主張

みんなで山活! 木を切って売るだけではない山林の活かし方

 目次
◆相続した山で山活!
◆国産漆の物語が共感を呼んだ
◆山を買ったおかげで自然が自分ごとに
◆地域の民有林の管理を住民がサポート
◆皮むき間伐で新しい林業
◆山の空間価値をお金に変えた

相続した山で山活!

 読者の中には山林を所有している方も少なくないだろう。前回、山に足を運んだのはいつだったろうか。

 数十年前に植えたスギやヒノキの人工林も、かつて薪炭林として利用された広葉樹の里山も、木材価格の低迷や薪や炭を燃料に使わなくなったことから長く手つかずになっているところが多い。身銭を切ってまで手入れする価値のない山、お金にならない山――。山に対するそんな見方がガラリッと変わる記事が並んでいるのが、本誌と同時発売の『季刊地域』52号(2023年冬号)だ。

 長く東京で暮らした細越ほそごえ確太さん(59歳)が盛岡市郊外にある実家に戻ったのは9年前。急に亡くなった両親の後を継いで家と農地と山を相続するため、妻と子供2人とともに故郷へUターンした。盛岡で勤め先を探し、1年半ほどサラリーマンをやってみたがおもしろくない。不安はあったが退職し、たっぷりある時間を使って自分が相続した山を歩いてみたところから人生が急展開する――。

 細越さんのこんな山との関わりも記事にした『季刊地域』52号の特集は「山活やまかつ! 稼ぐ、楽しむ、人を巻き込む」。山の地域資源としての価値をいま一度見直し、いくらかの稼ぎや農山村で暮らす楽しみとして活かすこと、そのために山で活動することを「山活」と呼ぶことにした。山林をお持ちの方は自分の山を思い浮かべながら、そうでない方も近くの山を眺めながら、しばし山活について一緒に考えてみていただきたい。

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国産漆の物語が共感を呼んだ

 勤めを定年退職したのをきっかけに山活を始める人もいるだろう。たとえば、間伐材や林地残材を薪として流通させる「木の駅プロジェクト」が各地で盛んだ。近年のキャンプブームによる需要のほか、CO2の排出削減、そこに現在の燃料高騰が加わって、薪にはかなり強力な追い風が吹いている。以前の『季刊地域』には、自分の持ち山だけでなく仲間の山や地域の共有林を舞台に、グループで山活に取り組む事例が記事になっていた。こうした場で活躍するのは、時間に加え力仕事をこなす体力もまだ十分な定年退職組が多い。

 前述の細越さんの場合は定年よりも早いが、長く故郷を離れた後のUターンだ。実家に山はあっても、山のことも木のことも知らずに50年生きてきた。両親が事故で二人とも突然いなくなって教わる機会も失った。そんな細越さんが山活に向かうきっかけになったのはウルシ(漆)だった。

 田舎で育った人なら、「さわるとかぶれる」と大人に脅かされた記憶が染みついているウルシの木。細越さんは、かつて漆を採取した跡が残る木を家の近くで見つける。しかも昔、自分の家に漆掻き職人が泊まりがけで採取に来ていたことを近所の高齢者から聞いて心が動く。

 岩手県は、県北部の二戸市を中心に昔から漆が採取されてきた日本一の漆産地。だが現在の生産量は多くはなく、国内で使われる漆のほとんどは中国産だ。かつて自分の家のまわりでも採取されていた漆の文化を復興させ、それを地域の活性化につなげようと一般社団法人・次世代漆協会を立ち上げる。

「なにしろ食い扶持を探してましたからね。必要とされるものを提供したら儲かるのが経済の原則だな……。これはチャンス、と思った」と笑うが、その後の行動力が半端ない。スギやカラマツを伐採した跡の自分の山10haに、ボランティアを募ってウルシの苗木約2万本を植栽してきた。

 だが、木を育てることの大変さも知る。ウルシの苗木を育てようとタネを播いたら発芽率の低さに愕然とした。植えた苗木はシカに食べられ、自生するススキやワラビに覆いつくされた。従来の漆掻きに代わる新しい漆液の採取法の糸口をつかんだものの壁にぶつかる。今のところ、細越さんの山活は「儲かる」にはほど遠い様子だが、じつに楽しそうなのだ。

 それは、山活には人を巻き込む力があると知ったからだ。国産漆を増やすため苗木の植栽を手伝ってほしいとSNSで呼びかけると、遠くは京都や九州からもわざわざ旅費をかけてボランティアに足を運んでくれるのだという。仕事をリタイアして時間がありそうな人ばかりというわけでもない。若い女性や小さい子供を連れた家族連れもやって来る。山の斜面に足を踏み入れたことなどなさそうな町場の人たちが、国産漆の復興という物語に共感し、それを手伝おうと遠くから駆けつけてくれる。

