村松氏:
 それでは只今からパネルディスカッションを始めてまいります。まず会場にいらっしゃる皆様にちょっと、おうかがいいたします。皆様が今お住まいの所は都市であるか、農村であるか、ちょっと乱暴な分け方ですが、都市に住んでいるなーと思う方、いや農山漁村に住んでいるなーと思う方、ちょっとお手を挙げていただきたいと思います。パネリストの方々も手を挙げてくださいね。よろしいですか。ではご自身は都市に住んでいらっしゃると思う方。・・・多いですね。悩んでいますね。では農山漁村に住んでいるという方。あっ、これも結構大勢いらっしゃいますね。はい、ありがとうございます。
 NHKの夕方のイブニング・ネットワークという番組を担当していました時に、一緒に番組のキャスターをしていた池上あきらさんと掛け合いになりまして、どんな花が好きですかと話した時に、私はレンゲの花が好きだと言ったのです。小さい頃、一面 レンゲの花の中で埋もれて遊んだ経験があって、自分の記憶の中でとてもすてきな思い出だと言ったのです。そうしたら池上さんに「ずいぶん自然が豊かな所にお住まいだったんですね」と言われたんです。
 私、学生時代、どこの出身ですかと言われて、東京です。東京のどこ?八王子です。いなかだねーと言われたんです。でも私はずーっと、都会に生まれて都会に住んでいると思っていたんです。
 今、レンゲの花っていうのは八王子の家の近所のどこを探してもありません。私の一人息子が小さい頃ですけれども、ママ、どじょうってどんなものって、聞かれました。本当に小さい頃、どじょうは友達でした。でも今、どじょうは水族館に行かないと見られなくなってしまいました。私は今、東京に住んでおりますが、なるべく自然豊かな所に住みたいと願っている一人です。
 まずパネリストの方々に自己紹介をかねまして、農村山村漁村との関わり方、きっかけについて、そして今、そういった農村はどんな状態なのか、それぞれの立場からの農村山村漁村についてご発言をいただこうと思います。
 まず橋本先生からお願いいたします。

橋本氏:
 初めまして。千葉大学文学部で日本文化論を教えています橋本と申します。今、都会か農村かと言われたのですが、僕は千葉県の成田に住んでいまして、周りを見回すと、微妙な所もあるのですが、一応都会かなと思います。
 私は、ミクロネシアのマーシャル諸島の方の民俗芸能も最近調査しているんですけれど、ずーっと日本の民俗芸能について、もう長いことフィールドワークをしておりました。歴史的な研究もそうなんですが、正に今回のテーマがそうでありますように、現代社会、現代日本における民俗芸能というのが、どういう場所に今存在していて、どんなことになっているのか、そういったことに関心があって、主に福井県の若狭地方の美浜町というところで、もう20年近くフィールドワークをしています。

村松氏:
 今の農村をどんな風にご覧になっていますか。

橋本氏:
 今、申しました福井県美浜町に弥美神社(みみじんじゃ)という、非常に古い神社がありまして、そこで5月1日に、中世前期からずーっと続いている祭礼が行われます。その中で、中世前期の芸能であると考えられております王の舞とか、田楽とか、歴史的に非常に古いものが、今でも福井県の田舎、農村ですね、そこで複数の集落によって行われています。私はもともと演劇、自分でも演劇というかダンスの現場で色々やったりしていたのが、本当の出自なものですから、決して農村とかに対してすごい思い入れがあるとか、めだかがどうのこうのとは思わないんですが・・・。

村松氏:
 その橋本先生のダンスというのはどんなダンスなのですか。

橋本氏:
 それは恥ずかしくて言えなかったんですけれど、舞踏とかってご存知の方おられるかと思うのですけれど、まあ前衛的なダンスをやったりとか、最近では野村万之丞さんという狂言師の方と大田楽というのを作って、それには役者で出たり・・・。

