主張

「気持ちは百姓」の百の声

 目次
◆百姓のかっこよさ
◆田舎を出た人たちの心の痛み、関係性の回復
◆新たな農型社会へ 百姓の精神が未来への希望

「最初に謝りたい『ごめんなさい』。農業、百姓の方々を私は『弱い立場』として見ていました。『農』が大事なものとは認識していたものの、私はそれを皆で守って支えていくものだと思っていました。この映画を観て、イヤイヤ私がこの方たちに守ってもらっているんだと気づかされました。その大役を担っている方々、すべての皆さん魅力的で、扱っているテーマは重いのに、観終わってからとてもすがすがしい、いい気持ちでした」

 これは農文協が制作に全面協力し、2022年11月に公開された映画『百姓の百の声』を、沖縄市で観た女性が寄せてくれた感想である。

 この映画のことは、本誌でたびたび取り上げているので(現代農業22年9月号~23年6月号)、ご存じの読者が多いと思う。観ていただいた方も多いのではなかろうか。劇場公開のほうは一巡し、現在は全国各地で自主上映会が開催され、その輪が広がっている。自主上映会では映画を観て終わりではなく、上映後に交流会を設けることが多い。その際は、ささやかながら農文協も協力させていただいている。監督の柴田昌平さんと一緒に職員も話をさせていただいたり、映画にも登場するタネの交換会を行なったりする。そんな自主上映会後のアンケートが多数農文協に寄せられており、ここではその「百を超える声」から、「農の周辺にいる人たち」が、映画の表現を借りるならば、近くて遠い「百姓国」を見つめるまなざしを紹介してみたい。

百姓のかっこよさ

 まず驚くのは、「百姓はかっこいい!」という感想が数多く寄せられていることだ。もちろん映画に登場する人の顔やスタイルがスマートだと言っているわけではない。その声に耳を傾けてみると……(文末は上映会が開かれた市町村)。

⚫90代の方が「10年後の自分に期待している」というシーンに、チカラをもらえました。「農」とともに生きる人たちの言葉は、生きる人すべての心に響くと思います。(埼玉県小鹿野町)

⚫農家の方たちの知識、知恵、工夫、努力し続ける姿勢。本当にかっこいい! 日本の未来は百姓が支えているんだということを、私たち全員が知らないといけない。(沖縄市)

⚫百姓、かっこいいーーー!! 命と向き合ってどんな困難にも立ち向かうようなヒーローみたい!!と思いました。私達は命を食べずには生きていられないのだから。(沖縄市)

⚫百姓のかっこよさ。常に自分ごとで関わる。自然を読み、祈り、受け入れている姿。分け合う精神。私のありたい姿。他にやりたいことがあるので百姓にはならないけれど、自分の畑を持って土に触れていきたい。百姓の精神を持って生きたい。(島根県津和野町)

⚫今年から自然農で就農しています。大先輩の皆さんの言葉の数々が自分自身へのアドバイスのように、響きました。(福島県須賀川市)

⚫70代、80代の方々の活躍がかっこいいと思いました。私は「あたいぐゎ」ですが楽しくやろう!と思いました。
*「あたいぐゎ」とは、家庭内で作る小規模の畑のことです。(沖縄市)

⚫百姓とは何でも自分でできる人。(埼玉県小鹿野町)

 いかがだろうか? 読者農家の方々は、お尻がむずがゆくなってこられたかもしれない。映画の中で淡々とではあるが熱く語られる言葉、百姓が当たり前のように持っている作物を育てる知識、ちょっとした農機具の修理は平気でやってしまう技術、えひめAIなどの微生物を活かして土をつくる工夫、コナジラミの大量発生にタバコカスミカメという天敵の虫を活かして対応する知恵。そしてその技術を惜しげもなく人に伝える姿が映画では描かれる。また本誌でもおなじみの千葉県のトマト農家・若梅健司さんが語る「自分で選んだ職業。人に頼まれてやるのではない。道楽と思ってやることである。どんなきつい仕事であっても、自分が好きで選んだと思えば苦にならない」という言葉。絶えず新しい技術に挑戦することを信念とする御年94歳の若梅さんの姿に力をもらえたという声も多い。その姿は、何事も他人のせいにしたがる私たちの生き方を揺さぶる。そんな百姓たちの姿を、「百姓国」の外側にいる人たちが「かっこいい」と感じている。

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田舎を出た人たちの心の痛み、関係性の回復

 思えば戦後の日本は農村を民主的ではない遅れたものとみなしてきた。伝統的共同体は古くて破壊されるべきものという考え方が支配し、若者は田舎を離れ都会に飛び出した。現在の50代から60代半ばくらいまでの年代の人たちだろうか。その親世代には「自分たちの苦労を子供には味わわせたくない」という思いもあったのだろう。

 映画では、自分の子供の前では決して悲観的な話をせず、農業や自然の楽しさ、面白さを語るようにと夫婦で話し合って決めた、という百姓が登場する。茨城県龍ケ崎市の大規模農家・横田修一さんのお父さんだ。あとを引き継いだ息子はそんな企みのことは知らずに育ち、今は自分の子供に同じように農業の面白さを伝えている。

