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子どものドラマを引きだす「ものづくり」
真山 栄子(宮城・仙台市立八木山小学校)

糸車を回す琴美さん
綿にさわるとふわふわしていた。羊毛とくらべるとつるつるしていることや洗わなくても白いこと、油やにおいがなくて、せんいが短いことがわかった。おり物ができるまでのビデオ〈上総博物館制作〉を見て、綿を実からとって、つむげるじょうたいになるまで時間がかかることもわかりました。綿からおり物ができたのですごいなぁと思いました。家にも綿花を植えているので、私のでもやってみたいなぁと思いました。
綿糸つむぎをしてみて、私は初め(綿で糸ができるのかなぁ。)と思っていました。でも、やってみると羊毛とはちがって細くできました。
つむぐのを早く終わらせて作品を作りたいです。どんな作品ができるか楽しみです。あと、染めもするので楽しみです。
綿花を教室で栽培し、観察し、実物を手に取ることで、子どもたちは自分の感覚を働かせて綿の特徴を感じとることができたと思います。細やかな繊維が撚り集まって糸になることに関心が向いていき、次にビデオで、弓で綿打ちする昔ながらの工程で綿織物ができるまでを知ると、この事実に驚いていました。そして何より“おもしろさ”を直観し、これからの学習に好奇心をわかせたようでした。手作りのスピンドルと“よりこ”を準備させておいて一斉に糸つむぎをさせました。琴美さんの文から、糸が綿でできることは、子どもたちにとって容易に納得できるものでなく、「本当かなぁ」と半信半疑であり、自らこの課題を解くようにして、主体的に体験に入っていることがわかりました。自分で綿で糸ができたとき、そのことを納得し、綿に今までとちがった価値を見出せたのでしょう。これからの学習が楽しみだと心を躍らせています。
人間生活の基本的なものづくりは、それ自体が楽しいだけでなく、子どもの知的な認識の発達のためにも、優れた教材になるということがわかってきました。
以前の人間のくらしの中に存在していた「ものづくり」は、人間の知恵と技の歴史であり、これを伝えていたくらしは、子どもの成長に重要な役割を果たしていたと思われます。私は、昨年の「羊毛あらいからマフラーづくり」のような、ものづくりの原初的段階から、いくつかの段階があって、ものが完成するというような一連の学習が大切なのではないかと考えています。

今年は、昨年栽培し、種を採ることができた“綿”に取り組むことにしました。「綿繰り」「綿打ち」「よりこづくり」「糸つむぎ」「染め」「織り」の各段階があり、子どもたちは、知識を与えられるだけでなく、五感を働かせながらそれぞれの段階の技術を体験し、作品をつくるところまで、根気よく取り組まなければなりません。5月に種を植え、10月に実がはぜたので、実践に入りました。(綿実の足りない分は、千葉の渡辺さんよりいただきました。)
ここでは、子どもが書いた文章から実践を振り返り、子どもたちはどのように取り組み、どのように変わっていったのか見ていきたいと思います。
日記〉山口 祐太
今日(12月3日)マリーゴールドとどんぐりぞめをしました。
どんぐりをにていたら、お湯が茶色になっていました。くりをゆでているみたいでした。
マリーゴールドは、ミョウバンと鉄ばいせんした時では、色が黄色と緑色で、色がちがうのが不思ぎでした。
どんぐりは、鉄ばいせんしかやらなかったので、銅でやればどんな色になるのか知りたいと思いました。
非日常的な体験に子どもたちは緊張し、集中していました。染めには、学校の花壇に咲いたマリーゴールドと、みんなで裏山などから拾い集められるどんぐりを使うことにしました。
祐太君は、“媒染液”のちがいによる色の変化が不思議だと注目しています。昨年はミョウバンだけでしたから、染めに新しい問題を抱き、その知識を自ら求めているのでした。
さらに彼は、国語科の学習の中の「調べたこと」の単元――自分の興味関心のあることについて調べて発表し合う――では『ヤマコとカイコの糸』という題で発表をしていました。その中で「なぜ調べたかと言うと、羊毛や綿で糸をつむいでみて、他にどんな糸があるのか調べてみたかったから」と言い、ヤマコとカイコの糸の詳しい説明の後のまとめの文は、「どうやって絹糸ができるかわかったので他の糸も調べてみたい」でした。
心を打つ体験が出発点となって、知的好奇心が高まり、自ら学ぶ力となっていくことや、そういう学びは多面的な広がりを持つものだと思われました。

