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農文協トップ主張 1995年8月号
環境問題と産直革命
――農家・農村の環境形成力が未来を拓く

 先頃出された「平成7年版・環境白書」(環境庁編)を読んだ。およそ官庁文書は無味乾燥のものだと思っていたのだが、これがなかなかおもしろい。
 「環境問題」と「農業問題」は当然重なり合うものだが、今回の白書はさらにつき進んで、農業こそが環境問題を克服するキーになっていると主張しているように読みとることができる。そこが興味深い。

◆「土」に注目した「環境白書」

 第1章 文明の発展と地球環境問題
  第1節 地球生態系における人間の位置
   1、生物の進化と絶滅
   2、サルからヒトへ
   3、人類の特殊性
   4、一つの生物種として
  第2節 古代文明と環境
       ...
 思想書か、学術書かと思わせるようなこの目次、これが今度の「環境白書」の目次の冒頭である。白書は「文明論的観点」から環境問題を論じはじめる。生物進化にはじまり、サルからヒトへの進化へと続き、「一つの生物種にすぎない」人類が、環境に対して特殊な存在になっていることを指摘したうえで、第1節を次のようにしめくくっている。
 「全ての生物は生態系の一員として、系の均衡と調和の中に身をゆだねている。しかし、人類はこの系から抜け出し、自ら築いた社会・文明に依存している。そして、この社会・文明の活動は、不可逆的な環境破壊をもたらす力を持つまでに至っており、それは知らず知らずのうちに人類自身におよぶ可能性もある。人類は、将来世代の在りようについて考え、それに向けて行動することのできる唯一の生物であろう。今に生きる我々が、何をすべきか。いわば種としての存続がかかるその問いかけに、我々はどのような答を用意できるのだろうか。」
 そして第2節の「古代文明と環境」では、メソポタミア文明やイースター文明などの古代文明がなぜ滅んだのか、その主要因を森林の破壊やムリな農業に伴う土壌の荒廃、沙漠化に求めて解説している。興味深いのは中国文明についての記述で、多くの文明が滅んだのに対し、中国文明が持続的だったのは、「森林と共生した持続的水田農業が営まれ、そのような環境条件の下で中国の文明は大きな変動を伴いながらも今日まで数千年にわたって続いてきたのである」としている。
 この土への着目が今回の白書の大きな特徴であり、第3章の「次世代から見た日本の環境ストック」の第1節は「土」なのである。食物を生み、水を浄化し、微生物がすみ生態系を支えている土、その「土の生成には極めて長い時間を必要とするが、その破壊は驚くほど早く進行する」として「日々の生活の中で、ややもすると忘れられがちな土について目を向け、我々1人ひとりが、土を大切にする努力を傾けていくことができるなら、我々は土と共に生きていくことができるのである」という文章でこの節をむすんでいる。

◆自然と人間の関係のキーワード「環境」

 「文明論的観点」から「土」へ、この白書の大きな流れをどうみるか。文明論的観点などといって、結局は現に環境を破壊している企業の責任を免罪することにならないか、といった批判もあろう。それもわかる。しかし企業もまた大量消費社会に支えられて成り立っている以上、モノが豊富な生活を求めて成りゆきとして成立してきた現代社会そのものを問い直す作業もまた、重要な課題であるはずだ。
 文明論的観点を深めるには、その対極にある自然の見方をも対象としなければならない。文明すなわち人間(社会)と自然との関係、それが対立的矛盾に陥っているのが環境問題である。そして人間と自然の関係を問い直すキーワードとして「環境」がある。それでは、環境とは何だろう。
 この春、農文協から不思議な絵本が出された。動物学者であり日本の自然保護運動の代表的な理論家・運動家の1人である小原秀雄氏(女子栄養大学)が編者として全力を傾注し、それに異色なイラストレーターとして著名な下谷二助氏の絵を組み合わせた、絵本である。
 書名は『きみのからだが地球環境』(全5巻)、「地球環境」と「きみのからだ」が意外にも「が」という言葉でつながれている。しかし、決して奇をてらったわけではなく、内容をよく表現している書名なのである。この理由はおいおい説明するとして、巻構成は次のようになっている。
 第1巻 きみは、どこからやってきた?
――生きてるってなんだ?
 第2巻 きみは、死んだらどこへいく?
――自然ってなんだ?
 第3巻 きみには、きみの環境がある
――環境ってなんだ?
 第4巻 人間のくらしが、ヒトを変える
――人間ってなんだ?
 第5巻 地球はちいき、地域はちきゅう
――文明ってなんだ?
 この絵本、小原氏の独自の、環境と人間との関係論をダイナミックに描いたもので、直接に農業を扱ったものではないのだが、この絵本を読んでいくと、そこに描かれている考え方、思想を最もよくわかるのは、農家にちがいないという気持ちがしてくる。そこで、この絵本の流れに沿って、環境とは何か、そして環境問題と農業とのかかわりを考えてみたい。

