● 大切なのは 祭りを残していくこと

 ―遠山天満宮南和田保存会会長・鎌倉詔さん

 遠山天満宮は、南信濃村和田中心部より南へ4キロほど下った南和田大町地区の高台にあり、現在は17戸の部落社です。昭和53年、社殿の修復を機に35年ぶりに祭を復活しました。当初は、隣の地区の和田保存会に協力してもらい、舞を奉納していましたが、同地区の若い衆が自分たちの手で引き継いでいこうと、南和田保存会を結成。年寄り衆から舞を習い、祭を盛り上げ始めました。
 そんななかで遠山天満宮の霜月祭りの日が、12月17日と決まっていることが問題になりました。というのも、地区の人たちのほとんどが勤め人なので、平日にあたったときは参加できない人がでてくるからです。それでは、みんなの祭にならないと、保存会では祭の日を、祝日の12月23日に変更しました。子どもたちも加わり、遠山天満宮での霜月祭りが存続できるようになったわけです。
 しかし、必要な舞い手は面の数の42人です。17戸の住民だけでは半分にしかなりません。そこで目をつけたのが、霜月祭りをひと目見ようとやってくる参拝者です。毎年、この時期になると、民俗芸能の研究者やカメラマンなども含め、多くの人が遠山郷を訪れるので、こうした人たちに「いっしょに踊りまい(踊りましょう)」と声をかけたのです。
 現在、遠山郷の霜月祭りは、村の人々だけで舞われる伝承型と、見にきた人も舞に参加できる参加体験型のふたつに分かれてきています。伝統ある祭によその人を入れることにさまざまな意見がありますが、保存会の会長である鎌倉詔さんは「うちの祭は参加型。舞い手がいなければ、祭を伝承することもできない。どんな形でも残していく、毎年続けていくことが大事だ」と柔軟に考えています。