主張

作物と対話する──観察から交歓へ

 目次
◆「観察」とは何か?
◆トマト名人たちは作物のどこを見ているのか?
◆トマト農家がトマトになってしまう!?
◆観察の先にある「交歓」
◆田んぼの生きものたちとの交歓
◆「自然と人間は一体である」という感覚

「観察」とは何か?

 作物をうまく栽培するうえで「観察」が大事だとよくいわれる。『現代農業』の記事づくりでも大切にしてきたテーマだ。しかし「観察」とひと口に言っても、簡単ではない。ただ単に作物をじっと見ていればいいかといえば、そうではないだろう。作物ごとに見方があるし、その見方は農家によっても違う。

 編集部が農家の畑にお邪魔して、話を聞きながら、実際に作物を一緒に見る機会がある。たとえばトマトのハウスに入ったとき、最初はどの株もほとんど同じに見えるのだが、農家に見方を教わったあとは不思議と違って見えてくる。「なるほど!」と、世界が変わる瞬間だ。

 毎日毎日、何年も見続けることによって、農家の作物を観る目は磨かれてきた。葉っぱの微妙な違いからでも作物の気持ちを汲み取る。観察力とは、日々深まる深遠なものだと思う。

 今回は、トマトづくりの名人といわれる人たちの観察眼をいくつか紹介したい。そして観察の先にある農家と作物の関係についても考えてみたい。

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トマト名人たちは作物のどこを見ているのか?

▼朝昼晩で姿を変える、だから決まった時間に見る

 青森県で夏秋トマトを長年栽培する桑田税さんは、生育期間中は決まって毎朝5時にハウスに入る。扉をあけて「おはよう」とトマトに声をかけながら、株の上のほうに目を凝らす。株を、上から上位葉(生長点)、中位葉、下位葉と三つに区分。「上位葉がトマトの顔」なので、まずはその「顔色」を見る。中位葉や下位葉より緑が薄く淡ければ、健康に育っている証拠。次に上位葉の形も見る。湾曲しているか、葉先が少しねじれているか。これでトマトがお腹をすかせているのか、喉が渇いているのかを見極める。そのうえで肥料や水やりを加減する(2007年9月号p11)。

 なぜ朝5時なのか。トマトの上位葉は朝・昼・晩で姿を変えるからだ。朝はほどよく湾曲し、昼はややバンザイしたように立ち、夕方から夜にかけては身を縮めるようにギュッと湾曲する。このような1日の変化があればあるほどトマトは健全に育っている証拠だという。時間を決めずに見ると姿を変えてしまうので、桑田さんは必ず朝5時と決め、そのときの「顔色」を見て健康状態をチェックする。

 これは作物との日々の対話。表情を読むことは安定生産のための技術であると同時に、農業の楽しみともいえる。

▼葉っぱの出方の法則を見つけた

「観察」といえば、千葉県で70年以上トマトをつくり続けた故・若梅健司さんのことも思い出す。若梅さんも基本的には上位葉を見るのだが、とくに意識するのが一番上から4~5枚目の葉っぱ。「トマトに何か異常があると、まずこの部分が変化します」とのことで、たとえば「葉先枯れ」が株全体に広がるとき、その数日前には4~5枚目の葉っぱの先が軽く萎れるという。展開したばかりの若い活動葉で、ここが一番敏感な葉っぱだからだ。メロンやキュウリでも同じ反応をするそうだ。

 また若梅さんは、トマトの葉っぱの出方に法則があることを見つけた。教科書には「90度ずつ、ずっとラセン状に回りながら次の葉が出る」と書かれているが、若梅さんがよく見ると、これは違った。たしかに90度ずつずれながら出葉していくのだが、最初は右回りで、次は左回り。それを繰り返してバランスをとっている。この法則に気づいたとき、若梅さんは「トマトは賢い」と思ったそうだ。植物は動物と違って、根を下ろした場所から移動することができない。自分のおかれた場所で常に自己調整しながらバランスを保っている。人間にはなかなかできないことで、トマトには頭が下がるという。この法則がわかったからといってすぐに儲けにつながるわけではないが、観察することが楽しくなると、若梅さんはいう。

 よく見て相手を知ろうとすると、作物の賢さや巧みさが見えてくる。対象物へのリスペクトが生まれ、謙虚な気持ちになっていく。観察を続けると、農家と作物の間には、そんな関係も生まれてくるのだ。

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トマト農家がトマトになってしまう!?