村松氏:
 演じ手でもいらっしゃる・・・。

橋本氏:
 そうですね。それでその芸能ですが、僕が行くようになったのは、初めて見た時、学部の学生だったんですが、すごくきれいだったんですね。もう美しいと思いまして、それから、じゃあどうしてこんなものがこういう所で行われているのか、やっている人達は素人で普通 の人達なんですね。若者組の通過儀礼として行われるものだったので、行き始めたときにちょうど同い年ぐらいの人達だったんですね。ですから、特に関心を持ってずーっと調査に行っていました。
 最初行った時は非常にうまく伝承が続いていまして、必ず次の後継者というか毎年やる人をリクルートすることが可能だったので、一生に一遍しか行われないという形だったんです。
 ところが、ここ最近、どうも様子がおかしくなってきました。何年か前にこちらの農文協のほうから『祭りで輝く地域をつくる』という本が出まして、この中で少し書いているのですが、だんだん障害が出てくる。例えば高校生とか大学生くらいだと受験勉強とかが深刻な問題です。昔ならお母さんは隣の村からお嫁入りという感じだったんですが、今は北海道とか四国とか場合によっては外国とかもあり得るわけです。そうすると、お父さんは自分もやらされていますから、まあしょうがない、ここに生まれた以上運命だからやってもらいたいという気持ちがあるんですけど、お母さん達はうちの息子の輝かしい未来を何でこんな変な踊りをすることでむちゃくちゃにするのかと、ある種のネガティブなリアクションがあるんですよね。あんまり息子にやらせたくないというのがあります。
 さらに、いまどきは他に色々面白いことがありますから、民俗芸能みたいな一見辛気くさいものをやるよりは楽しい遊びが田舎でも色々あるわけで、そうした時に、やっている人達が「なーんでこんな事をせなあかんのや、変な所に生まれて運が悪かった」みたいな言い方がだんだん出て来たんですね。これはどうなるのかなとすごく思いました。
 で、今日の話にきっと出て来ると思いますし、私が言おうと思ってることなんですが、そうした時にちょうどNHKで「ふるさとの伝承」という番組がありまして、ご存知の方も多いと思いますが、教育テレビで毎週日曜日の夜に45分の番組で、全国の主に民俗芸能を中心にした番組をやっていまして、美浜町が取り上げられたんですね。僕は色々考えたんですけど、もちろんネガティブな側面 もありますけど、協力したわけです。その理由というのは、今、おそらく昔からやっていたような理由ですね、運命だから、そこで生まれたからしょうがない、当然やるもんなんだという論理がたぶんあまり通 用しなくなってきているという現状をなんとかしたいと思ったからなんです。
 もちろん色んなタイプの民俗芸能がありますので、もっと観光化されて行ってるものもあるし、誰でも参加できるような盆踊りみたいなものもあるわけですけれど、私が調査している所の王の舞というのは何カ月も仕事を休んだりしてものすごく激しい訓練をしなくてはいけない。それでやはりいろいろ障害が出てきて、それをやっていく理由を本人達があまり強く意識できなくなってくるという状況が出てきています。
 そうした時に、今までのような動機づけだけでは十分に成立しなくなってくる、そうした時に、今日の事例報告にもありましたように、外からの眼差しと言うんでしょうか、外部からの評価というのがおそらく伝承の新しいエンジンになっていくということがあるんではないかと僕は思います。

村松氏:
 つまり、その中にいると見えないけれども外からの目線によって分かってくる自分達の良さとかいうことですね。

橋本氏:
 そうですね。例えば「ふるさとの伝承」の中で、中世の平安末期くらいからこの芸能は行われていたんだという風なことを紹介したわけですけれど、やっている人達は「こんなもの、どこの祭りでもあるやろ」と言うわけですね。
 ところが、それは全然間違いで、すごい珍しいものなんですね。でも、「祭りというのは、どこでもそうや」と言う。だから、別 に大したものではないとおっしゃるわけですよね。ところが、もう少し違う視点から、僕みたいな余所者の外側の視点から見た時に、それは例えば文化庁的に言うと、文化財としてすごく価値があるとかいう風なこともあるかも知れません。そうした新しい意味づけが、民俗芸能にまつわって今ものすごく色んな形で出てきていると思うんですね。
 そういう事を実際にやっている当事者の方達にぶつけていくということが、必要なんじゃないかと思います。そうすると、可能性は低いかもしれませんが「そんなことやりたあないわ」と言っていた若い人達の中に、例えば社会科のわりと好きな子がいて、「そんなに古いのか。そやったら何か面 白そうだからやってみようか」という風に、また違う動機を考えつくということがあったらいいなと思うんですよね。
 今日話を聞いていて大変驚いたんですけれど、国土庁はこういう形で地域文化のシンボルとして民俗芸能を位 置づけている。
 一方で、農林水産省は、どんどん魅力が無くなっていると思われている農村文化の中心として民俗芸能をシンボルとして位 置づけている。さらに、運輸省とか通産省のお祭り法という法律がありまして、それは民俗芸能を観光資源として位 置づけている。これにはさまざまな批判とかがあって、議論のあるところなんですが、そういう側面 も実際存在する。
 そして、文化庁自身が今までは文化財として保存、古い形で保存するという事だけ言っていたのが、地域の伝統文化を活かした地域興しに関する政策というのを今、始めているんですよね。そうなってくると民俗芸能が様々な行政的レベルでも新しい意味づけが行われていて、そういう風な状況の中に今、民俗芸能があるということを考えると、外部からの眼差しと内部でやっている人達の間のインターラクションを創り出していくことによって、たぶん新たな民俗芸能のあり方が考えられるのかなと思います。もちろん問題点もあるんですけれど。

村松氏:
 ええ。それは後ほどということで。外からの眼差し。その中にいては見えないけれど、外からの様々な人の、様々な立場の視線によって、自分たちの良さ、改善しなければならない点、こういったものを見つめていく。そういう意味でも、農村と都市の交流というのは必要なことであると思います。さあ、続いて山崎先生、お願いします。