 故郷で始めた第二の人生、親から引き継いだ山がなかったらこんな経験をすることはなかっただろう。

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山を買ったおかげで自然が自分ごとに

 じつは今、山を買うのが密かなブームだ。背景には先ほどもふれたキャンプ人気がある。農地と違って山は誰でも買える。価格も思ったより安い。軒を接するようにキャンプ場にテントを張るより、いつでも好きなときにキャンプができる自分の山を持ちたくなるらしい。

 だが、北海道で山を買った來嶋くるしま路子さんの場合は少し事情が異なる。東京にある美術系の出版社で編集の仕事をしていたが、子育て中に東日本大震災が起きる。会社がリモートワークを認めてくれたことから夫の実家のある北海道に移住した。東京生まれでアウトドアの趣味もない來嶋さんは、ひょんなことから農家の友人と二人で山を買う。

 山を買ってからは、子供たちとよく遊びに行った。木を伐採した跡地で、最初は荒れ地のように映ったが、春になるとタラの芽やワラビが芽吹き、幼木がそこかしこに育ち始めたことに驚く。森林組合の管理のもとで植林もした。林業に興味がわき、山主が高齢化し次世代への引き継ぎが課題になっていることなども知りながら、林業関係者に交遊が広がる。

「山活」という言葉は來嶋さんからの拝借なのだが、家の窓からはいつでも周囲の山が見えることもあり、最近は以前ほど「山活」をしなくなったという。それでも山を買ってよかった、と思うそうだ。その理由を今号の『季刊地域』のなかに「山を持つことによって新たな世界の扉が開かれた」と書いている。草木の芽吹きも山の環境破壊も気候変動も「自分ごと」としてとらえられるようになったというのだ。

 人間の生死よりもはるかに長いスパンで遷移するのが山の自然。人間がそこを「活用」するなどというのはおこがましい気がする、とも書いている。高齢化した山主に代わって山を所有した、いや「いっとき預かった」ことが來嶋さんの自然の見方を変えたのだ。コロナ禍となり人間の営みの多くがストップしてしまったとき、四季折々の自然の恵みを分けていただく喜びが生きる力となったという。山活は、山を活かしていると思いながら、自分が生かされているということなのかもしれない。

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地域の民有林の管理を住民がサポート

「一住民として思うのは、地域の民有林の管理を山主だけでなく住民がサポートできる森づくりの形が広がるとよい、ということです。私たちの多くは自分のものではない山から恩恵を受けているからです」

 同じく『季刊地域』52号にこう書いているのは宮崎市の岡みのりさん。ご自身は東京出身の養蜂家。自然豊かな環境でミツバチを飼いたくて宮崎に移住したが、伐期を迎えた周辺の針葉樹が次々皆伐され、植林されないまま放置されて山が荒れているという問題が身近に起こる。そんなとき、スギを皆伐した山主と意気投合し、市民グループを結成して始めたのが「みつばちの森」づくり。蜜源樹をはじめ、花を楽しめる木や果樹などさまざまな広葉樹を4年間で2000本植栽してきた。市民グループと山主が協力して、木材生産だけではない山活を始めた例だ。

 皆伐後の山が放置される問題は、同じ号で大分県の林家・田島信太郎さんが解説してくれている。かつての拡大造林政策で植えられた人工林が樹齢50年前後となり、国は「積極的に伐採、利用し、木材自給率50%を目指す」という方針を示した。そのため九州では5年ほど前から膨大な人工林の皆伐が進んでいるという。皆伐しても再び木を植えればいいが、高齢化と木材価格の低迷で「林業スピリッツ」が衰えている。木材の利用現場では「ウッドショック」と呼ばれるほど価格が高騰しても、山主が丸太を出荷する価格にはそれが十分反映していないという。

 高齢化が進む林業の新たな担い手としては、これも『季刊地域』で取り上げてきた「自伐型林業」の広がりが期待できるだろう。木を切っても儲からないといっても、それは森林組合や業者に伐採を委託する場合。チェンソーと林内作業車など小さい機械を駆使して自分で切る林業なら利益が上がるのだ。市町村が「地域おこし協力隊」を入口にこれを応援する動きもあり、自伐型の小さい林業が確実に広がってきた。

 とはいえ、手をかけられない山がそれだけでカバーできるわけでもない。林業はできなくても、山から受ける恩恵を感じたり、地域資源としての山を再生する取り組みに共感する人が増えている。それ自体、山活の人を巻き込む力の表われなのだが、こうした人たちが、山を守っていくうえで力強い助っ人となるのではないか。

