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21世紀に生かす江戸時代の発想 

農書に脈打つ独自の視点を現代に

5つの収録農書一覧
1巻順収録農書一覧1期・2期)
2五十音順収録農書名・著者名とその読みおよび解題・現代語訳者一覧
3成立地(都道府県・市町村)別収録農書一覧および内容紹介
4成立年順収録農書一覧
5分野別収録農書一覧

キーワードから探る江戸びとの発想

 一九七七年以来、四半世紀をかけて刊行され続けた日本農書全集に、別巻として「収録農書一覧/分類索引」が完成した。この別巻はたんなる索引ではない。多様な視点から全収録農書を捉え返した五つの農書一覧(上掲)のほか、〈現代的課題を解くキーワードからの農書案内〉がついており、国土保全、森林環境から産地形成と流通、暮らしのリズムなど、現代の課題を解く二〇のキーワードのもと、参照すべき農書名が案内されている。そのなかから二十一世紀に生かすべき江戸時代の発想、農書に脈打つ独自の視点を具体的に見てみた。以下、【 】内は同キーワードの大項目、―以下は小項目と参照すべき農書名である。キーワードの一覧は別掲(下段)を見られたい。
 日本農書全集は、原文と現代語訳、注記、解題からなる。原文のもとになっているのは、手書きまたは木版刷りの文書である。ここでは、それらの文書もいちぶ紹介した。原文書そのものは現代人には容易に読めないので、これを活字に置き換えている。これが上段に組まれた原文である。さらに下段に対訳の現代語訳を付し、難解語には注記をつけ、誰でも読めるように編集されている。「農書を専門家の手から国民大衆に開放した全集」といわれる所以である。なお、原文書は農文協図書館(東京都練馬区)で閲覧することができる。



森林と共生する思想

【国土保全】自然保護/生態系の保全
70巻・羽陽秋北水土録

 南北三〇〇〇キロに及ぶ日本列島のグランドデザインは、江戸時代につくられた。江戸時代前半三分の一、元禄期までの日本は大開発時代だった。食料と生活物資の自給基盤はこの時代に完成されたのである。そのために膨大な資金とエネルギーが投入された結果、木は切り尽くされ、山は開き尽くされて大洪水の時代がやってきた。そこで幕府は寛文六(一六六六)年、「山川掟」(やまかわおきて―乱開発禁止令)を出して開発政策を改める。たった三か条の法令だが、草木の根の採掘禁止、植樹、洪水防止対策等を指示している。
 それから一二二年後の天明八(一七八八)年に著されたのが『羽陽秋北水土録』。この書は、秋田藩の僧・釈浄因が自ら寺田を経営した体験を踏まえて著したもので、「耕作及ビ万物ヲ養育スル」のは、樹神の徳が催す雷雨であるとする。だから「乱リニ大樹ヲキリ、樹神ヲ恐レザルコト大ナル謬(あやま)リナリ」とし、森林が水を生み出すことを説き、乱伐を戒める。このような思想と実践が各地に広まって、日本列島の山々は緑を回復し、里々には鎮守の森が出現した。水田の背後に横たわる緑の森と、そこから流れ下る小川の景観は、日本の原風景を形成しているだけでなく、「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川」として、日本人の心の原風景をも形成しているのである。この山と川は、田畑と結ばれて安定した農耕を支えるシステムとして機能した。
 鎮守の森は子どもたちの遊びの場であり、収穫の豊穣や家内安全を祈る祭りの場であり、村人たちの語らいと憩いの場であった。江戸時代に形成された、『羽陽秋北水土録』に見られるような自然観、生態系の保護思想の上に、世界でも有数の森林率を誇る現在の日本列島の緑なす山河が存在する。





