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Ruralnet・農文協食農教育2000年春 8号


徹底研究 「総合的な学習の時間」の授業づくり

えっレンコンも育てるの? ここまでやるか

「究極の岡山ずし」づくり

岡山県寄島町立寄島小学校 三宅恵子・守安猛之・襟立光衣


今年は「岡山ずし」をつくりたい

「究極の岡山ずし」 昨年度は、三つ山まんじゅうを作った経験から、 自分たちの力に自信をもった四年生は、今度は、「岡山県といったらこれだ!」といえるものを探そうと話し合った。子どもたちは、岡山県の特産品や名物などを中心に、進んで本で調べたり、家の人や詳しい人に聞いたりして自主的に調べていった。
 いろいろ出て来たが、子どもたちの多くはの興味は、食べ物に集中した。最終的には、きびだんごと岡山ずしのどちらにするか話し合った。つくりたい理由や、四年生として追究するにふさわしいものか、岡山ずしのひみつは、などを話し合っていくなかで、四〜五人の子ども以外は、「岡山ずしが作りたい」という願いにまとまっていった。「きびだんごがいい」と言い張る四〜五人の理由は一つ。「シイタケが入っているから」。
 そこで、岡山ずしの具に、何を入れてもよいこと、まぜる具の中にシイタケを入れないこと、上にのせるトッピングを自分たちで選べるバイキングにすることなどを決めた。
 こうして、四年生全員の気持ちが一致して、「岡山ずしをつくりたい」という強い夢・願いをもつに至ったのである。
 教師も、学習のウェビングマップをつくって、子どもたちがやろうとしている岡山ずしをつくる活動が、価値ある教育的内容に結びつくかどうかを見極めた。そして、次のようなことがねらえると考えた。岡山ずしをつくるという自分の夢を実現する過程でぶつかる問題を解決する力を育てること。友達と力を合わせて活動することの喜びや大切さに気づき、願い通りの岡山ずしができた時の成就感や人々の知恵でできあがった郷土のよさを味わうこと。そして、材料となる作物を自分たちでつくることで環境問題などに直面することが見込まれることである。
 そこで、子どもたちと話し合い、単元名を「めざせ!世界一 究極の岡山ずし!」と決定した。


