主張

「むらの困りごと」を逆バネに
「地域という業態」を創造する地域運営組織

 目次
◆行政からお金ではなく仕事を奪う
◆グリーンツーリズム推進協議会を母体に
◆FECWの自給できる町をめざして

 いま、従来の自治会や公民館などの地縁組織を補完しつつ、経済活動などの一歩踏み込んだ活動も行なう住民自治組織として、「地域運営組織」が注目を集めている。

 総務省の2017年3月の報告書では、全国の609市町村に3017の地域運営組織が存在しているという。その多くは、「平成の大合併」時に行政によるサービス低下を補うために、おおむね小学校区や昭和の合併前の旧町村を単位として設立されたものだが、それ以外にも、さまざまな地域の課題=「むらの困りごと」を解決するための住民の活動が、地域運営組織に発展していったケースも少なくない。また、集落営農や、中山間地直接支払、多面的機能支払のための活動組織が、農家以外の住民を巻き込み、地域の課題全般の解決に取り組むようになったケースもある。

 総務省の「暮らしを支える地域運営組織に関する研究会」の座長をつとめた明治大学農学部の小田切徳美教授は、かつて、つぎのように述べていた。

「集落機能は、ある時から急激かつ全面的に脆弱化しはじめる。そこでは、生活に直結する集落機能さえも衰退するため、集落の真の『限界化』はここから始まる。(中略)それを『臨界点』と称している。集落の質が、物理的現象で見られるほどまで不連続に変化するからである。この段階になると、住民の諦観(諦め)が地域の中に急速に広がっていく。『もう何をしてもこのムラはだめだ』という住民意識の一般化である。この『臨界点』は、水害や地震等の自然災害を受けて生じることが多い。また『収穫の喜び』を無にする鳥獣被害もその契機となり得る。いずれも住民への心理的な痛手は大きく、それが諦めを増幅する」(岩波新書『農山村は消滅しない』2014年)

 この集落機能消滅への「臨界点」にもつながりかねない過疎化や高齢化、小中学校統廃合、路線バス廃止、鳥獣害、耕作放棄地や放置竹林へのゴミの不法投棄など、さまざまな「むらの困りごと」に直面した地域住民が、その解決のための活動から、むらを守る地域運営組織を立ち上げる動きが全国で活発化している。農文協ではその実践例を集め、『むらの困りごと解決隊 実践に学ぶ地域運営組織』として発行した。

 その実践例から見えてくるのは、農家と農業をベースにした地域運営組織による「地域という業態」の創造だ。

行政からお金ではなく仕事を奪う

『困りごと解決隊』の各記事の冒頭には活動のきっかけとなった困りごとが表示されている。広島県三次市青河あおが町の場合は「廃校危機・空き家・耕作放棄地・交通弱者」。

 青河町は人口500人弱で、三次市の中でも一番小さな地区。「地域で唯一の共有の宝物」だった青河小学校は最盛期160人余りいた児童が1996年ころには50人を割り込んだ。学校と地域の先行きに不安をいだいた公民館運営委員の4人が話し合ったが良案は浮かばない。ようやく2002年になって、地域の酒米を使った酒の試飲会で「児童数が激減している。何とかしないと。若者を呼び込む住宅でも建てないか?」と呼びかけると9人の仲間ができた。

 9人の職種は公民館長、建設業経営、釣り具店経営、公民館事務長、マツダ社員などで年齢も75歳から43歳までまちまちだが、みな兼業農家。事業を行なうために法人格をもつ有限会社をつくることにした。出資金は1人100万円。社名は青河をもじった「ブルーリバー」。資本金900万円、事業目的は小学校存続と地域の価値を高めること。

 つぎに検討したのは移住者の受け入れ方法。

「青河町は三次市中心部へ10分以内、広島市へも1時間以内という条件下にあり、地域の協力があれば大手業者が住宅地として開発可能な位置ではないか? 建設業を営んでいた私はそう思っていた。しかし青河町の当時の人口は550人ほど。そんな地域に団地ができれば一度に多数の人が入ってくる。コミュニティを運営するには地域住民による適正な町のコントロールが必要だ。体制を崩してコントロールできない町をつくってはまちづくりの価値がない」(ブルーリバー取締役専務・岩崎積さん)

 地域に合った誘致方法として、「若者住宅を10年以内に10戸を手がけること」をめざしてスタートを切った。

 まずメンバーの土地を譲り受け、2棟の建設に着手。このころ児童数は25人。三次市は小規模小学校の統廃合を提示し、20人を切ったら統廃合の協議に入ると公表した。若者住宅の建設は始まっていたが、資金調達の課題が残っていた。当面の資金は地元信用金庫の融資でしのぎ、長期の資金は全員が農家であることから連帯債務を負う条件でJA三次から融資を受けることができた。若者住宅は2003年春に完成。入居者の募集や契約は不動産業者に下記の条件を順守した選定を依頼した。

