主張

下限面積廃止は第二の農地改革になるか

 目次
◆下限面積とは何か
◆「小さい農業」支援の始まり
◆農業委員はどう見る?
◆小さい農業も「地域計画」に位置づける
◆人・農地プランから「1人1坪農園」事業へ
◆町場でも農村でも農業を学ぶ場が人気
◆新しい仲間を迎える「農地改革」

 この4月から、「人・農地プラン」改め「地域計画」の策定を市町村に求める農業経営基盤強化促進法等の改正法が施行になる。高齢化や人口減少にともない、農家の減少と耕作放棄地の拡大がいっそう懸念されていることを受け、地域計画では、農地が適切に利用されるよう、地域での話し合いに基づいて将来の農業のあり方を「目標地図」にまとめるという。その内容や進め方も気になるところだが、ここで注目したいのは、地域計画を定めた法改正とともに農地取得の下限面積要件が廃止されることである。

下限面積とは何か

 そのまえに下限面積とは何かをおさらいしておきたい。

 下限面積は、農地法に定められた、農地を利用する権利を取得する際の許可基準の一つ。権利取得後に最低これだけの面積を経営(耕作)しなければならないという基準で、都府県で50a、北海道は2haに定められてきた。新規就農するには、この面積以上の農地を借りるか買うかして取得しなければならないことになり、農業を始めるときのハードルとなってきた。

 ではなぜ、下限面積が設定されたかというと、それは戦後の農地改革と農地法の目的に関わっている。

 農地法は、耕作者自らが農地を所有することを最も適当とし、耕作者の地位の安定と農業生産力の増進を図ることを目的に1952年に制定された。戦後まもない46年から始まった農地改革(〜50年)では、176万戸の地主から、不在地主の全小作地と在村地主の1haを超える小作地を国が強制買収。さらに自作農の農地保有も都府県は3ha、北海道は12haを上限に制限し、買収した農地を小作農へ売り渡した。その結果、全国に475万戸(!)の自作農が新たに誕生したという。農地法は、この成果を固定するため、農地の譲渡や貸借などの権利移動、転用について制限を設けた。下限面積もその一つだ。

 その後、自作農の農地保有を制限していた上限面積のほうは70年に撤廃される。それは、61年の農業基本法制定が農業の近代化、都市勤労者との所得均衡を目標に規模拡大を推奨したからである。高度経済成長は農業の機械化をもたらし、経営規模拡大の条件を整えて、農村は都市へ余剰労力を供給した。だが、政府の思惑ほど規模拡大は進まない。農業機械の普及による作業効率の上昇は、むしろ兼業農家の増加をもたらした。

 だが、90年代以降になると、高齢化による農村の担い手不足や遊休農地の増加が顕著になる。93年には農業経営基盤強化促進法が制定され、「利用権」の設定による農地の貸し借りが定着した。農地法は耕作者の権利が強いため、農地を一度貸すと返ってこないという認識が農家に広まっていたが、基盤法による「利用権」は設定した期間が過ぎると終了する。これで農地の流動化が活発になり、担い手への農地集積が進むことになった。

 2000年代になると、国際競争力のある大規模経営を育成しようという政府の方針と農家の高齢化、耕作放棄地の増加を背景に、一般企業の農業参入が段階的に認められるようになる。09年には、リース方式(適切な農地管理が行なわれないときは契約を解除できる)による企業の農業参入が全国どこでも可能になった。

 このとき同時に、都府県50a、北海道2haとされた下限面積を、市町村の農業委員会が「別段の面積」として特例的に10aや20aなどに変更できるようになった。

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「小さい農業」支援の始まり

「別段の」ということわり付きながら下限面積の引き下げが進んだ背景には、世の中の農業への関心の高まりがあった。農家が減り、耕作されない農地の増加が問題になる一方で、各地に市民農園が増えた。さらに、家庭菜園や市民農園よりもっと広い面積で野菜づくりを楽しみたいという非農家が増えてきたのである。

 本誌では10年1月号で「小さい畑で農家になる――遊休農地減らしにも貢献」という小特集を掲載し、市民の〝農業参入〞の動きを伝えている。この中では、神奈川県南足柄市が09年に創設した「市民農業者制度」も取り上げた。同市では別段の面積を10aとしたうえ、市民による遊休農地活用を進めるために300m2からの利用権設定による借地を可能とする制度をつくった。詳細は省くが、これは農地法を補完する基盤法に下限面積が設定されていないことを利用したものだ。同様の制度は、南足柄市にならった大阪府が「準農家制度」として12年に始めている。

 田園回帰ブームを背景に、近年は別段の面積をいっそう引き下げる自治体が増えた。移住者の住まい確保の目的で、空き家に付属する農地限定で1m2まで引き下げた市町村も少なくない。

 さて以上、戦後の農地改革以来の農地取得をめぐる制度の変遷を大急ぎで振り返ってみたが、農村の側は今回の下限面積廃止をどう受け止めたらいいのだろうか。

 市町村が別段の面積として下限面積を引き下げてきた経緯を考えれば、廃止は自然の流れとも思える。だが農地法は、耕作者の地位の安定と食料生産のために農地の権利移動を制限してきた。別段の面積で市民の農業参加が可能になっているなら、下限面積を廃止する必要があるのか。

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農業委員はどう見る?