パワーショベルに助けてもらいレンコンづくりに挑戦したが・・・

 まず、岡山ずしの材料調べである。子どもたちは、家の人に聞いたり、本やインターネットを使って調べたりした。その結果、数ある材料の中から自分たちが育てたいものを話し合った。そして、カンピョウ、ゴマ、シイタケ、ショウガ、インゲン、レンコン、ゴボウ、ニンジン、米の九種類が決まった。子どもたちは、家庭やホームセンター、農協などから種や苗を次々に手に入れて来た。
 しかし、レンコンだけは植えるまでが大変だった。「レンコンはどうやって育てるのだろう。子どもたちは、いったいどうするつもりなのだろう」と教師は心配で、職員室でも話題になっていた。そこへ、「そりゃあ、大変じゃで」とレンコンづくりの盛んな地域に勤めていたことのある教頭先生が話に加わって、苗もなかなか手に入らないまま、教師はあきらめかけた。
 レンコン栽培には、専用の田が必要なこと、田は常に水を張った状態にしなければいけないこと、寒い時期に田に入って収穫することなどを話したが、子どもたちはますますやる気になった。そんな折り、保護者の協力で三本の苗が手に入ることになった。こうして始まったレンコンづくりは、しばらく続く。わからないことは、子どもたちが、レンコンづくりの名人さんに電話で聞いた。
「開墾」  田づくりは、レンコン用と稲作用と二つの田を開墾する所から始まった。雑草は生え放題、 石はごろごろ、草の根っこの張った地面は堅く、六十八人の子どもたちがいっせいに取り掛かってもなかなかしごとは進まなかった。「やっぱり無理じゃ」「いや、最後までやる」と子どもたちの意見も次第に割れ始めていた。そこへ、PTA会長がパワーショベルをもっているという話が耳に入り、子どもたちに話すと、「頼んでみよう」ということになった。しかし、「いやじゃ、頼まん。自分たちの力だけで最後までやりてぇ」と反対する子もいて、そのパワーにびっくりした。
 パワーショベルはたった一時間ばかりで、荒れ地を開墾地に変えた。きれいに掘り返された開墾地を前にして、子どもたちは機械のすごさに驚いた。縦横約二メートル、深さ約一メートルの穴に子どもたちの持ち寄った田の土を入れ、水を張り、苗を三本植え、やっとレンコン田が出来上がった。深い穴なので落下防止用に囲いを作った。また、梅雨時期には水があふれんばかりになったので、その都度排水ポンプを使って水の量を調節した。肥料もまいた。夏には、減っていく水も補給した。そのかいあってか、レンコンの茎はぐんぐん伸び、たくさんの葉が穴の外にも顔を出すほどに育っていった。
 夏休みも当番を決め、毎日欠かさず交代で水やりをし、登校日にはカンピョウ、インゲン、ゴマを収穫した。慣れない手つきでカンピョウむきもし、いろいろな形のカンピョウをむしろの上に干した。インゲンは冷凍保存、ゴマは収穫し干した。二学期の始業式の日、からからに乾燥したゴマの枝を揺すり、落ちたゴマの実を一粒残らず大切にかき集めた。
  いよいよ、十一月には収穫時期を迎えた。子どもたちは、丸々と太ったニンジン、いくつもの足に分かれたゴボウを力いっぱい踏ん張って引っこ抜いた。ショウガは傷をつけないように慎重に手で掘り返した。そして、レンコン。どんどん成長する過程を見ていただけに、子どもたちの期待は、とても大きかった。「ぼくが!」「わたしが!」と泥まみれになりながらレンコンを探った。しかし、出て来たレンコンは大人の人差し指ぐらいの大きさのものが三、四本。「もう、ねぇんか」とあきらめがつかない子ども。とれた量にがっかりした様子だったが、実に生き生きした顔で活動した。


土が堅うて、苗がうまらん

「田植え」 何といってもすしの中心は米。米づくりは、この単元の大切な活動である。教師も子どもとともに調べたり、相談したりして、頭の中は米づくり一色になっていた。
 そんな折り、四年生の教室にSさんがたずねてきてくださった。Sさんは、昨年度の四年生が取り組んだ米づくりで、年間を通してボランティアとして協力してくださった方である。「今年も四年生が米づくりをすると聞いたんじゃが、力になれることがあったらと思うて」と思いがけないうれしい申し出であった。米づくりにおいて未経験者の私たちは、この話をありがたくお受けすることにした。
 さて、苦労した田の耕作を終わり、しろかきである。パワーショベルで掘り返した田に水を入れる。普通ならここでもう一度耕すのであろうが、この田は普通ではない。ズブズブと足の付け根あたりまで埋まってしまう。とにかく平らにしようと、体育倉庫からトンボを持ってくる。「ぼくがやる」とトンボの奪い合いになった。普段あまり経験することがないからか、子どもたちはどろどろ田んぼに入るのが実に楽しそうだ。こうして、一見立派な田が出来上がった。
 いよいよ田植えという頃「これ、まいたほうがお米がようできるって、ばあちゃんがいうとったよ」と一人の子どもが、肥料を持ってきた。土に不安を感じていたこともあり、さっそく入れた。
 さあ、田植えだ。
 苗は、子どもたちが用意したものとSさんの家のもの。どちらも同じ品種の「ひのひかり」だ。はじめに、田植えの仕方をSさんから聞く。Sさんが持参してくださった田植え綱を使って、一列ごとに田植え開始。一列目がなかなか終わらない。「どうしたの」と聞くと「土が堅うて、苗がうまらん」という。しろかきのときはあんなにやわらかかった土が、水が入って堅くしまってしまった。その上、元が山土なので砂利も多く、普通の田のようにはいかない。そこで、指の先やスコップで少し穴を掘って苗を入れ、土を根元にかけるよう助言した。なかなか立たない苗と悪戦苦闘しながら、なんとか植え終えた。


農薬をまく?まかない?

