主張

「有機農業100万ha」で地域を元気に、賑やかに

 目次
◆なぜ、「有機農業100万ha」なのか
◆有機農業も「普通の農業」
◆三つの事例にみる有機農業の「地域づくり力」
◆農家や地域の元気に支えられてこそ実現

 去る5月12日、農林水産省は「みどりの食料システム戦略」という、日本の農業30年先を見据えた長期的なビジョン(以下「戦略」とする)を正式決定した。農業による環境負荷の低減と生産基盤の強化をめざして示された「2050年までに目指す姿」は、「農林水産業の二酸化炭素排出実質ゼロ」に始まり、有機農業を全農地の25%(100万ha)に拡大、化学農薬の使用量半減、化学肥料の使用量3割減などを掲げた。

 この「戦略」の背景には気候変動対応やSDGs(国連・持続可能な開発目標)などの国際的潮流の急速な強まりがある。欧州連合(EU)は昨年5月、「農場から食卓まで」(Farm to fork)を発表、30年までに①有機農業を全農地の25%まで拡大(17年時点で7%)、化学肥料使用量を半減するとした。

 そんな国際的潮流を受けて農水省はかなり大胆ともいえる「戦略」を打ち出したわけだが、これへの反響は大きく、パブリックコメント(意見募集)は期間が短かったにもかかわらず1万7000件を超えた。大半は「戦略」が育種の手段として掲げたゲノム編集への危惧や反対意見だったが、有機農業にかかわる意見も多く、支援の強化やEU並みに2030年を目標にするべきなど、有機農業の拡大を求める意見が圧倒的だった。

 17年の日本の有機農業面積(有機JAS認証を取得していない有機農業を含む)は2万3500haで、全耕地面積の0.5%。50年に100万haにするには毎年、現状の面積を上回る3万haの拡大が必要になる。そんなことができるのか、花火を打ち上げただけで終わるのではないか、という疑問は当然だが、しかしここは「有機農業100万ha」を素直に受け止め、その実現の道を考えてみたい。

なぜ、「有機農業100万ha」なのか

「戦略」が大きな期待を表明した有機農業とはどんな農業なのか、簡単に整理してみよう。

 有機農業の定義については、06年に成立した「有機農業の推進に関する法律」(「有機農業推進法」)が法的な根拠になるだろう。有機農業に携わる人々の強い要望を背景に、超党派で設立された有機農業推進議員連盟(法案成立時161人)が中心となり、日本有機農業学会が作成した試案をたたき台として議論を重ね、全会一致で可決した法律だ。

 この推進法の第2条・有機農業の「定義」では、「化学的に合成された肥料及び農薬を使用しないこと並びに遺伝子組換え技術を利用しないことを基本として、農業生産に由来する環境への負荷をできる限り低減した農業生産の方法を用いて行われる農業」とされ、第3条の「基本理念」には、有機農業の特質として「自然循環機能を大きく増進」することが明記されている。さらにこの「自然循環機能」については、「農業生産活動が自然界における生物を介在する物質の循環に依存し、かつ、これを促進する機能」と注釈している。 

「自然界における生物を介在する物質の循環」についてすぐに思い浮かぶのは、小動物や微生物などが介在して有機物や養分が循環して成り立っている森林である。この自然の循環的なしくみを人間の営為によって活かすことで、農業は成り立っており、とりわけ有機農業はこの循環を促進する方法だ、ということである。

 有機農業学会の中心メンバーだった中島紀一さんらは、有機農業の特質を「低投入・内部循環・自然共生」の三つのキーワードで表現している。簡単にいえば、化学肥料などの外部資材に依存せず(低投入)、田畑や地域の有機物循環(内部循環)のなかで微生物など生きものとの共生(自然共生)関係をつくり、これによって土の働きや作物の生命力を高める、ということになろう(中島紀一著『有機農業の技術とはなにか』・シリーズ地域の再生⑳など)。

 そんな有機農業は当然、「二酸化炭素排出実質ゼロ」に貢献する。化学肥料・農薬の製造・流通にともなうCO2を削減し、そして近年注目されている「炭素貯留」による効果も期待されている。地球上では、主に植物由来の炭素が有機物(腐植)として生成と分解を伴いながら何百年、何千年にもわたって土壌に保存されてきたが、近代的な農業のなかでその消耗が進んでいる。この有機物・腐植の量を増やすことができれば、大気中の二酸化炭素濃度を下げることができるということである。

 ここでドイツの有機農業の技術の体系化と農家の組織化に尽力したエアハルト・ヘニッヒ著『生きている土壌 腐植と熟土の生成と働き』(原題「豊かな土壌の秘密」1994、日本語版は中村英司訳、日本有機農業研究会発行・農文協発売)に触れたい。