持続的開発の手法


【森林資源】植林/魚付林
57巻・弐拾番山御書付

 こうした自然を保護し、生態系を維持しながら国土を保全する〈思想〉は、現場ではどのように実践されていたのだろうか。その実態を伝えるのが萩藩の『弐拾番山御書付』。御立山、すなわち藩の直轄経営林の管理方法について指示した農書である。
 GNPの大半を農林業から生み出していた江戸時代の森林の位置は、現代日本の林業に比べると格段と高い。その重要性は、木曾の檜一本の盗伐で首がとんだことに象徴されよう。材木は建材であるだけでなく、造船用材、桶や樽などの暮らしの道具の製造原料、薪炭などの燃料源として欠かせないものである。
 弐拾番山とは萩藩の直轄経営林であり、年々その二十分の一ずつを切り出して売出す山である。しかし、単純に全森林を二十に区分して切り出すという方針ではなく、同書に見るように「海上目当」すなわち航海や漁場の目印となる山、「網代魚付場」すなわち魚類を集めて保護するために設けた林、「往還見入の山」すなわち街道通行のさいの目印となる山、「若立山」すなわち樹齢の若い山などは、伐採の対象から除かれている。こうした計画的伐採は、今日いわれているサスティナブル・デベロップメントそのものであり、開発と資源保護を統一的に捉える手法として、きわめて現代的である。
 同書の解題によると、こうした輪伐方法は、萩藩の番組山のほか、弘前藩の廻り伐(まわりぎり)、秋田藩の番山繰(ばんやまぐり)、盛岡藩の順伐(じゅんぎり)、米沢藩の順ぐり、高知藩の順番など、当時、全国的に見られたという。まさに「持続的開発の思想と手法は江戸に学べ」を地でいくものだ。






日本における総合防除(IPM)の源流


【自然農薬】植物抽出液
30巻・冨貴宝蔵記

 農業は一方では害虫との戦いである。江戸時代には、害虫防除を祈祷や虫送りに頼ってきたそれまでの段階から抜け出して、農薬を使用しだしている。害虫の生態を観察して発生を抑えるとともに、植物の殺虫成分を取り出して農薬使用をすすめたのが、この『冨貴宝蔵記』。
 この文書で農薬の原料とされているのは、せきしょう、せんだん、くらら、あせび、たばこ、おりと草、よもぎ、だいおう、えんじゅ、いちょうなどの植物である。たばこに含まれるニコチンは、現代でも利用されている殺虫成分である。
 同書の解題には、江戸時代の害虫防除について記した文書、すなわち防除専門農書が年代順に次のようにあげられている。
   杉本庄兵衛『冨貴宝蔵記』享保十六(一七三一)年
   長岐七左衛門『羽州秋田蝗除法』天明八(一七八八)年
   大蔵永常『除蝗録』文政九(一八二六)年
   大聖寺藩宇兵衛ほか『九州表虫防方等聞合記』天保十一(一八四〇)年
   大蔵永常『除蝗録後編』弘化元(一八四四)年
   佐藤藤右衛門『蝗除試仕法書』弘化二(一八四五)年
   高橋常作『除稲虫之法』安政三(一八五六)年
 これらの農書は、『羽州秋田蝗除法』を除いてすべて「日本農書全集」に収録されている。
 このように『冨貴宝蔵記』は、鯨油による害虫防除を説いた大蔵永常の『除蝗録』に先立つことおよそ一世紀であり、防除の専門農書として本邦の先駆けなのだが、それだけではない。日本における総合防除技術の先駆けなのだ。本書の前半では、メイチュウ類の越冬生態を正確に観察し、刈り株を処理して発生源をたたいている。つまり、生態学的な防除である。また、深水湛水した田に虫を落として殺したり、害虫の早期発見、早期防除をすすめたりしている。そのうえで、植物浸出液すなわち農薬防除をしているのだ。農薬だけに頼らない総合防除なのである。
 しかもこの防除専門農書は、江戸や京大阪といった学問と文化の中心地においてではなく、「片田舎」土佐の、そのまた城下から遠く隔たった阿波との国境・野根浦で生まれている。藩という独立国家の連合であり、「下から積み上げられた社会」(大石慎三郎・学習院大学名誉教授)である江戸のすごさがここにある。



