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ナチュラルライフ提案カタログ

現代農業2001年11月増刊

【編集後記】

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 昨年の夏、『地域で介護を』(2000年2月増刊)などにご執筆いただいている蟻塚昌克さん(元・厚生省社会福祉専門官、埼玉県立大学保健医療学部助教授)のお誘いで、埼玉県秩父郡吉田町太田部の集落を訪ねたときの驚きは新鮮だった。

 標高550m。四輪駆動の車がひっくり返りそうになりながら登る山道。畑に動力機械はぜったいに入らない。完全人力栽培で、コンニャク、野菜などをつくる究極の傾斜地農業。家々は畑から拾い集めた石を積み上げた石垣の上に建っていた。

 太田部は戦後最盛期には80戸の農家があったが、現在35戸。本誌31頁の新井武さんのような高齢農家が、元気に山と畑をまもっている。傾斜した畑の面積は見た目よりはるかに大きく、それをさほど苦もなく人力で耕しつづけられたのは、群馬県万場町の鍛冶屋・天野刃物工房作の独特の鋤のおかげということだった。秩父山地一帯の農林業にとって、天野工房の道具はなくてはならないものという。かつては全国津々浦々の鍛冶職人が、その地その人になくてはならない道具をつくり出していたのだと思った。

 また、26頁の「車輪つき人力犂」の中村博さんからは、1999年11月増刊『田園工芸 豊かな手仕事の創造』の発行後、そのご感想と、中村さんの生まれ故郷の愛媛県北宇和郡三浦村船隠という、戸数100軒ほどの漁村の手書きの地図を送っていただいたことがある。記憶を頼りに描いた地図には村の一軒一軒の姓名、そして一軒一軒異なる「副業」が書き込まれていた(26頁写真のバック)。「石屋、大工、畳職人、炭焼き、竹細工、鍛冶屋……一口に“半農半漁”というけれど、村人はじつに多彩な副業によってお互いの暮らしを支え合っていた」と、中村さん。

「この道しかない」と突き進んできたエネルギー革命、高度経済成長、分業化とコミュニティの解体。だが、106頁で歌野敬さんが「北松いのちの農場」は「1960年代あたりの農家の暮らしを再現しようとしているもの」と述べているように、「もうひとつの道」も、今ならまだ、可能なのかもしれない。(甲斐)

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