 ヘニッヒは、ここ100年ほどの間に土壌の腐植が減少し続けていることを憂い、それは「生命の根源が危機に瀕している」ことだと警告。生命が腐植を生み腐植が生命を支えるという関係が近代的な農業のなかで弱まってきたというのである。「19世紀初頭のドイツでは、小麦がよくとれる良質の土壌の腐植含有率が6.5〜8.4%、砂壌土でも2%あったが、現在では最良の黒色土壌でも2%、砂壌土では1%を超えることはほとんどない」。そして、ヘニッヒが腐植形成の方法として勧めるのは、本誌でも追究してきた有機物マルチであり土ごと発酵方式である。

「自然循環機能」を高める有機農業は、ヘニッヒ流にいえば、地域循環のなかで腐植を維持し高める方法であり、それは、環境負荷の低減と生産基盤の強化という課題の両方に大きく貢献する力をそなえている。

 だからこそ「有機農業100万ha」なのだろう。

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有機農業も「普通の農業」

 有機農業はこれまで、意識的な農家と消費者との直接的な結びつきによって継続される面が強かった。しかし、これだけでは「100万ha」は難しい。点から面への広がりが必要だ。

 有機農業推進法が成立した当時、有機農業を地域に広げようという機運が盛り上がった。推進法が成立した翌年3月には「農を変えたい!全国集会IN滋賀2007」(有機農業グループと市民団体が主催)が開催され、そこでは、次のように呼びかけている。

「有機農業推進法が制定され、日本の農業を『有機農業を核とした環境保全型農業』に全面的に転換していく時代がようやく訪れようとしています」「有機農業運動に携わってきた人々の間には、これまでの取り組みを通して有機農業の思想と技術が蓄積されています。経済効率優先という風潮を越えて、こうした個々の蓄積を集約し、地域に広げ、政策に反映させていくことが、求められる時代になっています」

 ここでは「有機農業を核とした環境保全型農業」という表現をしている。その背景には「有機JAS法」という国が有機農業を「規制」「管理」することへの反発があった。有機JAS制度による厳しい表示規制の下では有機農業の拡大は難しい。だから推進法は「認証制度」には触れず、「農業者が容易にこれ(有機農業)に従事することができるようにすることを旨」とすることを、基本理念に掲げたのである。

 有機農業に限らず、農家には自然や作物に働きかけ働き返されるという農耕の本質が息づいている。有機稲作の確立に尽力し、昨年12月に急逝された稲葉光圀さん(民間稲作研究所代表)は、「有機農業は普通の農業なんですよ」と述べていた。「普通の農業」と有機農業とを隔絶するのでなく、農耕のありようを見直し創造していこうというのが日本の有機農業の願いであり、推進法の精神なのだと思う。

 有機農業も普通の農業も地域自然と人々の助け合いのもとにあることに変わりはなく、水利や田んぼの維持、落ち葉利用など里山の管理と利用、景観の維持など、むらの「共同の技術」に支えられている。有機農業も地域生態系を形成する一員であり、有機農業はこれを豊かにしていく自覚的な営みだといえよう。

 だから有機農業は本来的に、地域づくり力を備えている。

 そして、有機農業のもう一つの大きな特質は農と食をつなぐという姿勢の強さであり、その象徴が日本有機農業研究会の「提携の思想」である。日本有機農業研究会の「提携の十カ条」の第一条は次のようだ。

「生産者と消費者の提携の本質は、物の売り買い関係ではなく、人と人との友好的付き合い関係である。すなわち両者は対等の立場で、互いに相手を理解し、相助け合う関係である。それは生産者、消費者としての生活の見直しに基づかねばならない」

 農と食をつなぐ、これも点から面への展開が求められる。直売所を軸に広がった地産地消、地域自給の魅力的展開に有機農業は大きな力を発揮する。

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三つの事例にみる有機農業の「地域づくり力」

 推進法の成立を受け、08年度からは、「有機農業総合支援対策」として「有機農業モデルタウン事業」が始まった。この事業で採択された地域は2年間で104。これにより、有機農業参入への相談や研修などの取り組みが大きく伸び、有機農業による地域づくりを広げていこうという機運も広がった。しかし、そんな声を無視して、「事業仕分け」による事業の廃止が決定された。

 こうして地域づくりへの支援制度は後退してしまったが、有機農業が強い地域づくり力をもっていることは、各地の先駆的な事例が充分に示している。ここでは三つの事例を見てみたい。

 愛媛県の無茶々園。僻地ともいってよい四国西南部に雇用と協働の場をつくりだし、年間販売額10億円、雇用90人を実現し、16年度農林水産祭「むらづくり部門」の「天皇杯」を受賞した。

