「総合的な時間」の総合誌
農文協
食農教育  
農文協食農教育2005年7月号
 

食農教育 No.42 2005年7月号より

春の夜のヤマアカガエル
春の夜のヤマアカガエル

農家といっしょに生き物調べ

農家が田んぼをのぞいてみると

長野・「ひと・むし・たんぼの会」 瀧沢 郁雄

ヤマアカガエルは農家の行動を知っている

 毎年、代かき後、2、3日たった朝に、おびただしい数のカエルの卵塊を田んぼで発見する。卵塊の数は、多い田んぼでは400にもなる。この卵塊の産みの親の正体はヤマアカガエル。

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 ヤマアカガエルの産卵はおもに夜、こっそりと、しかし盛大に行なわれている。オスは産卵時のみ愛嬌のある声で鳴くのだが、その声はか細く、夜の田んぼに足を運んで初めて耳にすることができる。そしてその声を聞くことができたとき、昼間の静かな田んぼからは想像できない、激しいカエル合戦を目撃することになる。

 ヤマアカガエルは農家の行動を熟知しているかのようだ。彼らは、代かきをした直後に、一斉に田んぼに訪れ産卵するという、大胆な行動に出る。雨が降ってできた水溜りや、周囲の水路などには見向きもせずに、彼らは農家が代かきをするのを待っているように思える。

 水溜りはいつ干上がるかもしれないが、田んぼは代かき後、確実に農家の手によって常時湛水され、産んだ卵が干からびることはない。稲を育てるために、肥料が入れられたことにより土は肥え、水温は高く保たれる。そのことによって、藻類、ミジンコなどが大発生し、オタマジャクシが育つための餌には困らない。田んぼはカエルにとって、これ以上にない好条件の繁殖場なのだろう。

仕事がなくても田んぼへ通う日々

ヒメイトアメンボ
ヒメイトアメンボ。大きさは10mmほど。小さな生き物にも目がいくようになると、生き物観察の楽しさはます

 2001年春、NPO法人「農と自然の研究所」が発行した『田んぼのめぐみ台帳―生き物編』は、宇根豊さんから全国の農家に届けられた、新たな田んぼワールドへの招待状だった。田んぼに生息する生き物目録をつくるためのガイドブックの体裁をしているが、自分の田んぼの生き物調査をしているうちに、農家はさまざまなことを考えることになる。

 当たり前だが、目録をつくるためには生き物をきちんと自分の目でとらえなければならない。そのためには稲を育てる作業以外の時間、つまり生き物を見る時間を田んぼで過ごすことになる。工場労働者が終業ベルと同時に一目散に家路につくように、少しでも効率よくオカネを稼がなければならない現代の農家は、仕事が片づけば無駄にその場にはいないのが普通だ。『田んぼのめぐみ台帳』は、そんな工業化しつつある田んぼに打ち込まれた一本の頑丈な杭であり、私たちはその杭に繋ぎとめられたのである。

 こうして仕事をせずに畦に腹ばいになり、ヒメイトアメンボを数えていたりする新種の農家が、伊那谷に数軒誕生した。

 2002年春、農家と、生き物の専門家である博物館学芸員、自然写真家たちで、総勢13名という小所帯ながら、「ひと・むし・たんぼの会」を発足させた。

オツネントンボの羽化
オツネントンボの羽化。7月下旬、早朝。林の中で成虫のまま越冬したオツネントンボは、代かきの頃、田んぼに戻ってきて産卵する。ヤゴは稲と一緒にすくすく育つ

 目的は、まず継続的に自分の田んぼの生き物を観察することである。そのために、より的確で効率的な観察方法を模索している。またメーリングリストで、会員が日々田んぼで見た生き物の情報交換をしている。

 2つ目は、見えてきた生き物たちのこと、人の営み、農の世界などを表現し、人に伝えることである。そのために田んぼの生き物観察会、講演会、写真や標本・田んぼと生き物の関係を示したパネルの展示などを企画している。

意識しないと見えない世界

 子どもの頃は、よく田んぼに網を持って遊びにいった。採れた生き物を持ち帰り、図鑑で調べ、水槽をいくつも並べて飼育もした。それなのに自分で田んぼを耕すようになって、生き物の存在に気がつかなかった。絶えず視野に入っていたとしても、意識して見ないと脳が認識しないので見えないのだろう。

 生き物を意識的に見るためのいちばんの近道は、名前を覚えることであろう。たとえば、今日、街ですれ違った名前を知らない多くの人の顔を思い出すことはできない。認識できる顔は、名前を知った人に限られるのだ(まれに特別に印象に残った顔を憶えていることはあるが)。思考=言語化だから、言葉で生き物を認識できるようになると、意識的に視覚でとらえることができるようになるのだろう。

 そういった意味でも、「農と自然の研究所」が企画した生き物調査は画期的だった。「調査」は、見るための目的意識を与えてくれるだけでなく、種名を同定し、覚えることにも直結するからだ。

田んぼが森に見えてきた

アマガエル
アマガエルには表情がある

 田んぼでは稲だけが育っているのではなかった。一般的に農家が気にする害虫だけでなく、益虫、さらにどちらでもない「ただの虫」が、複雑で大きな広がりを持った網目のような関係性をもって生きていた。

