主張

「食卓の向こう側」が見える社会へ 『キッチンからのぞく資本主義』を手がかりに

 目次
食べものをつくる人の姿が見えない
日本人が世界中のウナギを食べ尽くす
清涼飲料水やお菓子とGMトウモロコシとの深い関係
大量生産・大量消費は国内産野菜でも
消費者も苦しめるフードシステム
フードシステムを変える小さな実践

食べものをつくる人の姿が見えない

 本誌2025年10月号の「読者のへや」に、大分県の河合みちえさんからこんな便りが寄せられた。

「孫は、町のマンション暮らし。『ばあちゃんは貧乏なん?』と問うてきます。『なぜそう思う?』と問い返せば、『金持ちはお店でみんな買うけど、貧乏人は金がないからつくるんだって』。保育園から小学校に上がったばかりの孫にとって、同級生の言葉は神の声に聞こえるようです」

 いま都会に住んでいる多くの子どもたちにとって、食べものはお店やインターネットで買うものと決まっている。ではブドウやスイカを育ててくれるおばあちゃんはいったい何者? 河合さんのお孫さんの頭にふと疑問が浮かんだのだろう。

 それも無理はない。いまの世の中は、スーパーやコンビニに行けば季節を問わず世界中からきたさまざまな食材が並べられており、お金さえあれば何でも買うことができる。一方で、身の回りには食べものを育てたり収穫(収獲)したりする農家や漁家はめっきり少なくなった。同級生の言葉は、都市と農山漁村、食べものをつくる人と食べる人の距離が遠くなった今日の社会を象徴している。食べものはまずもって「商品」なのである。

 時代が変わったのだからそれも仕方がない、といいたいところだが、果たしてそこに不都合はないか。

 いやおおありなのである。

 このほど農文協から発刊された『キッチンからのぞく資本主義―食べものの15年』『同―社会の15年』を読むとそのことがよくわかる。この2冊の元は、本誌の姉妹誌・季刊『うかたま』の好評連載「食べるんだから知っときたい」。食にかかわる消費者の素朴な疑問に各分野の専門家がコンパクトに答えている。その15年分の連載から、いまにつながる30テーマを選りすぐり、最近の動きもフォローした。この本を手がかりに、食のいまを考えてみたい。

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日本人が世界中のウナギを食べ尽くす

 日本は世界有数の食料輸入大国である。最近は中国に買い負けているという話もあるが、カネにあかせて食べものを世界中から買いあさっている代表的な国であることに変わりはない。そのことが何を引き起こしているか。この本から少しだけ例を挙げてみよう(【 】内は執筆者)。

 2013年にニホンウナギは絶滅危惧種に認定された。いま日本で食べられているウナギのほとんどは養殖ウナギだ。養殖ウナギとは天然ウナギの稚魚であるシラスウナギを育てたものだが、シラスウナギそのものが激減している。その原因はずばり「獲りすぎ」である。

 かつてウナギは専門店で食べる贅沢品だったが、1980年代以降、コンビニのうなぎ弁当やスーパーのパック入り蒲焼きが出回り、回転寿司やファミリーレストランの定番メニューとなった。安く大量にウナギを供給するため、中国産養殖ウナギの輸入が急増。その多くはヨーロッパウナギの稚魚を中国で養殖したものだ。そのヨーロッパウナギが乱獲で激減、野生生物保護のためのワシントン条約で規制されると、米国などからアメリカウナギの稚魚が利用されるようになったがこれも激減、漁獲規制が厳しくなっている。日本人は世界で出回るウナギの7割を消費し、ウナギ資源を枯渇させている。【愛媛大学 野崎賢也さん】

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清涼飲料水やお菓子とGMトウモロコシとの深い関係

 日本はトウモロコシの世界最大の輸入国でもある。2008年の輸入量は1600万tにのぼり、米の消費量の約2倍にあたる。いまや日本の主食はトウモロコシといってもいい。輸入トウモロコシの最大の用途は畜産飼料で約7割だが、ついで多いのはコーンスターチ用で約2割。そのうち6割はコーンシロップという天然甘味料に姿を変え、コンビニに並ぶジュースやスポーツドリンク、菓子やアイスクリーム、パンなどの加工食品の原材料となっている。

 世界のトウモロコシ栽培は1970年代に急拡大したが、世界最大の生産国は米国で約4割を占める。その米国では、遺伝子組み換え(GM)トウモロコシの生産が急拡大し、2008年には生産量の8割を占めるようになった。現状、日本では甘味料にGMトウモロコシが使われていても表示義務はなく、企業は公表していない。しかし、輸入元の米国でGMトウモロコシの栽培割合が高まれば、各社使用せざるをえない。私たちは意図せず、GM食品を日々食べているのである。【宇都宮大学 松平尚也さん】

 このほかにも、果物のうち、日本で一世帯当たりの年間購入額がいちばん高いバナナは、食べやすい突然変異のタネなしバナナを株分け(栄養生殖)したものである。そのため遺伝子の多様性が生じにくく、「安くてきれいな」特定の品種を大量生産すると、病気で一斉にやられてしまうリスクを抱えてしまった。【長崎大学 佐藤靖明さん】