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皮むき間伐で新しい林業

 10年前に東京から移住してNPO法人を立ち上げ、市民の参加を募って豊かな森づくりを始めたのは福岡県糸島市の藤井芳広さん(44歳)だ。4年前には自分の山も買った。当時、生まれたばかりの息子に豊かな森を残したいと思ったのがきっかけという。市有林と山主から委託された山、それに自分の所有林、いずれも管理の手があまり入っていなかった人工林2.6haを「皮むき間伐」という方法で針広混交林に変えようとしている。

 スギやヒノキの樹皮をむくと葉っぱや枝が枯れ、周りの木が太くなるとともに、林床に新たな植物が芽生える。皮をむいた木は水分が抜けて軽くなる。伐採して運び出す作業には、大型の重機もトラックも、大きな林道も不要だ。

 皮をむいた木は2年以上たったら伐倒する。皮をむいたまま放置すると、台風などの強風で倒れて危険ではないかという人がいるが、水分が抜けて軽いうえ枝葉がないため風を受けにくく、むしろ倒れにくいという。それは糸島を大きな台風が襲ったときに証明ずみだ。切り出した木はフローリングや内装材として活用されている。

 藤井さんによると、皮むき間伐はワークショップの形で行なうことに意味があるという。10年間で50回以上開催し、これまでにのべ500人以上が参加している。「チェンソーを使わないので子供も参加でき、特別なスキルや経験がなくても、誰もが森に関われるのが皮むき間伐の最大の利点」という。子供も一緒にできることは、次世代へ継承しながら、50年かけて広葉樹中心の生物多様性のある森にするという目標と結びついている。同時にワークショップは皮むき間伐材のファンも増やす。藤井さんは、こうした形の新しい林業が成り立つコミュニティづくりを進めたいというのだ。

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山の空間価値をお金に変えた

 藤井さんの場合はIターンならではの発想かもしれないが、市民が訪れる山づくりを山側から考えてきた林家もいる。岐阜県東白川村の田口房国さん(45歳)。自身が経営する林業・製材会社(株)山共では、本業とは別の形の山活に乗り出した。森林のレンタルである。

 田口さんは、木材業の研修のためドイツを訪れたことがある。そこで驚いたのは、ドイツ人には森林は公のものという意識が強く、誰でも足を踏み入れることができることだという。週末になると市民は、家族や友人たちと山へ出かけ、ハイキングをしたりバーベキューをしたりして楽しむ。そのための法律やルールが整備されている。林業先進地のドイツでは、こういう背景があってこそ木材製品が一般社会に浸透しているのだろうと思ったそうだ。

 一方の日本。ドイツと違って一般市民が山に入るときのルールが整備されていない。それと裏腹なのかもしれないが、自分が自由にキャンプするための山を購入する人が増えている。いずれキャンプブームが去ると、そのために購入した山が放置状態になってしまうかもしれない。林家の田口さんとしては、周囲で暮らす人に様々な困りごとが発生するのではないかと心配だ。

 では、キャンプがきっかけで高まった山への関心を、ドイツのようなみんなが訪れる山づくりにつないでいくにはどうすればいいか。それで思いついたのが森林レンタル、名づけて「フォレンタ」だ。

 レンタル料は約10aの山林で年間6万円ほど。立木を傷つけたり林内のものを売ったり、機械を持ち込んで整地したり、などは利用規約で禁止しているが、それ以外はほとんど自由に山を使える。山共が管理する東白川村の山で始めた森林レンタルは評判を呼び、北海道や静岡、京都、福岡にも広がった。各地の多数の区画はほぼレンタル契約済みだ。

 利用者は子育てが一段落した40〜50代が多いそうだ。毎週末のようにレンタルした山にやって来る夫婦もいる。寝泊まりする小屋を建て、沢水を引き、丸太をくりぬいた流し台まで作ったり……。もはやキャンプの域を超え、森林生活を楽しむかのようだ。

 これまで森林レンタルのために起きた問題はとくにないという。むしろ、みんな山をきれいに使ってくれるし、間伐のために作った道が利用者が使うことで維持される効果もある。そして山主にはレンタル料が入る。フォレンタは山の空間価値をお金に変えたのだ。

 どうだろうか。木を切って売るだけが山の活用法ではないということが、相続した山で、買った山で、貸した山で次々明らかになっている。山活で稼ぎ、楽しみ、人を巻き込んで、手がまわらない山は周囲の助っ人の力も借りて活かすような仕組みをつくることができないだろうか。

 その他にも『季刊地域』52号には、生け花などで人気が高まる山採り花木の話題、薪にしかならないと思われた「C材」が建材になる話、なんと、スギ林の林床で栽培できるキノコ……などなど、山で小さく稼ぐアイデアもたくさん詰まっている。ぜひご覧いただきたい。

 みんなで山活!

 春が待ち遠しくなってきた。

(農文協論説委員会)

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