主張

人生100年時代の希望は、農家農村とともにあり

 目次
◆定年を迎え、人生100年時代の社会が気になる
◆むらから定年帰農がいなくなった?問題
◆「定年帰農世代」の頑張りが若者を呼び込む
◆新しい兼業農家を創出しよう JA・行政も全力応援!
◆「爺さんになった婆さん」の話

定年を迎え、人生100年時代の社会が気になる

 人生100年時代といわれ久しい。だが多くの論調は、超高齢化社会における介護問題や、すすむ少子化のなかでの将来不安・老後資金問題などなど、決して明るいとはいいがたく、長生きするリスクのほうが強調されている。自らも定年退職の時を迎え、将来について真剣に考えざるを得ない立場になって思うに、これではなかなか希望の道筋は見えてこない。

 100年といえばわが『現代農業』も、2022年に創刊100年を迎えた。正確には大正デモクラシーのなかで農村青年の活動交流誌であった『清明心』と、窮乏化する農村の改善を訴える農政雑誌『農政研究』の2誌が誕生したのが100年前の1922年。その2誌が合併したものが、いずれ『現代農業』となったわけだ。

『現代農業』は一貫して、日々を賢明に生きる農家農村の希望に光を当ててきた。その姿勢にブレはない。「人生80年」といわれた90年代には、「60歳からの生涯現役」の新しいライフサイクルを提案。97年4月号掲載の主張「ライフサイクル革命がはじまった」では、農業就業人口曲線の分析から、昭和ひとけた生まれが65歳になっても引退せず、逆に新たに60歳以上の新規就農者を3割も増やしていること、それが定年退職者の就農であることを発見!した。そして98年には、増刊現代農業『定年帰農 6万人の人生二毛作』で、全国各地の巨大な帰農者の波の実像をレポートし、人生80年時代の農村をリードする新しいライフサイクルとライフスタイルのうねりを発信した。

 それから四半世紀、農村はどうなったか。今や「人生は100年の時代」といわれるまでになった。しかし販売農家数でみると90年293万戸から2020年103万戸とほぼ三分の一。加速度的にすすむ高齢化と農家の減少、さらに使い切れない農地の増加など、普通に考えれば「希望の光」は探すほうが難しい。どうする?どうなる?と自問してみる。あえて希望を見通すヒントを探すとすれば、どこにあるのか。

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むらから定年帰農がいなくなった?問題

 自分自身はこれまで37年間、農文協で普及職(営業職)を続けてきた立場である。『現代農業』の読者獲得は、書店販売よりも、農家を直接訪問し契約をとる「直販営業」スタイルが中心だ。最近、その現場を回る若い営業マンから悲鳴が聞こえるようになった。10年ほど前まではどのむらにも必ず一定数いた「定年農家」が見つからない!というのだ。地元役場・JA・郵便局のいわゆる三大職場や企業勤めの兼業農家はもちろん、定年を機に都市からふるさとへUターンする層も、なかなか探せない状況になってきているのだ。

 最大の要因はこの間の雇用環境の変化にある。2013年、高齢者雇用安定法で65歳までの雇用確保の義務づけ。さらに21年の改定では、70歳までの定年引き上げ、もしくは継続雇用が努力義務となった。今後は、希望すれば終身的に企業の雇用形態のなかで働くことも可能になりそうな流れだ。併せて、現状65歳からの老齢年金も、今後はさらに支給年齢が引き上げられるだろうことも間違いない。

 こんな「定年消滅時代」の到来は、「定年帰農」を心待ちにするむらにとっては、とんだ逆風である。

 むらを回ると、役職の引き受け手がいないという悲鳴も聞こえる。これまでは、定年退職しそうな兼業農家を現役の役職農家がチェック、「そろそろお願いしますね」と声掛けをする。本人も「これまで勤めで何もできず、お世話になっていたから」と快く引き受ける、そんな循環ができていた。ところがこれが崩れてきた。後継者を見つけられず一部の人に役職が集中するいわゆる「役害」が一層すすむ。いや役職そのものの存続が危うい深刻な事態だ。この逆風は、今後やむことはないだろう。むしろ強風となって吹き続けることは間違いない。どうするか。

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「定年帰農世代」の頑張りが若者を呼び込む

 地域の重要な部分を担ってきた「定年帰農世代」も当然年齢を重ねることになるが、後継者のいない逆風に押されながらも、必死に知恵を絞り、汗をかきながら反転攻勢の機会をうかがっている。ネバーギブアップだ! その奮闘ぶりを見てみよう。


▼「年金+α」のはずの枝物が、若者が稼げるモデルに

『現代農業』では、「耕作放棄地を解消! 枝物の新興産地 グングン成長中」(2013年4月号)として、JA常陸・奥久慈枝物部会(掲載時は、JA茨城みどり枝物部会)の実践を紹介した。耕作放棄地対策のユニークな取り組みとして反響も大きかった。