 また、チョコレートの原材料であるカカオの学名は「神様の食べもの」。本来はとても大切に食べるもののはずだが、これをアフリカやアジア、中南米といった「南の国」で大量に生産し、世界中でチョコレートとして大量に消費している。【NPO法人APLA 野川未央さん】

 ......などなど、この本には興味深い話が尽きない。そしてバナナやチョコレートが、子どもたちを含む「南の国」の人たちやその自然を搾取し、エネルギーを大量に消費しながら遠隔地に運ばれていることはよく知られているとおりである。

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大量生産・大量消費は国内産野菜でも

 ここまでみてきて、共通するキーワードとして、「大量生産」「大量消費」が挙げられる。いつでもどこでもおカネさえ出せば食べものが手に入るような仕組みをつくろうとすると、どうしても歪みが生まれてくる。ウナギやお菓子、バナナなら、食べるのをがまんすればいいようなものだが、この仕組みは嗜好品ばかりではないし、海外の話ばかりでもない。たとえば野菜もそうだ。

 1960年代半ば、野菜の高値が社会問題となり、指定産地という名の大規模産地が全国につくられた。指定産地では、それ以前からあった都市近郊の野菜産地のような多品目少量生産ではなく単一栽培が進められた。そこでは市場の要求する品揃えを満たす改良品種であるF1種が普及していく。ちょうどその頃、スーパーマーケットという業態が登場する。大量仕入れとセルフサービスによってコストを削減した安価販売が評判をよび、町の八百屋は駆逐されていく。一方、大規模化した産地では、地元の小規模な卸売市場よりも大消費地の市場にまとめて出荷したほうが高く買ってもらえるため、遠い地方からの野菜が都会に集まるようになった。その後、スーパーの特徴は安さに加えて「なんでもそろうこと」になり、季節や土地と関係なく野菜を買うことが当たり前になっていった。【東京科学大学 真田純子さん】

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消費者も苦しめるフードシステム

 それでは、いつでもどこでも安い食べものがほしいというワガママな消費者が元凶なのか。いや「いつでもどこでも安いものを」という食の仕組みで割を食っているのは消費者も同じなのである。そして、そのしわ寄せは経済的に苦しい消費者にいく。そのことを平賀緑さん(京都橘大学)はこう解説する。

「『食』は生命の糧。何より大切なモノだから最優先されると思われがちですが、収入が減ったとき、まず削減されるのは食費が多いとも聞きます。家賃や光熱費などは100円でも足りないと支払いが滞ってサービス停止されかねない。携帯電話も現代社会では仕事をするにも求職のためにも必要。そうすると、一番削りやすいのが食費となるわけです。幸か不幸か、安くて高カロリーな食品も多く出回っています。すぐ近くの店頭に、糖分や油や添加物がたくさん入った加工食品がかなり低価格で並んでいるでしょう。健康のためには避けたい食品群かもしれません。でも、たとえばワーキングプアの肉体労働者や、子どもがいるパート掛け持ちの親たちが、これらの食品を選んだとしてもそれは『自己責任』でしょうか?」

「南の国」の人たちを搾取してつくった食、あるいはコーンスターチでできた安価だが不健康な食品に頼らざるを得ないのも、弱い立場の消費者である。問題はこのように食べものをいつでもどこでも手に入る「商品」とすることで儲ける仕組み(フードシステム)そのものにある。

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フードシステムを変える小さな実践

 とはいえ、そのような巨大なフードシステムに対抗する道があるのだろうか。そのためのヒントもこの本は示している。

 前述の真田純子さんはメニューと食材の関係に着目し、「メニューの決め方を変える」ことを提案している。

「スーパーで野菜を選ぶときは、メニューを決めてから材料を買うことが多いですが、産直市(直売所)ではその日にある野菜を見て、それをどう食べるか考えます。メニューの大本を決めるのは自分ではなく、土地と野菜です」

 農家にとってみれば、しごく当たり前のことのようだが、消費者にとっては大変革である。このとき、消費者は少しだけ農家に近づく。「食べ手」となり、野菜は「商品」から「食べもの」に一歩近づくのである。

 もうひとり、新潟県上越市の山間地で稲作中心の農業を営む、鴫谷幸彦さんの言葉を紹介する。鴫谷さんは本書のなかで、一番大切なことは国家の食料自給率の前に一人ひとりの「自炊率」を上げることだという。

「自炊の機会を増やしてください。心と体が整うのはもちろん、食材に興味が出てきます。産地や旬、食品ロス、流通の問題、そしてやがて農家の想いにまで関心が生まれるはずです」

「読者のへや」にお便りをくれた冒頭の河合みちえさんも、きっと同じ想いだと思う。孫のために食べものをつくる人はもっとも豊かな人。そして、それを食べるお孫さんも。つくる人・買う人で二分化された社会でなく、米や野菜を買い、料理をするなかで、土地や季節や農家のこと、すなわち「食卓の向こう側」に思いを馳せる社会へ。そのことは、農家や地域の農業を守ることにもつながるはずである。

(農文協論説委員会)

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