主張

みどり戦略で広めたい 「生きものと一緒」の有機農業

 目次
◆アマガエルの働きに驚く
◆みどり戦略への期待と不満
◆生きものを守ることでイネが育つ
◆有機農業は生態系の仕組みを活かす
◆人にとっての生物多様性とは
◆農家の多様性こそが危機
◆有機農業が多様な農家を増やす

アマガエルの働きに驚く

「有機栽培の野菜づくりは9年目です。以前からアマガエルが畑にいて虫を食べてくれるのは気づいていました。でも、こんなに数が増えたのにはビックリしましたね」

 これは、本誌と同時発売の『季刊地域』2022年夏50号の特集「みどり戦略に提案 生きものと一緒に農業」の記事の一節。有機農業がやりたくて長野県松川町に移住してきた矢野悟さん(40歳)が、昨年のトウモロコシ栽培での驚きを語った言葉だ。

 写真で見る矢野さんの畑にまず仰天する。収穫が近いトウモロコシのウネは、地面が見えないほどの腰の高さまで伸びた雑草に埋まっている。すると畑にアマガエルがたくさん居着くようになった。アマガエルは長い草を伝ってトウモロコシによじ登り、雌穂(実)の前に陣取る。そして、てっぺんの雄穂に産み付けられた卵が孵化して下りてくるアワノメイガの幼虫を、「さあ、来い」とばかりに待ち構えるのだ。

「おなかがパンパンに膨れたカエルもいたんですよ。いったいどれくらい食べたのやら」

 ウネ間に繁った雑草は、アマガエルにとってはトウモロコシに登るのに便利なハシゴ。それに天敵の鳥などから身を隠すにも好都合らしい。

 さて、この「主張」欄でも何度か取り上げてきた「みどりの食料システム戦略」は、この春の国会で法制化され、2050年カーボンニュートラルの目標に合わせて食料・農林水産業を変革しようという政策が動きだした。だが、昨年5月に公表されたみどり戦略の文書を読んでも、このたびの法制化の内容を見ても、アマガエルの仕事ぶりを評した矢野さんの言葉に感じるようなワクワク感は伝わってこない。

 それはなぜなのか? 今回の『季刊地域』の特集に登場する記事をたどりながら考えてみたいと思う。

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みどり戦略への期待と不満

 みどり戦略は2050年の農業について、化学農薬50%減、化学肥料30%減、そして有機農業を全耕地面積の4分の1、100万haまで拡大するという大胆な目標を打ち出した。この目標自体には多くの人が賛成しているのだが、化学農薬を減らす代わりに持ち出したRNA農薬や、ゲノム編集で病害虫に強い品種をつくるといった科学技術頼みの具体策に、農業関係者や有機農業研究者、消費者運動に関わってきた人たちから懸念・批判が相次いだ(農文協ブックレット『どう考える?「みどりの食料システム戦略」』参照)。

 一方、4月に成立した「みどりの食料システム法」(以下「みどり戦略法」、正式名:環境と調和のとれた食料システムの確立のための環境負荷低減事業活動の促進等に関する法律)の国会審議の際には、別の角度からの批判があった。公益財団法人・日本自然保護協会など自然保護NGO4団体が「みどり戦略には『生物多様性の保全』の観点が不十分」と異議を表明したのだ。みどり戦略法は生産者の「環境負荷低減事業活動」を支援することになっている。だが、この活動には、土づくりや化学農薬・化学肥料の低減、温室効果ガス削減は含まれているものの、生物多様性保全に貢献する具体策がない。化学農薬・化学肥料を減らすだけでは生物多様性は守れない、というのである。

 昨年5月に公表されたみどり戦略の文書には「生物多様性の保全」という言葉だけは何カ所か登場する。しかし、みどり戦略法で具体化される政策には生きものの観点が乏しい。ワクワク感がない理由はこれだろうか。

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生きものを守ることでイネが育つ

 もしかすると読者の中には、生きものを守っても農業生産につながらない、カネにならない、と思う方がいるかもしれない。では、続いてこんな記事を紹介したい。

 栃木県野木町の舘野廣幸さん(67歳)。イネ8haを中心に有機農業をする舘野さんは「舘野かえる農場」を名乗る。『季刊地域』50号から引用してみよう。

「私は農家の長男に生まれ、40年間農業をやってきました。40年のうち、現在に至る30年間は有機農業でイネを育てています。だから私は米づくり農家だと言いたいのですが、実際はそうではありません。米は私がつくっているのではないのです。

 私は、というより人間は米をつくることはできないのです。米はイネがつくるのです。農家である私の仕事はイネが育ちやすい環境をつくること。イネが育つ世話をしているのです」

