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農文協増刊現代農業>団塊の帰農_編集後記

団塊の帰農 それぞれの人生二毛作

現代農業2003年11月増刊

【編集後記】

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 かつて大学闘争のさなかに、「自己否定」というスローガンがあった。それは、マスプロ教育によって大量生産される労働力としての自己を、あるいはエリート教育によって支配層の一角に昇りつめようとする自己を否定することであった。だが、それはいずれにしても一方で、自分らしく生きたいという「自己肯定」の欲求のあらわれではなかっただろうか。

 当時の学生運動やマルクス主義が、地球環境問題やエコロジーにとってかわったかのように見えるいま、「団塊ジュニア」の二十代や三十代の若者にも、「どうせ人間なんて地球のためにならないのだから、生きていたってしようがない」という「自己否定」に似た気分が漂っているような気がする。

 だが農工大の三井里美さんは卒論で、「私にとって環境問題は『深刻』で何とかしなければならない問題だった」が、水俣での学びの結果「自分につながる自然や人との関係を大切にするから自分も大切にする『地についた生き方』をしていきたい」と思うようになったと書き、パートナーとなる松本和也君に「水俣の"風流"を充分に満喫する暮らしを一緒につくっていきましょうね」と呼びかけている(四四頁)。

 一方、団塊の世代であるOMソーラーの小池一三さんは、「なるほど地球環境は深刻である。だからといって、顔をしかめたところで何も変わらない」が、「もったいない」精神を発揮して自然力を生かせば、それが「おもしろい」と実感されるようになる、と述べている(一一七頁)。

 里美さんの「風流」、小池さんの「おもしろい」という自己肯定の言葉は、藤本敏夫さんの「ポジションが分かればミッションが分かる」(『青年帰農』)や、内山節さんの「小さな世界でこそ自分の役割が見える」(本誌四四頁)と、大きくかかわる言葉だと思う。人間と人間の関係としての「自己否定」も、人間と自然の関係としての「自己否定」も、自分のミッション、役割が見える「小さな世界」では、「自己肯定」=自分らしく生きることに転じることのできる欲求ではないだろうか。(甲斐良治)

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