  稲もしっかり根づき、青々としてきた頃、Sさんから農薬をまくことを相談された。とりあえず、子どもたちと話し合いをすることにした。農薬について調べている子も何人かいたが、ほとんどの子どもが農薬の役目や、影響について知らなかった。そこで、農薬は、病気や害虫から稲を守ったり、雑草を生えなくしたりするためにまくことを知らせた。
 家でそろそろ薬をまいたほうがいいらしいと調べてきていた子どもは、当然、薬をまくものと思って話をしていた。しかし、それをまくことは、今、田に住んでいる小さな生き物の命を奪うかもしれないことや、農薬自体、環境や人体に良くないことを知ると、黙って考え込んでしまった。お米は、たくさんできてほしい。でも、他の生き物や健康に及ぼす影響を考えると薬はまきたくない。二つの相反する考えの中で子どもたちは悩んだ。そして、出した結論は「農薬をまく」だった。その条件として、子どもたちは次のことを話し合った。必要以上に薬をまかないこと、犠牲にした命のためにも一生懸命米作りをすること、雑草予防の薬はまかずに自分たちの力で雑草を抜くことの三つであった。
 さっそく子どもたちは、面積との割合で薬の重さを計算した。薬をまく前に、少しでも命が助かるようにと、オタマジャクシやタガメを見つけて他の場所に移す子どもたち。農薬は教師がまいた。農薬散布後は田への出入り禁止である。恐ろしそうに見守る子どもたち。翌日「田んぼの水に小さい虫が浮いとる」と真顔で報告する子ども。この経験を通して、環境問題を身近なものとして受け止めることができた。


ええ米ができとるで

「収穫」 夏休みも水の管理を交代で行い、二学期が始まった。稲もずいぶん育ち、スズメ対策が必要になった。子どもたちから出たスズメ対策は、次の三つであった。かかしを立てる。おどしをする。ネットを張る。そこで、ネットはSさんにお願いしていっしょにかけることにした。また、かかしは図工の時間を使ってつくることにした。グループごとに工夫したかかしが田のまわりで見張りをした。
 ついに稲刈りの時がきた。子どもたちは、首にはタオル、軍手にかまを準備してきた。いつものようにSさんからやり方を教えていただく。刈った稲を束ねるのがむずかしい。わらでしっかりと束ねて、はぜにかけていく。しっかり結んでいないとばらけてしまう。最後に、はぜ全体にネットをかける。
 一カ月ほど干した。
 「ええ米ができとるで」Sさんの声にうれしくなる。待ちに待った稲こぎ、脱穀、精米。ついに米になる日がやって来た。Sさんの家から大きな機械をもってきていただいて作業を進めた。「できたあ、お米だ。白いお米だ」


おかゆのすしになっちゃった

「すし飯つくり」 米や野菜などの収穫を喜び、いよいよ岡山ずしづくりである。
 ちょうど秋祭りと重なってもいた。多くの家庭で、祭りずし(岡山ずし)などをつくってごちそうする。そこで、子どもたちは、すしつくりを手伝いながら、進んで岡山ずしのつくり方を調べていった。子どもたちは、その家、その家によって味や具などが微妙に違い、いろいろな岡山ずしがあることを調べていくなかで知ったのである。教師は、お膳立てをしないで、子どもたちが考えたり、調べたりした方法でつくる活動を大切にし、失敗から学び、自分たちの力で問題を解決できるように支援していった。
 まず、すし飯づくりである。たかがすし飯と思うかもしれないが、はじめてご飯を炊く子もいて、いろいろな失敗や問題に直面した。三合の米に対して水を炊飯器のめもり「十」までいれ、炊いている途中に、水があふれ出したグループ。なべで炊きたくて炊いたのはいいが、なべの底は焦げたうえ、かゆのようなご飯になったグループ。ぐちゃぐちゃにご飯をまぜ、ねばねばのすし飯になったグループなどさまざまであった。できあがった後、みんなで見比べたり、味比べをしたりした。そして、とてもおいしいすし飯をつくったグループにこつを聞いてみた。昆布を入れて炊いたり、切るようにまぜたり、うちわであおいだりなどの工夫が見られた。こうして子どもたちは失敗から学び、次回の具をまぜたすし飯づくりのときには生き生きと活動したのである。


