「総合的な時間」の総合誌
農文協
食農教育  
農文協食農教育2005年9月号
 

食農教育 No.43 2005年9月号より

小浜市地図

幼児からはじめる
味覚と料理の本物体験

▼佐藤由美

料理は五感のすべてを働かせる

 ほんとうにこれを子どもがつくるのだろうか。「おいしい日本のごはん」をテーマにした献立表には、おにぎり、具だくさんのお味噌汁、キュウリのゴマ酢あえ、トンなすけんちん煮(豚肉とナスの煮物)――と難易度の高いメニューが並ぶ。大人を対象にした料理教室ではない。料理をするのは子ども。それも四歳から六歳の幼児なのに。しかし、そんな思い込みはすぐに覆された。

就学前の幼児を対象にしたキッズ・キッチンは年間約50回開催される
就学前の幼児を対象にしたキッズ・キッチンは年間約50回開催される

 子どもたちは背筋をぴんと伸ばし、まっすぐに前を見つめて、講師を務める料理研究家、坂本廣子さんの実演に見入っている。しかも、30分以上にわたる説明のあいだずっと、ざわつきさえしない。実演が終わると、初めて出会った4人ずつが助け合いながら料理を始める。味噌汁に入れる豆腐をてのひらに乗せ、包丁で切っても、だれも怪我をしない。固いカボチャも、皮がすべるナスも、やわらかい豆腐も、たった一度で固さの違いを把握し、包丁を入れる加減を学んだ。野菜が嫌いだという子も、吸い口のネギまで残さず食器を空にしていく。

 福井県小浜市が就学前の子どもを対象に行なうキッズ・キッチンでは、こんな風景が日常化している。小浜市が進める「食のまちづくり」のアドバイザーであり、キッズ・キッチンのプログラムを監修する坂本さんは、幼児期から料理を始める意義を次のように語る。

 「キッズ・キッチンの目的は料理を勉強することではなく、料理をとおして五感を働かせることにあります。五感のすべてを使うのは料理しかありません。子どもは守るべきだという大人の思い込みが、子どもを体験不足にしています。子どもを信じ、あなたたちはがんばれるよというメッセージを伝え、脳の90%ができあがる6歳までに本物の体験をさせることが大切なんです」

 料理は五感をひらくだけではなく、子どもたちの心を動かす多くの要素を含んでいると、坂本さんは続ける。

 「子どもたちは仲間とともに同じ目的に向かって作業をすることで共感力を育て、やり遂げることで達成感を味わい、わたしってすばらしい、ぼくがやったんだという自信を獲得し、かけがえのない自分を発見します。食育は、すべての子どもがもつそんな可能性を、子ども自身が発見することを支えるものなのです」

 この日子どもたちが得た自分への自信は、これから生きていくうえで大きな糧になることだろう。

親は子どもを信じることを学ぶ

包丁の下に手をおかない約束を守って、吸い口のネギを切る
包丁の下に手をおかない約束を守って、吸い口のネギを切る
味噌汁のだしはコンブと煮干。幼児期から本物の味覚を育てることもキッズ・キッチンの目的のひとつ
味噌汁のだしはコンブと煮干。幼児期から本物の味覚を育てることもキッズ・キッチンの目的のひとつ

 親たちにできることは、プログラムが始まる前にエプロンと三角巾をつけてあげるだけ。あとはギャラリーで見守るしかない。カメラやビデオを手に、かたずを飲んで子どもたちを見つめる親たちのなかには、親の手を離れ、仲間とともに課題に立ち向かうわが子の姿に涙ぐむ人もいる。「早くしなさい」とせかさなくとも手際よく、「仲よくしなさい」といわなくとも助け合い、「残しちゃだめ」と叱らなくとも食べ残さない。いつもとは違うわが子の様子に、親たちは驚きを隠さない。

 「手の上で豆腐を切るときにははらはらしましたが、ちゃんと切れたときには感動しました」

 「子どもにうまく説明できないので手伝いはさせないのに、これだけのことができるんですね」

 「うちの子は鍋にカレー粉を入れるのが好きなのに、家ではやけどが心配でやらせられない。ここなら子どもの視点に立って教えてもらえます」

 「家では野菜を食べないのに、今日は糠漬けもナスビも食べているのでびっくりしました」

 ギャラリーにいた家族は、料理を終えた子どもたちから試食に招かれた。椅子は子どもたちの分しかない。どの家族も中腰の無理な姿勢を続けながら、子どもがつくった料理を味わい、思いっきり子どもをほめている。怪我や火傷が心配なあまり、手伝いをためらっていた親たちは、子どもの生きる力に気づき、信じることを学ぶ。

 子どもたちはいっしょうけんめいつくった料理を両親やきょうだいに食べてもらいたい。五歳のふくだゆうのすけくんは、おとうさんの口に運ぼうとしていたキュウリを箸から落としてしまった。おとうさんは床に落ちた一切れのキュウリを大切そうに拾い、せっかくつくったものを捨てたりしないよというように、おいしそうにキュウリをほおばっていた。

料理の前には食材の名前やにおいクイズがある。「煮干のにおいは」という問いへの子どもたちの答えは「いいかおり!」
料理の前には食材の名前やにおいクイズがある。「煮干のにおいは」という問いへの子どもたちの答えは「いいかおり!」
キッチン・スタジオにはかまどを備えた。炊き上がったごはんに歓声があがる
キッチン・スタジオにはかまどを備えた。炊き上がったごはんに歓声があがる
いっしょうけんめいつくったごはんは、食べる前から「ぜんぶおいしい!」
いっしょうけんめいつくったごはんは、食べる前から「ぜんぶおいしい!」

