現代農業2000年5月増刊
定年帰農パート2 100万人の人生二毛作

【編集後記から】


 いま、「過疎」に悩む各市町村の戦後の人口推移をグラフで見てみると、人口の減少は戦後一貫して続いたのではなく、ある時点で急激にすすんだことがわかる。その時点とは、昭和40(1960)年前後。人口グラフは、そこで一気に右下がりの急傾斜を描くが、それ以前と以降ではゆるやかに下がっているだけで、最近ではほとんど下げ止まっている。

 昭和40年前後といえば、22年から24年にかけて生れた、いわゆる「団塊の世代」の若者が、高校や大学への進学、あるいは就職などで村を離れた時期である。

 その「若者」たちが、後もう七年ほどで定年を迎え始める。 この1月30日には、首都圏で読まれている「東京新聞」が二面見開きの大特集「帰農時代到来の兆し」を掲載した。そのサブタイトルは「まもなく定年 土を目指す団塊の世代」である。その特集の中では、宮城県の浅野史郎知事が、昨年夏東京で開かれた農村自治体セミナーで「団塊の世代がまもなく定年になり帰農者がどっと出る。農村自治体はいまから受け皿をつくってほしい」と述べたことも紹介されていた。

 そう語る浅野知事も、団塊世代真っ只中の23年生まれ。この号に自ら提唱する「100万人の故郷回帰運動」についてご寄稿いただいた連合社会政策局長の高橋公(ひろし)氏は22年生まれ。お二方とも土とふるさとを目指す同世代の人びとの「気分」を肌で感じておられるにちがいない。

 大反響を呼んだ前回の『定年帰農 6万人の人生二毛作』にご登場いただいたのは、昭和一桁か、二桁でも早い時期のお生まれの方々だった。今回の「パート2」では、それらの方々に加え、すでに帰農された団塊世代の方々にも一部ご登場いただいた。戦前生まれか戦後生まれかを問わず、都会に疲れたからでも夢破れたからでもない「帰農」という新しい生き方が、日本社会の大きな流れになってきたことを感じる。

 「パート3」は、『団塊の帰農』として発行したい。

(現代農業増刊号編集部 甲斐)

 

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