山崎氏:
 山崎と申します。どうぞよろしくお願いいたします。私、簡単にします。自己紹介と農業をやっていることです。自己紹介は、今、54歳です。茨城県で生まれました。ついでに言いますと、私の女房は山口県です。

村松氏:離れていますね。

山崎氏:
 ええ。嫁さんに欲しいというか、結婚しますと挨拶に行ったら、会津でなくて良かったと言われたのを、何十年も前の話ですがよく覚えています。先ほど、田舎に住んでいると手を挙げたんですが、大潟村という、秋田県の秋田市から50キロ位 の所に住んでいます。昨日、やっとタイヤを冬タイヤに替えてきたところです。

村松氏:
 雪はどうですか。

山崎氏:
 まだ降っていませんけれど、もう2週間位でたぶん1回、大きな雪が降るだろうと思います。農業に関してということですが、二種兼業農家の子どもということが影響してか、農村の高齢化対策として農村の調査をやってまいりました。
 あるとき日本の過疎対策とか高齢化対策を進めるうちに、限界というか、対策が分からなくなったんですね。その時、ドイツに初めて行って、ドイツの農村の高齢化対策、農業と観光、グリーンツーリズムを知り、それ以来そういう世界を追いかけています。良いところを何とか日本へ持ち込もうと、ドイツでも40〜50カ所、フランスでも20〜30カ所位 は行って来たと思います。
 なぜそういったことをやっているかというと、今、秋田県に移ってから4年目になるんですが、農村の所得がどんどん下がっています。本当にすごいものですね。私が住んでいる大潟村の例で申し上げますと、4年前の農家の平均農業所得ですね、大半が稲作で2000万円でしたが、今はそれが1300万円位 に下がっています。この4年間で700万円がドンと消えてしまったと、普通のサラリーマンの1人分の年収が消えてしまった。そこに減反とか、お米の値段が下がっているとかいうことがありますので、所得のカバーをですね、やはり我々は考えなくてはいけない。その一つが農業プラス観光という世界だろうと考えてます。そういう点を後でお話しさせていただこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

村松氏:
 はい。続いて、アン・マクドナルドさん、お願いいたします。
 先ほど、外からの眼差しというお話がありましたが、外からの眼差しで、色々な忌憚のないご意見をお願いいたします。

アン・マクドナルド氏:
 Good afternoon. My name is Ann Macdonald and I'm from Canada. I have bee in Japan for eleven years now and I first came here eighteen years ago as high school student.
 日本語の方がいいんでしょうか。あんまり反応がないから。じゃあ日本語でがんばりますんで。
 私は高校時代、交換留学生として、カナダの中央に位置しているマニトバ州という農業産地から日本に来て、1年間日本の高校に通 いました。いったんカナダに帰って、今度は大学時代、カナダの大学で東洋学を専攻して、日本の文部省から奨学金をもらって、熊本大学に行くことになったんです。
 熊本大学で1年間、勉強したと言いたいんですが、どっちかというと居酒屋で焼酎の勉強を一生懸命してたんですけれど、これは1988年の秋から1989年の秋にかけての話なんですけれど、そろそろカナダに帰らなければいけないという時期が来て、大学の先輩に、この1年間あまり何もしていないから、やはりカナダに帰る前に、何かしなければいけない、大学の先生に焼酎のレポートを出すのは多分評価が低いから、ちゃんとしたことをして帰らなければいけないということで、先輩が、「イグサ植え」、畳に使っている材料ですね、をやったらいいのではないかと言いました。
 イグサをしたことがある人、いらっしゃいますでしょうか。手を挙げて下さい。オー、仲間がいるんですね。イグサ植えはおもしろい農作業です。機械化されていない。全部手でやらなければいけないんですね。90メートルの、田んぼでもない畑の中で、後ろを向きながら、植えていくんです。一人は6列、こう持って、こう、こう。ウェット・スメットの中で歩いている様な感じですね。 その時、たったの10日間、短くて長い10日間に過ぎなかったんですが、その時に私が気付いたのは、私は今まで日本には足を踏み込んでいなかったなという感じで、日本の勉強をするとしたら、全部教科書、本を読んで日本社会とか日本人論をやたらにやっていたんですが、じゃあ、日本人と色々接して、何かの作業をやりながら、日本人の歴史を学ぶとか、それを全然しなかったんですね。それで、イグサをやっている時に、戦前、戦争中の農村のいろんな話をじいちゃん、ばあちゃんから聞かされているうちに、窓から別 世界を覗いている様な感じだったんですね。タイム・トラベルをやっているような感じで。無料のタイム・トラベルっていいですよ。農村に行けばそういうのがありますから。
 ああ、私はもっともっとこういう世界、本から日本の歴史を読むのではなくて、実際にそれを生きてきた人たちと接して、話を聞こうかなと思って、カナダに帰るつもりでいたんですが、直ぐそれをやめて、ビザの延長の手続きをやって、長野県に行きました。ここで終わりにしたほうがいいかしら。それとも・・・。

