主張

農山漁村の家庭料理が育てた「地域の味」を100年先まで伝え継ぐ

 目次
◆農家の家庭料理に憧れる新規就農者
◆素材を活かした素朴なすし
◆プロも原点回帰
◆家庭料理を「地域の味」にしていく営み
◆手間ひまかけて、保存性とおいしさを
◆調理の技をしきたりとともに若い世代へ

農家の家庭料理に憧れる新規就農者

 本誌7月号の「主張」欄で紹介した『伝え継ぐ 日本の家庭料理』の発行がいよいよ始まった。本誌と同時発売となる第1回配本は「すし ちらしずし・巻きずし・押しずしなど」(以下『家庭料理 すし』)。全国から個性豊かな80品のすしが集まった。その一端は本誌279ページからの「編集局ニュース」でも紹介しているので、ぜひご覧いただきたい。

 シリーズの企画・編集は(一社)日本調理科学会という学会で、その創立50周年記念事業として計画された。学会の会員は大学などで調理に関する科学や文化の研究をしている先生がたが多い。この記念事業には、北海道から沖縄県まで約360名の研究者が参加し、地元のかたがたに話を聞き、料理をつくってもらい、つくり方を習いながら「次世代に伝え継ぎたい家庭料理」のレシピをまとめている。シリーズが完結するのはいまから4年先の2021年の予定だが、すでに各地から予約とともに期待の声をいただいている。

 本誌9月号「田畑のイベント上手になる」にも登場した東京都町田市の依田弥生さんは、予告チラシを見てすぐ予約申し込みをしてくれた一人。その理由を聞いてみた。

「見てすぐ欲しいと思った一番の理由は、自分が農家出身でない新規就農のため、農家のつくる家庭料理に関してはほとんど知らないこと。この本で地元のもの、自分の家で採れた材料をうまく使ってできるたくさんの農家の家庭料理を見られると思ったからです。

 じつは私、高校が家政科で、和食や中華やフレンチと、いろいろな料理を一通り習ったことがあるのですが、農家の家庭料理についてはほとんど知らないのです。

 以前、岐阜県の農家に朴葉ずしをいただいたことがあり、そのおいしさに感動して、すぐ朴葉を採りにいって子どもの弁当を包んだこともありました。そんな農家の家庭料理に憧れます」

 就農してもう17年目の依田さん、田植えやイネ刈り、もちつきには100人ほども参加者を集めてもてなす料理上手でも、いや多くの人をもてなす機会のある農家だからこそ、その土地の素材を活かした農家の家庭料理を知りたいという気持ちは強いようだ。

▲目次へ戻る

素材を活かした素朴なすし

 依田さんがもらったものとは少々違うかもしれないが、『家庭料理 すし』でも、岐阜県の朴葉ずしが紹介されている。下呂市に住む水口裕子さんは、朴葉を林までとりにいかなくてもいいように、自宅近くの田んぼの脇にホオノキを植えて、葉がとりやすいようにせん定している。毎年楽しみにしている遠方の親戚にも送るため、初夏になると1升炊きで50個のすしをつくるのが恒例だそうだ。そんな水口さんの朴葉ずしは、合わせ酢を酢が飛ばない程度に温め、そこに刻んだ塩マスを入れて火を通す。そのまましばらく漬けておき、マスと酢を熱々のご飯に混ぜてすし飯をつくり、朴葉で包む。マスは火が通って保存性がよくなり、合わせ酢はマスの旨味が出て一層おいしくなっている。

 岐阜県の調査を担当する先生がたは、複数の地域で朴葉ずしを教わっている。郡上市で農家レストラン「自然食泊 愛里」を経営する石田賀代子さんは「すし飯が熱いうちに包んで、朴葉が変色したのが、香りが移っておいしい印」と教えてくれた。そんな、たくさんのかたから聞いたコツや勘どころが詰まった本になっている。

 もう一つ、素朴なすしを紹介しよう。富山県のみょうがずしは、だし汁で炊いた熱々のご飯に、みょうがと青じそ、そして甘酢に漬けたマスをその漬け酢ごと混ぜてつくる。できたてを茶碗によそっていただくと、立ち上るみょうがの香りに包まれてとてもさわやか。茶碗で食べるすしも珍しいが、何度もおかわりしたくなる飽きのこないおいしさだ。