 イネを栽培していながら、米をつくっていない。禅問答のようだが、これは農業の本質を言い表わしている。舘野さんが田んぼで見ているのはイネだけではないのだ。

 イネもまた自分の力だけで育つのではなく、たくさんの生きものと一緒に育つ、と舘野さんは続ける。なかでもカエルは、オタマジャクシのときは活発に泳ぎ回ることで雑草の芽生えを抑え、カエルになってからは斑点米の原因になるカメムシを食べてくれる。カエルのおかげでイネが育つのだから、カエルが棲みやすいようにアゼ草を長めに残して刈る。秋のイネ刈り後は米ヌカをまいて秋草を生やし、それを春の代かきで腐らせることでミジンコを増やしてオタマジャクシのエサにするという。さらに、6月に入って田植えをするため中干しが7月中旬以降に遅れることも「カエルの生育に合わせた農法」と、じつに痛快なのだ。

 アゼ草を長めに残すことは、同じく害虫を捕食するクモにとっても棲みやすい環境になる。農地における「生物多様性の保全」とはこういうことではないだろうか。それは農業生産と相反するものではない。むしろ逆に、多くの生きものが共生する水田という場に備わる仕組みを活かすことが、農薬不要の米づくりを実現する。

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有機農業は生態系の仕組みを活かす

 また、兵庫県の日本海側、但馬たじま地域では「コウノトリ育む農法」が広がっている。兵庫県がコウノトリの野生復帰に取り組んだのは今から20年ほど前。それにはエサになる生きものが豊富な田んぼが必要だった。そこで、全国から有機農業の研究者や実践者を招いて勉強会をしたそうだ。

 但馬地域の気候風土に合うよう組み立てた技術は、地域の有機資源である但馬牛やブロイラーの家畜糞、米ヌカをイネ刈り後に散布し、冬期湛水をするところから始まる。有機資源は翌年のイネの肥料になるとともに、イトミミズやユスリカやミジンコを増やす。イトミミズがつくる「トロトロ層」が雑草のタネを埋没させ、発芽を抑えることもわかった。増殖した水生小動物は、イネの害虫を食べるカエルやクモを増やす代替エサ。同時にドジョウやフナのエサでもある。そして、これらの魚をコウノトリが食べる――という生きものの連鎖が復活したのだ。コウノトリ育む農法は無農薬・減農薬の田んぼ合わせて560 ha まで広がり、とれたお米は学校給食にも使われている。

 この農法を構成するのも、化学農薬・化学肥料を使わないために自然の仕組みを活かす技術だ。雑草を減らすためにイトミミズを増やす技術、害虫防除のためにカエルを活かす技術である。冒頭の矢野さんのトウモロコシも同じこと。雑草をあえて長く伸ばすことでアマガエルが畑に居着き、アワノメイガの幼虫を退治してくれる。草を活かす技術である。

 それに比べると、みどり戦略が見ているのは、作物と病害虫の関係だけではないだろうか。害虫被害を防ぐには農薬が必要。化学農薬を使わない代わりにRNA農薬、あるいはゲノム編集。だが農家は、田んぼや畑という場全体を見て作物を育てている。

 日本有機農業学会では、みどり戦略について「人間が作物に直接働きかける技術(施肥や防除)より、農地生態系の機能を向上させる(雑草や微生物にうまく働いてもらう)ことを通して間接的に働きかける技術への研究投資が必要だ」と指摘している。これも同じことを言っているのだろう。

 ある特徴的な場所に注目し、そこに棲む生きものどうしの関係に、水や空気、光などの環境要素を含めて一つのまとまりとして見る見方を「生態系」というそうだ。有機農業は自然の力を活かす農業、生態系の仕組みを活かす農業なのである。

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人にとっての生物多様性とは

 福島県二本松市の菅野すげの正寿せいじさん(63歳)もまた、3ha余りの米と多品目の野菜で有機農業を続けてきた一人だ。菅野さんの記事の書き出しは、日照時間が短く冷たい沢水を引く棚田でイネを育てる工夫から始まる。生育の進んだポット成苗を植え、比熱の大きい水の保温力を活かして深水栽培をする。有機肥料を使うことにも地温上昇効果を期待したという。不利な環境でイネを育てるために生態系の仕組みを活かしている。

 そんな菅野さんの田んぼが、11年3月の原発事故で放射能被害を受ける。意気消沈して迎えた秋、田んぼで赤トンボが乱舞したそうだ。じつはその数年前、イネミズゾウムシの発生を我慢できずプリンス粒剤を使ってしまった。以来、田んぼにトンボが飛ばない年が続いたのを悔やんでいたことから、原発事故の年に赤トンボが戻ってくれた喜びはひとしおだったのだ。

「私たち農家は、米や野菜だけつくっているのではない。原発事故と放射能汚染によって離れてしまった消費者や市民に、農家は里山の生きものたちの生命も育んでいることを伝えてこなかったのではないか」。赤トンボはカエルやクモほどの役割を果たすわけではない。しかし菅野さんは、米と一緒に田んぼで育んできた生きものの価値を悟るのだ。