 部会長の石川幸太郎さん(74歳)は、JA茨城県中央会を56歳で早期退職し就農。「長年農家の人に食わせてもらってきたから、早く退職して地域に恩返ししたかったんです」とのこと。JA常陸のある県北地区は茨城県下でも山深い中山間地。収益性の高い作物がなく、耕作放棄地の割合が最も高いところだった。そんななか石川さんが目を付けたのが枝物。草刈りや月1回の防除くらいでいいので、管理がラク。野菜と違って収穫期間が長く、おまけに軽い。兼業でも1haはこなせて高齢者や勤め人にピッタリだ。

 最初は「畑に木を植えるなんて先祖やじいさんに申し訳ねえべ。それに売れんのか?」と戸惑う人も多かったが、「年金だけでは孫に小遣いもやれないでしょ」と「年金+αで豊かな暮らし」を提案。根気よく声をかけ続けて、定年退職3〜5年前からの植え付けをすすめた。2005年に9人で発足した部会は、13年(取材当時)には部会員55人、栽培面積20ha、売り上げ2500万円の産地に成長した。

 それから10年。今では面積70ha、花桃を中心に、サクラ、ヤナギ、ユーカリ、ドウダンツツジほか250種類以上を生産し、売り上げは2億円を突破するまでになった。定年退職者の部会だったはずが、最近は若手の部会員も急増。132人のうち20〜40代が約20人いて、半数程度は枝物専業農家を目指しており本気度も高く、地区外からの移住も増えている。青年部もできて、若者の視点から枝物の需要動向や品目検討、技術研究に取り組んでいる。

「年金+α」で始まった取り組みは、「専業で稼げるモデル」として若い担い手の心をがっちりとつかんでいる(『農業技術大系 花卉編25号』『最新農業技術 花卉vol.15』)。


▼廃JA支所でみんなの居酒屋 楽しい地域には移住者続々

 長野県飯田市龍江たつえ地区に土曜の夜だけオープンする居酒屋がある。その名は「よりあい処ほたる」。2005年、廃止になったJA支所を買い取って直売所としてスタート。交流にはお酒が一番!と、15年に念願だった居酒屋を開くこととなった(『季刊地域』2529号)。

 店の仕切りもユニークだ。運営母体となるNPO法人七和の会メンバー15人が順番で店長となり、メニューから仕入れ・調理・接客まで一切をマネージメントする。売れ残りは自己責任の持ち帰りとなるので真剣勝負。飲みだけでなく、住民による落語やギター演奏などレベルの高いイベントも魅力になり、毎回にぎやかに営業されている。

 NPO立ち上げからかかわるのが、元JA南信州職員・熊谷秀男さん(73歳)。56歳でJAを退職して以来、地元龍江地区を盛り上げる活動を仕掛けてきた。「ほたるの舞う里」として知られてきた龍江地区だが、23年からはコロナの一時休業を経て次の展開へ踏み出す。廃校を活用した里山体験観光事業だ。人気なのが一日1組限定の校庭キャンプ。学校を独り占め!にできるレア体験がうけ、「知られたくないのでインスタには一切載せません」とお客さんに言わしめるほど。居酒屋ほたるの施設(旧JA支所)はその事業の拠点となるため、ぼっとん便所を水洗トイレに改修すべくクラウドファンディングにも取り組んだ。返礼品には特産品だけでなく、居酒屋ほたる飲食券やキャンプ場利用券も用意。反響は上々で、県の補助金と合わせトイレの水洗化も無事完成した。「クラウドファンディングの反響の大きさも嬉しいが、なによりも自分たちの姿を知ってもらえたのが嬉しい。『頑張ってるね』といわれるとやる気でるよね」と熊谷さん。ここ数年で、龍江地区には20代30代の移住希望が急激に増えてきたという。


 この二つの実践に共通しているのは、「定年帰農世代」のさらなる頑張りで、20代30代の若者が引き寄せられる「サイフォン効果」が起きていることだ。定年帰農世代が稼げるモデルをつくり、むらの魅力を絶えず発信することで、一本の太いパイプができ、若者が迷うことなく引き上げられていく。これからは、こんなサイフォンの原理を作り出す取り組みの創造が必要なのだろう。

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新しい兼業農家を創出しよう JA・行政も全力応援!

