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田園・里山ハローワーク 希望のニート・フリーター |
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現代農業2005年11月増刊 | ||
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本誌前号『若者はなぜ、農山村に向かうのか』のこの欄に、現在32歳前後の若者が大学を卒業した1995年ころの雇用の状況が最悪だったことについてふれた。経済界の「雇用の柔軟化」なる方針転換により、その後10年間にパート、アルバイト、契約、派遣社員などの非正規雇用が50%も増え、いまや1500万人以上。一方、正規雇用は10%減少し、3500万人を割り込んだ。いまになって政府、経済界、あるいは労働界はニートやフリーターの予想以上の増大にあわてているが、それは労働は経済のためだけにあるのではなく、社会の継承のための文化的意味をもつことを忘れた結果ではなかったか。 人は、だれしもよりよくより楽しく生きたいと思うもの。そして、自らの労働をとおして、よりよくより楽しく生きたいだれかの役に立ちたいと思うもの。とくに若者はそうだ。いま、多くの若者が農山漁村を生きる場に選び、従来の農林漁業の枠にとらわれない「だれかの役に立つ」多様な仕事を創造し始めたのは、労働の本質と喜びは、人と人が、人と自然が働きかけ働きかえされるプロセスそのものの中にあることを、そのみずみずしい身体感覚をとおして感知したからではないか。 たとえば自らの見習い体験を通して、ほろびゆく職人技の継承のための半農半手仕事田舎暮らし構想について述べている伊藤洋志さんはまだ26歳。素材も食も自給する手仕事職人がいかに「継承する力」を持っているかに迫っている(222ページ)。 この「継承する力」は、農山漁村のもつほんらいの力でもある。農山漁村はいかに稼ぐかではなく、「ここで生きていく」地域をいかに継承していくかが仕事だからだ。都市や企業には、たとえ稼ぐ力がまだ残っているとしても、「継承する力」言い換えれば「文化の力」はない。だが心配することはない。企業社会に文化としての労働はないことを知った若者たちが、農山漁村の高齢者とともに、新しい文化としての労働を創造しつつある。(甲斐良治) |
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