 子どもたちには、そんなキッズ・キッチンのすべてが楽しい。四歳のおおみやてつやくんは今回が3回目。また行きたいとせがむてつやくんの願いを叶えるために、両親は次の開催の情報を集める。子どもを参加させたいという親の要望も多く、小浜市では市民の要望に応えきれない状況が続いている。

食はすべての人をつなぐ

 小浜市が全国に先駆けて「食のまちづくり」に取り組み始めて5年目を迎えた。市民参加のまちづくりを公約に掲げた村上利一市長は就任直後に市民参加のプロジェクトチームを設置し、まちづくりの方向性を探る。小浜を特徴づけるものとは何か。議論を重ねた末、歴史や文化のなかに市の将来像を見出す。暖流と寒流が交差する小浜湾は海産物の宝庫であり、平野部では多様な作物が栽培され、山の幸にも恵まれている。飛鳥・奈良時代には70キロ離れた京都の朝廷に海産物を献上した「御食国」だった歴史もある。プロジェクトチームでは、豊かな自然が育む食と、長い時間をかけて培われた食文化こそがまちづくりの核になりうると確信する。

 食といえば食材を生産する農業をはじめとする一次産業の振興に落ち着くのが一般的だ。だが、小浜市では食を機軸にした総合的な地域振興を企図した。食のまちづくり課長の高島賢さんは、その理由を次のように話す。

 「一次産業振興は生産者に視点をおいた政策に限定されますが、食はあらゆる人を結びつけます。食材を育む環境の保全、食材の供給を担う一次産業、加工を行なう二次産業、販売やサービスなどの三次産業の産業振興、食にこだわった観光振興、食による健康の増進や福祉の充実、食育などの教育を一体にした政策が展開できるのです」

 小浜市は2001年9月に「食のまちづくり条例」を制定し、翌年4月の施行と同時に機構改革を行ない、食のまちづくり課を創設。2003年には拠点施設として「御食国若狭おばま食文化館」を整備した。

 なかでも食育を重要政策として条例のなかで位置づけ、生涯にわたって食育を行なう「生涯食育」を提唱している。2004年には全国で初めて食育専門員を配置し、同年12月には食育基本法に先駆けて「食育文化都市宣言」を行なった。この宣言では、それまでに確立された食育の定義を再認識しつつ、いっそうの充実をめざしている。それでは小浜市が考える食育とは何なのか。

 「小浜市では『栽培』『料理』『共食』の3つのキーワードが食育にとって重要だと考えています。しかし、まだ食育を明確に定義できる人はだれもいない。われわれも走りながら理論を構築している段階です」

 高島さんがこう語るように、トップランナーとしての模索はまだ続いている。

市民は食のまちづくりを選択した

食のまちづくり課課長の高島賢さんと、政策専門員(食育)の中田典子さん
食のまちづくり課課長の高島賢さんと、政策専門員(食育)の中田典子さん
まるやま農園の岩崎恒一さんと秀子さん夫妻は、国富小学校の給食に野菜を提供し、朝市を開いている
まるやま農園の岩崎恒一さんと秀子さん夫妻は、国富小学校の給食に野菜を提供し、朝市を開いている

 小浜市の食のまちづくりは、村上市長の就任とともに行政主導で進んできた。しかし、可能なかぎりの政策を立案し、市民参加によって実現するなかで、食のまちづくりは次第に市民の共感を呼び、12の地区ごとに食文化の掘り起こしが進み、地域に固有の環境を保全するなど、特色ある地域づくりが進むようになった。

 「正直にいえば、市民は当初、行政の施策に参加させられていたといえます。しかし、地区ごとに策定する『いきいきまちづくり』などをとおして実質的な市民参加へと変化してきました。それも最初は地域間で温度差がありましたが、今ではいい意味で地域間競争が起きています」(高島さん)

 国富地区の丸山集落に住む岩崎恒一さん(68歳)は、地場産給食の普及を図ろうとする市から食材の供給を要請された。これをきっかけに、集落の農家全13戸が加入する「まるやま農園」を結成。国富小の給食の地域内自給率を70%に上昇させ、週に2回の朝市も開始した。自宅の車庫を改造した直売所では、開店の1時間前から長い行列ができる。こうした活動をとおして地域のよさを再発見し、生産に喜びと誇りをもつようになったと岩さんはいう。

 「このあいだもらったあの野菜がおいしかったというお客さんの言葉が、こたえられないほどうれしい。私はこの年まで、ここがいいところだとか、食べるものがいいものだと思ったことはなかった。お客さんからいわれて初めて、ほんまやなあ、いいところやなあ、おいしいなあと思うようになった。花が咲いていてもなんとも思わなかったのに、それはきれいに見えるんですわ」

 昨年夏、4年間の取り組みを総括する市長選が行なわれた。選挙の争点は事実上、使用済み核燃料中間貯蔵施設の誘致の是非にあった。中間貯蔵施設誘致に反対の立場を表明し、食のまちづくりの推進を図ろうとする現職の村上氏に対し、誘致を訴える候補者も中間貯蔵施設の建設にともなう補助金で食のまちづくりを推進すると訴えた。結局、小浜市民はこれまでの取り組みを評価し、村上氏が二選を果たした。小浜市民はいま、自ら下した決断を自らの手を進めている。


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