 本誌と同時発売の『季刊地域』2023年春号(53号)では、「下限面積廃止でどうなる? 小さい農業の増やし方」を特集した。この中には各地の農業委員・農地利用最適化推進委員を務める農家の声が寄せられている。

「当委員会では、今回の基盤法等の改正に先立ち、農地部会で1年検討した末、22年4月に下限面積を1aまで引き下げました。『畑を借りて家庭菜園をしたい人はたくさんいるのに、50a要件があって借りたくても借りられない。集落周辺の畑が荒れてセイタカアワダチソウの森になる前になんとかならないか』。農業者からこんなご意見が農業委員に投げかけられたことがきっかけです」

 これは新潟県阿賀野あがの市の農業委員・笠原尚美さんからの寄稿だ。阿賀野市は新潟平野の一角を占める水田地帯。リタイアする稲作農家が出れば田んぼの借り手は見つかるのだが、集落内にある小さい畑や中山間地の畑の借り手がいないことが悩みのタネだったそうだ。だが、新潟市に隣接していることもあり、集落内外の非農家に野菜づくりをやってみたいという人が増えている。実際、1年前の下限面積引き下げ以来、農業委員会では1〜2aの農地の売買や賃借を数件許可してきた。

 笠原さんは「私は、遊休農地対策を含めた地域農業の維持や集落の維持については、すでに農業者だけでは限界に近いのではないかと考えます」としたうえで、下限面積廃止を「面積の大小にかかわらず地域の農地を守る仲間が増えたと言えるでしょう」ととらえている。

 ただし、小面積の借地や売買が増えることで、違法転用や相続後の新たな遊休農地化等の不安要素も多くあるという。今回の『季刊地域』特集の編集過程では、他の農業委員の農家、市町村の農業委員会事務局職員からも同様の心配が寄せられた。

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小さい農業も「地域計画」に位置づける

 では、下限面積廃止を国会に提案した農水省はどう考えているのだろうか。同省経営局の農地政策課に聞くと、最初に挙げたのは、この20年余りで農業従事者が半減し、「担い手」と呼ばれる認定農業者だけで地域の農業を維持するのが難しくなっているという認識だ。かつての農地改革では176万戸の地主の農地を強制買収し475万戸もの自作農が生まれたが、現在、一定規模の農業経営を行なう販売農家は97万5000戸と100万戸を切っている。「担い手」と呼ばれる認定農業者数は約23万しかいない。

 農地法は、先に挙げた09年の改正で、農地の「所有」より「利用」を基本とする制度に大きく転換した。別段の面積として地域事情に応じた下限面積の引き下げを可能にしたのも利用促進が背景にある。現状のままでは耕作者が足りず、農地の「効率的な利用」が危うい。そこで下限面積を廃止し、小さい面積で農業を始めたい人も農家の仲間に加えようというのである。一方で農水省は、23年度までに農地の8割を担い手に集積する目標を掲げてきたが、ここに至って担い手だけでは農地も農業も守れないと認識を改めているのは確かなようだ。

 また、小面積の農地取得が「別段の面積」で実現しているにもかかわらず下限面積を廃止する理由については地域計画との関係を挙げた。今回の法改正では、これから農業をやりたいという意欲のある人を「農業を担う者」として地域計画に位置づける、としている。「農業を担う者」には、経営の大小を問わず、小規模の家族農業や半農半Xなども含むそうだ。それなのに「50a未満はダメ」という下限面積要件を農地法に残しておくことは合わない、という政策判断だという。

 下限面積だけ廃止するのであれば、取得した農地の不正利用を懸念するのもわかるが、「下限面積廃止は地域計画とセット。地域計画に支障が出る農地の売買・賃貸借は認められない」という。地域の農家をはじめ、農業委員会、市町村、JAなど農業関係者の総意に基づく地域計画をつくることが、不正な農地利用を防ぐ指針として機能することを期待しているようだ。

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人・農地プランから「1人1坪農園」事業へ

 地域計画は、市町村がこの4月から作成に取りかかり、24年度中に策定するもの。具体的な中身を詰めるのはこれからだろうが、名称変更前の人・農地プランで長野県松川町が進めた取り組みが興味深い。松川町では三つの地域が先行して人・農地プランの策定を進めてきた。その過程で高齢化と担い手不足の状況があらわになり、地域ぐるみで農地のあり方を考える機会となったという。その結果、19年から、農地を持たない非農家に農地に興味を持ってもらうことを目的とした「1人1坪農園」推進事業が始まった。

