主張

『みんなの有機農業技術大事典』で垣根を越えて

 目次
◆有機農業をブームに終わらせない
◆1冊では収まりきらなかった
◆最大の特徴は農家の技術
◆研究者の執念が読み取れる記事
◆みんなの、みんなによる、みんなのための

有機農業をブームに終わらせない

 来たる3月10日、『みんなの有機農業技術大事典』がいよいよ発刊となります。天敵を利用して害虫から作物を守る、米ヌカや納豆で微生物を殖やして病気を防ぐなど、農家や研究者が試行錯誤して編み出した農薬や化学肥料を減らす技術の数々。本書はその集大成です。

 企画を立て始めたのは2年前。きっかけは、農水省が2021年に発表した「みどりの食料システム戦略」(みどり戦略)です。

 2050年までの目標として「農林水産業のCO2ゼロエミッション化」(温室効果ガス排出実質ゼロ)や「化学農薬の使用量(リスク換算)を50%低減」「化学肥料の使用量を30%低減」、そして「有機農業の取組面積の割合を25%(100万ha)に拡大」すると掲げました。

 当時、全耕地面積に占める有機農業の割合は0・5%。20年前からほぼ変わらない低水準です。それをこれから30年で25%まで引き上げるなんて、とても可能とは思えません。どうせアメリカやEUの後追い政策だろうと考えました。その前年に、アメリカが「農業イノベーションアジェンダ」(50年までに環境負荷を50%削減)、EUが「Farm to Fork 戦略」(有機農業の農地比率を30年までに25%に引き上げ)を発表していたからです。

 ところが、農水省は本気だったようです。翌年には「みどりの食料システム法」を施行。「みどり認定」制度を設けて税制や補助金で優遇措置を受けられるようにしたり、「クロスコンプライアンス」(現代農業24年11月号)や「みえるらべる」を導入したり、あの手この手で有機農業を後押しし始めました。

 おかげで今、有機農業はブームです。地域ぐるみで有機農業の拡大を実践する「オーガニックビレッジ」は45道府県129市町村まで拡大(24年8月)。有機農業の面積割合も0・7%まで増加し(22年度末)、有機農家がテレビや新聞に登場する機会も増えた気がします。

 一方、地球温暖化による異常気象は毎年当たり前のようになり、世界的な情勢不安で化学肥料の価格は高止まり。昔は身近だった赤トンボやゲンゴロウは減りつつありますが、農薬に抵抗性を持つ害虫や病気は増えています。

 有機農業ブームは過去にもありましたが、今度ばかりはブームだけで終わらせるわけにいきません。減農薬や減化学肥料の工夫は今後、すべての農家にとって必須となるはず。みどり戦略の尻馬に乗ったといわれてもかまわない。有機農業の技術をまとめるなら、今しかないと腹をくくりました。

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1冊では収まりきらなかった

 やるとなれば、全力でやる。農文協の編集部が総出で声をかけた執筆陣は、いずれも第一線の研究者や指導者、農家ら約300人。集まった記事は450本。1冊ではとうてい収まりきらず、「共通技術編」と「作物別編」の2巻構成で計2200ページを超える、文字通りの大事典となりました。

「共通技術編」では、有機農業の概念や歴史、制度の仕組みや世界での広がり、地球温暖化防止や生物多様性維持に果たす役割のほか、緑肥や天敵利用、不耕起など作目横断の栽培技術を、農家事例を交えて紹介します。

「作物別編」では、水田や畑作物、野菜や花、果樹や茶、畜産の技術を品目ごとに網羅。それぞれ第一人者の農家に経営事例を執筆してもらい、品目別のつくりこなし方、雑草や病害虫対策など課題克服の工夫も読めます(目次や執筆者一覧は、農文協のホームページより『みんなの有機農業技術大事典』特設サイトをご覧ください)。

 巻末に設けた「索引」に掲載された用語(キーワード)は約2000ワード。有機農業について知りたいことがあれば、およそ調べられる。多くの著者の協力によって、そういえる事典になったと自負しています。

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最大の特徴は農家の技術

 そして、本書の最大の特徴は、取材対象者を含めると150人も登場する農家です。世の中に大事典と名のつく本は数あれど、農家がこれほど活躍する事典はないでしょう。農文協にだって、かつてありません。

 じつをいえば、これは想定外でした。当初は、これまでの大事典類のように、研究者の執筆を中心にまとめようと考えていたのです。しかし集まった記事だけでは、現場の有機農業の技術のすべてを表現しきれませんでした。

 考えてみれば、国の研究機関である農研機構が、有機農業の研究に本腰を入れたのは2006年制定の「有機農業推進法」以降。それも稲作が中心で、野菜や果樹は近年ようやく活発に研究されるようになってきました。つまり、農家のほうが圧倒的に先を行くのが有機農業の技術です。農家抜きに、有機農業の事典は作れなかったわけです。