 このすしのつくり方を教えてくれたのは富山市(旧大山町)のJA女性部などで活躍し、県の「食の匠」にも認定されている金山加代子さん。「子どもの頃、ハレの日は、いつもは野良仕事で夕暮れまで帰ってこない母親が、白い割烹着を着て台所に立ち、お客に出すみょうがずしをつくっていた。それがうれしくて楽しみだった」という。そんな思い出とともに伝える“ふるさとの味”だ。

▲目次へ戻る

プロも原点回帰

 こうした、地域の産物を活かした素朴な味への注目は、いま、料理関係のプロの関心とも重なっている。

 たとえば、料理研究家の土井善晴さんが2016年に『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社)を刊行し話題となった。その中で土井さんは“和食を初期化する”と書いている。ハレとケの区別がなくなり、調味料を重ね塗りしたような味を面白がり、栄養や機能性の情報にふりまわされてあれもこれもと詰め込んでパンクしそうな家庭料理を、一度ご飯と味噌汁、漬物という原点に立ち返ることでリセットしたい、料理番組や料理雑誌の最前線で活躍してきた土井さんがそう感じている。

 原点とは地域の味であり、風土の味だ。味噌汁の味噌も漬物も発酵食品で、人の手ではなく自然がつくりだす味。それが食事のベースだという。脳ではなく身体でおいしいと感じる味、とも書いている。

『一汁一菜でよいという提案』には、土井さんが幼少期を過ごした大阪の町場での暮らしが綴られている。昭和30年代前半の大阪では、町場でもトマトが八百屋の店先に並べば「もうすぐ夏休みだ」と喜び、夕方にはチリンチリンと鐘を鳴らして豆腐屋さんがやってきて、風邪をひいたらおかゆと梅干しで養生するような暮らしがまだあった。そんな、その土地でとれるものや地元でつくられる加工品を活かした素直な料理こそ、安心できる「普通においしい」食事だというのだ。

▲目次へ戻る

家庭料理を「地域の味」にしていく営み

 土井さんは「食文化というのは、その土地の風土の中で安心してものを食べる合理的な方法で成り立っています」とも書いている。風土に根ざしているがゆえに“残るべくして残ってきた”ものなのだろう。素材が地域の風土に適していること。調理法が素材の特徴を引き出していること。味つけが地域の好みに合っていること。季節によってとれる作物も変わり、体が欲する食べものも変わってくる。いろいろな条件を満たしたものが「地域の味」になっていく。

『伝え継ぐ 日本の家庭料理』では、主として昭和35年から45年までのあいだに地域に定着していた味に焦点をあてた。高度経済成長が始まり、農業も食文化も大量生産化と画一化が進んでいく時代のなかで、伝統的な食の知恵を活かしつつ新たな工夫も加えて定着した地域の味。いまでも各地でみられるご当地料理の枠組みや調理法は、ほぼこの時代までに形づくられたといってよい。だから、本書は、地域の味の原点を再発見できるシリーズである。

 もちろん、原点の味がいつまでもそのままというわけではない。その形は、数十年とか、何世代といったレベルの時間を経る中で受け継がれながら少しずつ変わっていくものだろう。

 地域の家々で繰り返しつくられる中で「もっとおいしく食べたい」という欲求や「こうして食べたらどうだろう」という探究心が試され、その中から隣近所で評判になる味が生まれ、いろいろな人に真似され、さまざまな改良も加えられて、やがて誰のレシピともいえない「地域の味」になる。

 しかし、そんな地域色豊かなご当地料理の多くも、いまでは店で食べるもの、買ってきて食べるものになりつつある。それを、改めて家庭で手づくりできるものにしたいというのが、このシリーズの企画の出発点だ。

 家庭料理を「地域の味」にしていく営みを受け継いでいくために、誰でもつくってみることができるように、目分量や手ばかり、勘でつくられてきた部分もできるだけ数値や手順を示した「レシピ」の形にしているのが、このシリーズの特徴だ。レシピの形で残すことで、100年先もつくってみることができる。そして自分たちの家庭の味として新たに定着させていくことができる。