 農業を続けたい、田畑を荒らしたくない、集落の様々な活動を守りたい……。そんな思いの農家・地域を支援するJA・行政の動きも多様に展開されている。注目されているのは、むらに人を呼び込む新しい兼業創出の取り組みだ。


▼「1日農業バイト」のスマホアプリで果樹農家の人手不足解消

 果樹は細かな作業の組み合わせが多く、受粉や摘果など忙しい時期が集中する。家族労働ではなかなか対応できず、雇用などの手伝いを頼むことになるが、これも高齢化や周年雇用できないことで人集めが大変だ。そこで注目されているのが、SNSを活用して地域住民に広く募集をかける「1日農業バイトアプリ」。子供を保育園にあずけている若い女性や、親の介護で「フルタイムは無理だが日中ならば大丈夫」などという、いわば「すきま時間」を持つ住民にアプローチするしくみだ。長野県内JAでは20年ごろから普及しはじめ、多くのJAが取り組んでいる。

 小布施町の島田智仁さん(58歳)は、地域でいち早くこのしくみを取り入れた果樹農家だ(現代農業22年4月号p292)。JAながの営農技術員だったが54歳で退職し、父親から経営を引き継いだ。3.2haの果樹(ブドウ・モモ・プルーン)と花卉を夫婦・両親と4人の従業員で経営していたが、父親のケガもあり、労働力不足をなんとかできればと導入した。当初は見ず知らずの人を雇うことへの不安や、そもそも人が集まるのかという気持ちもあったが、募集をかけてみると驚くほどの応募者があった。仕事をほかに持つ人が多く、主婦や学生もいた。5〜6月の間、1日3人ほどでのべ100人以上が来てくれた。時たま作業前日にドタキャンされたり連絡が取れなくなったりするトラブルもあったが、多くは意欲的でリピーターも多く、労働力を安定確保できて、家族の心身の負担も減ったそうだ。

 嬉しかったのは、バイト後にも付き合いが続くこと。リンゴやブドウを買いに来てくれたり、老後農業ができないか相談されたりすることもあるという。

 JAながのでは、農家のワザをよりわかりやすく伝えるために作業動画を製作する予定だ。作業を見える化・細分化することでハードルを下げ、より多くの住民の参加を呼び掛けたい考えだ。JA長野中央会のとりまとめでは、22年の利用農家は175件。マッチング成立が9191人で80%と高く、応募倍率は100%を超えている。2回以上利用のリピーター率60%で、多い人は100回以上!(ほとんど常勤?)

 興味深いのは若者の多さで、40代までで6割を占める。正職員・派遣社員・契約社員と、立場は様々だが、副業・兼業として応募していることが読み取れる。アンケートでは、「今後、継続的に農業に従事したい(就農・社員・パートなど)ですか?」という問いに、16.5%が肯定的に答えており、「1日農業バイト」が潜在的農家の発掘につながっていることがうかがえる。


▼県職員が副業で農作業支援

 副業でいえば、長野県は22年から、職員の副業としての農作業支援を可能とする制度をスタートさせた。18 年開始の「地域に飛び出せ!社会貢献職員応援制度」をバージョンアップしたもので、都道府県レベルとしては初めての取り組みだ。

 農家と一緒に働くことで、農業の面白さ、奥深さに目覚める人が増える。これも新たな世代継承の動きといえる。

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「爺さんになった婆さん」の話

 さて100年である。いわゆる「人生100年時代」とは、2007年生まれ(今年16歳)の2人に1人が100歳を超えて生きる時代、ということらしい。2017年、安倍政権が肝いりで立ち上げた「人生100年時代構想会議」は成長戦略の中に組み込まれ、ほとんど成果もないままわずか4年で廃止された。100年を生きるわれわれの暮らしを、時の政権のたくらまれた政策に任せることはできない。

 では農家にとって100年を生きることとはどういうことか。

 4月号の「読者のへや」に、石川県の池内玲子さんから「83歳、まだあと20年」という投稿をいただいた。池内さんは「目指せ反収100万円 マコモ栽培奮闘記」(現代農業03年4月号p230)や、「作って食べて健康菜園」(現代農業06年4月号〜、9回連載)などで健筆をふるっていただいた著者でもある。お手紙の中で池内さんはこう語っている。

「今まで自分を老人などとは思ってもみなかったのに、気が付けば83歳。しかし、お悔やみ欄に、なんと100歳の多いことか。すると、まだこれから20年も……本当のところは嬉しくもない。

 老いると、爺さんは爺さんなんだけど、婆さんは爺さんになってしまうのは、ホルモンのせいか? 無意識に鏡を見たとき、実家の父か?と、自分の顔にビックリ。

 しかし野菜づくりは楽しい。最高の毎日。ありがたきことこの上なし。」

 農家は先祖代々の時間の蓄積のうえに暮らしている。その蓄積と、いつも行ったり来たり交信しながら今日を生きている。昨日のように今日があり、今日のように明日がある。そんな「無事な世界」を願い暮らしていくことが100年を生きる農家の希望ではないか。その希望を多様な地域住民のサポートで支えていく。支えるだけでなく自らも農家になっていっしょに暮らしていく。そんなライフスタイル革命が同時並行ですすんでいく社会を夢想したい。

(農文協論説委員会)

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