学校教育の危機 いま、教育に問われているのは何か

農山漁村文化協会専務理事
坂本  尚

“いえ”“むら”の教育が衰えて、学校教育がおかしくなった
 教育が危機である。「登校拒否」「学校崩壊」「いじめ/暴力行為」。明治の学制発布以来、類を見ない危機状況がすすんでいる。小中学校の不登校は12万人を超え、いじめの発生校数の比率は小学校で2割を超えており、中学校では5割に近い。

 その根本的原因は何であろうか。農文協は教育の根本は“いえ”と“むら”の教育にあると考えてきた。月刊『現代農業』昭和61年11月号の「主張」「都会の子に餅つきは必要か−−『農業の教育力』を考える」で展開したのは、この“いえ”と“むら”の持っている「たくらまない教育力」についてであった。「主張」はその特質を3点に整理している。


 第1に農家の暮らしのあり方。農家とは、異なった世代が協力しあって農の営みを保ちつづけていく人間の生活の単位 である。農の営みとは、生産と生活が分離せずに、人間が丸ごとの人間として生きられる営みである。

 第2に自然と人間のつきあいのあり方。農家はいつも自然に働きかけているわけだが、その働きかけは、自然の全体をいつも見ていなければできない。イネの苗を育てているとき、秋の収穫までのイネの生育の全過程を頭に置いていなければ育てられない。農業の労働は日々を積み重ねて成り立つ労働だから、分業をすることができない労働なのだ。

 第3に農村の暮らしのあり方。農家の連合としての村には、おのずから自治の力が働いている。相互に扶助する力が働いている。自治や扶助の力がなければ、農の営みの基盤である地域の自然を維持し豊かにしていくことができないからだ。(『現代農業』昭和61年11月号50頁)


 この「農業の教育力」は、学校教育のように「教育の目的や方法、技術を問題にして、その方法や技術が目的を達したかどうかを問うばかりの教育。たくらみの多い教育」(前掲書46頁)ではない。「農業の教育力」は“いえ”と“むら”で自然に成り立つ「たくらまない教育」である。

 ところが農業の近代化の推進と、社会一般の小子化の波によって、この教育の根本であった“いえ”と“むら”の教育力は崩壊した。それこそ、学校教育崩壊の根本的原因である。

 ではどうするか。いまさら“いえ”と“むら”に回帰することはできない。“いえ”“むら”がもっていた教育力の根源である「農業の教育力」を学校教育に導入することで、学校教育の中に「たくらまない教育」をとり入れることである。それ以外に、教育の危機を解決する道はない。


宮城県椎葉村での「焼畑体験実習」。撮影橋本紘二

教育改革の先進事例農業高校の教訓に学ぶ
 われわれが学校教育における「農業の教育力」を確信したのは、「農業基礎」の教科書の普及と編集を嚆矢としている。「農業基礎」は昭和53年の学習指導要領改訂で農業高等学校に導入された新設科目である(実施は昭和57年から)。今日とちがって当時の農業高校は偏差値主義教育のなかで底辺に位 置づけられ、授業が成り立たないようなまさに「危機的状況」にあった。教育の危機が先行して起こったのが、農業高校であったのである。こうしたなかで「農業基礎」が導入されたのは、ひとつには「低学力」で「荒れた」生徒たちに、知識よりも体験を通 して成就感・達成感を味わわせようというねらいがあった。しかし、われわれはこのようなとらえかたで満足することなく、現場の教師とともに、「農業基礎」を生徒が作物・家畜から学び、課題を発見し追求するという新しい学習観への転換の機会としてとらえたのである。そこでは教科書は、従来のような何かの内容を伝授するための道具としてではなく、生徒一人ひとりが作物や家畜から学ぶように働きかける手引きとして編まれることになった。  このときわれわれは今日の「総合的な学習の時間」の方向への教育改革に向かって一歩踏み出したといえる。(注1)
(注1)現場の教師として「農業基礎」の実践に取り組み、教科書の中心執筆者のひとりであった松本重男氏(現・埼玉 県立熊谷農高校長)は「『総合的学習』のアイディアと方法は農業高校にあり」(『食農教育』第4号、1999年5月)と論じ、農業高校が小中学校と連携し「総合的な学習の時間」を支援する用意があることをアピールしている。

学校教育に「たくらまない教育」を導入する
 同じ頃、小学校においても教育改革の流れが起こっていた。昭和52年学習指導要領改訂での「ゆとりの時間」の導入である。これは「生きる力」を育む新しい教育の流れとして、平成1年(1989年)改訂での「生活科」新設へ、さらには平成14年(2002年)からの「総合的な学習の時間」の開始へとつながっていく。