▲目次へ戻る

手間ひまかけて、保存性とおいしさを

 素材を活かしたシンプルなおいしさとともに、手間ひまかけてつくり、人々のつながりを強めるハレの日の料理があるのも「地域の味」ならではの枠組みだ。すしの多くはハレの日の料理で、『家庭料理 すし』では豪華なすしもたくさん紹介されている。表紙を飾る岡山のばらずしなど、その代表例だろう(写真は「編集局ニュース」の4ページ目を参照)。魚や貝にタコやイカ、野菜や山菜をそれぞれ丁寧に下ごしらえしてちりばめたばらずしは「一つひとつの具を仕込む手間はかかりますが、豪華で見栄えもいいので、ばらずしとお吸い物くらいで十分ハレの日の料理になっていました」という。

 再び土井善晴さんの話に戻るが、日本料理には手数をかけるほど食材は傷み、鮮度が落ちていくという考え方がある。だが一方で、時間をかけて手をかけるハレの日の料理には、そうすることでおいしくなる工夫がちゃんと備わっているともいう。

 そもそもすしは酢や塩、砂糖がきいていることで保存性が高まっている。それに加えて、笹の葉や朴葉、柿の葉などすしでよく使われる葉にも抗菌作用を持つものが多い。箱や木枠に入れて押しをかける押しずしでは、空気の入る隙間が少なくなることも保存性を高めているだろう。そうした工夫が、葉っぱの香ばしさやみっちり詰まった食べごたえといったおいしさもつくりだしているのだ。

 たとえば香川県の「カンカンずし」。箱に詰めたすしを重ね、木枠で押さえ、くさびを押しこむことで押しをかけるのだが、3時間おきに少しずつくさびを打ち込み徐々に圧縮しながら一晩かけて寝かせる。このすしをつくる家からはカンカンという音が聞こえてくるのでこの名前がついたという。田植えのとき、田んぼから上がる暇もないほど忙しい夫のために、妻があぜから夫に放り投げて渡したことから「ほったらずし」と呼ぶこともあったようで、投げてもくずれないぐらい、ギュッとかたくしまっているのが特徴だ。そんなすしづくりで使われる木型や、みっちり詰まったすし飯の様子を、他県のすしと比べることができるのも、『伝え継ぐ 日本の家庭料理』の面白さだろう。

▲目次へ戻る

調理の技をしきたりとともに若い世代へ

 地域でつくられ食べられてきたハレの日の料理は、料亭で板前ができたてを出してくれるのを待ち受けて、すぐに食べる料理とは違う。つくるのも家族みんなで、もしくは隣近所で集まってわいわいと仕込み、やがて迎えるハレの日にちょうどおいしくなっているようにつくる料理だ。

 その料理とともに「こういう行事のときにはこのすし」というならわし(しきたり)が形成され、地域の共通の体験・思い出となってきた。『家庭料理 すし』では次のようなエピソードが語られている。

「巻きずしは結婚式の日にも振る舞われました。花嫁を嫁ぎ先へ送り届ける親戚衆5~6人をいちげんさんと呼び、花嫁よりも一足先に先方へ到着し、花婿側の親戚衆と挨拶を交わします。このときに先方から『おちつき』というお茶菓子のような簡単につまめるものが出され、たいてい巻きずしが使われました」(ちくわが具の巻きずし・群馬県)

「春、農繁期に入る前に農作業を休んでくつろぐ行事『春ごと』の時期は生ぶしの出盛りでもあるので、この押しずしが楽しみでした」(かつおの生ぶしの押しずし・大阪府)

「緑の濃淡の模様が美しく、色も鮮やかなこの巻きずしは、『のり』ではなく『わかめ』で巻いたもの。新わかめのとれる春のすしで、旧暦のひな祭り(4月3日)の行事食として地域に伝えられてきました。県中部を流れる日高川が紀伊水道にそそぐ地域の日高御坊では、この日を『しがさんにち』と呼び、わかめすしや料理を持って磯遊びに行きました」(わかめすし・和歌山県)