 たとえば「共通技術編」の第4部「農家の有機資材」では、モミガラやくん炭、米ヌカや落ち葉、光合成細菌など、農家の身近にある有機資材の特徴や、その使いこなし方が載っています。光合成細菌を米ヌカだけで大量培養する、落ち葉を効率よくラクに集めるのに自走式のロールベーラーを使うなど、さすが農家というアイデアがたくさん登場します。第5部「無農薬・減農薬の技術」も同じ。納豆防除や石灰防除、酢除草などはいずれも、農家が生み出した防除技術です。農家の技術を中心に構成を考え直したことで、事典は一気に躍動感を増しました。

「作物別編」では、稲作や野菜、果樹や茶、畜産のそれぞれ名人たちが、品目別の技術や経営のカンドコロを明かしてくれました。有機農家の経営事例だけで、合計30本以上。栽培のノウハウだけでなく、その哲学や背景まで読み込めるのがポイントです。

 いずれも、農家とともに100年歩んできた本誌『現代農業』があったからこそできた記事ばかりです。

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研究者の執念が読み取れる記事

 農家の取り組みを支えるのが、国や県などの研究です。たとえば果樹のハダニ防除。ナシ農家の記事に、次のようなセリフがあります。

「うちにはテントウムシがケタ違いにいるんだよ。黒いのや黄色いのや、ちっちゃいのもいる」「なにがなにを食っているか調べてないけど、ハダニも食っているんだろう」

 ページを遡り、果樹の「天敵を利用した防除技術」コーナー冒頭の記事をめくると、そのテントウムシが「ダニヒメテントウ類」であることがわかります。果樹の天敵利用は今、農家と研究者の二人三脚によって、世界に先駆けて広がってきました。

 愛知県新城市・松澤政満さん(福津農園)に執筆してもらった記事には、「不耕起草生有機栽培」のメリットについて、研究者が調査したデータが出てきます。不耕起草生を長年続けた圃場は、一般的な圃場に比べ、土壌炭素の含有率や生物の多様性、そして農業所得(粗収益マイナス経費)が高いことを証明したデータです。松澤さんの圃場に通って調査した茨城大学・小松﨑将一さんには今回、改めて「不耕起栽培圃場の健全性と土壌生態系」というテーマで研究成果を発表してもらいました。

 小松﨑さんは、大学の圃場で長期にわたって不耕起やカバークロップ、輪作栽培について実験を続けています。これらは最近ようやく注目されるようになってきた技術ですが、小松﨑さんはその研究になんと20年以上を捧げてきました。松澤さんをはじめとする篤農家との出会いによって、不耕起草生栽培の可能性にいち早く気付き、研究人生を懸けてきたわけです。

 お茶の無農薬栽培については、埼玉県茶業研究所・小俣良介さんの記事も一読の価値があります。海外での有機茶人気が牽引し、お茶は今、有機栽培がもっとも盛り上がっている品目です。有機JASの認証を受けた緑茶生産量は8600t(2022年産)で、10年前の4倍以上。EUやイギリスに輸出されるお茶のうち、じつに8割近くが有機栽培されていて(23年度)、鹿児島県では今や茶園面積の49%がJAS認証を受けています。

 小俣さんはしかし、やはり有機茶ブームが訪れるはるか前から、茶園における減農薬栽培の研究を続けてきました。たとえば大敵のクワシロカイガラムシを米ヌカで防除する方法。県内の農家が試して効果がありそうだとみるや、適切な施用量やタイミング、殺虫作用のメカニズムなどを調べ上げ、技術の普及に尽力してきました。また、茶園にミント類やヘアリーベッチなどのバンカープランツを植え、集まってくる天敵によって、それぞれどんな害虫に対して抑制効果があるか調べたりもしています。

 小松﨑さんも小俣さんも、試験を始めた当初は変わり者の研究者と見られたかもしれません。しかし彼らの地道な試験の積み重ねが今こうして、農家の取り組みを後押ししているわけです。

 もちろんお二人だけではありません。研究者の意地や執念のようなものが読み取れる、そんな記事が多数あるのもこの事典の特徴といえそうです。

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みんなの、みんなによる、みんなのための

 本書は2巻セット(分売不可)で税込4万4000円。紙代などの高騰もあり、少し高価な本になりました。しかしおかげさまで、すでに多くの予約がきています。「うちは別に有機栽培じゃないけど」とか「減農薬だけど無農薬ではない」といった農家からの予約も多くあります。

 じつは、本書に登場する約150人の農家たちも、完全無農薬・無化学肥料という農家は半分もいません。残りの農家は農薬も化学肥料も使います。ただし、優れた技術を持ち、農薬や化学肥料を減らしたい、生きものや土と仲良くしたいという姿勢だけはみんな共通。いわゆる「気持ちは有機」という農家たちです。

 ここまで読んで、書名に、「みんなの」と少し変わった名前をつけた理由をご理解いただけましたでしょうか。農家も研究者も、完全有機農家もそうでない農家も、さまざまな垣根を越えて、みんなで作ったみんなのための事典です。創立85周年を迎える農文協の集大成として、これからの農業にとって必須の技術を網羅したつもりです。すべての農家に読んでほしい。そう、あなたもそのうちの一人です。

(農文協論説委員会)

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