村松氏:
 もうちょっとどうぞ。

アン・マクドナルド氏:
 もう少し? OK。そこで長野県の信濃町、黒姫として知られている所ですが、そこで役場に行って、明治生まれの人たち、職人さんとか農家の人達とかおばあちゃん達とか、その名前のリストを作ってもらって、電話番号書いて、電話かけて、自己紹介して、紙にいろいろ書いてあったんですね。でも昼間電話して、じいちゃん、ばあちゃんが出ると「何?、なに?」て言って、切られちゃうんですね。それで歩いて行ってノックして「ごめんください!」とやって、そこからやらなければいけないということで、それで色んな所に行って、またタイム・トリップ、タイム・トラベルやっている様な感じですね。
 例えば戸隠という町は山の中で、冬は1メートル、2メートル位の雪が積もっていて、そこでは「口減らし」おばあちゃん達が多いんですね。12歳の時に口減らしということで大阪の紡績工場に行かされて、17歳位 で町に帰って来て、今度は17歳だから結婚しなくてはいけない。いいんですけれど、相手に1回も会わないで結婚するんですよね。日本の女性って結構、勇気があるなって思いました。
 そのような色んな昔の話を聞いたりして、あとは信州の機械化しなかった鍛冶やさんですね。彼は手で、こう、ふいごを引っ張りながら、色んな話を聞かせてくれて、例えば、明治時代の農村の道の匂いとか、外の音の話とか、そういう話をいっぱいしてもらって、何というか、生きている歴史の味の濃さをその時に覚えた感じで、その時から病みつきになって、ここ9年間は北海道から沖縄まで国内全ての県に、そういう生きている歴史の味を求めて、あちこち歩いているんです。

村松氏:
 確かに、私どもマスコミで働いていますと、つい便利ですから電話をして、直ぐ取材をしてしまいます。でも電話で顔の見えない相手と話すのは、本当に情報量 に限りがありますよね。アンさんの様に直接「ごめんください」って、訪問して話をうかがう、そこにはやはり人のぬ くもりがあって、本当に厚みのある話が聞けるのではないかなと思いました。
 さあ、それでは近畿日本ツーリスト、観光業者の立場から、自己紹介からお願いします。

斎藤氏:
 近畿日本ツーリストのクラブツーリズム事業本部の斎藤です。今日、お集まりの皆さんは『旅の友』という旅行情報誌をご存知ですか。お手をお挙げていただけますか。あっ。うれしい。半分以上ですね。若い人も手を挙げていただきました。実は私どもの部門は全国で250万部、『旅の友』を発行しております。ですから、500万人の方々が私どもの会員ということで、お客様と私どもが直接的に結びあって、新しい旅を創造していくという事業部になっております。今日の木村尚三郎先生のお話が何故か、私どもの話の前段のような気がしております。

村松氏:
 21世紀は旅の時代とおっしゃっていましたものね。

斎藤氏:
 先生のお言葉の中に「技術の時代からいのちの時代にこれからは変わる」とありました。会社を退職されて、お子さん達が成人されて、突然ですね「ああ、私っていったい何なの?」「僕はこれからどうすればいいの?」という一つの時代を迎える方々が今、たくさんいらっしゃいます。ですから私達のお客様は、実は60代と70代のお客様がもう60%以上を占めております。
 そのお客様達がどういう欲求を一番持っているかというと、やはり、「自分はこれからどうすればいいんだろう」という一つの自己実現であるとか、そういうことを確かめて、「一日をしっかり生きていく」と、そういうことを旅に求める時代が来ております。
 私どもはそういうニーズに合わせて、色々な考え方、趣味だとか、サークル、そういうものをクラブツーリズムということで、色々なジャンルの仲間作りを進めております。そういう仲間作りの中で色々な新しい趣味、あるいはサークルの方々が楽しんでいただける場所を発見して、そこにお客様をお連れして、新しい自分を見つけていただくという事業を展開しております。
 もう一つ、先生のお話の中で「これからの、例えば施設には、個室が大事なんだ」とありましたが、やはり一人暮らしの方がいらっしゃるということは、現実の問題として一人旅のツアーが結構出ています。ただ、一人旅なのですけれど、それは個人を大切にしながら、やはり、一つの旅の中で、仲間が色々コミュニケーションして一つの輪を作っていく、そういう新しい旅になりつつあるようです。
 新しい旅は生活の中の旅ですから、安いツアーでないと、参加することはなかなか難しいです。ですから、その安くツアーを作るための受け入れ側の方々の協力と私どもの運営スタッフも半分はボランティアの組織の方々、例えば、同年代の60代、70代の方々がそのツアーの余暇コーディネーターというような立場でツアーに参加していただく、あるいは出向いた場所で、地元の色々なボランティアのガイドの方々とお会いして、色々な交流をして、一つの新しい旅を作って行くと、そういう形になっています。