 こうしたならわしやしきたりは、いまでは地元でも若い人にはなかなか伝わっていかない。ハレの料理をつくることそのものが、地域の伝統を共有し伝えていく場にもなる。本シリーズの取材現場でも、取材の場に地域の若い世代が参加し手伝ってくれることが多い。

 日本調理科学会の先生がたと農文協の取材スタッフは先日、宮崎県の椎葉村を訪れた。山村の貴重なたんぱく源としてつくられていた「豆腐どうふ」のつくり方を教わるためだ。

 この菜豆腐、特徴はとにかく密度が高く食べごたえがあること。そして増量のために菜っ葉を入れること。最近は彩りよくいろいろな種類の野菜を入れたものが豆腐屋さんでつくられて販売されているが、もとは在来の「平家カブ」というカブの葉だけを入れて、盆や正月の料理として家々で手づくりしていたものだ。つくり方を教えてくれたのは清田アヤメさん(92歳)。とてもお歳には見えない元気さで、4升もの大豆を大釜で煮て、大きな豆腐をつくってくれた。それを10丁に切り分けるのだが、その1丁が市販品の倍ほどの700gにもなるのだ。呉汁の加熱具合や、にがりの量や打つタイミングがむずかしい。清田さんは五感を働かせて、ゆっくりゆっくりつくる。にがりは30分ほどかけて、回数を分けて打つ。

 撮影時には清田さんの娘世代のお母さんがたに加えて、孫世代になる青木優花さんが手伝ってくれた。青木さんは広島県からIターンでやってきた新規就農者。近所に住む清田さんには、ふだんから椎葉村での暮らしのあれこれを教えてもらっているという。菜豆腐づくりを手伝ったことはあったが、この日は初めて、固めた豆腐を切り分ける包丁を清田さんから渡された。中はまだアツアツの豆腐を、中に散らばる菜が崩れないように、丁寧に包丁を入れる。こうした経験を繰り返して、地域の味が新しい世代に徐々に伝えられていく。この椎葉村の菜豆腐は2018年2月発行の第2回配本『伝え継ぐ 日本の家庭料理 肉・豆腐・麩のおかず』で紹介する予定だ。

*   *   *   *

 振り返れば、日本の農村では何度かの地域の味の再評価のうねりがあった。

 一つは1980~90年代にかけて。食料自給率がどんどん低下する中で、農村では自家用野菜や味噌づくりのとりもどしなど、家族の健康と経営を守る母ちゃんたちの自給運動が広がった。その頃、農文協は当時80代だった古老たちを訪ねて、大正から昭和にかけての食生活の仕組みを聞き書きした『日本の食生活全集』を刊行し、地域に根ざした農と食のあり方を記録した。

 そんな伝統的な地域の食の見直しと自給運動が土台になって、2000年代には直売所が広がり、各地で「食の文化祭」などが開かれ、地元の、地元による地元のための食文化の見直しが進んだ。農文協は本誌で直売所農法を継続して取り上げるとともに、『増刊現代農業』(現在の『季刊 地域』)で定年帰農や青年帰農など農村の新しい動きを追跡した。さらに農村から都市へ働きかける食の雑誌として季刊『うかたま』を創刊した。

 そして現代、これまでむらを支えてきた昭和一桁世代が80歳を越えた世代交代期に、田園回帰で農村を目指す人々に地域の農業や暮らしの文化をどう伝えていけるかが課題になっている。そのとき、食の文化は人と人をつなぐ格好のテーマであり、田園回帰を支える地域の仕事づくりのヒントにもなる。

 まだ、教えてくれる先輩を見つけることはできる。地元の先輩に学び、全国各地の“伝え継ぐ家庭料理”の知恵を活用して地域の味を豊かにしながら、若い世代とともに地域の農業とコミュニティを元気にしていくうねりを広げていきたい。

(農文協論説委員会)

*『伝え継ぐ 日本の家庭料理』は企画・編集:(一社)日本調理科学会、発行:(一社)農山漁村文化協会。
B5変型判、並製、オールカラー128頁で各巻収録レシピ数は約80品。全16冊で各1600円+税。
2017年11月から、別冊うかたまとして刊行開始。以降、2021年8月まで毎年2、5、8、11月の年4回発行予定。

▲目次へ戻る