スピンドルをやったら、やめられないくらい楽しかった。」と感想を書いた祐太君
「あかね色の糸」 有路 琴美
今日、帰る時歩いていると、飛行機が飛んでいて、飛行機雲が出ていました。空は、もう日ぐれて、夕やけになっていました。だから、飛行機雲があかね色の糸に見えました。――後略――
友だちと互いにきれいだねとながめたことが書かれていました。茜染めをした糸も配りました。今まで見慣れてきた、身の回りにある糸とちがう、自然が染め出した美しい色に出会って、子どもたちの感性がゆさぶられたようです。
そしてまた、書くということは、客観的に自分を見ることになりますから、祐太君も琴美さんも、自分の心の動きを自分で確かめられたことと思います。この体験で高まった感性が文章表現を生み、また文章表現がその子の感性を高めていくということになると思われました。
〈作文〉 伊藤 立秋
ぼくは、糸つむぎはよかったんだけど、おり物はちゃんとできるかなぁと思っていました。失敗しないかなといろいろなことを考えながらおっていました。…………おりが終わって、はずしてみました。…………ぼくは、カード入れにしました。おり物ができてよかったです。あとの方にうまくできたし、うれしかったです。おり物ってすごいなぁと思いました。ぼくは、少したて糸をはりまちがえてしまったけど、たて糸を1本でもまちがえると、おり物1本分失敗するのが分かって、これからやる時には、たて糸はりもまちがえないようにしないとだめだなぁと思いました。
これからも、いろいろなおり物や、おり物でなくても、いろいろな物を作ってみたいと思いました。
昨年は、スピンドルを使えず、指で撚りをかけ、ペンに巻き取っていた彼が、今年は、クラスのみんなに“糸つむぎ名人”と呼ばれるまでになりました。
体験でひとつの技術を自分のものにした時、初めて彼は道具のよさを認識していました。そして、昨年の羊毛つむぎにもどって、自分の技術を試していました。織りの段階に入った彼は、試行錯誤しながら、自分の技術の問題に自分ひとりの力で根気強く取り組んでいました。後の方にうまくできたし、うれしかったというのは、彼の自力解決の喜びが表れています。そうして、知識と技術の差を味わって、初めて“織り物ってすごい”と言っているのだと思います。あるいは、体験が織り物をする昔の人を具体的にイメージさせ、それと自分を重ね合わせた時、人間の知恵と技に感嘆の声をあげているのかもしれません。体験には、教えることでは得られない“気づき”があります。「たて糸1本でもまちがうと失敗になる」の言葉には、「こうすれば、こうなる」という“学び”がはっきりと表れています。また、彼は自分の足りないことを謙虚に受け止めているし、次の織り物のイメージも描いているので、そのイメージに彼の行動は導かれ、彼はこれからも主体的立場で行動していくと思います。終わりの「おり物でなくとも、いろいろなものを作ってみたい」の言葉は、彼のひとつの可能性が拓かれたことの証だと思いました。

「こういう勉強ができて、この学校に転校してきて本当によかった」と感想を残した子がいます。教師と子どもたちで作った楽しい勉強でした。2年目の取り組みから「つくる」よろこびを味わいながら、自ら学ぶ子ども、学ぶ楽しさを知り、自分の可能性を伸ばしていこうとする子どもの姿が見えてきました。家庭からも、子どもの意欲を高め、創造性を育む取り組みに感謝しているなどの声が寄せられるようになりました。
たて糸も、自分でつむいだ糸で張りたいと、試みていた愛子ちゃん。糸を双子にすることを教えていないことを反省し、その意欲に答えていくように努力しなければならないと思いました。