村松氏:
 はい。いわゆる観光ではなくなったということですね。自分探しの旅、心の旅、ロマンチックな感じがしますが、でも商売なんですよね。

斎藤氏:
 商売というよりも、確実に2010年は65歳以上の方が25%になります。しかも、団塊の世代の方々がこの10年の間に、どんどん65歳以上になりますので、逆にそういう時代が来たというとらえ方の方が正しいのではないでしょうか。

村松氏:
 それぞれの簡単な自己紹介と農村との関わりをお話していただきました。先ほど、橋本先生、民俗芸能が、外からの眼差しによって力を得ているのではないかとおっしゃっていましたが、やはり基本的に農村、山村、漁村というのは、自分たちを見つめ直して元気が出てきたといった感じなのでしょうか。

橋本氏:
 まあそういう風にいうと、あまりにも楽観的かなと思いますね。今、民俗芸能というのは伝承者が本当にいなくなってきているんですよ。保存会というのを作って国がバックアップしてもなかなかうまく行かなくなっているということが、実際あると思いますね。だからこそ、今、僕が言った外部からの交流を通 して、ああ、自分たちのやっているものは、つまらんことを毎年、この村にいる限りやっていなくてはならないと思っていたけれど、どうもそれは余所の人から見ると魅力的なものらしい。なんかすごいものらしい。わざわざ東京から学生さんとかが見に来るような、なんでかなあと思いながら、そういうものの価値を別 の形で築いていく。
 そうした時に、もう一つの、今までなかったような、少なくとも強く意識されていなかったような、そういう民俗芸能を続けていくことの理由とか、あるいはそういうものをやっている自分たちのアイデンティティとか、その土地に対するプライドとか、そういうのが出てきているところがあるということでしょうか。

村松氏:
 田舎にいらっしゃる方たちが、なんでこういうものをやって行かなくてはならないかと、もし思っていらっしゃる方がいたら、外からの眼差しを上手に活用して欲しいですよね。
 山崎先生。さあ、お待たせしました。余り話したくないとおっしゃっていましたけれど、いま、山崎先生から見た農村、山村、漁村はどのように映っていますでしょうか。

山崎氏:
 グリーンツーリズムと言う言葉が動き出して、実は8年位になります。都会ではあまり知られていないという話は聞いております。私の方は立場としては、農村の立場で、お客さんを受け入れる立場でお話しするんで、旅行会社の人とはちょっとズレがあるんですけれどね。ちょっと違う。
 よく気が付くのは、実はグリーンツーリズムというのは、もともとヨーロッパから来たものですけれど、今までのように、たくさん観光バスが来て、農村でにぎやかにやってくれれば農村のほうはうれしいという発想では実はなくなってきている。言葉で言いますと、農村の人が主役になるんだという世界が、少しずつ育ってきたなと思います。
 ツーリズム大学というのが今、全国で生まれつつあります。私の秋田県でも150人くらいの受講生があります。先々月には札幌にも生まれました。近々、和歌山県にも、沖縄などにも生まれつつあります。

村松氏:
 ツーリズム大学とはどんなものですか。

山崎氏:
 具体的に言いますと、例えば一番しっかりしたものとして熊本県の小栗町に九州ツーリズム大学というのがあるんですけれど、これは半年間、月に1回、2泊3日の勉強会をやります。授業料は18万円です。そこに色んな専門家が行って、授業をやるわけです。毎年50〜60人の受講生がいます。
 おもしろいのは、半分くらいがサラリーマンなんですね。現役のサラリーマン。私が教えた中には福岡県警の殺人担当の刑事さんもいました。殺人と麻薬と売春が担当だという、これは飲んだらおもしろかったですね。授業なんかより、ずっとおもしろかった。そういう人が何故来ているかというと、結局は老後は田舎に帰りたい、定年後は田舎に帰りたいんだと、そういったときに、今さら百姓は出来ない。しかし、今まで培った人間のネットワークがあるし、自分の田舎には年老いた母もいると。やはり何とかしなくてはいけない。というところが1つのカントリービジネスを今、生みつつあるということですね。もちろん受講生は大半が農家の人なんですが。
 それで新しいツーリズムが生まれてきているんですが、私がよく言っていて、皆さんにもよく分かっていただいているのは、4つの幻想をなくそうということです。
 例えば団体客幻想というのをなくそうと。つまり団体客が来ないと宿泊業は儲からないと。それから観光地幻想をなくそうと。例えば近くに温泉街があるとかですね。色んな観光資源がないと農村ビジネスは成り立たないと考えるかも知れないが、そうではないと。むしろ何にもない。何にもしない滞在というのが、今、最大のアトラクションになりつつあるということですね。
 それから3つ目は、料理の幻想をなくそうと。つまり、私も田舎者だからよく分かるんですけれど、人が来るといっぱい料理を作ってもてなします。しかし、今、一番おいしいのは、目の前の畑から採ってきた野菜で作る鍋料理ですね。これは秋田に住んでいると、しみじみと思います。本当に野菜がおいしい。どじょうを知らないという子がたくさんいるかも知れないけれど、この前、都会から遊びに来た子に「牛って何食べて育っているか知っているか」って聞いたら、「牛は牛の肉食べているんじゃないの」と答えていました。恐ろしい時代だなと思ったんですけれど。
 もう一つは村作り幻想はやめようと。結局、農村には村作りのために何かしようという呼びかけがすごく多いんですね。そんなものやめようと。村が輝くよりも自分が輝こうと。一人ひとりが輝けば、いつかは村が輝く様になる、そういう発想にしようと。そういう義務感はやめようということです。ちょっと2分くらいスライドを見ていただいていいですか。