◆農業がもつ環境形成力

 第1巻のはじめに、人が泳いでいてそのからだの中を魚や海が通っていくという不思議な絵がでてくる。環境は単に外界ではなく、からだに入り込みからだをつくっている、そうしたこの絵本の環境観を象徴的に示した絵だ。環境というとふつうは外の世界のこと、あるいは人間と対立するものと思いがちだが、環境はあくまで主体にとっての環境であり、主体と環境とは一つになっていて切り離すことができない。
 1枚の田がある。田はその土地(自然)に農家の手が加わってつくられた。田は自然の延長であると同時に農家の延長である。その田を環境として育っているイネは一方でワラや根を残して田の土をつくる。田はイネをつくりイネは田をつくり、そのイネと田との関係を農家がつくり、そのコメを食べて人は自分のからだをつくっている。イネが育つように環境を整えている人間は、イネにとっての環境であり、それを食べものとする人間にとってイネは環境である。この絵本では環境の基本に食物がすえられている。
 農家にとって環境という言葉はなじまないかもしれない。イネも田もいわば自分のものであり、自分の表現だから、環境とは表現しにくい。しかし、農家にとってのイネや田に、人間にとっての環境というものの本質が示されている。
 野生の生物においては、環境と生物主体とは直接的に一体化している。一定の自然条件に適合するように自らの体つきや生き方を選び、そのことによって自然を環境としてとり込むことで生活している。人間もヒトという動物であり、自然を環境としてとり込まなければならないのだが、野生の生物とのちがいは、人間は自ら自分の環境をつくることにある。イネも田も人間がつくっているものだ。人間がつくっているけれども、イネは一方ではあくまで植物の一種として生きており、田も自然物を土台にしてつくられている。自然であり農家のものでもあるイネや田、それがつまり人間にとっての環境である。環境という言葉が、自然や外界とはちがった独自の意味をもつのは、それらの客体が主体と分かちがたく結びついているからである。
 農家はそうした環境観を自分のものにしてしまっているがゆえに、環境、環境と軽々しく騒がない。それに対し、近代の工業的社会は環境破壊的であるがゆえに、人間に対立するものとして環境を問題にする。しかし、こうした工業的環境観でもって、環境問題を克服することは可能だろうか、そこが問われている。
 農家は直接的に自然にかかわり、日常の仕事、生活の中で環境をつくっている。近代の工業とちがって、農業は環境形成的である。もちろん、滅亡した古代文明にみられるように、すべての農業が環境形成的とはいえない。定住的、永続的な暮らしが成り立つには農業が環境形成的でなければならない。山があり川があり田畑があり、それを結びつけて土を守る日本の農法は、すぐれて環境形成的である。田畑は森に支えられ、森によって雨は田畑を涵養するものになる。こうしたしくみを生かすことで農家、農村は森や雨を自らの環境とする。この日本の地域がもつ独自の環境形成力が、現代において重要な意味をもつ。

◆農業は自然に対して開かれた環境をつくる

 絵本の第2巻のテーマは自然であり、第3巻は環境である。そこでは、各種の生物の食う食われる関係を軸とした自然生態系の構造が描かれる。環境は主体にとっての環境であった。それぞれにとっての環境が相互に入り込み、複雑な構造をもつことで、一定の地域において多様な生物の生存を可能にする、それが豊かな自然界である。沙漠も自然物でできているが、そうした構造が失われている。
 傾斜地を利用して整然とつくられた棚田は、水の流れをうまく生かし、土の流失を防ぎ、ドジョウやタニシやトンボやらのたくさんの生物がすみつく。自然をもとり込んだ人為的な生態系がつくられる。自分のためにイネをつくる、イネのために田をつくる、その田は自然に向かって開かれている。こうして棚田という環境がつくられる。都市のように人工物でまわりを固めるのではなく、自然を囲い込むが自然に対して開かれ、自然をとり込む。ここに農家の、農業のもつ独自の環境形成力の本領がある。
 そして、今月号の「棚田があるからこその都市との交流」の記事にみられるように、都会人はそこに魅力を感じる。都市における環境が悪化しているからである。大気汚染とか食品公害とかというだけでなく、次にみるように自分の環境に対する本質的な不安、問いがあるからだ。

