第1回鹿泉市酪農技術交流訪日研修団

3月3日〜3月24日、鹿泉市より鹿泉市乳業協会会長王士偉氏及び酪農家の賈喜祥氏、解建章氏らが来日した。これまで6回にわたって行われた日本側酪農専門家による現地指導を踏まえて日本の各種酪農施設と先進酪農家の実践を日本の現場で学ぶためである。

成田到着後、最初の1週間は王士偉会長以下3名で千葉の酪農家、診療所、育成牧場を見学、その後長野に移動して小沢禎一郎氏の牧場などを見学した。王会長は1週間で帰国。

2週目以降は、酪農家2名は長野県松本市の小沢牧場、大野牧場で研修、その後千葉県安房郡に移動し日本側酪農交流団である鈴木氏の牛舎で実際の作業を通した研修を行った。

2週間の研修を終えた賈、解両氏は終了証書を授与され、その経験を鹿泉市で実施する目標を抱きつつ帰国した。

日中双方の農家交流を進めるために、今後もこの様な現地研修を進めて行く予定である。


訪日回顧

鹿泉乳業協会 王士偉


鹿泉市乳業協会訪日団一行三人は、2002年3月の訪日考察と研修の期間中、日本農山漁村文化協会と関係者より暖かい接待と丹念を込めての按排を受け、円満に訪日の任務を終えることができました。ここで、鹿泉乳業協会の会員と鹿泉酪農家を代表して深く謝意をもうしあげます。

今回の訪日乳牛技術交流と研修は、鹿泉乳業協会と日本二本立て給与法研究会が農文協という窓口を通して長期的な交流の中での継続と広がりです。過去7回、日本友人が鹿泉に乳業技術指導に来られ、効果がありました。今回は日本の現場で研修でき、過去よりも体験が深まった、二本立て給与法お合理性、科学性をさらに十分に認識することができた。鹿泉乳業の発展を推進し、酪農家の経済利益を高めることに大いに役立つと思う。

今回の訪日考察の内容は、日本二本立て給与法研究会の小沢禎一郎先生、岩瀬慎司先生、渡辺宏先生および、農文協斉藤春夫先生、葛嵐屏女史のきめ細かい企画と日程按排の元で、多くの牧場、育成牧場、試験場、岩瀬先生の家畜診療所、千葉県酪連(特に酪農指導検査機構)、松本市の乳業メーカーなどを見学することができた。乳業事業を携わる私にとっては、収穫の多い旅でした。

日本乳業の科学化、規範化は非常に特色あります。見習うべきです。例えば、育成牧場は科学的な方法で建てられた酪農家に後備牛群を育成するための優秀な乳牛施設です。そこでのやりかたは、酪農家自身ができないのです。このやりかたは、見習って普及すべきだと思います。

岩瀬慎司先生の家畜診療所を見学して、技術や設備、スタッフなどの諸方面で、鹿泉の家畜診療所がはるかに差があり、とくに、仕事への絶えず改善していく精神にはほど遠い距離があると感じました。

須藤牧場は規範化、規模化、整然として清潔で美しい生態化養殖基地で、基地の経済を活性化させると同時に、経営思想(発想)を開拓しました。酪農を通じて経済価値を作り出し、と同時に、次の代の成長に良好な環境を提供しています。特色ある小さな小屋、木のフェンス、小さい動物など、どちらも子供の世界を感じさせてくれた。私はこのすべてを見て、少年時代に戻ったような気がしました。これは子供の興味を引きやすく、児童少年の教育と連携することができる。牧場は小さい動物の快楽な場所であると同時に、子供たちに大自然を愛し、生活を愛する心を培い、小さい動物を知ってもらうための教育楽園でもあります。この構想は斬新で見習いと借りる価値がある。

