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農文協増刊現代農業>若者はなぜ、農山村に向かうのか_編集後記

若者はなぜ、農山村に向かうのか――戦後60年の再出発

現代農業2005年8月増刊

【編集後記】

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 農山村、とくに山村に向かう若者が増えていることに気づきはじめたのは今年になってからのことだった。年齢を聞けば圧倒的に32歳前後。これをひそかに「32歳ライン」などと称し、若者たちの後を追いかけてみた。すると当初想像していた以上の数の若者が、想像以上の「仕事」を農山村につくり出していた。その仕事とは、戦後60年、「ふるさと」を守り抜いた祖父母世代の知恵や技を、その消滅のスピードと競い合うかのように受け継ぎ、都市生活者や次世代の子どもらにも引き継いでいくこと。まるで農山村の文化総体の継承を仕事としていたのである。

 その「32歳ライン」の若者たちの両親の多くがいわゆる「団塊の世代」であり、彼らが「団塊ジュニア」と呼ばれていることや、また彼らが大学を卒業するころ雇用についての経済界の方針転換があり、雇用状況が最悪だったことを知ったのはずっと後になってからのことだった。「しばらくようすを見よう」と大学院に進学したり、他学部に転じたり、あるいは海外に留学した若者たちも多かったのではないか。しかし好転はしなかった。

 だが、大津耕太さん・吉田愛梨さんが「いい大学を出ても、希望通りの職に就けず、たとえ就職しても『終身雇用』などという概念は、はじめから私たちにはなかった」と書いているように、若者たちは状況への批判にエネルギーを割くのではなく、問題は「自分が何をしてどんなふうに生きていきたいのか」だと農山村へ向かった。そこにはそれを教えてくれる祖父母世代がいた。

 彼らが多感な時期を過ごした90年からの10年、国や自治体は「夢よもう一度」と、いたずらに景気刺激をくり返し、公共事業の拡大につぐ拡大で1000兆円にものぼる借金をつくった。結果は市町村合併。すなわち農山村からの行政の撤退。だが若者たちは農山村に向かった。そして「かみえちご山里ファン倶楽部」のように「自給に根ざした自治」の時代を拓こうとしている。しばらくは農山村に向かう若者たちに「ついて行く父親」ならぬ「ついて行く編集者」でいたい。(甲斐良治)

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