 生物多様性は、人にとって別の意味で重要だという指摘もある。『季刊地域』19年春37号〜20年冬40号で「人にとって生物多様性とは何か」を連載した石川県立大学名誉教授・上田哲行さんは、秋の田んぼに赤トンボが舞う姿を「懐かしい」と感じる人が多いことを例に、生きものには「風景価値」があると書いている。生きものの風景価値は人の心の中に生まれるもので、その人の歴史、経験の積み重ねの中で決まるもの。時に喜びをもたらし、生きる支えになったりするという。先ほどの菅野さんの話はまさにその風景価値を連想させる。

 さらに上田さんによると、ドジョウやメダカ、オタマジャクシ、ザリガニ、タニシなど、とくに水辺の生きものが多い環境で、これらの生きものを捕まえて遊んだ経験のある子供は地域への愛着を高める、という調査結果もあるそうだ。生物多様性は生きもののためならず。それは子供の成長に大きな意味を持ち、ひいてはその子供たちが担う地域の未来につながっているのである。

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農家の多様性こそが危機

 では、その地域の現状はというと、ある農家からこんな話を聞いたことがある。70歳になるその人が若い頃、集落には数十軒の農家があってにぎやかだった。それが今では1ケタに減り、そのほとんどが60〜70代。後継者がいるのは、有機農業を続けてきたその人の家だけだという。それを自然の生きものにたとえて、農村では農家こそが「絶滅危惧種」、農家の「生物多様性」の危機だと話していた。

 稲作に代表される土地利用型農業では、1960年代からずっと経営規模の拡大=近代化路線が唱えられてきた。政府は、兼業農家を減らし、担い手へ農地を集積する政策を一貫して続けてきた。それが農家の「多様性」を奪った面があるのは明らかだ。

 だが、20年3月公表の食料・農業・農村基本計画以来、その農村多様性衰退化政策に変化が見えるのは喜ばしいことだ。6月号の「主張」でふれたように、同じく今国会で可決された人と農地をめぐる法改正では、「人・農地プラン」改め「地域計画」に「継続的に農地利用を行なう中小規模の経営体」や「農業を副業的に営む半農半X」が担い手として位置づけられた。みどり戦略もまた、多様な農家を増やす有機農業の推進政策であるべきだろう。

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有機農業が多様な農家を増やす

 前述の菅野正寿さんとは別の集落だが、同じ福島県二本松市の永田集落でおもしろい取り組みが始まっている。集落の住民が協力して、20年以上耕作放棄地になっていた約60aの畑を復活させ、昨年、持続可能な農業を学ぶ「あだたら食農School farm(スクールファーム)」を開いたのだ。

 開設の中心となった農家・根本敬さん(65歳)はこう話す。「これからの食と農を、食べる人も巻き込んで一緒に考える。そういう場をつくりたかった」。農村では担い手が不足し耕作放棄地が増えているのに、そうした現状が消費者へ正確に伝わっていない、と感じていたそうだ。

 その根本さんに賛同して協力することになった一人が福島大学教授の金子信博さん(63歳)。土壌生態学が専門で、ミミズなど土壌動物の生態に詳しい。スクールファームでは、二本松市内の有機農家が教える有機耕起栽培と、金子さんが教える有機不耕起草生栽培の両方を比較しながら体験することになっている。インターネットなどを通じて受講者を募集したところ、若い家族連れなどなんと50人もが、福島市や郡山市の都市部から毎月の実習に通ってくるようになったのだ。とくにミミズなどの生きものが多い不耕起栽培に関心を持つ受講者が多いという。

 協力する集落の農家は不耕起栽培はもちろん、有機栽培もしていない人が多いが、山の斜面にある畑に毎月やって来る人たちに興味津々。実習日を楽しみにしているそうだ。

 いま都市部から田園回帰、UIターンする若者にも、有機農業に関心を寄せる人が少なくない。みどり戦略に先立って農水省が19年に立ち上げた「有機農業と地域振興を考える自治体ネットワーク」には、福島県二本松市、長野県松川町をはじめ46市町村が参加している(22年4月現在)が、これらの市町村には、有機農業を通じて移住者を呼び込もうという思惑もありそうだ。

 日本有機農業研究会の理事でもある栃木の舘野廣幸さんは、みどり戦略に不満はあるものの、このところ世の中の有機農業への関心が増していると感じている。週末に有機農業関連のイベントに招かれることが増え、隣の市の職員が「有機農業の担当になった」とあいさつに訪れたそうだ。

 みどり戦略が「生きものと一緒」の有機農業を応援する政策になれば、農村を多様化する力になるはず。むらが永続するには、兼業・多業の農家も含めいろいろな農家がいたほうがいいはずである。

(農文協論説委員会)

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