主張

グローバリズムとナショナリズムを超えて
いま、地域コミュニティ建設の時代

 目次
◆グローバルな世界をつくるということ自体の無理
◆普遍主義の破棄、ローカリズムの形成
◆トフラーの提唱―「生産する消費者」
◆生産と消費の再結合にむけ、日本の農家は世界の先進
◆「生産革命」「産直革命」「業態革命」の三位一体で

 2017年はどんな年になるか、不安を覚える人も多いのではないだろうか。自衛隊の海外での武力行使や米軍など他国軍への後方支援を可能とする安全保障関連法が施行され、さっそく新任務「駆け付け警護」が実行に移されたり、原発輸出や原発再稼働の動きが強まったり、農業・農村ではTPP国会承認への強行姿勢、そして規制改革会議と安倍政権による農協攻撃が激しくなっている。

 世界に目を移すと、2016年は人々を驚かせる二つの事件が起こった。

 ひとつは11月のアメリカ大統領選、大方の予想を覆してトランプ氏が当選した。彼は、「1月20日の大統領就任日に環太平洋連携協定(TPP)の枠組みから離脱を表明する」と断言、「米国が第一」とナショナリズム色の強い発言を繰り返している。

 もうひとつは6月のイギリスの欧州連合(EU)離脱をめぐる国民投票で、これもマスコミ等の予測に反して離脱が決まった。これもまたナショナリズム的な動きだ。

 背景には、移民問題やますます拡大する格差社会に対する民衆の不満や怒りがあるのだが、この先どうなるのか、私たちはどこに希望を描くか、新年を迎えるにあたって考えてみよう。

グローバルな世界をつくるということ自体の無理

 はじめに、哲学者の内山節さんの見方に学びたい。

 内山さんは、「普遍主義の時代の終焉という文脈で読むべきTPP問題」(農文協ブックレット『TPP反対は次世代への責任』2016年1月刊に所収)で、この二つの歴史的事件が起きる前に、この必然性について考察している。長くなるが、紹介したい。

「TPPにはいくつもの疑問が生じる。アメリカが批准するのかどうかもよくわからないし、締結国にどういう利点があるのかもよくわからない。おそらく各国が批准したとしても、実施されればたちまち修正交渉が始まることになるだろう。そうならざるをえない理由は、グローバルな世界をつくるということ自体の無理が背後にあるからである」としたうえで、にもかかわらず、なぜこのような制度をつくろうとしているかを、内山さんはこう記述している。

「EUが生まれていく過程では、ヨーロッパの没落という問題があった。中世後期から近代前期にかけて世界を支配したヨーロッパは、戦後になるとアメリカの後塵を拝するようになる。さらにはその後の日本などのアジア諸国の台頭もあって、ヨーロッパの力は低下しつづけた。そしてそれゆえにヨーロッパの復興をめざして共通圏を確立しようとしたのがEUの成立である。

 TPPの背後にあるものも同じだ。一方にはアメリカの没落がある。そして日本もまたアジア唯一の先進国などとは言っていられなくなった。さらにこの間に市場経済を発展させてきた環太平洋地域の国々も、安価な労働力を基盤にして発展してきたがゆえに、その先の方向性が見出せなくなっている。そういう行き詰まり感が、TPPへの結集を促したといってもよい。それは未来への可能性が見えているから成立したものではなく、没落への不安や未来への壁が存在するがゆえにつくろうとした制度なのである。

 そしてだからこそ、EUもまたそうであるように、うまくはいかない。どこの国も自国の権益を守ろうとするだろう。そうであるならその始まりは、修正協議の始まりにならざるをえない。だがそういうことを経ながら、最終的には安定的な制度になるのかと言えば、恐らくそうはならないだろう。安定するとすれば、例外品目を数多く認めて骨抜きになったときだけだろう。