・必ず青河小学校へ通学させること。

・小学生か、以下の年齢の子どもがいる家族。

・小学校教育へ理解と協力ができること。

・地域活動へも積極的に参加すること。

・常会へは必ず加入すること。

 移住者受け入れが始まり、2003年春には4人の児童が増えた。それがメディアで報道されると、放置されていた空き家の所有者から「帰る気がないから活用してほしい」という話があり、9人のメンバーが5月から12月まで修繕作業をすると、完成と同時に入居者が現れ、嬉しい思いをしたという。

 ブルーリバーはその後も新築住宅を6棟建設し、空き家住宅を2戸買い受け、青河小の児童数は2017年度18人、2023年度予測も18人と少人数ながら安定。市も活動を評価し、いまのところ統廃合はしない方針を示しているという。

「地域の存続のために必要なことの一つが、農業の好きな子どもたちを育成することだと思っている」と、岩崎さん。職場や学校、商店が集約され、交通体制も充実している市街地にくらべてなにもかも不便な青河町に住む必要があるとしたら、ふるさとへの思い、農業と自然環境の保全しかない。そんな農業の好きな子どもを育成するため、小学校と地域が一緒になり楽しめる農業体験をさせている。

 2011年には山林状態と化した農地付きの放棄空き家を引き取ってほしいとの話が舞い込む。これを3年かけて造成し終えた2014年、三次市がドブロク特区の認定を受けた。青河町として造成地と特区を活用するために新たにまちおこし会社「合同会社あおが」を67人、999万円の出資で設立、敷地内の古民家を改修して農家レストランとドブロク製造所をつくった。

 交通弱者の発生しやすい青河町では、2011年に自治振興会が輸送サポート事業を開始。住民全員で車両を所有し、維持費用は利用する家もしない家も、全戸が年間4500円のサポート会費を負担するかたちだ。岩崎さんは「地域にはさまざまな課題がわいてくる。用意された行政サービスに妥協するか、自ら欲するものを手にするか、どちらを選ぶかだ」「豊かな地域になるには、行政からお金の支援でなく、行政から仕事を奪うことではないだろうか?」と述べている。

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グリーンツーリズム推進協議会を母体に

 山口県長門市俵山地区(人口1063人、464世帯)の困りごとは「過疎高齢化・空き旅館・高齢者福祉」。典型的な中山間地域で、湯治場として名を馳せた温泉集落を九つの農村集落が取り囲んでいるが、温泉は湯治客の高齢化や観光形態の変化で宿泊客が減少、40軒以上あった旅館も半分に減り、周辺の農村集落も過疎高齢化や耕作放棄地の増加で地域の活力が急激に低下していた。

 地域運営組織NPO法人ゆうゆうグリーン俵山の母体になったのは、公民館の青年部を中心として2004年に設立されたグリーンツーリズム推進協議会。2005年に国土交通省の地域づくりインターン事業を導入し、都市部の大学生に農村生活を体験させる民泊に取り組んだことが評価され、2008年、子ども農山漁村交流プロジェクトのモデル地域の一つに選定された。2009年にはNPO法人として組織を改編、2011年の山口国体ラグビー競技の交流拠点施設「里山ステーション俵山」の指定管理を市から受託。以降そこを拠点に地域課題の発掘、解決を図りながら、情報発信や観光デザインを含めた地域のコーディネーターとして以下のような活動を展開している。

①グリーンツーリズムを活用した都市農村交流

 地域の特徴である温泉と農産品を取り入れた豊富な体験メニューを50軒の農家民泊を中心に提供。都会からやってきたインターンも40人を数え、OBOGが俵山のPR大使となっている。韓国、台湾の高校生修学旅行も受け入れ中。

②高齢化社会に対応した福祉事業

 高齢化率50%を超え、高齢者のみの世帯では買物、通院、食事等が困難に。少しでも長くふるさとで生活してほしいとの思いで週1回のデイサービス、安否確認を兼ねた週5日の昼食支援、電話での予約に応じたデマンド形式の足の確保(過疎地有償運送)を週3日実施。

③公共施設の管理と環境保全

 里山ステーション俵山のほかに国体のラグビー競技が開催された多目的交流広場「俵山スパスタジアム」の指定管理も受託。2019年のラグビーワールドカップのキャンプ地にも立候補。春休み、夏休みにはラグビー、サッカーの合宿で多くの選手がやってくる。

④特産品開発と地産地消

 毎月1回「里山朝市」を開催。そばやパン、ピザも提供し、徐々にお客が増加している。お中元、お歳暮の時期には加工品を詰め合わせた100セットの宅配セットも販売。2014年からは温泉街で「イチニチレストラン」も開催。

