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絵農書

限りない探求心がわく

 近世農業・イメージ史研究に不可欠の書

黒田 日出男
『絵 農 書 二』
佐藤常雄・徳永光俊・江藤彰彦編
B5判・198頁・7143円
4-540-99005-5

 「日本農書全集」全72巻が完結した。第1期が刊行されはじめると、わたしは、日本中世農業史・農業技術史のための最良の手がかりのひとつとして読みはじめ、機会あるごとに利用してきた。とても読みやすく、そしてじつに歴史研究のために役立つ全集であった。

 そもそも、日本史研究を志す者にとって必要不可欠なのは、農業史・産業史・林業史・漁業史などの基礎的な知識であるが、それらを若い研究者が身に付けるためには、本全集に親しむのが最良の近道だと断言することができる。

 全集の完成を心から祝福したい。

 その棹尾を飾ったのが本書である。その美麗さからしても当然だと言いたくなる。日本史研究のなかに絵画史料譜を持ち込んだ私にとって、なんともありがたい本だ。同全集のうちで、これまでとりわけ愛用してきたのは『農業図絵』(第28巻)であったが、それに『絵農書 一』(第71巻)と本巻が加わったことが、なんともうれしいのである。

 『絵農書 一』・『絵農書 二』の両巻で一つのまとまりをなすものであるからあわせて紹介すると、『絵農書 一』には、挿絵・襖絵・欄間絵・蒔絵・棒絵・暦・奉納絵などに描かれた農事・農業・農村の風景が収録されており、それぞれ適切な解題がつけられている。また、本巻『絵農書 二』には、絵巻・屏風・掛物・浮世絵・絵馬・陶磁器に描かれた農耕と農民そして農村の姿が収められ、同じく不可欠な解題がなされれている。それらの絵は確かに上手くはない。しかし、じつに親しい絵画史料ではあるまいか。両巻共に、絵画のディテールが読めるように図版の配慮がなされているので、描かれた農村世界に目を凝らしていくと、限りない探求心がわいてくる。

 無論、この二巻に収録されているのは、現存する近世農業を描いた絵画史料のうちのほんの一部にすぎない。しかし、両巻と『農業図絵』の第一の重要性は、日本農書研究に絵画史料をきちんと位置づけた点にあるだろう。つまり、大きく変貌した現代の農村と農業からは、近世農業を知ることはできない。近世の農業と農民を知るためには、今や絵画史料が不可欠な媒介環となっているのである。農業には縁遠く、しかし近世農業を知りたい、研究したいと思っている人々にとって、『農業図絵』と『絵農書 一・二』の三巻が不可欠となる。「日本農書全集」を読破するには、この三巻を座右に置き、常にそのイメージを参照しつつ読むべきなのである。

 見方を変えれば、「日本農書全集」各巻にある挿絵の全てが絵画史料であり、それらの挿絵全体を分析することによって、日本近世のさまざまな側面にイメージ史的に照明をあてることが可能になるだろう。つまり、同全集の挿絵全体を絵画史料とする分析・読解の課題が、我々を待っていることになることになろう。

 また、日本や東アジアのイメージ史に関心をもつ人々にとっても、この三巻は、大きな役割と刺激を与えることになろう。そこに描かれているのは、あくまでもまずはイメージなのであって、実際の農村と農業の風景を描いていると直ちにとらえることはできない。すなわち、それが素朴であり、とてもリアルに見えたとしても、それを描いている絵師や描き手の身体と絵筆にしみこんでいる絵画の伝統を媒介にして表現されている。絵画は微妙に重なり合った表現なのだ。

 とすれば、そのような側面に注目する者たちにとって、この『絵農書 一・二』と『農業図絵』は、きわめて興味深い作品群となってくるであろう。そこで言いたい。イメージ史に関心のある者は皆「日本農書全集」を開いて見よ、と。

(くろだ・ひでお氏=東京大学史料編集所教授・日本史専攻)

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