主張

ローカルに生きる ソーシャルに働く
都会と農村をつなぐ若者たち

 目次
◆「みかん島」に住みついたバンドマンたち
◆過疎を逆手にとって新しい仕事をつくる
◆農村に増殖する「クリエイティブ・クラス」
◆ナリワイは「合わせて」「つなぐ」技である
◆百姓仕事もクリエイティブなナリワイだ

 7月から8月、夏休みを利用して都会から農村にたくさんの人がやってくる季節である。お盆といえば、生まれ故郷に墓参りに帰る人たちがまず思い浮かぶが、都市から農村へ向かうのはそうした「田舎」をもつ人ばかりではない。都会と農村との間の人の行き来に、いま新しいカタチが生まれている。

「シリーズ田園回帰」(農文協刊)の第1巻『田園回帰1%戦略』は都会から「田舎の田舎」へIターンする若い世代の動きとそれを生かした人口安定化の道を描き、地方消滅論への実証的な反論の書として脚光を浴びた。そしてシリーズ近刊の第4巻(3月発行)、第5巻(6月発行)が光を当てるのは、都市と農村を行き来しながら、Iターン・Uターンを促進する若者の姿である。

「みかん島」に住みついたバンドマンたち

 愛媛県松山市の沖、瀬戸内海をフェリーで1時間くらい行ったところに中島がある。「育たたない柑橘はない」ともいわれる日本一の「みかん島」だ。かつては1万5000人ほどいた人口は、現在は約2700人に激減。段々畑には耕作放棄地が目立ち、農家はイノシシの害に悩まされている。

 この島に都会のバンドマンたちが移り住み始めたのは5年前の2011年のこと。田中佑樹さんが妻の祖父母宅を借りて住み始めたのを先駆けとし、同じ音楽スタジオに出入りしていた仲間が続いた。彼らは音楽家を夢見て東京に出たものの、音楽業界のきびしい現実を知り、都会生活への反発から、いつしか田舎暮らしについて熱く語るようになっていた。「田舎で自然を身近に感じながら半農半Xの暮らしを営むのが人間的な生活ではないか」と過疎地への移住の道を模索していたという。

 こうして2012年から2015年までのわずか3年間に中島への移住者は33人にのぼった。30代を中心に、20代から40代までの若い人ばかり。単身者もいれば、家族連れもいる。経歴もフリーターのバンドマン、映像作家、カメラマン、造形作家、会社員、公務員、学生、ニートとさまざまだ。

 島では音楽活動のかたわら、柑橘畑の草取りや摘果、選果などを手伝う。島の人たちは若者たちを温かく迎えた。

 田中さんたちはNPO法人農音のうおんを立ち上げ、島への移住希望者に情報提供したり、お試し宿泊体験を企画したりしてIターンを後押し、さらには、柑橘やその加工品をはじめとした中島の産物を首都圏にPRする活動もはじめた。農音のメンバーは東京と中島を行き来しており、在京のサポートメンバーもいる。在京メンバーは中島産柑橘のストレートジュースやジャムの消費拡大のために、東京・神奈川在住の主婦にヒアリングを行ない、ラベルデザインを刷新したりして好評を得ている。

 もともと中島への移住者にはデザイナーやアーティスト系が多く、写真や動画作成、ホームページのデザインなどはお手のものなのだ。農村にあこがれ、移り住んでも東京と中島の間をしょっちゅう行き来している。こうして発信側(地域)の視点と受け手側(都市)の視点の両面から検討することで島の産物を効果的にアピールしているわけだ(「シリーズ田園回帰」第4巻 沼尾波子編著『交響する都市と農山村』農文協より)。

▲目次へ戻る

過疎を逆手にとって新しい仕事をつくる

 農村への若者の移住は全国的に注目されているが、そうなるとすぐ「じゃあ仕事はどうする」という話になる。しかし、中島の例のように、住みついてしまえば、案外暮らしていけるのが田舎の強みではないだろうか。

 むろん、「有機農業で自給自足したい」というようなフワッとした考えでは、鳥獣害にたちまちはね返されてしまう。島暮らしがそうそう甘くはないことは、農音も移住希望者にしっかりと伝えるようにしている。しかし、都会とちがって田舎には「職場」はなくとも「仕事」はある。村の人との関係ができれば、自給やもらい物を含めて、収入が少なくともなんとか暮らしていけるのが、田舎の強みであるのはまちがいない。

 そして、最近の移住者のなかには、農音のように地元の方々の力を借りながら、Iターン・Uターンを促進することそのものを仕事にしてしまうたくましい若者もいる。「シリーズ田園回帰」の第5巻『ローカルに生きる ソーシャルに働く――新しい仕事を創る若者たち』(松永桂子・尾野寛明編著)が焦点を当てるのはそんな、都市と農村をつなぐ新しい生き方・働き方。いわばIターン・Uターンの助っ人たちだ。

