農政の目玉の輸出拡大戦略についてはどうか。2015年の農林水産物輸出は7000億円を超え、目標をオーバーしたと政府は自賛しているが、その中身を解析してみると、輸出金額の上位を独占しているのは、加工食品や嗜好食品である。アルコール飲料は清酒・ビール等、調味料はソース・醤油・味噌等、穀粉調製品は即席めん・うどん等、そして日本製たばこと清涼飲料水など、その原料は清酒を除いてほとんどが輸入品であり、「日本農業の振興にほとんど寄与していない」。「しかし、食品工業や海外展開している外食産業・小売業にとっては、ビジネス・チャンスの拡大である。TPPは協定参加国の関税撤廃と投資規制緩和をもたらし、企業のビジネス・チャンスをさらに広めるというが、そこには国内の農林水産業の影は薄い」

 そして一方では、和牛(黒毛和種)や米のコシヒカリなど、海外の富裕層をターゲットにした高級ブランドの輸出戦略が強調されているが、その結果、どうなるのだろう。

「スーパーの店頭には、オーストラリア産や米国産の牛肉が売り場の多くを占め、国産牛は隅っこにおかれている。とくに黒毛和種は高嶺の花で、大半の人々は横目で見ながら通り過ぎていく。黒毛和種は特売でも100g当たり500~600円(モモ肉)する。これに対して、輸入牛肉は同じ部位で、100g 200~300円だ。貧乏人は安い輸入肉を買わざるを得ない。

 そうした現実がある中で、政府と業界団体は、黒毛和種をWagyuブランドで海外の富裕層に売り込もうとしている。TPP協定で米国は、日本産牛肉に対する無税輸入枠3000tを設定した。これを追い風に、高級ブランド牛肉を米国に売り込もうとしている生産者もいる」

「しかし、何か間違っていないか。『攻めの農林水産業』を掲げる政府は、2016年度には輸出対応型施設の整備や海外市場開拓など輸出促進対策に326億円もの予算を計上している。そうした予算があるならば、国産農水産物をもっと安く消費者に提供するための対策に使うべきではないのか」

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米国の価格支持、EUの「価格支持プラス直接支払い」

 TPP協定の理不尽に対し、ではどうするか。三島さんは、農家が安心して農業に携われるための全品目にわたる農産物価格支持政策の再構築を提案、かつその正当性と実現可能性を、具体的にのべている。

 アメリカのローンレートやパリティ方式といわれる価格支持政策や、価格支持プラス直接支払いを組み合わせたEUの政策を紹介したあと、三島さんは言う。

「同じ先進国でありながら、米国とEUの農業政策は日本のそれとは大きな違いがある。同じくWTO体制のもとにありながら、欧米は可能な限り価格支持を伴う農業者の所得補償を追求しているのに対し、日本は価格支持政策を率先して取り払い、農産物価格を市場原理に委ねているのである。その結果、日本農業は担い手を大きく減少させ、農地の荒廃が進んでいる」

「再生産保障の主要農産物の価格支持政策の再構築は、国民の理解と一定の財政負担があるならば、すぐにでも実現できることなのである。問題は、こうした方向を進める政府がつくられるかどうかである」

 かくして本書は、TPPの是非をめぐる「空中戦」の書ではなく(それはそれで大事だが)、農家および農業関係者が、国民的理解を形成しながら農家・農村を守っていくための「地上戦」にむけた現実的な提案の書である。

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豊かな農林水産資源を活かし切る新しい日本へ

 そして本書の終章では、TPPに象徴されるアベノミクス的成長戦略への「未練」を断ち切れない国民意識の抜本的転換を、①成長戦略はいらない、②日本は農林水産資源大国、③グローバリズムからローカリズムへ、という三つの項目を立てて訴える。ここでは②の「日本は農林水産資源大国」ということについて見てみよう。

「アメリカ農業の中心である中西部の農業用水は地下水に依存している。深い井戸を掘り、半径が何百メートルもある巨大なスプリンクラーで灌漑しているのである。しかし、もともと雨量が少ないので、地下水はどんどん枯渇し、いずれ中西部の農業は水不足から壊滅する恐れがあると指摘する専門家もいる。

 もう一つの農業大国であるオーストラリアの大半は半砂漠地帯である。10年ほど前には旱魃によって牧草が枯れ、家畜が大量死したことがあった。同国は、数少ない河川の流域で米もつくっているが、農民は高いお金を払って用水を買っている。そのため、日本に対する米の輸出力はあまりない。

 この二つの『農業大国』が、日豪EPAやTPPによって、日本に農産物の関税撤廃を求めているのである。関税撤廃によって短期的には消費者が購入する食料の価格は安くなるかもしれないが、その結果として国内農業が壊滅してしまえば、わが国は、水条件が悪く供給力が不安定な国に食料を依存することになる。国民生活の安定のためには、そうしたリスクは避けなければならない」

 日本は、①適度な気温と日照時間、②潤沢な水、③肥沃な土壌、という三つの農業資源に恵まれている。「これは、まさに天の配剤である」として、三島さんはこう締めくくっている。

「日本の恵まれた農業資源、さらには海や森林を活かした産業構造をつくることは、日本のためだけではなく、世界から飢餓や自然破壊をなくし、人類が共存できる平和な社会の実現にも通じているのである」

(農文協論説委員会)

 *344ページからの三島氏の記事もご覧ください。

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