季刊「食育活動」

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食育活動
No.10 2008

6

地域で育てる食の技――食文化の継承・食の自立・地域の食卓づくり

 
  ◆〈農ある暮らし〉の豊かさに学ぶ ふるさとの食の技を紡いでわが家・地域の食卓づくりへ
長野県農村文化協会役員 池田玲子……6

◆生活技術の継承の危機に待ったなし  限られた時間で何ができるか?
 「家庭科」を中心に小・中・高・大学をつなぐ「食教育を考える縦の会」の挑戦
森の新聞社 森千鶴子……14

◆栄養・味・色彩のバランスがよい日本料理の粋「松花堂弁当」が学生の〈料理力〉を鍛える
西南女学院大学短期大学部生活創造学科教授 池田博子……22

◆「第二の人生」の豊かさは〈食の自立〉と、その技を生かした地域活動にあり
  ――「男の台所」で生活の質の向上を NPO賢和会「男の台所」主宰 安海 賢……28

◆「チーム瀬戸っ子」が“ふるさと食堂”で地域の人々にまごころこめておもてなし
  ――すべてのベクトルを食育にむける 瀬戸小学校の取組みから
長崎県・西海市立瀬戸小学校教頭 深堀昭三……32

◆ロングブーツのお姉さんから、赤ちゃんを背負ったお父さんまで参加
 地域に根ざした農家の味噌づくり教室 愛知県美浜町・季の野の台所 森川美保……36

◆都会の団地でおかずをもちより、ともに食卓を囲む
 ――ピンチのときの助け合いも 東京都八王子市・「おつまみ作り隊」世話人 森川千鶴……42

〔トピックス〕教育ファームはじめてみませんか? 前農林水産省消費・安全局消費者情報官補佐 勝野美江……48

食と農の応援団コーナー
【テーマ】 穀物高騰 いまこそ“ごはん”!
◆パン食のむこうに、アメリカの小麦畑と日本の田んぼの姿がみえますか?
 兵庫農漁村社会研究所代表 保田 茂……55

◆【講演会ライブ】食費をスリムにしたいなら、お米をケチってはいけない!
 東京都・金澤米店 砂金健一……57

◆大人気!鯖のソース煮――ごはんがすすむ給食献立 栄養教諭 松本珠美……66

◆米飯給食は、10年後の食卓を変える 学校食事研究会事務局長 阿部裕吉……70

【実践から学ぶここが決め手! 食育最前線の取り組みから】
 家庭が学校と契約栽培!?“ぼくんちの冬瓜”が給食に出た!
 群馬県・玉村町立玉村小学校校長 栗本幸基……74

【新連載! 図解 親子で学ぶ!おもしろ食べもの加工1】 
 トルコ風!のびーるアイスクリームをつくろう おやじの休日の会代表 岡本靖史……82

【副菜が上手にとれる旬菜料理教室2】「モロヘイヤ」――王様の野菜で夏バテ解消!
 食育サークルSUN代表 管理栄養士 小出弥生……84

【食育の情報コーナー】 深まる!ひろがる! 関東地域1都9県の食育
 前関東農政局消費・安全部消費生活課長 奈良百合子……88

〈農ある暮らし〉の豊かさに学ぶ
ふるさとの食の技を紡いで わが家・地域の食卓づくりへ

◆長野県農村文化協会 役員 池田玲子

 

直売所は地域固有の食文化を守る砦
――国の〈自給率〉から、わが家・地域の〈自給力〉へ

 中国製冷凍ギョーザ事件や、小麦・大豆の価格高騰で、私たちが食べているものが、外国に大きく依存していること、自給率が40%以下になっていること、食の安全さえ自国では解決できないことが明らかになり大きな衝撃がはしった。

 安く、手軽な食べものを求めた結果、外国の安い農産物と労働力に依存し、日本の農業やむらが疲弊していることが誰の目にも明らかになっている。食料のグローバル化がすすむ一方で、食料危機がせまっているなか、輸出を禁止する「食のナショナリズム」の動きが強まっているとマスコミは報道している。いよいよ食料の国産化、地域食料確保の時代が始まるのだろうか、と戦中戦後の食料難の時代を体験している世代にとっては心が痛む。

 一世帯あたり年間の食費の7割を占める外食や中食の流れをみると、消費者意識がそうやすやすと変わるものだろうかとの不安もあるが、とにかくこのギョーザ事件をきっかけに、わが国の「食」を見直し、もっとも身近な家庭や地域に食を取り戻す〈食の自立〉の動きへとつなげたい。