 まず、町内のケーブルテレビで野菜栽培講座を放送。主に子育て世代に向けて、農薬や化学肥料を使わない栽培法を紹介する内容だ。これにより、以前から町農業委員会が設けていた市民農園の区画が満杯になり、さらに増設することになった。これに刺激を受けた農家や新規就農者が、遊休農地を利用して有機学校給食に取り組むようになった。町内の増野地区では共同菜園も始まった。住民約35人が会員となり、ジャガイモやニンジンなどを植え、それを給食にも提供する。一緒に作業することが楽しく、気軽に言葉を交わす機会も生まれ、収穫後はカレーパーティーも開催して、住民同士の親睦を深めたという。

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町場でも農村でも農業を学ぶ場が人気

 一緒に作業といえば、『季刊地域』の特集では神戸市北区で活況を呈している「マイクロファーマーズスクール」や長野県安曇野あづみの市の「烏川からすがわ体験農場」の事例も取り上げている。

 前者は、地域の小さい農家が講師を務める、月2回・日曜開催の有機農業の学校で、20年秋に開校した。専業農家になりたい人ではなく、「農業と農業以外の仕事の両立を目指す人向け」をうたっているのが特徴だ。受講生はウネ5本ずつが割り当てられ、講師のアドバイスを受けながら野菜づくりを学ぶ。農産物の販売や農産加工の講座もある。勤めを続けながら週末に学べることがポイントで、受講生は「半農半X」のような副業的な農業を取り入れた暮らしをしたくて通って来るそうだ。受講料は年間18万円と安くはないが、16人の定員を上回る応募が続いている。

 マイクロファーマーズスクールが若者中心の学校とすれば、烏川体験農場の会員40人は60〜70代が多い。かつては農協主催の若妻大学として始まったが、10年ほど前から男女を問わず年輩の人たちが農業を学ぶ場になった。専業農家の女性(71歳)を中心に、農家と土地持ち非農家、まったくの非農家が一緒になって年間を通じて野菜づくりを体験する。作業中は笑い声があちこちで上がりじつに楽しそうだ。ここで学んだことがきっかけで、自宅のそばに借りていた畑を拡大する人も出てきた。

 烏川体験農場に注目してきた信州大学の小林みずき先生によると、農業に関心を寄せる人は移住者や町の人たちだけではない。農村で暮らす人の中にも、もっと農的な暮らしをしたい、農業に関わりたいと考えている住民がけっこういるそうだ。

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新しい仲間を迎える「農地改革」

 ここで紹介したような小さい農業を増やす取り組みは、いま各地で始まっている。『季刊地域』春号には他の地域の動きもまとめているので、ぜひお読みいただきたい。

 これらはおそらく、市町村が「別段の面積」として下限面積を引き下げてきたことと並行して広がっている。一念発起して退路を断ち、新規就農を目指すのとは違う、暮らしに農業を取り入れることを学ぶ場だ。農業かサラリーマンかの二者択一ではない生き方は何も珍しいことではない。減ってはきたものの、今も農村には当たり前にある。

 農水省が言うように半農半Xも含めて地域計画に位置づけることは、口で言うほど簡単ではないだろう。今年度中に国会提案されるという食料・農業・農村基本法の見直しに、小さい農業を含む「多様な担い手」が果たしてちゃんと位置づけられるのかも気になるところだ。これまで農家の数を絞るような政策をさんざん続けてきた農水省が、耕す人が足りないからこれからは大小を問わず……とは、ずいぶんと虫がいい話にも聞こえる。だが、使い切れない農地が広がる一方で、農業に関心を寄せる人が増えているなら、本誌読者の農家のみなさんは両方を結びつけたいと思うのではないだろうか。

 戦後の農地改革は、小作人・自作農・地主それぞれから選ばれた代表が改革の先頭に立ったからこそ、互いの利害が反するのを乗り越えて短期間で成し遂げられたと聞く。「同じ村で耕作し、生産と生活を共にしている当事者」どうしだからこそできたというのだ。そして、自らの農地を手にした小作人がやりがいと生きがいの場を得たことが、「むらの活気」をつくりだしたという(『季刊地域』19年冬36号p86)。

 下限面積廃止のうえに進められる地域計画を、地域の側がいわば第二の農地改革として活かすことができないだろうか。農村で暮らす人たちがふたたび当事者としてこれを成し遂げ、新しい仲間を迎えることが、むらに新たな活気を生み出しそうな気がする。

(農文協論説委員会)

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