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1999年冬 3号より

小学校5年

夢のソバ屋台をめざしてどんどん授業ができていく

ソバ栽培を中心に社会・理科・算数・音楽・図工で総合学習

鳥取県東伯町立八橋小学校 中本久美子

ソバの花も実も、ましてやどう育てるのかもわからないところから出発したソバづくり。「わからないまま自分たちで切り開いていこう」。


陶芸

7月 「つゆ部門」が「ソバ茶碗づくり」の中心になることになり、さっそく、陶芸の取材・・・みんなへ伝えたり道具の準備をしたりして、二日間にわたる陶芸教室が実現した。

素焼きを経ての色付けは、夏休みに福祉センターへ出かけての作業となった。



開墾

空いた場所はないか、巻尺を持って校庭の周りなど手分けして探し始めた。測量をして、四年生で学習した面積の求め方を使って計算する。未習の三角形の形の土地の面積の出し方となると、公式が分からないため、どのようにして求めたらよいか考えを出し合い算数の学習が始まった。/ようやく換算した土地使用の許可を校長先生にもらい、開墾を始めた。

「農作業をするとき、機械があるとどんなに便利かわかった」「昔は、自分の体の力でやっていくんだから辛抱もいったんじゃないかな」・・・当たり前のように社会科で学習した機械化のことを自分のこととして実感。

8月 種蒔き。夏休みは、草取り観察のため四日おきの当番を自分たちで決める。


9月 「黒いもの発見!」と、教室にT男が飛び込んでくる。黒い殻を破ると、白い実が出てくる。数人の男子がかじって味を確かめる。「これがソバ粉だ」/この日初めて、どこに実がつき、何を収穫しようとしているのかわかった。

台風でソバ畑がピンチ 「先生話し合いをさせてください」
「竹をさして支えよう」「板で壁をつくって取り囲もう」「ビニールテープで支える」など意見が出て、実際やってみようとしていたが、どれも無理なようだった。もう諦めるしかないと思っていたとき、「鹿野町へ電話しよう」という声。鹿野町は、ソバづくりをしていると聞いたことがあるという。育てる部門の女子が電話帳で役場の電話番号を調べ、電話し、農林振興課の土橋さんの自宅の電話番号を聞く。早速電話。「ソバは倒れても、また起き上がってくるから心配しなくてもいいよ」とのこと。それを聞いてみんなが安心した。


石うす

11月 鎌でソバ刈りにかかった。乾燥をよくするために、はで足を立ててやることや雀に狙われないために網をかけるなど、一粒でも多く収穫したい子どもたちの知恵から生み出された作業は続く。ソバの脱穀も一人ひとり自分なりの方法を考えての作業となった。もぎ取り方式、棒たたき方式、ゆすり方式、逆ちぎり方式など。叩いて実を落とし、葉っぱと実が一緒にザルのなかに集まる。それを揉んで、葉っぱを粉々にし、ふるいにかけ、実だけにしていくやり方に少しずつ統一されていく。はじめ個人でしていたが、小集団になってやり始める。最後は、みんなでの作業へ。これは、まるで人々が作業を始め集落化していく原始時代の様に似ていた。

ソバの実を石うすで挽きソバ粉にする。

鹿野町の収穫の割合と比べてみたいということで、どうしたら良いか考える。算数の「単位量あたり」の学習とつなげて計算してみると、自分たちの単収は、鹿野町の半分にしかならなかったことに気づき、改めてプロの技に感心した。


1月 屋台「夢屋」の開店に向けて、店の看板であるのれんが必要ということになり、ろうけつ染めを試みた。屋台もリヤカーを改造して、屋根付きのものをつくり上げた。/CMをつくろうということになった。そのためには、どのようにして番組づくりがされるのか、調べる必要があると、教科書、NHKのパンフレット等から学びがはじまった。ここからは、社会科「情報」の学習として進んでいく。同時に、「CMソングをつくろう」という発案で、作詞・作曲・編曲をみんなでしていくことになった。和音のつくり方など音楽の学習として進んでいく。題して「夢屋へレッツゴー」。CMが五つのシチュエーションでビデオ撮りされて完成、放映された。


2月ついにソバ屋台「夢屋」が開店。大繁盛だった。

屋台
みんな頬を熱くさせていた。心に残る一日となったことは言うまでもない。


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