◆都市の不安――「産直革命」の意味

 第4巻の「人間のくらしが、ヒトを変える――人間ってなんだ?」は、小原氏の「自己家畜化論」をもとに描かれた、いわば、このシリーズの山場ともいえる巻である。
 自己家畜化とは、野生動物にエサを与え囲い込むことで長い年月をかけてつくられた家畜におきた体つきや行動の変化に似た変化が、ヒトが人間になる過程でも起きているというもので、それを人間は自らが行なうから、自己家畜化なのである。野生のブタ(イノシシ)を飼い続けると鼻が短くなり、キバが短くなり、成長が早くなり、季節的な繁殖期がなくなり、つまりブタになる。野生のウマに比べて家畜のウマのたて髪は軟らかく長い。人間の髪もサルに比べると頭の毛だけが長く、体つきも丸く季節的な繁殖期もみられない。モノをつくりモノで囲い、雨風など自然の脅威を遠ざけることによって、人間は人間そのものとその暮らしをつくってきた。人間が環境をつくり、環境が人間をつくるのである。
 そして、現代では極度に人工化が進み、家畜化からさらに「ペット化」と呼ばれるような状態がつくられ、それがさまざまなゆがみをもたらしているのではないかと小原氏は考える。マンションで手厚く飼われ、土にふれることも少ない座敷イヌは、骨折しやすく、糖尿病や慢性胃炎や歯槽膿漏までみられる。これは座敷イヌが内にもっている動物としてのイヌの自然性が、環境によってゆがんだ結果とみることができる。といってイヌを野生にもどせばよいわけではない。イヌは家畜としてつくられてきたのであり、家畜としてのイヌの自然な暮らし方があるだろう。家畜を飼う農家なら、その感覚がよくわかるにちがいない。
 人間もまたヒトであり、現代人の健康障害や心の不安は、ヒトであることと現実の人間としての生活との間に不調和が生じていることのあらわれとみることができる。そして、モノに囲まれた環境は、一方ではますますモノに依存する心情を強めていくが、それは人間とヒトとの不調和を拡大していくがゆえに、一方では自然や農村への志向を強めていく。どちらの方向にむかうかが、環境問題の行く末を決するといってもよい。
 そこで、農村から都市への働きかけが重大な意味をもつ。都市生活者の心情を力として、農村が自らの環境形成力を強めていく。都市を力にして農村を守り、農村が都市を元気づける。異なった環境に生きる地域が互いに結びつき、こうしてより総合的な環境形成力が生まれる。今、大きく広がりつつある「産直革命」の意味がここにある。

◆環境形成は地域で現実化する

 第5巻のテーマは地域である。なぜ地域なのか。
 環境問題は直接的には2つの面にあらわれている。一つは個々の人間にとっての問題、つまり人間とヒトとの矛盾であり、その象徴は心身の健康問題である。もう一つは人間がつくる社会、それは自然を土台とし素材としてつくられているが、その社会と土台である自然の矛盾であり、そのグローバルなあらわれがオゾン層の破壊などの地球環境問題である。しかし個人と地球を並べるだけでは、問題を克服する地平は生まれない。そこで、具体的な生きる場として地域が設定される。
 地域の自然生態系を破壊することによって古代の文明が滅んでいったように、現代の沙漠化も地域の自然と生活の破壊が要因になっている。急速な商品化のためのムリな家畜の過放牧などが周辺の沙漠化を進め、その結果食えなくなった人々は、一方は都市へ、そしてもう一方は他地域へ移り、そこでのムリな農業がさらに沙漠化を促す。アフリカなどにみられる沙漠化と都市の急速な膨張は、地域破壊の結果である。地球環境破壊の裏側に地域破壊がある。
 古代文明が滅んでいく過程で人々は、フロンティアを求めて新たな土地へ移り進んでいった。西欧近代文明も植民地というフロンティアがあって成り立った。しかし、今、地球に新たなフロンティアはない。
 環境白書の「文明論的観点」から「土」への着目も、そのことを前提にしている。土は定住を保証し、地域の暮らしの文字どおり土台である。各地域に固有な自然が固有な土をつくり、その土を地域の人々が守り豊かにしていく。自然と人為がともに含まれている土は、すぐれて環境であり、地域の環境形成力を最もよく表現する。地域形成とは環境形成のことである。
 環境問題を克服するキーを農業・農村が握っている。環境問題の本質的事柄にかかわりはじめた環境庁、本格的な環境教育にとり組もうとしている文部省、環境保全型農業(環境は外にあって「保全」すべきものではないという意味で、環境形成型といいたいところだが)を推進する農水省、こうした官側の施策をも活用し、都市を巻き込んで農家、農村の環境形成力を強めていく、そこから未来が拓かれる。

 白書の冒頭で、宮下環境庁長官はこう述べている。
 「計画(閣議決定された環境基本計画のこと)では、環境への負荷が少ない持続的発展が可能な社会を目指し、「循環」「共生」「参加」「国際連帯」を長期的な4つの目標として掲げています。この背景には、私たちの日常のライフスタイルと社会経済活動の在り方を文明論的な観点にまでさかのぼって根本から問い直し、これからの文明社会をいかに構築していくかという基本哲学がありました。」
 現代は哲学が求められる時代である。そして「農の思想」こそ、現代の哲学にふさわしい内実をそなえている。
(農文協論説委員会)


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