農文協食農教育2003年1月号家族もびっくり自由研究>カコミ

村の歴史は子守唄のように聞かされたもんです

●取材・まとめ 安間節子

木下武人さん
木下武人さん

 ありすさんに道祖神に書かれた文字とその意味を教えてくれた木下武人さんは、高原野菜の野沢菜や白菜のほか、小豆などをつくる現役農家である。木下さんによると、さかさいちょうの話は大鹿村に伝わる七不思議の1つという。ほかには、どんな言い伝えがあるのだろうか? 木下さんに語っていただいた。

1つ、ネコにノミがつかない

 大鹿村で生まれたネコにはノミがつかない。これは本当でな、村出身の東京の歯医者さんはネコ好きで、必ずここからネコを持って行くんだ。なぜかわからないけどな、本当の話なんだに。

2つ、さかさいちょう

 昔はもっともっと大木でな。垂れ下がった枝があの辺りを覆うほどだった。火事にあったり雷が落ちたりして、あれでも今は小さくなっとるが。乳が出るというのも本当の話でな。はるばる東北や三重からも、こぶの樹皮をもらいにやってきたもんですわ。昔はお堂にかかるお礼参りのおっぱいも、もっともっとたくさんかかっとった。

3つ、塩が湧き出る

 大鹿村は海から遠く離れた標高750mの山奥なのに、塩水が出よる。岩塩ではなく、日本で唯一の山の塩なんですわ。昔、諏訪大社で権力闘争に敗れてこの地に落ち着いた建御名方命が、鹿狩りをしていた時、鹿がなめとる水を調べたところ塩水だと発見したちゅうんだ。なぜ、塩水が湧き出るのかはわからんけんど。

4つ、8つ鹿

 昔な、中山というところで、猟師が8つ群れをなしとる鹿の2つを獲って帰ったんだそうな。ところが、次の日行くと、また8つおるんだって。獲っても獲っても、そこには8つ鹿がおるんだって。

5つ、朱膳

 昔、人寄せのあるとき、大池の端に立って「何人分の膳椀をお貸し下さい」と頼むと、翌朝、池に人数分の朱塗りの膳椀が浮いとったと。用が済むと礼を言って返しておいたが、ある時、お椀を1つ返さない者がおって、それからはいくら頼んでも貸してくれなくなってな。返さなかったというお椀は、今でもお寺にあるだに。

6つ、夜泣き松

 鹿塩にある松の大木の樹枝と葉は、夜泣きする子どもの枕の下に入れて寝かすと、夜泣きがとまるといわれとるがね。

7つ、矢立て木

 昔、この辺りは幕府の天領だったんだが、遠山土佐守という殿様がもらって治めておった。ところがこの殿様は、年貢の取り立てがひどくてな。ある時、村人たちはこんな殿様は殺してしまえと相談した。

 参勤交代で江戸へ行く時に、殿様は必ず大きなさわらの木に矢を射る。的に当たればえんぎがいいんだ。その日も矢を射ったところ、的に命中。ところが、矢が刺さった所から血がだーっと流れたちゅうんだ。殿様はそのまま江戸へ出発したが、江戸からの帰りに村人たちにおそわれてな。命を落としたちゅうことだ。それから、その大きなさわらの木は矢立て木と呼ばれとる。

石仏

 ――私のおばあさんは高遠藩の士族の生まれでな、学問が好きだったんですわ。40代からはリューマチを患って歩けなかったので、私ら孫の子守をしてくれてな。自分で調べたり、聞いたりして知ったこの辺りの歴史にまつわる話を毎日、子守歌のようにしてくれたもんでな。折草地蔵という街道の安全を祈る地蔵さんが石の間におるんだが、「石の間に入って聞いてみろ。お滝の音が聞こえるで」と教えてくれたりしたんですわ。

 子どもも石仏に草花を供えたりして、生活とつながった1つの信仰だったんだに。子ども心に楽しかったですわ。おばあさんから聞いたそんな話をきちんと記録に残しておきたいと、今考えとるところでなぁ。