日中酪農技術交流

2000年2月、日本の酪農家たちが乞われて中国に渡った。酪農技術交流の開始である。その交流団は日本で「乳牛の二本立て飼料給与法」を実践してきた酪農家及び獣医師である。今年まで3年間に7回渡航し、中国河北省鹿泉市のあるむらの酪農家たちと技術指導の交流を続けてきた。農産物が逆流してくるかもしれないのに指導に行くとは何事か、という声もあった。交流団はそれにどう応えるのかをいつも考えながらも、しかし現地では、自らが経験してきた失敗の末にようやく到達して経営の発展を導くことができたエサ給与法をすべて伝達するために誠心誠意、活動したのである。

鹿泉市は河北省の省都・石家庄市の近郊都市である。その周辺は中国人なら忘れもしない日本軍による「三光作戦」(焼きつくす、殺しつくす、奪いつくす)が展開された地域であり、その被害は交流する相手の記憶の中に消えることなく存在している。

酪農交流団が活動したのは鹿泉市銅冶鎮(昔は鍛冶屋のむら)の中の一行政府である南銅冶村。今、酪農が急速に発展しているところだ。2〜3年間タクシーの運転手をしてためた貯金を全てはたいて牛を買うなどして、続々と酪農家が誕生した。3頭も持てば1万元近い収入が得られ、それは普通の作物を作っている農家の倍以上の収入であるから、だれしもが酪農に関心がある。ちょうど昭和四十年代頃の日本と似ている。みな酪農業に参入し地域にはどんどん牛が増頭した。

最初行ってみると、牛の爪は15センチ以上も伸びて巻いていた。さっそく次回の交流には削蹄師の資格を持つ酪農家が同行して野外の削蹄実演会を開いた。酪農家たちはこぞって自分にもやらせてくれと牛を固定し鉈をふるった。その3ヶ月後に3度目に行ってみると、もう1頭も爪の長い牛はいなかった。

一番の問題は、牛が増えても乳量が増えないという現実であった。かつて日本でも問題になった繁殖障害の発生である。近代化の過程で、日本の酪農家がもっとも苦労した問題である。乳牛は草食動物である。濃厚飼料多給は一時の効率で乳を出させることはできても、体を壊す。繁殖障害などもろもろの障害がでる。二本立て飼料給与法「基礎飼料」と呼ばれるエサを適切に設計することがもっとも重要なのである。そのうえで一頭一頭の乳量に応じて濃厚飼料をつくる「変数飼料」を給与する。基礎飼料と変数飼料の二本に分けて飼料設計するところから、これは二本立て飼料給与法と呼ばれている。

鹿泉市一帯はトウモロコシ―小麦地帯であり、粗飼料資源は豊富である。しかし、日本の酪農家から見ると、明かに一頭当たりに与える粗飼料給与量は不足で、また、その粗飼料の栄養分としては蛋白質が不足していた。分娩前後の給与法もかつての日本と同じく混乱していた。何回かの訪問のたびにこれらを調査し、勉強会を重ね、ついには交流団は中国の酪農家向けに中国語の農業技術書を書いたのである。(「現代農業」2002年11月号主張より抜粋)



酪農技術交流訪中団団員

河北省鹿泉市

2000年3月第1回酪農技術交流訪中団

2000年7月第2回酪農技術交流訪中団

2000年9月第3回酪農技術交流訪中団

2001年2月第4回酪農技術交流訪中団

2001年6月第5回酪農技術交流訪中団

2002年1月第6回酪農技術交流訪中団

2002年3月第1回鹿泉市酪農技術交流訪日研修団

2002年3月鹿泉市酪農技術交流訪日研修団来日をふりかえって

新彊ウイグル自治区新彊兵団

2004年9月第1回新彊兵団酪農技術交流訪日研修団

江蘇省鎮江市

河南省南陽市鎮平県