 たとえば、近所の直売所には加工所や食堂を併設しているところが多く、旬のものと旬の情報が売り物になっているが、そこでは「土地のうまいものはいつでも食べられるわけじゃない」と大見得を切っていてほしい。なぜなら、もともと直売所は農家の女性たちが庭先や食卓のおすそ分けの場としてスタートさせたもの。原材料の旬もあるし、夏の雨や冬の寒さの都合もあろう。客は山菜や挽き立てのそば粉、手づくりコンニャクがいつまでも店にあるとは期待していない。たまたま出会った時に挽き立てのそば粉で「寒迎餅」(そばがきを食べて冬の寒さを迎える習し)の話と少々の味見ができれば、大感激だ。

 「私の黒豆麹で醤油の実をつくりませんか」、「干した野沢菜を具にしたおそばや秘伝の柿の塩漬けを食べさせてあげるよ」と耳元でささやかれたらたちまち舞い上がってしまう。店先で真夏には乾燥野菜をつくり、冬は大釜で凍み大根をつくってみせてくれる。そんな季節の豊かさを感じさせる直売所であって欲しい。

 「直売所で売り上げをもっと伸ばしたいので、他所のものも並べたい」と知り合いの農村女性はうれしそうに話してくれる。そこでつい「あなたはいつからスーパーの店長になったのか」と口をすべらせてしまう。人はお金が儲かりだせばきりなく儲けたくなるものか。

 子どもを育て、農地やむらの暮らしを必死で拓いてきた今までの人生ってなんだったのか。食をめぐって国やむら、みんなの暮らしが滅びるかもしれないこの時に、このまま儲け仕事のために生きておられるのかと。

 「今こそ当たり前の暮らしの豊かさを創ってきた、知恵と技をもつむらのおばばたちの出番だ。やり残したことをやってから灰になろうよ」と、直売所、加工所が地域固有の誇りある食文化を守る砦、食の情報発信の役割があることを訴えている。その際に、国の自給率が問題ではなく、わが家、地域の自給力が問題なのだと付け加えたい。

子育てママさんに食の技を伝える“ひらがな料理教室”

地元の子育てママさん・都会の若者に
食の技をリレーする「ふるさとの家」

 長野市郊外の古い団地のなかに、海瀬由美子さん(57)が自宅で開く「ふるさとの家」がある。そこは毎月4回、地元の子育てママさんが集まってきては、郷土の料理を習い、子育てのアドバイスをもらう場となっている。

 海瀬さんは「食べることは、トータルな暮らしのなかにあるもの。設備の整った調理施設からでは食べる暮らしのことは伝わらない」という。なるほど、その日は台所ばかりでなく、仏間や居間など、屋敷全部を開放してくれた。秋は干しダイコンや干し柿、冬の寒中には凍みダイコン、軒下には季節ごとの食の知恵が満ちあふれ、季節にあった住まいの暮らし方もさりげなく教えている。それはかつて、毎日の暮らしのなかで伝承されてきた当たり前の知恵であったはずだ。

 海瀬さんの周りには、子育てを終え、主婦歴30年以上のベテランスタッフ5人が「自分の生きがいが見つかった」といいながら、この「ふるさとの家」をサポートしてくれている。

 海瀬さんが教える料理は、すべて「ひらがな料理」。おやき、すいとん、煎餅など、どれも郷土に伝わるものばかりだ。「子どもが小さいうちに本当のうまさを舌に染み込ませるのよ」と、海瀬さん。旬とだしを大事に、「毎日の食事は一汁三菜がいい」と教え、帰りにはそっとお土産を持たせてくれる。

 結婚後、初めて自分たちの暮らしを営む若者たちは、育児も含め経験が少なく、雑誌やインターネット、友だちの情報に頼り、孤立して助けのない状態にある。こうした新米主婦らにどのように「くらし力」を身につけさせ、育児のストレスから開放してやれるか、地域の世代間の助け合いの仕組みをさりげなくつくっている海瀬さんだ。それに刺激され、「ふるさとの家」での体験希望者がボツボツ現れてきている。

 「ふるさとの家」が長野市の周りに八家誕生して間もなく10カ月になる。寝袋持参で都会からやってくる援農隊の受け入れや、米づくり、味噌・醤油づくりの教室を開いているIターンの遠藤家、Uターンの大日方家など、むらは一時にせよ元気を取り戻している。

 たびたび訪れる都会人は肌身で農やむらを理解し、その再生のために若者なりの役割を真剣に考えているようだ。また、地元大学ゼミと郷土食の共同研究をはじめ、「ふるさとの家」を舞台にして若者たちへ〈農ある暮らし〉の技のリレーがあちこちで始まっている。

