現代農業2000年8月増刊
『日本的ガーデニングのすすめ』 
 農のある庭

【編集後記から】

 「植林された防風林のその一〇年後の姿を見て、改めて、木の生長の早さに驚いたものです。そしてこのとき、一〇年先の木の生長は見えなくとも、振り返った一〇年の重さをしみじみと認識することができました。時間、歳月の貴重さ、人生の時の過し方の大切さを木から学びました。ただ木に囲まれて、木を眺めて暮したいという単純な思いから木を植え始めました。私が四〇歳のときに植えたニレは、八〇歳のとき四〇年生です。曾孫が二〇歳になったとき、ニレは六〇年生になります。そのとき曾孫は、私の孫である母親に聞くでしょう。『このニレの木は誰が植えたのか』と。母親はいうでしょう。『私のおじいちゃんが植えたのよ』。当然私はこの世にいませんが、ニレの木を通して、その場に再び生きることになるのです」

――そういう北海道中標津町の三友盛行さんは開拓初代。いっぽう、仙台市郊外で二百数十年続く「イグネ」に暮らす庄子喜豊さんは、 「それにしても木のある暮らしはいいね。春に桜、梅が咲いて、草花が色とりどりの花をつける。そろそろ田植えだな、と思う頃に竹林から筍が出て、初物は長生きするぞなんて食べてる間にアジサイが咲き、セミが鳴き、トンボが行きかう。秋は木の実が次々に落ちて、それを庭に干して、干し柿を軒に吊す頃はそろそろ冬支度。漬物を漬け終えて、あゝひと安心と思う頃に初雪が舞ってきて……。イグネの暮らしはお金がなくても結構ぜいたくが出来て、単純なようで変化もあって、やっぱり居心地がいいんだなあ」と言いながら、昭和四十二年にイグネの木で家を建て替えたあと、前よりもたくさんの木を植えた。

 きっと、三友さんの曾孫さん、そのまた曾孫さんもまた、「それにしても木のある暮らしはいいね」と言いながら、木のある暮らしを楽しみながら、木を植えることだろう。 「お金がなくてもぜいたくが出来て、単純なようで変化もあって」――農家に限らず、こんな「あたり前の暮らし」の豊かさに、多くの人が気づき、求めはじめている。


(現代農業増刊号編集部 甲斐)


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