 世界は今のままではうまくいかなくなった。それは単にGDPの伸びが止まったというようなことだけに現れてくるのではない。その国のなかに雇用問題が発生し、格差社会などを生みだしながら社会保障制度なども衰弱していく。そういうことが実際いま始まっている。そして、それらが積み重なりながら社会の劣化が進行していく。この状況下ではどの国も自国の安定性を重要視せざるをえず、そのことが、グローバルな制度と自国の利益との間に、絶えざる矛盾を発生させてしまうのである。

 私たちは今、そういう時代に入ったのだということを認識しておく必要がある。それは混沌とした時代への突入であり、そのことが無理なグローバル化に活路を見出そうとする動きも促進する」

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普遍主義の破棄、ローカリズムの形成

「近代以降の社会や国家、経済、世界のあり方自体が壁にぶつかっているのが現在であり、その克服をこれまでと同じ発想で克服しようとしてもうまくいくはずはない」と内山さんはいう。

 思えば、世界の近代化をリードしてきたのは、先の二つの事件が起きたイギリスとアメリカである。19世紀、石炭をエネルギーに利用した産業革命発祥国のイギリス、そして20世紀石油文明の大量消費社会をリードしたアメリカ。

 イギリスの産業革命ではエンクロージャー(囲い込み)によって農民から土地を切り離し、一部は農業労働者を、大部分は都市部へ工場労働者を排出した。一方、アメリカの農業は西部大平原に鉄道が延びていった1870年代に黎明期を迎え、そのスタートから穀物輸出大国になるべく戦略物資としての農産物を生み出す役割を担わされていた。日本や東アジアのような自給的農業ではなく、生産と生活が分離した企業的農業としての性格を早くから強く備えていたのである。

 そんな近代化、グローバリズムをリードしてきた国で、今、反グローバルへの国民的機運が強まっている。

 しかし、この反グローバリズムはトランプ氏の「米国第一」に象徴されるようにナショナリズムに向かう危険を絶えずはらんでいる。そもそもグローバリズムは、国際的金融資本や大手多国籍企業の世界的な支配にむけた戦略によって進められているものだが、これをめぐる企業間の利害対立を、為政者は国家間の対立のように描いてナショナリズムを強める。グローバリズムとナショナリズムはメダルの表と裏であり、その両者に共通するのは「普遍主義」という近代社会の特有の考え方だと、内山さんはいう。科学や市場経済原理などの理念や制度を基礎に、世界的に、あるいは国家間で、さらには一国で進められる普遍の追求は異なる普遍の発生を促し対立を生む。普遍主義の追求が普遍的な、平和な世界を確立するわけではない。内山さんは、こう述べる。

「顕在化してきている問題を解決しようとするなら、課題になっているのは普遍主義の破棄なのである。あるいはそれを、ローカリズムの形成といってもよい」

「結び合う社会のあり方や経済活動のあり方、暮らしとともにある文化のあり方などを一体的にとらえていくローカリズムを、私たちの手でつくりだしていく必要がある」

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トフラーの提唱-「生産する消費者」

 近代社会を形成してきた経済活動のありようを根本的に問い直すことが求められる時代に入ったのは明らかである。そこでもう一人、2016年6月にこの世を去ったアメリカの未来学者、アルビン・トフラーに注目したい。

 かれが1980年に発表した著書『第三の波』は、世界的にベストセラーになった。『第三の波』では、約1万年前に始まった農耕の開始による農業革命を「第一の波」、18世紀に始まった産業革命を「第二の波」とし、それに続く「第三の波」として情報革命による脱産業社会(情報化社会)の到来を見通した。そして実際、1990年代から始まったネット社会は生活の隅々まで浸透し欠かせない社会インフラになっている。こうした情報技術の発展がなぜ、脱産業化社会につながるのか。

 脱産業社会・ポスト近代の人間の生き方としてトフラーが提唱したのは、「生産する消費者」(プロシューマー=「生産者 producer」と「消費者 consumer」を組み合わせた造語)という人間のあり方である。