 たとえば岡山大学で考古学を研究していた藤井裕也さんは両親の反対を押し切って大学院を中退し、岡山県でもっとも過疎化が進む美作みまさか市の地域おこし協力隊員に応募した。田舎に移り住み、7部屋もある古民家に一人で住んでもてあました体験をもとに、空き家を活用して多くの若者が部屋を分け合って住む「山村シェアハウス」を構想。2012年からは美作市でもっとも空き家が多い梶並地区に住み、都会の若者を呼び込む活動を開始した。

 そのなかに、美作での1週間の農村体験プログラムに参加したのをきっかけに山村シェアハウスに入居した若者がいた。都会で2年間、引きこもり生活をしていた若者だ。彼は耕作放棄地の再生や空き家の改築、特産品づくり、地域のお年寄りの困りごと支援などに携わるうちに、人とかかわる仕事がしたいと考えるようになり、地域のケアセンターの介護職に就いた。そんな若者たちの変わりように励まされて、藤井さんは地域おこし協力隊のOBたちと非営利活動法人山村エンタープライズを立ち上げ、ニート・引きこもり状態の若者を住まわせ、山村で働きながら自立することを支援する「人おこし事業」を始めた。

 若者たちはシェアハウスに住みながら、地域のお年寄りに漬物の技術を学び、その漬物を販売したり、古民家を改修して山村茶屋を開いたり、20年も放棄され、背丈ほどのカヤが生えた田んぼの草を刈り、水路を開通させて米を自給したりした。やがて自立した若者たちのなかには、地域の土木会社や印刷会社に就職するものもいた。地元の梶並地区活性化推進委員会と一体となった藤井さんたちの活動の結果、同地区には約30人もの若者が移り住んだ。

 都会では生きにくかった若者が、田舎で生まれ変わる。それを助ける取り組みが、仕事(ソーシャルビジネス)として生まれている。

▲目次へ戻る

農村に増殖する「クリエイティブ・クラス」

 この『ローカルに生きる ソーシャルに働く』という本には、藤井さんのようにローカルに(地域をベースにして)生き、ソーシャルに(地域課題に応えて)働く30代から40代前半の世代がたくさん登場している。

「就職氷河期」といわれた1990年代半ば以降に世に出た世代にとって、有名大学に進学し、大手企業に終身雇用されて安定した人生を送るというモデルはすでに過去のものとなっている。もちろん、都市の企業社会のなかで数少ない「勝ち組」として生き残ろうとする人びとはいまでもいるが、一方で、消費するばかりの都市生活、会社の歯車になるだけで自分の役割を見出せないサラリーマンとは別の生き方を模索する若者も少なくない。

 こうしたなかで、「クリエイティブ・クラス」(創造的階層)」と呼ばれる人びとの動きがいま注目を浴びている。

「クリエイティブ・クラス」という言葉自体はアメリカで生まれたもので、格差社会が深刻化する一方で、「(あらゆる職場・職種において)仕事と余暇をはっきり分けない生き方、豊かなライフスタイルを実践する人たち」をさす。職種で区別するわけではないが、アメリカでは、都市のなかで「科学、エンジニアリング、建築、デザイン、教育、芸術、音楽、娯楽」にかかわる人たちが主に想定され、脱工業化社会における経済成長の鍵を握る新しい階層として注目されているようだ。

『ローカルに生きる ソーシャルに働く』の編者である松永桂子さん(大阪市立大学准教授)は、この「クリエイティブ・クラス」に注目しつつ、都市と農村の距離も格差も小さい日本では、農村でのクリエイティブ人材の活躍が目立つとして、こう述べている。

「与えられた仕事をこなすのではなく、自分で仕事をつくっていく(中略)。これからは、仕事の場、雇用の場がある地域よりも、なにかしら新たな仕事をつくっていくことができる土壌に、意識や志の高い人びとが引き寄せられていくのではないだろうか」

 経済成長とは対極にある生き方、新しい仕事を生み出す土壌が豊かな場として、多くの若者が農山村に魅力を感じている。耕作放棄地や鳥獣害、買い物難民、福祉などなど、地域には厳しさを増すさまざまな課題がある。これにかかわり「ソーシャルに働く」ことは楽なことではないが、そこには農山村がもつ生活文化や人々のつながり、助け合いがある。そんな土壌に支えられて、「ソーシャルに働く」ことがクリエイティブな仕事となっていく。

 これからの農村づくりは中島の田中さんや美作の藤井さんのようなクリエイティブ人材をいかに引き込み、生かすかが鍵になる。いま現在、雇用や仕事があるかどうかでなく、クリエイティブ人材を生かす場があるかどうか。地域おこし協力隊や緑のふるさと協力隊のような制度も含め、クリエイティブ人材を発掘し、生かす場を上手に仕組めるかどうかで、むらの将来は大きく変わってくる。

▲目次へ戻る

ナリワイは「合わせて」「つなぐ」技である

 地域の課題が多様なのだから、農村のクリエイティブ・クラスの仕事も多様になる。単発ではなく、「合わせ技」の仕事になる。『季刊地域』22号「空き家徹底活用ガイド」に登場した伊藤洋志さんは、そんな仕事のありようを「ナリワイ」と呼んで、自らのホームページでこう説明している。

