主張

カンキツ農家に近づこうとした夏の話――『カンキツ大事典』普及より

 目次
◆カンキツ農家に近づくための「話の糸口」
◆「草をどうしていますか」
◆「理想の仕立ては何ですか」
◆「好きな品種は何ですか」
◆技術を消化する、それぞれの経営として
◆仲間で読んでほしい

 23年7月下旬の暑い日、私は眼下に港を望む愛媛県八幡浜やわたはま向灘むかいなだのミカン山を50ccのカブで走っていた。1月に発行予定の『カンキツ大事典』の普及(営業)のためだ。向灘のミカン山は南から見ると東西に長い屏風のようになっていて、その屏風の東端にある橋本農園を訪ねた。名前を呼びかけると上の畑から声がして、作業中だった橋本さんがわざわざ下りてきてくれた。挨拶すると「ああ農文協ね」とそっけなく答え、でも倉庫の中の休憩所に通してくれた。まずは草の話をしたと思う。そのうちに橋本さんは冷蔵庫を開け、ミカンジュースを出してくれた。甘いがさわやかで疲れが吹き飛ぶようだった。橋本さんの技術はそれぞれがつながっており、観察と経験に裏付けられて見事だった。そのときの報告が、24年1月号p152〜の記事の元となった。橋本さん夫婦の姿を再び誌面で(表紙でも!)見ることができて、とても嬉しい。

カンキツ農家に近づくための「話の糸口」

 7月下旬から8月にかけ、私たち農文協『カンキツ大事典』普及チームは愛媛県に集まり、北は松山市から南は愛南町までバイクで巡回した。総勢18人の部隊だった。あの夏、私たちは力を合わせてカンキツ農家に近づこうとした。課題、関心、喜びを知り、つかもうとした。その結果が最近の『現代農業』のカンキツの記事として登場していて嬉しい。

 『カンキツ大事典』は23年ぶりの大改訂だ。約1600ページにも及ぶ大部で、カンキツについての多角的な知識や技術情報が詰まった大事典。刊行の時代的背景は、「カンキツ栽培は、かつての増産多収・産地化の時代から、次いで高品質(糖度)の追求・競争があり、その後は省力・軽労化がクローズアップされるなどして、多くの技術や工夫が積み重ねられてきた。そして今日の大きな関心事といえば、温暖化による気候変動への対応と、中晩柑類を含む個性的な品種群を安定してつくりこなす技術ではないかと思われる。どちらも難易は高く、現場はこれまでにない多様なスキルが求められている」(現代農業24年1月号p178)と表現されている。

 この「カンキツについて日本で一番詳しい実用大事典」をカンキツ農家に届けるため、私たち普及者は「カンキツ農家の本質」に迫りたいと思った。そのための話の糸口は、「草」「理想の仕立て」「好きな品種」「困っている病害虫」......であった。

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「草をどうしていますか」

 私たちはまず草についての考えを、会う農家会う農家に質問してまわった。農家の関心は大きく二通りに分かれていた。一つは除草作業の効率化(除草剤の上手な使い方など)、もう一つは草を大事な有機物としてとらえての根圏保護。そういえば『現代農業』でも大事典でも、草は両方の角度から取り上げている。

 まず前者について。『現代農業』2018年8月号で和歌山県のJA営農指導員(当時)坂田寛樹さんは「除草は試験場などの専門機関で研究されることが少なく、農家独自の工夫がなされている」と述べ、下津町の農家の技術を元にできた「雑草管理マニュアル」を紹介してくれている。愛媛県においても事情は同様だった。除草剤についてのノウハウは個人や産地で大きく違う。記事にもあった土壌処理剤と接触型除草剤の混用などは、初めて聞くという人もいた。

 次に後者について。『現代農業』でも「果樹の草生栽培」を取り上げることがよくあるが、冒頭の八幡浜市橋本さんとの最初の話題も、草についてだった。私が巡回していた八幡浜では草を除草剤できれいになくす清耕栽培が主流。「急斜面だから、草を生やすと滑りやすい」という地形上の要因があるのだと思っていたのだが、橋本さんは「自分は草をなるべく生やす。根を大事にしないといけないからな」と話してくれたのだった。「ほら、こんな雨のない日でも、草の下は湿っているだろう」。途中から話に加わってお昼も食べさせてくれた妻の真澄さんも「草は宝だから」と言い、家族でその考え方が共有されていた。

 続いて橋本さんは、肥料と根の関係を話してくれたのだった。読者の皆さんは肥料をやると根はどうなると思うだろうか。肥料に向かって伸びる?逆に傷める?橋本さんは「肥料で新根が焼ける」と考えて、春の肥をやめた。1月号の記事の通り、徹底した観察と実践の結果だ。そして静岡県の中間和光先生の記事や本から影響を受け、夏肥なつごえに取り組み始めた。試行錯誤を繰り返して「橋本式」ともいえる夏肥の管理体系を作り上げていった。技術は消化され、橋本さんの技術と経営の血肉となっていて見事だった。「一番大切なものは目に見えないところにある」とよくいうが、カンキツ大事典にある「隔年結果の原因と対策」の記事には、隔年結果で根の量やデンプン含量が大きく変動することが報告されている。対策として、目に見えない根圏のケアをすべきことが述べられている。