たくわんをほおばる子どもたち

食育の第一歩は田んぼや畑からはじまる
――食と農の環をつなぐために

 食べることを他人任せにせず、「土に種を播き育つのをまって収穫し、家族の胃袋を満たす。自分の食べるものは自分の手でつくる」この当たり前の百姓100品の暮らしのなかに、「食」に対する感謝や感動があり、経済性や利便性とは比べることのできない豊かさと人間らしさが育まれてきた。同じ素材でも調理の仕方はいろいろで、家族の好みや時期に合わせて調理を工夫するのであり、普段の食事は献立が先にあるのではなく、食材が先にあって、そこから献立をつくる。それが「食べ事」だと思える。台所に葉つきのダイコンが1本あったら、何通りの料理ができるだろうか。〈農ある暮らし〉に今こそ学ぶべきと考える。

 「食農教育」という言葉が使われ始めて間もなく、平成17年に「食育基本法」が成立し、国をあげて「食育」が叫ばれるようになった。しかし、「食農教育」と「食育」の解釈がそれぞれ異なり、現場の食育活動はどちらかといえば、「食に関する知識と食を選択する力を習得し、健全な食生活を実践する人間を育てること」という、食べることや栄養指導に多くシフトしているため、地域にあってはとくに農業関係者の奮起を促す声が大きい。食育を単に食卓だけで考えている限り、世界中から食料を輸入し、その4分の1を廃棄していることや、地域の食の自治や日本民族の自立まで行き着くことは困難であろう。

 あらためて食農教育の意義を確認すれば、「土を耕し、作物や家畜を育てることから始まり、それを調理加工、貯蔵し、食して健康を維持し元気に暮らすという一連の食と農の環のなかで、自然と人間、地域社会の関係について体験を通して学ぶこと」としたい。とすれば、地域や学校で実施されている米づくり、ジャガイモづくりなどの農作業体験にも、もうひと工夫あってよいかもしれない。たとえば、米づくりならば籾を蒔くところから籾になるまで、その時々でイネの成長を観察し、そこに命のメカニズムを発見できる仕掛けをつくるのも大事なことだ。10月の案山子あげ(田の神様が山に帰る日に案山子の労をねぎらう)をぼた餅で祝い、羽釜でご飯を炊いて収穫を祝う。一粒の籾が土の力で2000倍になる感激、命のある米(玄米ご飯)の味とも出会わせてやりたい。

 このように、農家の暮らしのなかには「食べものをつくる」とこから「食べる」ところまでを伝える志と技があり、その暮らしのなかに1年間の段取りがあることを肝に銘じておきたい。

手づくり味噌をみんなでつくる

 先日、3年前から農村女性グループが若い消費者を招いて行なう味噌づくりの実習の場に出会った。

 「自分でつくる味噌は安全でおいしい」と前置きしてから大豆をすりつぶす作業にかかったが、「待った。もう一度仕切りなおしをしようよ」と一晩学習会を開いた。

 「おいしい味噌をつくるだけなら、味噌屋さんのほうがはるかに上手に味噌のつくり方を教えてくれる。若い世代に伝えたい味噌づくりってなんだろう。そこは自分たちが伝えたい〈農ある暮らし〉の想いがあってそれを実現するための技を伝えたいはずだ」との問いかけにベテランの主婦たちの答えは見事だった。

 大豆のこと(栽培から栄養、遺伝子組み換えと5%の国内自給率など)、昔からのええっこ(共同作業仲間)の味噌煮、味噌部屋の管理と味噌にまつわる諺、姑に教わった手前味噌のこと等々……。農のある暮らしだからこそみえる世界がそこにはある。

 これを元に味噌煮のテキストづくりが始まり、その後の講習会では手前味噌の持ち寄りや、箸が転ばないほど具沢山の味噌汁づくり、大豆の共同栽培の畑を使って大豆の一生の観察会をしようと話は広がった。

 こうして消費者の願いと生産者の持つ安全で豊富な食材と技を結びつけた味噌の自給を通して、地域に「農」の力を取り戻すささやかな活動にまで発展した。

これぞ〈農ある暮らし〉。軒下にはダイコンが干してある

永続する暮らしを自然のなかで組み立てる食の技
――「段取り八分」のむら暮らし

 信州地方の人は、昔から物事すべて「段取り八分、ずく次第」といいながら、自分や家族を励まし、周囲の人と支えあって暮らしを営んできた(ずくとは方言で、やる気や実行力)。