地元の素材を活用した総合的な学習


【地域教育】地域についての学習
62巻・三等往来

 農書は単なる農業の書ではない。ここに掲げたのは寺子屋の教科書である。寺子屋の教科書は往来物といわれ、農家の子弟なら「農業往来」とか「百姓往来」などといった、農作業や農具などを題材にしたテキストが使われることが多い。この教科書は阿波の国(徳島県)の椿泊という漁村で使われたものである。原文は漢文であるが、全集では書き下し文にして、現代語訳と注記を加えている。地元の地理や歴史を題材にした教科書である。
 冒頭の土地の景観、歴史、地理の記述に続いて武士、商人、漁師の三つの職業について、その技術や生き方を伝えるというのが書名「三等往来」の由来である。読み書きの題材を地元のものにとり、それを地元の師匠が地元の子どもたちに教える。地域教育そのものである。地元椿泊の風土と地名の由来、景観、職業、人々の生き方、さらには土地のしきたりから風習までも教える。引き継ぐ教育である。元治元(一八六四)年、今を去ること一世紀半、阿波の国で行われた「総合的な学習の時間」の、子どもたちの声が聞こえてくるではないか。これはまさしく地元学そのものである。
 幕末、日本には約三万の寺子屋があったという。これは現在の小学校数約二万四〇〇〇を凌駕する。地域に密着したこの寺子屋教育のうえに、高い読み書き能力を備えた国民が形成され、その人材大国徳川ニッポンがあって、はじめて日本は大国の侵略を免れ、アジアで初めて近代化に成功した国となったのだ。



生産の場から生活の場にまで及ぶしなやかな感性と精緻な観察眼

【暮らしのリズム】生物暦
16・17巻・百姓伝記20巻・会津歌農書38巻・東郡田畠耕方并草木目当書上

 江戸の昔も現代も季節の運行に変わりはないのだが、それを受けとめる日本人の感覚には大きなへだたりができてしまったようだ。江戸時代の人々はすでに暦をもとに農耕と暮らしを築いているが、一方では身辺の草木の状態や動物たちの振舞いを敏感に察知して、農耕と暮らしの目安、すなわち生物暦として活用していた。
 三河・遠江を舞台に生まれた『百姓伝記』は冒頭に「四季集」を当て、正月から年の暮れまで月を追って小動物や草木の状況、天候の特徴などを情感豊かな文章で綴っている。「四月…ほととぎす山にも里にもなき渡る」「五月、小暑おのずから来れどもいまださめず」「六月…白露はじめて草木に置く」などから筆者の心根が伝わってくる。
 ここには、「風の音にぞおどろかれぬる」というような、自然のかすかな動きまでをも察知して胸をときめかすような、平安時代以来、日本人が磨き上げてきたこまやかな感性が、しっかりと息づいているのを見ることができる。
 このようなしなやかな感性は、農耕の現場ではどのように生かされていたのであろうか。常陸(茨城県)の農書「東郡田畠耕方并草木目当書上」は、草木の状態を農耕の目印にしている様をつぶさに書き記している。すなわち、水田を耕し始めるのは「木々の葉が芽を出し、双葉になった」ころを目安とし、苗代へ種籾を播くのは「柿の葉の茂るころ」または「彼岸桜の開花」を目安にする。里芋を植付ける目安は「菜種の花盛り」だし、うりやすいかの播種の目安は「彼岸桜が散るころ」である。八十八夜前後とか彼岸前など、いちおう暦を基準に農耕を考えてはいるが、暦はいわば絶対時間、季節の移ろいはその年の気候によって差異が生じるから、実際に農作業の目安にするのは草木の様子の方、というわけだ。
 『会津歌農書』は、『会津農書』の内容を一六六九首の歌にまとめたものだが、このなかにも季節の移ろいや生物の状況を、農作業の目安として詠んだものがかなりある。たとえば、種籾の播き時の目安として桜の開花初めを、里田(平地の水田)の耕起時期の目安として琉球つつじの咲き始めのころをあげている。
 『会津歌農書』は、題材に対する著者の精緻な観察眼が光る農書である。その観察眼は自然界のみならず人間界にも注がれる。早乙女たちの姿を詠んだ次の歌のみごとさはどうだ。これはもう声に出して読むしかない。(原文下掲)
▼たちいででみよやごがつのおとめごが そのよそおいやいろめきにけり
▼よそめにもさぞなゆかしきさおとめの すげのおがさのうちやいかにと
▼さおとめのそのいでたちはひとしおや わがものがおにみえてゆかしき
▼さおとめのつらねしそでやにおうらむ いばらのはなのひらくたのもは
 茜だすきに菅の笠のいでたちで勢ぞろいした早乙女たち。それを映し出す田面のさざめきが目に浮かぶようではないか。これはもう一幅の絵だ。