 無茶々園は1974年、温州ミカンの価格暴落や農薬の健康被害が問題になるなかで、カンキツ農家の後継者3人による有機農業グループとして誕生。その後、一楽照雄さんが中心となってつくられた日本有機農業研究会と出会い、「有機農業は商品生産としてではなく、自給をベースにした生産者と消費者との相互信頼を基礎とした提携というあり方以外に道は拓けない」という一楽さんの考えを基本において仲間を増やしながら産直(提携)活動を進め、やがて農家組織から地域組織へ変身していく。新規就農希望者の受け入れを積極的に進めて農場を増やし、一方では農村女性による高齢者への配食サービスを開始。以後、F(食料)、E(エネルギー)、C(ケア)に企業誘致に依存しないW(ワーク、雇用)を加え、FECW地域自給圏をめざす地域組織(地域協同組合)として多彩な活動を展開している。有機農業が持つ自給と提携の精神が地域づくりを牽引してきたのである(詳しくは『大地と共に心を耕せ―地域協同組合無茶々園の挑戦』(愛媛大学社会共創学部研究チーム著・農文協発行)。

 次に、有機農業の町として有名な山形県高畠町の話。ここでは第2、第3世代による地域づくりが進んでいる。

 1973年、41人のメンバーで高畠町有機農業研究会を設立。悪戦苦闘を経てしだいに栽培技術が確立し、地力も向上してきて収量が安定するようになり、97年には役場農林課を事務局として約1000人の農家で高畠町有機農業推進協議会が発足。新高畠町基本構想では、「地域自給の向上を軸にしながら有機農業の実践をめざす」とうたわれた。

 昨年11月には「たかはたオーガニックラボ」が開催された。第1世代の子や孫といった第2、第3世代が中心となり、有機農業推進協議会と行政を巻き込んで実行委員会を結成。中心コンセプトは「次世代に高畠有機で健康を伝えるきっかけづくり」だ。食べものを通して地域コミュニティをより強固なものにしていきたいという。「高畠の若者たち、最高だな」という町長の寒河江信さんは、町産材100%の屋内遊戯場と町立図書館もつくった人物だ(『季刊地域』20年冬40号・町村長インタビューより)。

 以上二つは、いわば有機農業の第1世代によって始まった展開である。だが最近は、有機農業にあまり縁がなかった地域での新しい取り組みも出てきているので紹介しよう。

 千葉県いすみ市では、先に紹介した稲葉光圀さんの指導・援助を受けて有機稲作に取り組み、市内の学校給食で100%有機米使用を実現している。「農家には、子どもたちの健康に貢献したいという気持ちや、子どもたちに地域の農業や環境に関心をもってもらいたいという気持ちが強くあったのです」と農林課の鮫田普さん。

 市民の期待に応えていると自信を深め、当初の3人に新たに10人の農家が加わり、2017年には目標を上回る50tの収穫を達成した。問題は学校給食のコストアップだが、JAと協議し、生産者に再生産可能な価格(60kg当たり2万円)を保証したうえで、納入業者のJAの手数料は最低限に抑えてもらう。給食センター側に発生する差額400万〜500万円は市の一般財源で補填し、給食費の値上げはなし。残食が減ったり、有機米給食が気に入っていすみ市に移住してきた方がいたり、新規就農者もやってきたという(本誌20年5月号)。

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農家や地域の元気に支えられてこそ実現

「有機農業100万ha」は第1世代の思いや技術蓄積を受け継ぎつつ、次の世代や多様な人々によって進められる。そのための新しい条件も生まれている。

 まずは田園回帰、関係人口の広がり。農に向かう若者は有機農業への志向が強い。これを力にしたい。

 農法の多様化の条件も広がっている。たとえば養蜂。これも新規就農の関心が高いが、養蜂には農薬の影響が少ない地域環境が望ましい。千葉県市原市の「市原みつばち牧場」では、遊休地などで花や木を育て、果樹農家とも連携しながら里山を養蜂で再生する動きが広がり注目を集めている(20年5月号)。家畜の放牧など、耕作放棄地や遊休地を有機農業で活かす工夫もいろいろありそうだ。

 そして大きな新しい条件は、国が「有機農業100万ha」を掲げたことだ。有機農業の拡大には「戦略」が重視する技術革新だけでは無理で、新しい担い手への技術伝承や売り先の確保などの地域的な取り組みが必要だ。これにむけ、国や自治体による抜本的な支援強化を実現する、そのための新たな条件が生まれた。

「有機農業100万ha」は、農家や地域の元気に支えられてこそ実現する。農家や地域が元気に、賑やかになることに「100万ha」の価値がある。次世代が安心して、希望をもって生きられる地域と地球のために、夢のある議論を地域から興したい。

(農文協論説委員会)

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