今回の訪日で、私は乳牛飼養と二本立て給与法についてさらに深い認識ができました。特に、優秀な牛飼いがいなければ、優秀な牛はどこから来るの?このことに対する印象が深い。乳牛飼養は専門技術であると同時に、ほかのいろんな方面の専門知識と教養とも関連がある。優秀な牛飼いは、情熱だけでは足りない。多方面での専門知識が必要。絶えず新しい理論を受け入れ、自分を充実させる。実際の状況に応じて真面目にまとめ、絶えず技術改進と更新をする。国内の、国際の乳業と牧畜の状況を常に把握し、経営理念を絶えず更新し、伝統的な飼養モデルを変える必要がある。帰国後、張景鳳、王聚文、解建章、賈喜祥などの酪農家を中心に、具体的な活動計画を立て(解と賈の二人に日本の所見と感想を語ってもらうことも含める)、酪農家を組織し、乳牛飼養科学化と規範化の意識を高めたていきたい。

考察の中で、日本酪農家から乳牛の必要な粗飼料の合理的エサ設計、貯蔵などの科学性と合理性を知った。彼らの配合エサ設計は草食動物の生理特異性を満足させ、良好な効果を得た。これも酪農家が単純経済効果を追求するという前提でもっとも無視しやすいところです。

総じて言えば、日本の定量変数二本立て給与法にしろ、多くの牧場が採用している自由採食(フリーストール)の方式にしろ、高い経済効果があった。重要な一点は、乳牛飼養を携わる酪農家が乳牛という動物そのものの生理特性、生活サイクル、特徴と機能などを的確に知っている。だから、乳牛への各種「サービス」と飼養が比較的合理的で、「乳牛は満足している」、飼養環境が狭いという状況の中でも最大限に乳牛の生理特性を満足させ、乳牛の能力を発揮させることができる。高乳量、高収益に達した。

解、賈の二人は、小沢禎一郎先生、大野剛先生と鈴木孝雄先生のお宅でホームステー研修を受け、多大な収穫がありました。諸先生やご家族の皆さんには多大な迷惑を掛けました。ここで深く感謝をもうしあげます。彼らの現場学習を通して、過去に交流した二本立て給与法に対してさらに深い理解ができ、過去多くの勉強していない技術ややりかたをマスターすることができた。削蹄技術も明らかにレベルアップできた。今回の研修はきっと鹿泉の乳業の発展に積極的かつ深く遠い影響を与えるのちがいない。

言葉は直接に通じなかったが、両国の酪農家の間に暖かい交流ができ、見学ができた。日本の酪農家は自分の牛飼いの状況や経験を紹介してくれて、鹿泉の酪農について関心を持ち尋ね、アドバイスをし、生活の上では、世話をした。お互いの友誼を感じさせてくれた。また、日本の酪農家の仕事精神や仕事を完璧に追求する精神も我々は見習い、発揚すべきです。

今回の訪日考察は日本農文協が中国鹿泉のために作った「河北省鹿泉市農業・農村発展計画」の重要な部分である、同時に鹿泉市農業発展計画と農業産業化プログラムの実施。鹿泉市乳業協会と農文協との交流は終わったのではなく、良好なスタートを切ったと思っている。今後、いろんな方式で長期かつ深い交流をつづけたい。両国人民の友誼を増進させていく。

張市長から、農文協の斉藤春夫先生、今村奈良臣先生、馬渕先生、金成政博先生および葛嵐屏女史に対して感謝の意を表したい。

総じて言えば、今回の訪問は円満です。これは、両国の酪農家が技術交流と双方理解への強い希望、および農文協が今回の訪問のためになさったたゆまない努力ときめ細かい按排におかげです。鹿泉市乳業協会の会員と鹿泉銅冶鎮の酪農家を代表して、見学したすべての酪農家と団体に感謝をもうしあげる。農文協の斉藤春夫先生、小沢禎一郎先生と夫人とご家族、岩瀬先生と夫人とご家族、大野剛、尾形茂、越後谷、渡辺宏先生、葛嵐屏女史、張安明先生、大石卓先生および松本市島内公民館の皆さん、日本の農文協の皆さんに衷心の感謝をもうあげる。