 トフラーによると、農耕によってヒトが自然に働きかけて自らの食べものや暮らしをつくる存在、つまり生産者になったのが「第一の波」農業革命である。ここでの生産と消費は自給と交換という形のなかで行なわれる。そして、「第二の波」の産業革命をリードするのは工業生産であり、石炭・石油といった化石資源である。この産業革命は大量生産・大量消費によって物質的に豊かな社会を実現した。この高度経済成長を可能にしたのが「生産と消費(生活)」の乖離である。ここで乖離といっているのは、生産はマニュアル化され生産性の向上が至上命題になり、生活は消費生活に一面化されひたすら過剰消費が奨励され、生産と消費が循環することがないからである。

 この生産と生活の乖離は、現実には都市において「職場・企業」と「家庭・地域」の乖離というかたちで進行した。農村でも、農業の近代化の名のもと、企業的農業経営の確立が推奨され、農業・経営と暮らしの分離が進む。

 それでは、脱産業社会の扉を開く「第三の波」はどのように提唱されたのか。この社会では、分離した生産者と消費者が再び融合し、新しい形で復活する。人々は市場を通じた生産・消費に依るだけでなく、市場を通さない、かつての「自給」と「交換」のような活動によって多くの富を生み出し享受する。そうした人間のありようを「生産する消費者」と呼んだのである。

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生産と消費の再結合にむけ、日本の農家は世界の先進

 生産と消費がますます乖離し、その極限にまで進む現代、このトフラーの提唱は私たちに大きな示唆を与えてくれる。遠い未来の話ではなく現実の困難の打開にむけ、「生産」と「消費」の再結合は、世界の潮流になっていくだろう。

 国連・食糧農業機関(FAO)が2014年を「国際家族農業年」と定めたのもその現れである。そこでは、企業的農業ではなく、圧倒的多数を占め、食料生産でも資源・環境、さらに地域文化の維持保全の面でも大きな働きをしている家族農業への支援・投資を各国に要請し、さらに「生産者と消費者とのより直接的な結びつきを回復するために、都市部では新しい販売経路や市場が生まれている。こうした運動の多くは、農業生態学ないし有機農業の原則をもとに形成されている。これらの運動はまだ小規模であり、世界全体における評価がなされているわけではないが、成長している」と、生産者と消費者の新たな結びつきに期待している。

 日本の農家は、「生産」と「消費」の再結合にむけて、世界の先進を歩んでいるといえよう。

 高度経済成長のもとで課題になった農業の近代化を、家族農業とむらを守りながら粘り強く進め、その後、農村女性を中心に自給の見直し、自給運動を展開し、それを力にして産直、直売所の大きな広がりをつくった。

 この直売所は農家の自給的な生産を励まし、消費者との出会いをつくる「再結合」の場になり、そのための工夫もさまざまに取り組まれている。

 たとえば本誌の姉妹雑誌『季刊地域』最新号(27号)で紹介した、愛媛県のJAおちいまばりの直売所「さいさいきて屋」の場合。管内に島嶼部をもつJAだが、ここでは、一番遠い島の住人を従業員に雇用。出勤しながら直売所に集荷してくる「通勤物流」を仕組んでいる。帰りの便もムダにせず、学校給食やデイサービスの食材、直売所で運営するネットスーパーの配達も担う。島を集荷トラックが走るようになって最も変わったのは農家だ。もともと島はカンキツ農家がほとんどで、自給畑はどの家にもあるが、野菜などを販売している人はほとんどいなかった。それが今では島の直売所会員は200人以上。家庭菜園からステップアップした農家や定年帰農など、いろんな農家が参加し、「さいさいきて屋に出荷してなかったら、今頃農業はやめてるよ」という声も多い。

 にぎやかに並んだ米や野菜、果物、加工品に地域の自然や農家の思いを感じながら直売所通いを楽しむ地域の住民、市民には「生産する消費者」としての心情が育まれていることだろう。

