『農村文化運動』 186号 2007年10月

「むらの思想」と地域自治 内山 節


[目次]

はじめに

序 「伝統的」のもつあやうさ

■第一講 “家業としての流通”と“農村の持続”

I 地域内流通と広域的流通の役割

II 家業における「持続」と「信用」

III 村の儀礼や祭りから地域社会の持続を考える

■第二講 われわれが守らねばならない伝統思想とは

I 「日本人は個の確立が弱い」という俗説は本当か?

II 日本人の宗教観と西洋の精神論──科学で解明できない世界

III 仏教はいかに土着的思想と融合していったか

IV 国家権力は共同体をどう解体しようとしたか

■質疑応答

・共同の力が弱まった理由は?

・政府や自治体の本来のあり方とは?

・ナショナリズムとは?

■第三講 国家の歴史でなく、民衆の歴史をどうつかむか

I 歴史とはなにか

II 民衆の歴史をどうつかむか

(表紙の写真は、岡本央 氏の撮影による)


はじめに

 昨年末に、新しい教育基本法が成立した。そこには、教育の目標として、「伝統と文化を尊重し、(中略)我が国と郷土を愛する(中略)態度を養うこと」が掲げられている。

 では、「伝統」や「文化」とはいったいなんであろうか? 本特集は、そんな問いに哲学者の内山節氏が真正面から向き合い、心ある農家の方々に語りかけた講演録である。

 内山氏は、「道徳心」「武士道」といった支配する側がつくりあげた儒教的な精神論の対極に、村に生まれ、村で暮らし、そして村に死んでいった人々が築いた「民衆の思想」「むらの思想」を対置する。

 村で生きた人々の信仰感(神仏習合の世界)や、村人がいかにして「個」を形成してきたのか、あるいは家業として引き継がれてきたかつての経済思想をどうとらえるか……。これら、われわれの意識の奥にある、もう一つの「日本的精神」を明らかにすることで、じわじわと浸透するナショナリズムや、猛威をふるう新自由主義的な経済思想に対抗する。社会主義やリベラリズムといった外からの思想では、「われわれとしての決着にならない」(内山氏)のである。

 ところで、この一〇年の間に、農協や市町村の合併が急速にすすみ、効率化のなかで、集落や旧村の周辺化が加速されている。また、大規模化をすすめる国の農政が「集落営農」を認めたものの、それを法人化して企業的農業にもっていこうとする力と、むら的な共同として育てていこうとする力とが拮抗している。

 そのような状況のもとで、地域の非農家や都市の住民も巻き込みながら、本当の意味での自治をいかにとり戻すかが、今、農村のリーダーたちに問われているのではないか。

 集落NPOや校区コミュニティー、手づくり自治区といった、新しい自治の試みも広がるなか、本特集では、その歴史的・思想的な意味や、精神世界までも含んだ「むら」の自治のすがたに迫る。

 集落座談会などの場で、わが村の歴史と未来を語りあうための一助としていただきたい。

 なお、本講演は、九州の農家などを対象にした、内山節氏による講習会(二〇〇七年二月七日、於 熊本県山都町)にて行なわれたものである。

農文協文化部


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