中国鹿泉にまたいっらしゃってください。

2002年3月31日


付録:研修生レポート

1,日本紀行 賈喜祥


3月3日、賈喜祥、解建章、王士偉一行三人、朝6時車に乗り故郷を離れ北京に向かって出発しました。午後3時50分、飛行機が離陸し、夕方6時30分成田空港に到着しました。初めての日本の旅が始まりました。

日本友人岩瀬先生と斉藤先生、葛嵐屏が我々を熱烈歓迎してくれました。

3月4日から3月9日の間、農山漁村文化協会事務局などが我々を案内して、千葉県の家族牧場や鈴木牧場の牛糞処理施設を見学しました。

千葉の乳牛は若くて、乳房の形がよく、体型が大きいなどという印象を受けました。老牛が淘汰され、育成牛もよく飼育されています。また、日本の酪農家が、年と関係なく、牛飼いを愛し、勤勉で苦労に耐える精神にも感銘を受けました。

三代酪農を続いていた70歳の酪農家が我々に中国の酪農状況を聞かれました。彼は政治的に目をもっていて、話の最後にこういう素晴らしい言葉をおっしゃいました、「日中酪農は絶対にライバルにならないで」。 日本の育成牧場はよく運営しているように見えました。中国の鹿泉でも作りたいと思います。

松本では、小沢禎一郎先生、大野先生に暖かいご招待を受けました。

小沢先生はご多忙の中、我々を接待し、しかも、それを新聞に掲載し、宣伝しました。七十歳前後の文庫文化間の先生は盛大な昼食会を開きました。そこで、王会長に多くの質問をしました。大野先生はご自分のお仕事を休んで、我々に削蹄、角焼きを真剣に教えてくださいました。我々は中国で勉強できないことをたくさん学べました。

千葉の鈴木牧場では、飼養技術を研修しました。鈴木牧場で、我々は、エサを実際にやりました。渡辺先生より、暖かく、きめ細かいご指導と二本立て給与法の計算方法を教わりました。

先生は手を取って我々に計算を教えました。ある日、牛の四変手術がありました。先生はわざわざお電話で我々に知らせてくださいました。鈴木先生が車で我々を数十キロ以遠の場所に連れていき、鹿泉で見られない光景を見せてくださいました。しかも、牛はなぜ四変になるのかを説明してくださいました。原因は濃厚のやりすぎだと、我々も納得しました。

岩瀬先生は超多忙の日程の中で時間を作って自ら車を運転して我々を酪農家に案内しました。いく先々、我々は熱烈な歓迎を受けました。先生は、我々が東京に到着した時にお出迎えをし、帰りにまた空港まで送ってくださり、我々に日本友人の情熱と誠実さを感じさせてくれました。

全体的な感想は、日本酪農家の牛に対する認識と飼養技術が我々にとって学ぶべきだという点です。

帰国したら、日本で学んだ飼養技術、削蹄、角焼き技術を実践に応用し、リーダーシップを取って、鹿泉の酪農家の皆にも利益になるようにやりたいと思います。3年から5年間の時間で鹿泉の牛群がよくなるようにがんばります。

帰国前夜、ホテルにて。寝られず。乱筆乱文、お許しください。

3月23日夜


2,研修を無事終えて 解建章さんにインタビュー(聞き手:事務局)


所々賈さんもペンを止めながら意見を述べる


二本立て給与法について:

◎鹿泉での飼養方法と最大な違いは?

生後5か月から濃厚をやらず草をくれること。育成以降も、草を大量にくれて、乳量が高い。

◎能力牛の場合は二本立て給与法が合わないという意見があるが、どう思う?

そうは思わない(確信の様子)。なぜなら、変数飼料があるから。

◎帰国後、すぐやりたいこと?

