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農文協増刊現代農業>よみがえる廃校 「母校」の思い出とともに_編集後記

よみがえる廃校 「母校」の思い出とともに

現代農業2006年11月増刊

【編集後記】

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 ピーク時1200万人から710万人へ(小学生)、590万人から340万人へ(中学生)という少子化と、3200市町村が1800へという市町村合併によって、学校統廃合が急速にすすめられている。平成4年から13年までの廃校数は2087校。平成11年までは毎年150〜200校だったが、平成12年度以降は250〜350校のレベルに達している。そのうえ文部科学省は「学校規模をさらに適正なものにしていくためには、より一層の努力が必要」(初等中等教育企画課長)としている。一方で廃校後も建物が現存している学校数は1546校もあり、うち何らかの活用が図られている学校数は1269校にのぼる。

 このことは、一校あたり数千万円〜数億円かかるとされる解体費用を捻出するより現存のまま体験交流施設、社会教育施設として活用したほうが負担が軽いとの財政的判断もあろうが、なにより地域のよりどころだった学校を取り壊すのは忍びないという校区民の感情によるところが大きいのではないか。

 たとえば熊本県菊池市立菊池東中学校の現存する木造校舎が建てられたのは戦後間もなく。在校生たちが川原で拾った栗石を敷き詰め、地搗き音頭で基礎を固めて建てた校舎であり、費用も村有林の売却益が当てられた。秋田県旧由利町立鮎川小学校跡地でも、「この校舎は、ぼくらが中学1年生だった昭和29年に、『どんつき』で地盤をかためて建てたものです」という声が聞かれた。木はむらの共有林のなかでももっともよい木を使い、費用の多くも共有林の利益から出したという。

 現存する木造校舎のほとんどは、団塊世代の入学に備え、戦後復興の木材・資金不足のなかで、校区の良材、校区の土地と資金、子どもたちを含む校区の労力で建てられたものである。そのことは、明治の学校発足の際も基本的に同じだが、校区によって建てられた学校は、戦前は兵士養成の、戦後は企業戦士養成の場になった。来年以降、企業を離れる団塊の世代は、せめてこれから母校と校区のために何ができるかを考えてほしい(甲斐良治)

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