「ナリワイは(略)、生活から乖離してしまった仕事を個々人の手の届く範囲のほどほどの距離に近づけるものでもあります。そのためには、一つの仕事だけで競争を勝ち抜くのではなく、様々な仕事をその適正サイズを見極め、それぞれを組み合わせて生計を建てていく、という百姓的な作戦や、そもそも生活の自給度を高め、不必要な支出をカットするという作戦の合わせ技が必要である、と考えています。」(http://nariwai.org/

 なんでも「ほどほどの仕事」にしてしまう伊藤さんの仕事に、こんなものがある。

 伊藤さんの知り合いに和歌山県新宮市の廃校になった校舎でパン工房を開いている三枝孝之さんがいる。伊藤さんは三枝さんを講師に、田舎でパンを焼きたいという人を集め、ワークショップを開いている。三枝さんのパンづくりは地元の小麦を使い、家庭用の電動石臼で自家製粉した全粒粉を、天然酵母でふくらませるというものだ(『季刊地域』25号22ページ参照)。参加者は輸入小麦の粉をイーストフードで膨らませる調理学校のパンづくりとちがって、田舎で設備投資を抑えてより自然なパンを焼く方法を学ぶ。あわせて三枝さんをとおして田舎でのパン製造・販売の実際から、暮らしぶりまで学ぶことができる。ワークショップは6泊7日が基本で1回1~2組、年間10組ほど受け入れている。参加費は16万5000円(宿泊費・食事代込み)。三枝さんにとっても、貴重な現金収入源の一つとなっている。

 三枝さんという田舎でパンを焼くプロと、その情報を切実に求めている人との出会いをつくり「つなぐ」、そんな小さな仕事の積み重ねが伊藤さんの「ナリワイ」を構成している。(伊藤さんの講演を収録した『農村×都市=ナリワイ 日本のクリエイティブ・クラス』[農文協]もまもなく発刊)

▲目次へ戻る

百姓仕事もクリエイティブなナリワイだ

 そんな「ナリワイ」的な仕事をめざす若者たちが増えてきた背景には、農家の暮らしと地域住民、都市民とをつなげる農家の取り組みがある。直売所の広がりは若者たちの新しい仕事づくりの土壌を豊かにしている。ファームステイとか農村体験というつながりも、目には見えにくいがその影響や蓄積は決して小さくないだろう。

 今月号では愛知県田原市の「どろんこ村」の取り組みを紹介した(336ページ)。「どろんこ村」では小学生から大学、家族連れなど、さらには農業を目指す若者まで、多種多様なファームステイを受け入れている。日帰りや2泊3日の体験だけでなく、1年とおして滞在し地元の学校に通う小学生もいれば、新規就農を目指す「研修生」もいる。そこに共通するのは、「育てて食べる暮らし(=自給的な暮らし)」である。

「どろんこ村」では日帰りや2泊3日の子どもたちも、朝、海に行って流木を拾い、大鍋に水を汲んで、火を起こし、玄米やクズ野菜などを入れて豚のエサをつくることから1日がはじまる。拾った貝殻は石臼で砕いて鶏のエサにする。集めたアオサは天火に干してふりかけをつくって自分たちで食べる。ヤギ乳を搾り、ケーキを焼く。玄米ご飯を炊いて、畑で収穫した野菜を洗って切って自分たちの食事もつくる……。

 経営規模は2町5反の露地野菜と5反の田んぼ、4頭の豚、100羽の鶏、4匹のヤギ。この「どろんこ村」は、じつに多くの小さな仕事から成り立っており、その一つひとつの営みが消費に頼らない暮らしを支えていることを、子どもたち、若者たちは身をもって経験し、理解していくのであろう。

「どろんこ村」の小笠原弘さんはこのことを「地球1個分の暮らしの価値観を売る」と表現する。

「今、日本人の平均的な暮らしを世界中の人がしたら、地球は2.5個必要といわれている。私たち日本人の暮らしは贅沢しすぎだってことだろう。みんなが共存していくためには、少なくとも自分の暮らしを見つめ直さなくちゃならないと私は考える。農家として私ができることは、面倒くさくても効率が悪くても、自分の食べる物は自分でつくること。そしてそういう農の暮らしを通じて、未来を生きる若者や子どもたちに働きかけること」

 小笠原さんの仕事も、都会の消費生活のなかでは実現できない体験(「農の暮らし」)を子どもや若者に「つなぐ」仕事である。その意味で小笠原さんもまた農村に住むクリエイティブ・クラスであり、その価値観を受け止めた子どもたちや若者は新たなクリエイティブ人材として育っていくことだろう。各種ホームステイの仕事は、年間2000万円ほどある「どろんこ村」の収入の4分の1を稼ぎ出している。

 新たな階層として生まれてきた「ローカルに生き、ソーシャルに働く」若者たち。彼らが活躍できるのも、田舎に自給的・小農的な営みがあるからこそ。田舎には「人が育つ場」がある。農家・農村がクリエイティブ・クラスを育て、生かす。こうして「小農の世界」がまた新たな力を得て蘇る。

(農文協論説委員会)

▲目次へ戻る