 田んぼが極相の森のように見えてきた。稲を育て収穫するという農家の目的によって、田んぼの環境は1年の中で裸地から湿地、草原そして再び裸地へと激変する。安定した植生で覆われた森とは正反対の、人為的な攪乱がたびたび起こる不安定な環境のように見える田んぼ。しかし、その攪乱は、長い時間、四季の中で一定の時期に、毎年繰り返されてきたのだ。これはやはり森にも負けない安定した環境ということができるだろう。その証拠が、田んぼに適応して生きる、多くの生き物たちの存在なのだ。

 だから、多くの生き物を育む田んぼは自然なのだ。そして、その田んぼで稲を育てる農家は、立派にカエルやトンボと同じ自然の一員といえるのだろう。

 毎春、カエルが一斉に田んぼで産卵するように、農家も一斉に田んぼに出て、代かきをして田植えをする。カエルも人も、代々繰り返されてきた方法で、みんな子孫に命をつなぐために、田んぼに集まっているのだ。

生と死の積み重ねのうえに稲がある

タイコウチ
稲刈り前の落水時には、飛翔力を持つアメンボ、ゲンゴロウ類、ミズカマキリなどの水生昆虫は、水のある場所に移動する。田んぼという環境にうまく適応している。写真はタイコウチの飛翔

 生き物の相は田んぼごとに違う。田んぼ周辺の自然環境の違いが、いちばん大きな要因である。しかし、畦1本で仕切られただけの隣接する2枚の田んぼでも、生き物相が大きく異なることが多い。この場合の要因は「農家」である。投入する肥料の種類、農薬散布の有無、畦の管理はもちろん、日々の水管理のやり方ひとつで、生き物相は大きく変わるのだ。田んぼの生き物の運命は、農家に託されている。

 では、生き物のために農家は何をすべきなのだろうか。答えは簡単、自分の田んぼを直視することだろう。繁殖期のカエルの大合唱で振動する空気を肌で感じ、二日酔いで朝の水入れを怠ったために大量死したオタマジャクシの死臭を嗅ぐのだ。生き物をきちんと自分の目でとらえた農家は、心の深い部分で、田んぼを媒体とした自分と生き物との繋がりを確かに感じるはずである。それを感じた農家が、ほんの少しでも生き物のことを考えてそれまでの作業を見直す。それが「生き物にやさしい稲つくり」だと思う。

 田んぼは人が稲を育て、米を収穫するための場所である。間違っても生き物を育てるためだけの場所ではない。だから単に、「生き物を殺さないように稲をつくること=生き物にやさしい」では肝心の部分が欠落する。稲を育てることで多くの生き物が生まれ育つが、秋の収穫前の落水時には、メダカなどのエラ呼吸する生き物は確実に死んでいるのだ。それが田んぼであり、そういう生と死の積み重ねのうえで、人は生きているのだ。米を食べながら、田んぼの生き物の命のこと、さらに米を食べることで生きている自分の命を考えることが、「生き物にやさしい」のではないだろうか。

「虫見枠」を使いませんか

虫見枠調査の様子
虫見枠調査の様子。「ひと・むし・たんぼの会」のメンバーの面々。田植え前の忙しい時期に、みんなで集まって虫を見る。みんなの笑顔がすばらしい

 田んぼを漠然と見ていても広がりが大きすぎて、細部が見えない。そこに虫見枠を入れ、視野を限定すると、細部が見えてくる。枠で囲うことで、自然な状態で存在している生き物を、逃がさず枠内に残せる。虫見枠は田んぼをそのまま、見やすいサイズに切り取る道具なのである。

 虫見枠は図のようなものである。このサイズが持ち運びにも、1回の設置で入る生き物の数からも具合がいい。枠が水没してしまうと、水面にいるクモやアメンボが逃げてしまうので、水没しない高さが必要である。

 使い方は、以下のとおりである。

【設置】田んぼの中のここぞと思うところに、稲株が四株以上入るように、さらに生き物が逃げないように素早く置く。枠の底を数センチ泥に突き刺し固定する。このときに、枠の上辺が水没しないように注意する。これで水面、水中、地中の生き物はほぼ全て、枠の中に閉じ込めたことになる。水上の飛ぶことのできる生き物は逃げることもあるが、そこは目をつぶる。

【観察】枠の中を図のように、水上、水面、水中、土中の四つのステージに分け、上のステージから順番に生き物を見ていく。ステージごとに出現した生き物の種名を調べ、数をカウントし、記録する。記録がすんだ生き物は、枠外に逃がし、誤って再び数えることがないようにする。水上以外の生き物は、ザルを使ってすくうのが楽である。土中は泥ごとザルにすくう。泥を洗い流すと、ザルの中に生き物が残る。

 1枚の田んぼでランダムに複数、枠を設置して調べれば、その田んぼ全体の生き物相がぼんやり見えてくる。田んぼの生き物は、1枚の田んぼの中でも生息場所に偏りがあることが多いので、設置箇所を増やすほどに現われる生き物も増加する可能性が高い。ぜひ一度お試しを。

虫見枠図
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