 この場面に思いをはせて感想を寄せる方も多い。現代は「無縁社会」とも呼ばれるように、家族間や組織内、地域内で人と人の関係性が希薄になっている。「田舎を捨てる教育」を受けて育ち、都会へと出ていった方々が、改めて自分の家族や生まれ育った故郷に思いをはせながら、食べることとつくることの関係性の喪失に心を痛めているかのようだ。

⚫私自身、百姓の娘なのですが、百姓にならずここまできたのは、どちらかというと大変さばかりを感じて育ってしまったなぁと。それなのに、今は百姓に憧れたりし始めています。新しい形の百姓というか、そんなことを考える日々です。(山形県鶴岡市)

⚫母は農家が嫌でサラリーマンと結婚しましたが、私は田んぼがある生活はよいなあ、と。苦労もたくさん。だけどやっぱり大切なんだと、しみじみ思いました。みなさん、登場される方の滋味深い表情が農業の豊かさを感じさせてくれました。(島根県出雲市)

 いままだ、故郷はかろうじて残っている。人と人との関係性回復のヒントは農村のくらしの中にこそあると、田舎にルーツがある人ほど感じているようだ。自然と人間との関係性を取り戻したいと感じているといってもいいと思う。

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新たな農型社会へ 百姓の精神が未来への希望

 本誌24年1月号「主張」欄では「自給の地域化」で新たな農型社会をめざそうと掲げた。この映画をきっかけに、まさに「地域の農型社会化」のために動き始めたグループもある。

 埼玉県狭山市入曽いりそ地域の「〝食と農〞まちづくりフォーラム実行委員会」だ。メンバーは農家・非農家さまざまな男女8人で、この映画を「食と農の関係性を回復する突破口になる作品だ」と感じて昨年10月の自主上映会を企画した。案内のチラシには次のようにある。

「経済が下向きの現在、食料を輸入に頼れなくなる日本で今必要とされる力はレジリエンシー(復元力)であり、百姓には本来これが備わっている」。

 百姓に備わっている力。『現代農業』ではこれを「農家力」と表現してきたが、その本質の一つは確かにレジリエンシーでもあり、また「百姓」という言葉の意味に最も近い「何でも自分でやってしまう自給力」でもある。

 狭山市の自主上映会は150人を集め、大盛況に終わったが、メンバーの活動はこれで終わらず、今後は学習会などを重ねながら、畑で大豆やソバを栽培・加工、野菜もつくって市民対象の体験農場、軽トラ市や農家カフェ、有機農業……と、食と農のコミュニティ実現のために、5年後までの綿密な行動計画を練っている。今年の6月には、ひとまず落ち葉と微生物について理解を深める勉強会を、市民を集め大々的に実施する計画だ。

 自主上映会をきっかけに動き始めた地域は、ほかにもたくさんありそうだ。百姓の持つ「自給」の精神が、これまで消費するだけだった人々に「これからの地域をつくりだす希望」として届き始めたようにも思う。映画感想アンケートでも最も多かった声は、「閉塞した現代と思っていたが、これからの未来に希望を見出した」というものである。

⚫どんな壁があっても転んでも、自然と作物と向き合って乗り越えていく。仕事にも人間関係にも町づくりにも通じるヒント。強くたくましく生きるヒントは、もしかしたら「農業」にあるのかもしれません。(埼玉県小鹿野町)

⚫百姓の方々の生き方を見て、本当の豊かさってなんだろうと思いました。政治に翻弄されながらもめげないで未来に希望をつないでいく姿勢、一人勝ちしないということ、大切なタネを共有していくことなど、素晴らしいと思います。スーパーには食べ物があふれているけれど、その先のものを考えたいです。軍拡とか言ってないで農業を守っていかなければならないですね。(東京都国立市)

⚫命あるものに敬意を持って接することの大切さを今、声を大にして言いたいよね。それが私たちの生きる(地球に生きさせてもらっている)道であることが伝わりました。(島根県出雲市)

⚫知らないことがたくさんありました。私が思う農業の未来は、「農のあるくらし」を日本人一人一人が自分で実践するということです。希望がもてました。(島根県出雲市)

「みどりの食料システム戦略」が打ち出され、オーガニックビレッジ宣言をすると決めた自治体は91(23年8月末)にものぼっている。農と食を通じて未来の世代のための地球にと考える人が増えているのは、皆さんも実感されているのではないだろうか。

 それを担っているのは、「百姓」である農家自身と、百姓の持つ自給力をかっこいいと感じ、そんな百姓の精神を持ちたいと考える「気持ちは百姓」の人たちである。彼らがこれまで「近くて遠い」と感じてきた「百姓国」。その「国」とは、「Nation」(国家)ではなく、土に根ざした「Land」であり、何より身近な「Community」(農型社会)を意味するのではなかろうか。

 みなさんの町でも映画『百姓の百の声』を上映して農と食について語り合ってみませんか? ささやかながら農文協はそのお手伝いをいたします。

(農文協論説委員会)

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