 橋本さんのように根や肥料など、目に見えない地下部への、その人なりの考え方を聞ける糸口が、草の話題にあった。

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「理想の仕立ては何ですか」

 チームでは、仕立て(樹の形)について聞いて回るメンバーもいた。草管理が地下部への考え方の糸口とすれば、「仕立て」は目に見えている地上部への糸口であった。せん定、摘果、肥培管理、防除へのその農家なりの方針が、「仕立て」を聞くと見えてくる。

 12月号で登場した菊池正晴さんの「片側丸坊主方式」との出会いも、糸口は「理想の仕立ては何ですか?」だった。仕立てを口で説明するのは難しい。だから圃場に連れて行って説明してくれる農家も多かった。私は圃場に行くのがとても好きだ。ミカン山の多くは急傾斜で、海の見える高いところにある。

 それまで『現代農業』の記事を読んでいると、せん定には、切り上げせん定・切り下げせん定二つの流派があるように思っていたし、樹幹上部摘果・後期重点摘果もそのように思っていた。だが現場を回るチームの報告を聞いていると、どちらか一方ということは少ないようだった。農家は切り上げも使うし切り下げも使う。樹幹上部摘果も後期重点摘果も樹に応じて使い、一つにこだわるものではないようだった。成り年で干ばつ気味の今年は早めに落とす、というように「それぞれの技術のよいところを導入し、結果を出す」という農家が多いようだった。やはり技術が農家の中ですでに消化されているからこそ、臨機応変にそれを使いこなすことができるのであった。

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「好きな品種は何ですか」

 ダルメインマーマレード世界大会で日本人が最近入賞を繰り返していることをご存じだろうか。24年3月号に登場予定の高野地たかのじフルーツクラブ・清水香代子さんは「日本は品種がとても多いんですよ。甘い品種、香りの品種、中晩柑、香酸カンキツ......、それらを組み合わせるとまた多くなります。どの品種でどんなマーマレード作ろうかなって考えて、ワクワクしてます」と話してくれた。

 言われてみるとたしかに、日本のカンキツの品種はずいぶん多い。温州にもたくさんの品種があるし、大事典に掲載されている中晩柑も25種、さらに香酸カンキツもある。他の果樹に比べて、古い品種の活躍の場も多い。河内晩柑やハッサク、ポンカン、甘夏など、原種に近い古い品種や、日本の中晩柑の祖・清見なども一線で活躍している。これほど品種が多様なのは、多様な風土でカンキツが栽培されているからだろうか。雨の多い亜熱帯から雨の少ない瀬戸内、崖のような段々畑から水田転作まで。そして一流のカンキツ農家は、その土地の特徴とその品種の性格を知り抜いて植えていると思った。味や品質だけでない、樹勢等の品種の特徴の理解が、経営と直結していた。

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技術を消化する、それぞれの経営として

 まだ道半ばではあるが、カンキツ農家の本質に近づこうとしてたどりついた現時点の結論は、「カンキツ農家はそれぞれ一流の人たちで、一流の技術体系があり、それが経営と結びついている」ということだ。

 一人として同じ人がいない。教科書や共通の栽培暦もあるなかで、これをどう考えればいいのか。たとえばプロ野球選手で考えるとわかりやすいと思った。プロ選手が千差万別で同じタイプの人はいないように、この時代にカンキツ経営を成り立たせているプロ農家たちも同じであるはずがないのだ。せん定、施肥、防除などの技術の要素が見事に消化された状態で、その人の技術と経営の中に組み入れられている。科学的にはそれが正しい方法かどうかわからないが、結果は出ていて、そのための技術体系が確立している。そういう人に会うとワクワクする。実践が科学を追い越し、それにまた科学が追いつくということがあるのかもしれないと思うのだ。技術の消化の方法は、理論と実践の繰り返しの先にあるが、そのヒントが今回のカンキツ大事典に詰め込まれている。

 日本のカンキツ農家の本質は、経営と技術、技術とカンキツの生理の理解が一体的に結びついている姿ではないか。そしてそれはカンキツのみならず、日本の農家の特質であり強みなのだと思う。

仲間で読んでほしい

 最後にもう一つ。「仲間」のことである。カンキツ農家にはいろんな仲間がいると思った。同じ出荷組織の仲間、同じ集落の仲間、部会の仲間、同級生......、技術的な関心でゆるやかに広い範囲でつながっている人もいた。カンキツの技術や経営が好き、ということでつながれるのがとてもうらやましいと思った。愛媛県八幡浜市の農家から、宮崎県日南市の田中憲治さんや鹿児島県長島町の池元航さん(誌面でもおなじみの農家ですよね!)の名前がスラスラと出てきたりした。ぜひ仲間どうしでこの大事典の読書会なども企画してほしい。その際にはぜひ私たち農文協にも声をかけてほしい。何かお土産話はお持ちします。

 発売前後の1月から2月、和歌山、熊本、広島等、カンキツ農家にまた普及に行くことが決まっている。ぜひ皆様、温かく迎えて頂ければと思います。

(農文協論説委員会)

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