村松氏:
 はい。それではちょっと、照明を落としてください。

山崎氏:
 どんなツーリズムがあるかとご紹介しようと用意してみたんですが。
 これは私の住んでいる秋田県で新しく生まれた民宿なんです。一番上、ちょっと小さいんですが、右側にあるのが客室ですね。客用の建物です。真ん中もそうなんですが、真ん中の左の絵は作業小屋の2階を右側の部屋のように改造したんです。一番下は、ちょっと皆さんからは見えないかも知れませんが、これは梨の農家で、3人いる娘さんの1人が後継者になると言ってくれたんで、お父さんが喜んでプレゼントしたんです。全部共通 しているのは、これは独立家屋だということです。昔の民宿のように部屋がくっついているというわけではありません。
 もう一つは食事にほとんど気を使いません。つまり刺身を出したりと、そんなのじゃない。とにかく畑のものを採ってきて、そこで料理をつくる。食べなくてもいいんです。食べなくても3000円は取られますけれどね。食事が出て5000円くらいなんですけれど。そういう世界です。
 それからもう一つは、主役が大体お年寄りなんです。私と同じくらいというと怒られるけれど、私よりちょっと上くらいの人がやっている。一番下だけはちょっと若い人なんですけれどね。
 それから1日に1組しか取りません。定員は5人です。まあ6人ですね。それ以上やりますと旅館の許可を取らなくてはならないので、大変お金がかかります。一番下の家は実は80坪あります。そこを定員が6人、1日1組です。1人で来ても1組です。こういうビジネスは何千万も儲けようという気は、はなから無いんです。例えば300万、500万あればいいという形なんです。自分たちは百姓だから農業を一生懸命やる、その傍らでこういうビジネスをやる。現金になります。60歳位 で年間400万円位になれば、これは誠にありがたい、という世界なんですね。

村松氏:
 そうしますとなにも、建物を建てたり、厨房を改造したりしなくて、あるがままの姿を楽しんでいただくということなんですね。

山崎氏:
 そうですね。次のスライドを1分だけ。
 もう一つは実は農家が始めるレストラン。先ほど木村先生の話の中に、高齢者レストランというお話がありました。これも秋田県なんですが、農家がやっているレストランです。これは完全に無農薬野菜の栽培、お米、無農薬のお米で作ったビール、それから和菓子、そういったものが出る世界ですね。今は無洗米をここでやっています。
 下は、写真では分からないかも知れませんが、畜産農家が、畜産ではもう食えない、でステーキレストランをやった例です。これは熊本県の例なんですけれどね。ですから、こういうビジネスがどんどん広がっています。この農家レストランを21世紀村作りというところで現在調査していますが、この前、話を聞きましたら、全国で500〜600カ所はあるであろうと、この5〜6年の間にですね、急激にこれが増えています。素材にお金はかけない。地元のもの、農薬はあまり使っていないものを出す。新鮮と安全ということですね。
 すいません。長くなりました。

