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■カイコって、キリンの仲間!?ぼくの住んでいる家から、さがみ湖がみえます。今から50年いじょう前につくられたダムの湖です。 ことしの6月に、生活科のたんけんで、スワン丸というゆうらん船に乗りました。2年生16人と6年生5人がいっしょです。そのとき、スワン丸の社長さんの小野沢さんがむかしの話をしてくれました。 このあたりにはむかし勝瀬しゅうらくがあって、小野沢さんやほかのひとたちの家や田んぼも湖のそこにしずんじゃったそうです。そして、むかしはクワの畑があってカイコをたくさんかっていたそうです。 ぼくは「カイコってどんな動物だろう。はてな? だな。イヌかネコかな? はっぱを食べるからキリンかなんかかなー」と思いました。 ■クヌギの木でヤママユガをかってるロバートさん
すこしたって、おかあさんがとなりのふじの町のげいじゅつの家で「まゆ(繭)のしごと」というワークショップをみつけてきました。カイコからきぬ糸をつくります。ぼくはすぐにいきたいと思いました。 7月20日、ワークショップにいきました。30人くらいの親子がいました。先生は、ロバートさんというふじの町に住んでいるこうげい家です。カナダ人です。ロバートさんは家で、クヌギの木にあみをかけてみどり色のマユをつくるヤママユガを3000匹もかっています。 ぼくははじめてカイコをみて、「あっ、これがカイコか! かわいいな」と思いました。さわると、ぷにゅぷにゅしてとてもかわいかったです。 ワークショップで、マユからまわたをつくったり、手で糸をつむいだりしました。あかね(赤)や、きはだ(黄色)というしょくぶつで草木ぞめもしました。ものをつくるのって楽しいな。ロバートさんのつくったいろいろな色の生糸はつやつやしていて、青色の糸はきれいでほしくなりました。「あい」という草でそめているそうです。 ■よう虫を八ぴきもらって飼いはじめるぼくはカイコを育てたくなって、ロバートさんに、よう虫を8ぴきもらいました。学校のうらに大きなクワの木があって、あまい実をときどき食べたことがあります。カイコをおちゃの入っていたはこに入れて、クワのはをとってきてはちぎってあげました。カイコはショリショリとおいしそうに食べました。 ■かんさつ日記7月25日 カイコはどんどん大きくなって、だっぴをした幼虫がいた。だっぴをする前は、クワをあげても食べずにじっとしている。マユはいつつくるのだろうか、マユからどうやってでてくるんだろう、羽化したらなにを食べるのかな? など、いっぱいぎもんがでてきた。 7月30日〜8月1日 農文協の「食と農の体けんがくしゅう てんこもり」(栂池高原)におとうさん、おかあさんと三人でさんかした。そのあいだ、カイコは津久井のおじいちゃんのところにあずかってもらった。「てんこもり」で『カイコの絵本』をみつけてかう。本をよんだら、しいくのしかたや糸のとり方などがとてもくわしくかいてあって、ぼくのぎもんはたちまちとけた。 8月2日 おじいちゃんのところにあずけているあいだに、1匹死んだ。小さいカイコだった。4匹がマユをつくった。 8月5日 のこりの3匹がまゆをつくりおわった。マユから糸をとろうと思っていたけど、『カイコの絵本』に出ていた羽化の写真をみたら、マユからでて成虫になるのをみたくなった。ことしは糸をとらないでおこう。 8月12日 4匹が羽化した。ぼくは羽化するしゅんかんをみたかったけど、朝おきたときにはもう、カイコガになっていた。ざんねん! こう素をだしてマユをとかしてでるそうだ。マユからでてきたところが黄色くなっている。メスが1匹とオスが3匹だ。メスのほうがおなかが大きい。 メスと1匹のオスがすぐに交尾をはじめた。メスはおしりにフェロモンせんをもっていて、ニオイをだしてオスをよぶ。ニオイを感じたオスは羽をパタパタさせる。ぼくはなんにもニオイを感じなかったけど。 ずっと交尾しつづけるので、しばらくして手ではなしてやる。メスもオスもなんにも食べない。二時間くらいたったら、たまごをうみはじめた。おなかのなかで、たまごをつくっているのかなと思った。2mmくらいの黄色っぽいたまごだ。一日くらいかけてポコポコうんでいった。かぞえたら、ぜんぶで140こくらいもあった! 小さいし、たくさんあるし、かぞえるのはとてもたいへんだったよ。 8月14日 たまごが黄色からはいあお色にかわった。このたまごたちは休みんらんで、らいねんの春、ふ化する。 8月17日 3匹羽化した。朝おきたら、もうカイコガになっていて、こんども見られなかった。朝の四時くらいにおきないとみられないみたいだ。メスが1匹にオスが2匹だった。こうびをして、やっぱり140こくらいたまごをうんだ。まえのときと同じだった。 8月25日 1匹だけのこして、みんな死んでしまう。 ■らいねんはふくをつくるぞ!