 夕食を食べ終えて明日の朝食を考え準備することも段取りだし、年間の家族の食い扶持の米を過不足なくしておくことも大事な段取りだ。もともと農家の暮らしは、農業経営を段取る役と、暮らしを段取る役割の人がいて、この二人の連係プレイのよしあしで家の繁栄や家族の幸せ度が決まってくる。そのなかで何よりも大事にしてきたのは、「家が代々永続するように段取りを組んでおくこと」だった。その証拠にどこの家の庭にも、節句に使う代々譲りの柏の木が植えられている。梅、桃、イチジク、リンゴ、栗、柿の木などの成り木、これらは子や孫たちの誕生記念などを祝いながら次の世代のために段取りよく植えられたものだ。

 日常の暮らしにも、日当たりのいい土手には春一番のフキノトウやセリ、間もなくウコギと桑の芽、八重桜の塩漬けをすませるとミョウガへと続く。この頃のおばあさんの親指の爪は、山菜などのアクで真っ黒になる。夏はありあまるナスやキュウリを干したり、漬けることに忙しい。秋にはトマトソースやベリー類のジャムをつくりながら、漬物部屋をいっぱいにする。

 屋敷続きの一番土目のいい畑は、女衆が腕を振るう「せんぜ畑」(自家用畑)となる。日々の食卓にあがるナス、キュウリ、インゲン豆などの野菜が30種ほど、播き時をずらして植えられており、庭先を一回りすれば、一日分の野菜はありあまるほど採れる。何時の時期にどんな野菜をどのくらい植えたらいいか。毎年のことながら段取りは上々だ。また、春は「山吹の花の咲く頃に」と、近所同士が段取りをつけて味噌煮や醤油搾りのええっこ仲間をつくっている。

 このようにむらのお年よりたちは、次の世代のためにと決してずく惜しみをしない。春と秋のお彼岸には、ぼた餅とお彼岸団子をつくって仏様に供え、お盆には硬いおやきでご先祖様を迎え、親戚中で春と秋のお祭りを祝い、冬至カボチャを食べて冬に備える。正月料理に腕をふるってお餅で祝い、折節に体の記憶に残るハレの日をつくってきた。そして「生きるための食・感謝し祈ることの食・家族や仲間で楽しむ食」を自然とのかかわりのなかに組み込みながら、これがむらの当たり前の暮らしだと、知恵をだし技を磨きながら暮らしてきた。

 しかし、忙しく立ち働く今の若い世代やパソコンゲームに興じる孫たちの世代は、とうの昔にこうした暮らしから降りてしまい、体のなかの「つくって食べる力・自分で生きる力」を失い、暮らしの達人の世代と若年世代や孫世代に取り返しのつかない断絶が生じてしまった。そこでもう一度、次世代のために自然と寄り添う暮らしの価値と、その技を取り戻すための仕掛けを急ぎたいものだ。

囲炉裏の前におかれた箱膳

食文化の継承で地域の食卓を創る
おばあさんパワー

 最近、長野県飯綱町の農村女性50〜60歳代の30人からなる「だんどりの会」の設立にかかわる機会があった。生活改善グループや食生活改善推進員など、町の女性リーダー的面々が会員で町の議員が発起人だ。何を段取るのかというと、「自分の人生のなかで今どうしてもやりたいこと、やらなければならないと思うことの一つに、町の農業を守り、とくに若い世代や孫たちに町の食文化、郷土食を伝承するための段取りを立て、実践すること」があるという。

 なるほど、ものの見方は広くて深い。1つは、3年がかりで昭和五十年代の町の食の聞き取りをして、「食の風土記」を編纂しようと手をつけ始めた。

 2つ目には、今ある当たり前の食と暮らしの宝物再発見と地域の食卓づくりのために、子どもから大人まで世代を超えた「食の文化祭」を毎年開催することとし、第一回持ち寄りの「食のまつり」を実施した。

 3つ目は、その間に、「プレ食の文化祭」を催しながら、地域の子どもと箱膳で交流会を開き、その効果を見届け、今後のためにと箱膳をつくることにした。 四つ目は、小学校の正規授業として食と農の授業の共同実施、リンゴの特産品開発、観光イベントでのお膳づくりをすすめている。

 しかし、だんどりの会はこのままでは満足していない。

 「いろいろな経験のある世代が行政と協働しながら自分たちのできることで町全体の食農教育を段取っていくんさ」と郷土食の伝承活動や、地元高校との連携、荒廃地を使った学校給食への食材提供などをはじめている。さしずめ、「おばあさん版町の食農推進計画」といったところで、行政との連携も見事だ。

 こうしたおばあさんパワーが各地に芽ばえ、食の風土記、郷土食レシピ集の編纂、食の文化祭などがはじまっていることが何ともうれしいし、もともと「食」はそこ暮らす人々が文化として築いたもの。それを自らの責任で次の世代へ継承するものだと思う。