● 幼い頃の記憶「山本太々神楽」の復活

 ―相田茂さん

 「山本太々神楽」のような地元に伝わる神楽は「さとかぐら」と呼ばれ、地元の氏神、産土神を祭り、氏子崇拝者の心をなごませ、明日への活気を高めるという役割を持っています。しかし、この「山本太々神楽」も他の地区の例にもれず、戦後の高度経済成長期には、舞い手、つまりは農村の担い手が秋の祭の時期に出稼ぎに出たために途絶えてしまい、面だけが寂しく地元の蔵で保管されていました。
 昭和40年代、当時の4Hクラブの青年十数名は、「今、この舞を復活しないと永遠になくなってしまう」と、神楽の面を引きずり出しました。そのとき自分の父親が師匠だった相田茂さん(51歳)は「幼いころ見た親父たちの舞が記憶に蘇って、自分も舞いたいと思った」そうです。
 しかし神楽は簡単なものではなく、10年を経てようやくきちんと舞えるようになりました。現在の14名の舞い手のなかには次代を継ぐ若者もいます。メンバーは13の演目をこなしますが、それでもまだ使われていない面がいくつか残っているため、その復活も考えています。