 もう一つ、印象的な話を紹介したい。

 佐賀県で小農の生涯を貫いた農民作家の故・山下惣一さんは、集落内の友人のことを書いている。友人はトマトの調子が悪いと、ご飯を食べなくなる。食べないのではなく食べられなくなってしまう。家の人が心配しても喉を通らない。それで、だんだんやせていくという。

「昼となく夜となくトマトのところに通いつめ、夜中でもじーっとトマトを見つめている。問題が解決するまでメシが食えないのだから仕方がない。やがて、トマトの機嫌がよくなると、自らの調子もよくなって元に戻る。こういう百姓なのだ。だから、当然、何をつくったってダントツだ。野菜をつくれば、市場から指名されて別扱い。人の2倍から3倍の値がついている。収支やコストは関係ない。ともかく、とことんいいものをつくる。それが、苦労でなく、楽しみというのだから、これはもうひたすら楽しい毎日。で、夜が明けるのが待ちどおしい。その結果として経済があとからくっついてくる」(1990年4月号p100)。

 この境地に至ると、もう「観察」という言葉では足りない。まるで農家がトマトになってしまったかのようだ。普通の百姓とそのダントツ農家の一番の違いはここだったと山下さんは述べている。一途に作物と向き合うと、農家と作物の間には、もう境目がなくなる。一体化するような感覚が生まれるということだろうか。

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観察の先にある「交歓」

 かつて農文協の編集部長も務めた故・原田津氏は、もともと日本の農家・農村を訪ねて歩くフリージャーナリストでもあった。

「北海道の酪農家は言う。『10頭だろうと100頭だろうと、それぞれの牛の気持ちにならなければ飼えるものではありません。どの1頭も“なくて七癖”ですからね』。山形県の稲作農家は言う。『稲田の色の濃淡を見て、その田のイネが肥料をほしがっているのか、もてあましているのかを判断する。それができてやっとイネづくりの入り口です』。滋賀県の林業家は言う。『スギの枝打ちをしていて、まれに下手な打ち方をして皮をはいでしまうと、スギが“痛い”と叫ぶのが聞こえます』。

 そんな馬鹿げた話があるか、と言ってしまえば、話はここで終わる。だが、私としては育てる人間とその対象物である牛やイネやスギとの間に往き来する、ある種の交歓があることに注目したい。それが育てるという行為の根源にある、変わることのない条理のように思われる」(『農村文化運動』1998年1月号p40)

「交歓」とは、互いにうちとけあって楽しむこと。作物や家畜と向き合い観察が深まると、心が響き合う瞬間がある。そのときに農業は生産だけでなく、関係を育む営みへと変わる。効率や収益を超えたところにある農業の根源的な面白さ、それが交歓なのだ。

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田んぼの生きものたちとの交歓

 つい最近の『現代農業』にも、交歓を思わせる記事があった。新潟県の鴫谷幸彦さんは、集落みんなで田んぼの生きもの調査をし、翌日はひとり、除草のために竹ぼうきを持って自分の田んぼに入った。そのとき、これまで見えていなかった田んぼの生きものたちの息吹に気づき、カミナリに打たれたように心境の変化があったという。

「水面にミズカマキリやゲンゴロウやコオイムシやトンボやオタマジャクシや、そのほかいろいろな生きものがたくさん見えた。(中略)今まで俺は何を見ていたんだろう。この田でイネをつくり始めて12年。毎年竹ぼうきを引っ張って歩きながら、見えていたのは草だけだった。(中略)虫がこんなにいるじゃないか。生きものがまわりをずっと取り囲んで、俺を見ててくれるじゃないか。生きものがうごめいて、にぎやかな田んぼ。ここでは俺だって一つの生きものに過ぎない。(中略)とりあえず頑張れよと、彼らが応援してくれている声が聞こえる」(25年11月号p246)

 無数の生きものたちが、自分を励ましてくれる存在に変わった。これも交歓といっていいだろう。

 農家が土と関わるときも同じだ。土中にいるミミズなどの小動物や微生物を意識するからこそ、土の変化を感じたとき、農家は嬉しくなる。交歓は作物との間だけではない。草花や昆虫、土壌生物、周囲の生態系を形づくる生きものたちの存在を感じるときにも生まれる。農業の醍醐味であり面白さがここにある。

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「自然と人間は一体である」という感覚

 原田津氏によると、日本の農家の感性は、主体(育てる側)と客体(育てられる側)の間に明確な区別がないところに特質がある。自然を対象化し、それを征服するという自然観ではなく、同一化する方向にベクトルが向いている。いわば「主客合一」の自然観であるという。主客合一とは、哲学者・西田幾多郎の深い概念だが、平たく言えば「自然と人間は一体である」という感覚で、山下惣一さんの友人の「トマトになってしまった農家」の話はわかりやすい例といえる。

 自然の下ではみな平等であり、自分も作物も同じ生きものであり、お互い懸命に生きている。そんな気持ちで相手を理解しようとするときに、「心が響き合う」「心が移り合う」といった感覚が生まれるのかもしれない。

 一方、今の農業は人手不足で規模拡大や効率化の波にさらされている。目の前の作物をじっくり観察する時間があまり取れないこともあるだろう。また、作物と対話することを当たり前としてきた古老やベテラン農家が次々に引退し、その豊かな世界を聞く機会が減っているのも事実だ。

 しかし、農の営みにおいて「作物と対話する」という姿勢こそが醍醐味であり、『現代農業』は、そうした世界を大切にする農家に学んできた雑誌である。農業を始めたばかりの人にも、これから始めたいと思っている人にも、これは絶対に伝え続けていきたい。

 さて、今年も春がやってきた。畑や田んぼで、ぜひ「交歓」の世界を楽しもう。

(農文協論説委員会)

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