「カイコはたまごを生むためだけに生きているんだね」とおかあさんとはなしました。 カイコは人間がせわをしないと生きていけない虫です。そのかわりに、人間にマユをのこしておんがえしをしているような気がして、カイコはかわいそうな虫だと思いました。 いまぼくの家には、140このカイコのたまごが生みつけられた紙が2まいあります。 らいねんの春には、どんなカイコがでてくるのかとてもたのしみです。こんどは、マユからまわたをつくったり、糸をとって、はたおりをしてふくをつくりたいと思います。 ヤママユガのマユがどうしてみどり色なのか、成分はなになのか、たくさんしいくするにはどうしたらいいのか、もっとしらべてみたくなりました。それから、どうしてカイコはクワのはしか食べないのかも。ぼくのけんきゅうはまだまだつづきそうだ! ひいおじいちゃんが100年前に残してくれたプレゼント取材・まとめ 安間節子
義弘くん一家は、高校で数学の先生をしているお父さん(茂宏さん)とお母さん(寿子さん)との核家族世帯だ。三人が住む県の職員住宅は、3DKと決して広くはない。でも、相模湖が一望できるベランダはさながらミニ植物園のようで、義弘くんが食べた種から育てたブドウとミカンの苗に、鉢植えのブルーベリーやイチゴ、それに花パイナップルなど家族みんなで食と農を楽しむ場をつくりあげている。 ■2歳から包丁をもたせたお母さんの寿子さんは、小さいころから絵を描いたりものをつくることが大好きで、今は木工と絵を習っている。義弘くんの学習机や本棚、自身のアクリル絵の具の収納庫、イスなど全部手づくりというからすごい。 そんな寿子さん、なんと2歳から義弘くんに包丁をもたせたという。なんでも経験させてやりたいという教育方針からだが、それ以外にもわけがある。 そのころ、寿子さんは小学校の先生をしていて帰りが遅かった。おじいちゃんのところに預けていた義弘くんと帰宅すると、すぐに食事の支度となる。遊んでやりたい、遊んでほしい二人だが、時間が許さない。そんななかで料理する寿子さんのあとについて、自然に手伝いをするようになった。 「義弘にとっては料理が遊びだったみたい」と寿子さんは話す。 はじめは混ぜものやお箸やお皿を運ぶことから、やがて包丁で切りたいと言い出したので、薄く切った大根を短冊に切ったり、きゅうりを切ったり。二度ほど指をちょっと切ったくらいで、大きなケガもなくきたという。 今ではカレーやみそ汁、目玉焼きを一人でつくるようになった。寿子さんの帰りが少し遅いと、勝手にカレーつくりが始まってしまうとか。 ■料理って科学なんだね
今年の夏休みには、温泉卵にも挑戦した。農文協の絵本シリーズ『おもしろ不思議食べもの加工 全五巻』のなかの『ぷるぷるかたまるふしぎ』がテキストだ。温度を計ったりけっこう大変だったけれど、ダシもよく効いていてとてもおいしかったそうだ。この夏の食農教育講座「てんこもり」で泊まったときに温泉卵がでたのだが、「ぼくのほうがおいしい」と胸を張って食べていたそうだ。 この絵本シリーズは山口家の人気本で、『ぷるぷるかたまるふしぎ』ではグミキャンディー、プリン、シャーベットなどもつくった。シャーベットでは塩を加えて固まるのを早くすることがおもしろく、「料理は科学なんだね」と感心し合ったそうだ。 『ぶくぶく発酵するふしぎ』では、黒豆みそ、アップルサイダー、パンづくりなどを楽しんでいる。アップルサイダーをつくったときは、発酵が進んでアップルシードルになってしまい、味見した義弘くん、「ちょっとお酒みたい」。お父さんをずいぶん喜ばせたそうだ。 ■100年前にひいおじいさんがつくったカイコ研究ノート
さて、義弘くんのカイコ研究に触発されて、寿子さんも実家の歴史に興味をもつようになったという。隣町の津久井町にある実家は、関ヶ原の合戦で豊臣方について、落ちのびてきたという古い家柄である。 実家のおじいさんにカイコを飼うことを話したら、何と100年近く前にひいおじいさんが通っていた蚕業学校(津久井高校の前身)で書いた「蠶體(蚕体)解剖」というノートを見せてくれたのだ。当時14歳のひいおじいちゃんが書いたもので、和紙にカイコの体の図解、生態、飼い方などひじょうに詳しく筆書きされている。戦前まで津久井地方は、養蚕が盛んで桑畑が広がり、生糸工場や組みひもの工場などがあったという。 「若いころは、そんな実家の歴史にもあまり関心がなかったのに……」と寿子さん。義弘くんと大島紬を見て触ったり、生糸工場で働く女工さんたちの写真を見たりするようになった。 * いま、義弘くん一家では前に買った簡易機織り機をひっぱりだして、親子で機織りをはじめている。ワークショップでつくった真綿から糸を紡いで、小さなクロスを織っているところだ。アカネとキハダで草木染めされた糸がミックスした、やわらかいクロスだ。 戦前までひいおじいちゃんたちの生計を支えたカイコのある暮らしが、いま3DKの核家族にも、新しい形で帰ってきそうな気配なのである。 |