『農村文化運動』 189号 2008年7月

場の教育 ─地域とむきあう教師たち─


[目次]

はじめに

第1章
地域とむきあい、私はこう変わった
――社会科・理科教員が語る

地域の歴史が教えられれば、日本史なんて必要ない
東京都三鷹市立三鷹第六中学校 福田恵一

子どもたちは400年前の農民になりきった!
――〈史実を教える〉から〈生き方を問う〉授業へ
神戸市立春日野小学校 板東克則

河口干潟の生き物たちは科学だけではとらえきれない
大分県津久見市立青江小学校 東徹哉

「理科」は科学を教える科目ではなかった!
――土着科学を包み込んだ21世紀の教育モデル
神戸大学大学院教授 小川正賢

教師用『自然の観察』
――昭和16年に文部省から発行された“地域に学ぶ理科の教科書”
神奈川県南足柄市立福沢小学校 一寸木肇

第2章
僻地にはじまる教育改革
――place-based education

世界各地の先住民による〈地域に根ざした教育〉がはじまった!
NPO法人ECOPLUS 高野孝子

泰阜村の山村留学はいかにして〈場の教育力〉を引きだしたのか
NPO法人グリーンウッド自然体験教育センター 辻英之

父母・祖父母とつくる社会科カリキュラム
元兵庫県日高町立府中小学校教諭 森垣修

第3章
教師と地域のかかわりを保障する学校経営

「地域に生きる子ども」を育てる授業とは
上越市立高志小学校 舘岡真一

工夫次第で、教師の意識は変わる!――高志小の研究体制
上越市立高志小学校 藤本千佳子

学校現場を覆う多忙・孤立・無力感とは無縁の職場環境
埼玉県狭山市立堀兼小学校 岩瀬直樹

高志小が教育課程の設計をやめた理由
元上越市立高志小学校 校長 長野克水

高志小の実践を〈場の教育論〉からとらえかえす
愛知大学教授 岩崎正弥


はじめに

 農文協が「たくらまない教育」の再生を『現代農業』の主張欄で世に問うたのは、一九八六年のことであった。教育の目的や方法、技術を問題にし、既定のコースどおりに目的が達成されたかどうかを問う教育(たくらむ教育)に対して、もともと「いえ」や「むら」の生活が内苞していた、その地に生きるための「たくらまない教育」。人間の成長には両者が必要であるが、とりわけ現代の社会は前者が肥大し「たくらみ」でがんじがらめである──。

 それから二〇余年。残念ながら、「たくらまない教育」の存在根拠である、家庭や地域の共同性は、ますます弱まったといわざるをえない。

 そんななか、本来「たくらむ教育」を志向するはずの学校教育が起点となって、「たくらまない教育」を再生させるような取組みが広まりつつある。「総合的な学習の時間」はその流れに位置づけられようが、これは日本だけでなく、世界的な動きとしてとらえることができる。「少数民族」や「先住民」と呼ばれる人びとの社会に、経済のグローバル化や、西欧型の教育が一気に導入され、さまざまな矛盾が引き起こされたことが一因である。彼らは一様にいう。「教育を受ければ受けるほど、故郷に戻れない人間になる」と。

 そこで、もう一度その土地固有の知恵を見直し、狩猟採集といった先住民たちの生業を、あらゆる教科のカリキュラムに組み込もうという試みがなされている。place-based education(場に基礎をおく教育、地域に根ざした教育)と呼ばれ、世界各地に広まりつつあるようだ。

 一方、日本においても、「たくらまない教育」と通底するような、まったく新しい学校のあり方が示されようとしている。すなわち、近代の教育で最重要とされてきた教育課程の設計をやめる。カリキュラムではなく、子どもたちの育つ「場」に教育の立脚点をおく学校である。そこでは、即興的によりよい教育を行なう教師の力が求められ、そのために、教師の創造性を最大限に発揮させるための学校経営がなされている。教師が子どもや地域の現実とむきあい、「地域に生きる子ども」「たとえ他出しても、地域を切り捨てない子ども」を育てるのである。本号では、そのような「場の教育」のあり方を、現場での実践をとおして提起したい。

農文協文化部


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