早乙女を描いた「九谷色絵農耕煎茶碗」
(九谷庄三作、第72巻収録。西田光明氏所蔵、小倉隆人氏撮影。)


現代的課題を解くキーワード

【国土保全】
入会地、魚付き林、河川管理、砂防林、自然保護、生態系の保全、焼畑制限、砂防
【森林資源】
植林、植林の意義、焼畑制限
【漁業資源と漁法】
魚付き林、鮎資源の管理、江戸近郊の釣り、漁法の伝播、西海捕鯨、諏訪湖・氷曳網漁、北海道水産、能登水産、松江湖水産、瀬戸内海水産
【危機管理】
地震・津波・水害、防潮、虫害、冷害、噴火
【救荒対策】
飢饉への心得、救荒作物、草木の食べ方、食べられる野草図鑑、非常食、薬種の国産策、有毒植物図鑑
【産地形成と流通】
藍、油桐、漆工芸、こうぞ、さとうきび、しいたけ、たばこ、茶、朝鮮人参、なし、菜種、海苔、はぜ、紅花、みかん、養蚕、綿、特産全般
【加工技術】
からむし織り、油、海産乾物、生糸、葛、酒、砂糖、塩、樟脳、醤油、漬物、豆腐、漆工芸、麩、味噌、木炭、ゆば、和紙
【土の見方】
土の分類、土地の良否の見分け方、田畑の地性の見分け方、田畑の土の等級づけ
【自給肥料】
肥料の見方・考え方、刈敷き、下肥・人糞尿、堆肥・厩肥、すす・灰、ぬか・油粕、石灰・貝殻、ちり・ごみ・あくた、干し鰯・鰯肥、海藻、泥肥・沼土・壁土・土肥・川砂
【技術の伝達・移転】
聞き取り、教科書による技術伝達、先進地視察、試作結果報告、巡回指導、先進地からの技術移転、宗教による技術移転、ちらしによる技術移転、篤農技術の一般化、問答による技術移転、領主による教諭、和歌による技術移転
【農法・技術】
秋落ち田、潟土の利用、実験・観察、正条植え、疎植稲作、田畑輪換、直播栽培、地力保全、焼畑、輪作、連作障害、輪中農法
【自然農薬】
鯨油、菜種油、植物抽出液、誘引作物・物理的防除
【動物の鍼灸治療】
牛、馬
【地域教育】
子どもの遊び、米の効能と役割、地域についての学習、教科書
【村の自治】
家の永続、入会地、資金調達、自力更生、資源管理・相互扶助、負債整理、村法
【天気予測】
【暮らしのリズム】
からむし織り、行事・祭、暮らしの心得、暮らしの変遷、生物暦、染めもの、年中行事、木綿織り
【愛玩動物飼育】
犬、うずら、金魚
【ガーデニング】
植木、家庭園芸、菊、切花、草花・花木、自給菜園
【絵画史料】
漁法、作物の雌雄、地震の被害状況、常民の暮らし、製紙、製茶、農具、捕鯨




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