 これまでの学校教育でも「総合学習」や「体験学習」として、農家を「畑の先生」や「田んぼの先生」として招くような試みが行われてきた。こうした社会人先生の学校教育における活躍の場は「総合的な学習の時間」の創設によって飛躍的に広がる(注2)。そうすれば、“いえ”と“むら”の教育力が学校が引きだされることになる。不可能と考えられていた“いえ”や“むら”の教育力の回復の可能性が、学習指導要領の改訂によって開けてたのである。
(注2)具体的な実例は、2面参照。

教育改革の環境整備のためにやってきたこと
 われわれはこの改革のうごきをバックアップするために、生活科の導入が迫った昭和61年から『ふるさとを見直す絵本』シリーズや『自然の中の人間』シリーズなどの絵本の発行と普及を開始した。また、おなじ昭和61年には「自然と食と教育」を考える研究会を発足させた。この研究会は、農水省・文部省・厚生省・国土庁など各省庁の関係者、幼稚園、小・中学校から大学までの教師、さらには農協・生協や子どものための読書サークル等々、さまざまな分野の多様な人々が一堂に会して、実践の交流や意見の交換を行なうという、異色の研究会であった。  そして平成10年には「総合的な学習の時間」のための教育誌『食農教育』(季刊)をいち早く創刊した。誌名を『食農教育』としたのは「総合的な学習の時間」の中に「食農」のテーマを取り上げていただくことを念願したからに他ならない(注3)

 文部省の嶋野道弘教科調査官(=執筆時・現視学官)は「総合的な学習の時間」ではまず「地域の特色の把握」からはじめるべきであり、しかもそれは形式的なアンケート調査などではとらえられるものではなく、「(教師が)自分の入った言葉で地域の人と結び合い、お互いに心を開く」ことが大切だとしている。そして、「地域には、食や農をはじめ、奥行きの広い世界がある」と述べている。(本紙第1726号、平成11年4月11日)
(注3)このほか教育改革のための環境整備としては、学校図書館巡回グループ・NCLの会結成(4〜5面 参照)や、教育サイト「食と農 学習のひろば」の開設など(6面参照)。

教育改革は人類的な政治・経済の改革に通じている
 そしてこの食と農の奥行きが深いという意味は、単に学校の教材として奥行きが深いというだけではない。

 子どもたちの「総合的な学習の時間」での探究は、現代的な課題である人口・食糧・資源・環境に向かうだろう。それを観念的にではなく、自分とのかかわりにおいてとらえようとするならば、その拠点は農山漁村空間であり、その「先生」は自然と調和した暮らしを体現している農山漁民ということになろう。

 この教育改革・教育創造運動をすすめるためには、学校評議員として学校に参加したり、「社会人先生」として、作物の栽培や収穫物の料理・加工・貯蔵の実際を指導したりすることが望まれている。公害反対や自然保護の運動も大切だが、市民の手で食農教育を支援することは、より建設的で、拡がりと深まりのある地域運動になる。その山は今年と来年である。「総合的な学習の時間」は今年から試行期間に入り、2002年には全面的に実施されるからである。

 これは教育だけの問題ではない。地方分権の問題も、まさに教育分野において真価を問われることになるし、食糧自給運動においても、「食と農」が「総合的な学習の時間」の中のテーマになることが、地産地消型の循環的農業の実現にむけての意識変革の鍵となるであろう。

 いま、農村には未来社会につながるような動きがつぎつぎに起きている。たとえば、生産効率のみを追求するのではなく、高齢者の身体に合わせた新しい農業の広がり。そこには新しい生産的な福祉の可能性も生まれてくる。壮年期までは、都会で職を持ちながら、農村に別 荘を持って週末に農耕する「農都両棲」の生活を送り、定年後は農村に移住するライフスタイルも広がっていく可能性がある(注4)。農村にはこのような学習素材がふんだんにあり、子どもたちが学ぶことで、大人もまた刺激を受けて地域の動きが加速していく(注5)

 世界に目を転じると、14億人の人口を擁する中国をはじめアジアの国々もやがて高齢化社会を迎えることになろう。アジアの国々は全体に人口稠密で一人当たりの耕地面 積は狭い。日本の農村空間がどうなっていくかということは、アジア全体にかかわる問題だ。「食と農」によって「総合的な学習の時間」をどう創り出すかという課題は、単なる教育改革の問題ではなく、21世紀の政治・経済のありかたも含めた人類史的スケールの改革に通 ずるのである(注6)。
(注4)こうした農村の最先端の動きは『増刊現代農業』定年帰農シリーズに詳しく紹介されている(7面 参照)。
(注5)新潟県頸城村の「米米サミット」は好事例(2面参照)。
(注6)教育を基礎に政治・経済を一体のものとして中国農村の再建の道を示した「郷村建設」に関わる著作が最近相ついで翻訳された。必読の文献である(7面 参照)。