子牛から草をくれること。ただし、問題は粗飼料の種類が乏しい。草の倉庫もない。簡単に見えるが、解決に困難な問題だ。

◎鹿泉の牛群についてどう考えている?

5年後日本のレベルに達したい。

◎具体的にどうする?

牛群検定、共進会などを積極的にやりたい。しかし、何事もプロセスがある。すぐ信じてくれない。自分からやる。人が自分の成果を見て、自然に真似する。

◎協会の役割は?

協会は機能していない。選挙などで、にぎやかに作ったが、何もやっていない。会員から100元の年会費を徴収したが、活動がないから、現在ストップ。結局、政府は酪農を重視していない。しっかりやっていない。日本は政府が重視してやっているから違う。日本は酪農協がある。いろいろできるね。うらやましい。乳業協会は、酪農家の必要な情報を提供できない。

◎協会が会員に提供すべき情報は何でしょうか?

まず、酪農家はよい精液を入手したい。そして、新聞雑誌もほしいね。

◎現にある雑誌はどう思う?

まったく読む気にならない。字数稼ぎみたいなもので。

◎大野さんところで読んだDairymanはどう思う?

あれは読みやすいね。絵もあり。是非ああいうものを作ってね。

日本と中国の酪農の生活を含む全体の比較について(飼養、酪農家素質、公共牧場、生活):



◎どうです?実際に見て、技術を学んで、10年後の中国はいまの日本になれる?

や、難しいね。日本は飼養技術と牛の品種がよい。中国は5年後よくなると思う。しかし、日本はまた前進する。追いつかない。

◎追いつかない理由は?

粗飼料と場所ですね。

◎イナワラとムギワラとかは使いそうでしょうか?

難しいね。ムギは品種と収穫の方法で量が採れない。粟の茎葉は可能。

◎酪農家の素質が高いと何回もおっしゃったが、具体的にどこが高い?

心温かい、保守的でない。事実をいえる誠実さ。渡辺宏先生は四変の手術があるからといって、すぐ知らせてくれて、見せてくださった。

◎中国酪農家の素質を高めるのに、どうすればよいのか?

自分からやり始めるしかない。結果がよければ、自然に受け入れて真似してくれる。

◎読書について来日してどう思った?

読書の重要性を改めて感じた。よい雑誌がほしい。

◎日本の酪農家の生活は大変だと思ったのでしょう?

中国では、人を雇うこともあるが、エサの種類の乏しさも仕事の省力化につながっていると思う。エサを順番にやるのは、結構だと思うが、労力がかかるね。中国では飼槽があるから、やりかたが違う。

◎公共牧場は印象に残ったと思うが、帰国したらやる?

乳業協会がやるべきだ。王会長に葛さんが声を掛けてくださいよ。

◎王さん自身もきっとやる気では?しかし、政府が土地を解決してくれるかな。

問題は政府だ。日本は育成牧場、診療所、保健、保険、酪農協を全部政府が支持している。中国は組織がないのだ。

◎日本から6回も鹿泉に二本立て給与法の指導・交流に行ったが、果たして鹿泉の地に合って発展するかどうか、心配もあった。鹿泉の酪農家も二本立て給与法が本当に交流団が言ったようによいかどうか、半信半疑だったと思う。今回、お二人が鹿泉の酪農家の代表として日本に来られて、百聞が一見にしかず、実際に見て体験して、本当のことを鹿泉で伝えていただけたらと思っている。

中国の酪農家が国を出たというだけでも意味がある。きっと報告会があると思う。技術を広げていきたい。是非がんばってください。

◎衣食住について?

納豆は絶対食べられない。刺身は少しずつ食べられるようになった。1日何回も着替えするのが、まだ慣れないね。住まいはテレビで見たとおり。

◎ショッピングについて?

作業着、長靴、削蹄道具、カメラがよい。

◎一番印象に残っていること?

渡辺先生が5回も来てくれたこと。

3月23日夜 ホテルにて


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