⑤UIJターンの促進

 2013年から地域おこし協力隊を導入。任務の一つに定住対策を掲げ、空き旅館を借り受けてリニューアルしたお試し暮らしの宿を活用したり、空き家情報を整備。2016年、初代隊員は任期終了後、温泉街でカフェを開業、2代目隊員が就任。こうした活動の結果、俵山地区には5年間で7世帯26人が新しく住民となり、活性化に貢献している(目標は公民館学習会の講師である藤山浩氏の『田園回帰1%戦略』にもとづき、年間10人)。

 NPO法人の事務局体制は事務局長以下パート職員6名の交替制で、常時2名が勤務。年間予算は3000万円を超え、人件費は1000万円を超える。支払いのほとんどが俵山地区内で消化されており、地域にとっては優良企業といった位置づけとなっているという。

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FECWの自給できる町をめざして

 愛媛県西予市明浜町の(株)「地域法人 無茶々園むちゃちゃえん」(正会員70人、準会員78人)がめざしているのは「FECWの自給できる町」。経済評論家・内橋克人氏が提唱するFEC=フード(食料)、エネルギー、ケア(福祉)の自給にワーク(仕事)を加えている。

 無茶々園は、1974年に農薬や化学肥料を多用するカンキツ栽培に疑問をもった若手農家3人が、地元のお寺の土地を借りてイヨカンの無農薬栽培を開始したことに始まる。40年以上の歴史を経て、現在では西予市以外の愛南町や松山市でもカンキツ園や有機野菜園に取り組むようになり、町外では大規模有機農業の実践の場をつくること、過疎高齢化が進む地元明浜町では、地域の畑を守っていくことが重要な取り組みの一つだという。

 農業以外では、福祉の自給をめざし、1995年からヘルパー講座を独自に開講、150人のヘルパーを養成した。2009年から女性有志たちが独居高齢者の家に有償ボランティアの配食サービスを開始。2013年にはヘルパー講座第一期生の一人が20年の経験を積んで舞い戻り、有料老人施設兼デイサービスセンター「めぐみの里」を運営する(株)百笑一輝を立ち上げた。

 さらに地域の漁業者と連携してちりめんじゃこや真珠の販売を行なったり、カンキツの皮やジュース粕、真珠貝などを原料としたコスメブランドを立ち上げ、アロマオイルやハンドクリームなどを製品化している。

 そして2015年3月に廃校になった旧明浜町内の狩江小学校の校舎と跡地利用について地域住民で1年間話し合い、無茶々園を活用管理責任団体として、新たな町づくりの拠点「かりえ笑学校」として開校、無茶々園も本部機能を校舎に移した。

 無茶々園代表取締役の大津清次さんは、「めざすは小規模多機能自治の町づくりモデルです。狩江地区(狩江小学校区)は、341世帯、人口984人の集落です。3人程度の役場職員と町おこしグループ、そしてよそ者(県外者)が地域のために、産業も福祉も医療も、地域や世間が必要とする小さな仕事(事業)を行ない、誰もが誇れる地域にすることです」と述べている。

 その無茶々園は、2016年度農林水産祭で「柑橘の有機栽培からスタートしたエコロジカルなむらづくり」として天皇杯を受賞した。天皇杯は、農産部門、園芸部門、畜産部門など7部門ある中「むらづくり部門」での受賞。受賞理由は「農業生産組織であった無茶々園が、漁業者と連携して地域環境の保全と漁業の振興を図るとともに、高齢者の生きがいを創造するための地域づくり活動にも取り組んで成果を上げている。この活動は多くの条件不利地域のむらづくりのモデルとなることが期待される」というもの。農業、漁業、福祉といった「業種の壁」を越えた活動が評価されたのだ(無茶々園の活動は、近く農文協から刊行の愛媛大学社会共創学部無茶々園研究チーム・(株)愛媛地域総合研究所による『農家組織から地域組織へ 地域協同組合無茶々園の挑戦』(仮題)で詳しく紹介される)。

 本「主張」ではかつてこのように述べていた。

「農家はもともと、食べものや資材の自給から兼業まで、多彩な仕事をこなす『業態』であった。その『業』は『生業』であり、それは暮らしと結びつき、あるいは暮らしそのものである。そして生産・生活の両面で支えあうむらの仕事のありようは、相互につながりあう『地域という業態』であった。つながりがなく単一的であるがゆえに他律と対立にならざるを得ない『業種』に対し、『業態』は結びつきを旨とするがゆえに自律と共生によって地域を形成する。それがむらという『業態』である」(2010年1月号「主張」「業態革命元年――農家力(自給の思想)が『地域という業態』を創造する」)

「自給の力」で「むらの困りごと」を解決する農家の活動が、地域運営組織へとつながり、そして「地域という業態」の創造へとつながる時代が始まっている。

(農文協論説委員会)

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