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「生産革命」「産直革命」「業態革命」の三位一体で

 直売所は元気にがんばっているが、クローバリズムの推進のもと、地方経済はきびしさを増し、暮らしを支えるインフラの空洞化が進んでいる。

 その背景には、行政の効率化を最重要課題にして進めた市町村大合併がある。当事者にとっては地方交付税削減や人口の流出・過疎、地域経済の疲弊などの問題があり、生き残り策として合併の選択を余儀なくされたわけだが、その後も地方財政はきびしくなっている。

 そんななかで、「地域運営組織」が増え注目されている。総務省では、「地域の生活や暮らしを守るため、地域で暮らす人々が中心となって形成され、地域課題の解決に向けた取り組みを持続的に実践する組織」を地域運営組織として、その実態を調査している。これによると、全国の4分の1の市町村に1600を超える組織があり、さらに8割を超える市町村が必要性を認識しているという。活動範囲は「小学校区」(おおむね昭和の大合併で消滅した旧村エリア)、約7割が法人格を持たない任意団体で、残り約3割の大半がNPO法人。主な活動内容は高齢者交流、声かけ・見守り、外出支援、買い物支援など幅広い。

 いわば地域の困りごとをみんなで協力しあい、助けあう組織で、行政の支援も受けている。この地域運営組織があるかないか、どんな活動をするかによって、地域の暮らしやすさが大きく違ってきそうである。

 この「地域運営組織」と、農家や集落営農がつながればどうだろう。助け会いの自治組織に農家やJAも参加し、生産や直売、加工なども展開する。

 そんな事例の一つとして知られている、広島県東広島市小田地区の地域づくりは次のようだ。ここでは、自治活動を行なう地域運営組織「共和の郷・おだ」を1階部分、集落営農組織の「ファーム・おだ」(農事組合法人)を2階部分とする「二階建て方式」で活動を展開。1階部分の「共和の郷・おだ」は、旧小田小学校を拠点に生涯学習や青少年育成、地域文化活動に取り組み、2階部分の「ファーム・おだ」は、小学校区(13集落)を一つの農場として効率的な集落営農システムを確立し、 水稲やソバ、小麦などを栽培、さらに米粉を使った米粉パン工房を設立し米粉パンの製造・販売も展開。こうして地産地消とともに都市民への販売、交流を進め、地域の経済を助けている。

 グリーンツーリズムや農家レストラン、加工を進める地域運営組織も増えてきた。こうして、農家と地域住民が連携し、「田園回帰」を志向する若者や都市民を巻き込んでコミュニティをつくっていく。

 農家・農村の新しい目標は「地域コミュニティ」の建設である。この「地域コミュニティ」建設は、地域資源活用の小農「生産革命」と、農村が都市に働きかける「産直革命」、地域貢献を共通のキーワードに産官学諸団体が連携して進める「業態革命」の三位一体ですすむ。

 小農「生産革命」は、有機物利用による炭素と微生物が循環する栽培・農法として発展し、自然力活用の小力技術として長寿時代の生涯現役の生き方、また誰もが農にかかわれる国民皆農的地域社会を準備している。「産直革命」は、農業・農村とつながる地域住民、市民を増やし、農業の国民的理解を広げていく。

 そして「業態革命」。高度経済成長期以降、かつて地域にあった様々な仕事が専門化・産業化され、生産と消費は乖離していった。それが近代化であり、豊かさを実現する道だとされてきた。だが、それぞれの頑張りにもかかわらず、いや頑張りゆえに、かえって地域を暮らしにくいものにしてきた。業種縦割り中央集権構造によって地域は分断され、地域にあるもの、地域資源の価値が見失われてきた。そこを変えていくのが「業態革命」である。その時、JAに期待される役割も大きい。

 トフラーは情報革命による生産と消費の再結合をすえて人間の未来を構想した。いま、生産と消費の再結合を担うのは都市にも開かれた地域コミュニティである。地域コミュニティの建設に未来が、希望がかかっている。

(農文協論説委員会)

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