最終回にふさわしいお話はなんだろうと考えた。この連載でやってきたことのすべてを網羅していて、さらに実際の授業で活用できるということを考えて、「自分の住んでいる町を撮影する」ことを考えてみることにした。
観光パンフレットをつくるわけではない。住んでいる人、とくに子どもの視点で自分たちの町をもう一度見直してみると、新しい発見が必ずあるように思う。
愛国教育やら、英語の必修化がとりざたされている。国を愛するなどというのは人間のもっとも基本的な感情であり、それは決して自分の国さえよければよいとか、自分の国が一番えらいのだなどというナショナリズム(国益主義・国粋主義)ではなく、自分の国の風土や歴史や文化や文明を深く理解しそれに誇りをもつ、つまりパトリオティズムであることは疑いえない。
郷土に深い愛着と理解をもつことはとりもなおさず、よその国に住んでいる人の郷土にも思いを寄せるということ。それがふつうの国際化だと思う。英語ができるということは国際人としての絶対条件とはいえないのは、英語を母国語とするアメリカ人やイギリス人のすべてが国際人ではありえないことをみても明らかである。
自分は何者でどこから来てどこに行くのかを知ること、つまり郷土を深く理解するところからしかはじまるはずはないと思う。英語はその次で充分。ロシア、ドイツとたて続けに取材してその思いを強くした。よその国で問われるのは、日本人として何をどう考えるのかというただ一点だった。
住んでいるがゆえ見逃してきてしまったたくさんの生き生きとした郷土の風景や人々の暮らしを、カメラを通してもう一度見つめなおしてみよう。
自分の国を愛せない人はよその国を大切になどできないと思う。 |