村松氏:
 ありがとうございました。僕はあまり時間はいらないからとおっしゃっていましたが、しっかりと話してくださいました。

橋本氏:
 ちょっといいですか。

村松氏:
 はい、どうぞ。

橋本氏:
 今ので、ちょっと思いついたんですけれど、これは全然日本の話でも農村の話でもないんですが、アメリカにピッツバーグという有名な工業都市がありますよね。あそこは別 に観光など必要なくて、大きな町ですけれど、僕はアメリカにいた時に知ったんですが、ピッツバーグ出身の人はつい最近まで、自分の出身地を人に言うのが恥ずかしいと思っていたようなんです。なぜかというと、スモーキーで煙がすごくて、典型的な工場の町のすす汚れた感じで、どこか、例えばニューヨークに行って、どこから来たのと聞かれても、ペンシルベニアから来たと言っても、ピッツバーグから来たとは言わない。
 自分が住んでいる所が、生まれ育った所が恥ずかしいというのは、問題だろうという風に、市の当局の人たちが考えてですね、そこでやったことが、すごいおもしろいと思うんですね。というのは、そうなると普通 は汚い町だから、きれいにしようと、つきましては廃工場となったような変なビルとかを壊して、きれいなピカピカな博物館を作ろうとか、文化ホールを作ろうと、まあ我が国でもそうなるのですが、彼らはそうしなくて、やったことは、私のような民俗学者をたくさん、パブリック・フォルクロリストとして雇って、そこに住んでいる色んな人たちにインタビューをさせたんですね。
 そうすると、ピッツバーグには鉄鋼で大金を儲けたフリック家とかカーネギー家とか、ちょっと想像を絶するような金持ちがいて、彼等にとっては今ある廃工場の廃墟のような建物は、自分たちの栄光の象徴である、しかし、一方ポーランドなどから移民でやって来た労働者の人達にとっては、それは抑圧とか搾取の象徴であって、同じオブジェであるけれども、異なる意味がそれぞれの人生の中にあるわけですね。それを注意深く聞いていて、それを掘り起こしながら、例えば廃工場のすごくボロボロになっているような建物の前にパネルを設置したり、ツアーをしたんですね。
 でもそれは観光目的のためではなくて、そこに住んでいる人たちに、自分たちが住んでいるピッツバーグという場所はどんなところなのかというのを住んでいる人々に、しかも一つの意味にしてしまうのではなく、様々な異なるピッツバーグがあるということを皆に経験してもらうためなんです。
 これには『落ち』がありまして、割と最近になって、アメリカで一番権威のある住宅雑誌で、全米で一番住みたい町というのでピッツバーグが一番になったというようなことは、僕はすごく象徴的だと思うのですね。要するに、何も変わっていないんですよ。ビルも作っていないし、観光施設も作っていない。たいしてお金は投資していない。やったことはそこに込められている言葉とか、意味を掘り起こして、それをちょっと目に見えるような形に仕掛けていっただけで、そんなにたくさんのお金は使っていないんですよ。
 ところが、それはもともと住民のアイデンティティとかのためにやったのであったのだけれども、結果 的に観光施設になっちゃっているわけですね。それで観光客も来るようになったということを、そこで働いている友人のフォルクロリストから聞いたんです。これなども先ほど斎藤さんが言っておられたこととも多分関係してくるのではないかと思いますし、今、山崎さんが言われたグリーンツーリズムのあり方のアイディアとしては、ここのところはつながるのではないかと思います。

村松氏:
 そうですね。思わぬ発想の転換からね。
 さあ、アンさん。お待たせいたしました。
 山崎先生は、そのありのままの農村にどうぞ来てください、そして私達のありのままの姿をどうぞ楽しんで行ってくださいということが今、グリーンツーリズムの中で行われているということをお話されましたが、アンさんはありのままの日本の農村の良さを発見して下さった方と言えますよね。日本の農村の色々な所を歩いていらして、いいなと思う所、心惹かれるのはどんなところですか。
 ちょっと気になるんですが、お持ち下さったそれは何ですか。

アン・マクドナルド氏:
 これは、最後のデザートとして提供しますんで。後でお話しますけど。実は自分の好みの農村を語るのは苦手なんです。何故ならば、自分がいいと思うのと、隣の人がいいと思うのとは違うと思うからです。私が求めるのは、どっちかというと観光地じゃない、色んなものがない、どっちかというと不便なところです。旅人としてあちこちたずねていくわけですが、旅の企画は白紙です。ただ何日に出発して何日までに帰って来なくてはいけない、あとは何にも決めていないんですね。車で行く時もあるんですが、電車に乗って行く時には、ただ電車の路線を決めるだけで行き先は決めないんです。
 東京が出発点だったら、東京に近い地点の切符を買って、気分で降りるんです。これは良さそうなところだ、あの田んぼをちょっと歩いてみたい、あのもんぺ履いてるばあちゃんと話したいと思ってそこで降りるんです。そこで宿泊先を探したり、もう気ままな農村の旅をするタイプですね。ただ、皆さんにそれをやって下さいと言っても、それはなかなか難しいと思いますし、宿泊設備が何百、何千人のためにあるかどうか分からない。自分では自分のやり方が好きなんですけど。
 私は農村に入って行った時にけっこう偏見を持っていたような気がするんですね。農村イコール茅葺き屋根、囲炉裏があってという概念がけっこう強かったような気がするんですね。そういう所に今でも憧れているんですけど、農村はこうでなくてはいけないという固定概念の農村を求めてあちこち行った。それで、5年間農村に住んだんですね。そして、茅葺き屋根を保存することの大変さを見て、農村はこうであるべきという私のエゴはあんまり良くないんじゃないかなという気がして、ありのままの時代の変化によって変わっていくのもいいんじゃないかと思ったりしているんですね。
 中山間地の農村、都市に近い農村と色んな形の農村があるんですね。仙台と東京を行ったり来たりして生活してるんですけど、ちょっと疲れてきて、この間、途中の宇都宮で降りたんですね。実はそこで芋煮会があると聞いていて行ってみたんですね。その会を主催しているのは都会の人達です。農村の自然を復元しましょうという活動をしている色んな会が芋煮会をやっていたんです。農家の人達も来ていて。ちょうど帰ろうと思ったら、「まだ帰らないで。今日面 白い行事があるんですよ」と言われたんですね。それは何ですかと聞いたら、38年ぶりの祭りがあるんですと。神輿は38年倉庫の中に入れっぱなしで、ダサイ祭りはやらなくていいからとその神輿はずーっとほったらかしにされていたんですね。
 農村の環境を復元しましょうという都市住民のグループが、農家の人達とネットワークづくりなど、色々やっているうちに、自分達が倉庫に置いてある農村の良いもの、宝物をもう一度出してやりましょうということになった。それを知って、ああ素晴らしいと思いました。よそとの交流がなければ地元の人達はおそらく気づかなかったことですね。これからそういう交流がどんどんあれば、倉庫に眠っている農村の宝物が出てくるんじゃないかなと思っているんです。