生きたエビまで使った本格トッピングづくり

「イカ、まだ生きとるで!」 次は、岡山ずしの上にのせるトッピングづくりである。子どもたちが希望した、かまぼこ、たまご、シイタケ、レンコン、ニンジン、高野豆腐、でんぶ、イカ、エビ、アナゴ、ママカリの十一グループに分かれて、自分たちの方法で究極の岡山ずしにふさわしいトッピングをつくることになった。
 ここでも、多くの問題や失敗に直面した。漁をする保護者の家から、その日とったばかりの新鮮なエビ、イカ、アナゴなどが届いた。さすが寄島である。「先生、生きとる」と朝から大騒ぎであった。でんぶグループは、エビの皮をむいてからゆでる予定だった。ところが、生きのいいエビは、皮をむこうと思っても跳びはねてなかなかむけない。跳びはねるたびに、キャーキャー騒ぎながら、はしで押さえたり、二人でむいたりと悪戦苦闘しながら、熱湯の中に入れて湯がいてから皮をむくことを子どもたちが発見したのである。
 レンコングループは、自分たちで育てた小さなレンコンのどんなところもむだにしないように、大切に酢レンコンに調理した。かまぼこグループは、自分たちの考えた色に魚のすり身をそめ、板に乗せて蒸し器で蒸すことができた。ママカリグループは、ボランティアの方に見守られて、自分たちの力で包丁を使って魚を開くことができた。また、イカグループは、わからないことをボランティアの方にたずねながら、イカの墨で手を真っ黒にしながら内臓を取り出したり、キッチンペーパーなどで薄い皮をむいたりした。薄い皮を取るのは大人でも難しいが、熱心に取り組んだ。アナゴグループは、七輪で焼くだけでなくやわらかさにこだわり、蒸し器で蒸して焼くなど、みんなが究極の岡山ずしをめざした。


自分たちでつくったすしはシイタケまでうまい!

 「めざせ!世界一 究極の岡山ずし!」の活動は、多くの方々に支えていただきながら進められた。そのうちに子どもたちから「岡山ずしパーティーをして、お世話なった方にお礼をしたい」という声があがった。そこで、みんなで話し合ってバイキング形式の「究極の岡山ずしパーティー」をすることに決めた。計画、進行はすべて子どもたちが行なった。米づくりや野菜づくりでお世話になった地域の方や岡山ずしづくりで協力していただいたお家の人々を招待した。
 パーティー当日は、朝から準備を始めた。すでに経験していることとはいえ、炊飯から味付け、混ぜ込む具づくり、さらにトッピングづくりと大変な作業であった。しかし、子どもたちは前回よりももっといいものをつくろうと、目を輝かせて活動した。そして、お昼近くには、すし飯のまわりに次々と百四十人分のすしのトッピングが並んだ。すしの具は、十五種類。色とりどりで美しく子どもたちの言葉どおり究極の岡山ずしと言えそうだ。自分の皿に一つひとつ大切そうに盛りつける子どもたちの様子から、今まで丹精込めてつくってきた喜びや満足感が感じられた。
 子どもたちが作詞した岡山ずしソングで始まったパーティーは、お世話になった方への感謝状贈呈、すしにちなんだ出し物、会食と続いた。「ごぼうがおいしい」「シイタケうめぇなあ」「ごまをもっとかけてもいい?」など普段は聞かれない意外な感想があちこちで聞かれた。岡山の郷土料理でもある「ママカリの酢漬」は苦手だった子どもも食べられるようになった。これこそ自分の手でつくったからこその「魔法」であろう。
 ある子どもはこんな感想を書いている。
  岡山ずしをつくるにあたって、地域の方々に出会い、郷土の素晴らしさに気づいた子どもたちは、さらに岡山県のよさを見つけていくのではないかと考えている。


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