村松氏:
 そういう意味で、外からの眼差しが自分達を見つめ直す上でとても大切になってくると思います。斉藤さん、さきほど橋本先生からピッツバーグの例が出ましたね。何も変わっていないのに、目線を変えて意味づけすることによってピッツバーグがこんなになってしまう、ある意味でグリーンツーリズムも何も変わっていないのに行く人達によって旅が変わってくるということがありませんか。

斉藤氏:
 行く人によって変わるという視点よりも、山崎先生のあるがままの農村が良いというお話に近いんですけれど、私ども旅行社ですが農村部はひじょうに魅力があります。ただ農村といっても、例えば構造改善が進んで冬場は何も作っていないという農村ではなくて、むしろ山村ですね。その山村の魅力は何にあるかというと自給自足の生活なんです。何故かというと、60代、70代の方がそこで自己実現、色々自分の事を考える原点というのは、やはり生きるということですよね。その時に作物を育てる、あるいはそこの自然を感じる時に、やはり自給自足型の生活がまだ残っている風景と生活というのがとっても接点としてはいいと思います。
 ですから、高知県の物部村の報告がありましたが、物部村はとても深くて急峻な山なんですね。そこにへばりつくようにして農家があります。そこに小さな段々畑があって日本一のユズが栽培されている、しかも自給自足型の所ですから、年間を通 して野菜が多種多彩なものが植えられている。その生活の中で一番びっくりしたのは、今花いっぱい運動というのがありますが、取って付けたようにフラワーポットに花を植えて花いっぱいなんですよというのは不自然なんだけど、そこの山村の風景ではおばあちゃん達が石垣の間に黄色い花を植えて、あるいは畦、農道の所も花だらけという光景がまさにあるんですね。もう80、90のおばあちゃん達が日常そういう豊かな生活をしている価値観と触れあって、話ができるということが一番嬉しいと思うんですね。
 何もないことがいいというのは確かにそうなんですけれど、そういう素敵な集落に1日いても飽きない、そういう原風景が残っている、あるいは保全されている、あるいはそこに人が生活している、そういう環境がない限り行けないわけですよ。ですからそういう環境があるところは私どもも観光資源として魅力があるし、言葉を替えて言えば、ルーラルテーマパークのような地域ですね。数少ないそういう地域をきちっと保全していくということがとても大事なことではないのかなと考えます。

村松氏:
 そういう何もないところに都会の人が行って癒されるということでしたが、都市と農村との交流というテーマでお話していただこうと思いますが、私先日、栃木県の粟野町というところに行ってきました。車の中から農家の女性達が車座になって何か作業をしているのが見えました。そうしたら、役場の方が「いもむししてるんだ」とおっしゃったんです。「いもむしって何ですか」と聞きましたら、里芋を蒸すことを「いもむし」と言うんだそうです。それにユズ味噌をつけて焼いて食べるんだそうです。とても美味しそうだったので、途中下車してごちそうになりました。もう最高ですね。地元の野菜の味というのは本当に美味しいし、笑顔もまたごちそうですね。
 粟野町では都会の人達に名産のそばを体験してもらおうということで、種まきから収穫までずっとやっているそうで、年間180組の方達が粟野のそばを楽しんで味わって行くということです。そば打ちの中心になってやっていらっしゃるのは、女性の方達でした。とても元気な方達で、生き甲斐が持てたと言って生き生きとやってらっしゃいます。
 色々な形で農村と都市との交流が始まっていますが、橋本さん、農村と都市との交流のあり方、あるいは課題についてどんな事を感じていますか。

橋本氏:
 アンさんが言われていた、一種のサポーターみたいな、好きで色んな事をやっているボランティアみたいな人達ですね。こういう問題を考えていく時に、交流というのは簡単ですけれどそれを実際に可能にしていく人的なネットワークが必要です。そういう時に、NGOとかNPOとかボランティアとか好き者とか色んな言い方はあると思うんですけど、そういう人達ですよね。物事をがーっとやっていく人達が半分くらいは地元の人で、半分くらいはよそからの人という柔軟な人の集団が重要だと思うんですね。
 昨年度やっていた文化庁の伝統文化を活かす地域興しに関する施策を考えていく課程でも、そういう所へも支援をする法律というのが将来的に考えられたらいいねと話をしていたんですね。
 その調査の時に、鳥取県の智頭町という所に行ったんですが、斉藤さんが言っておられることにまさにぴったりなんですね。ほとんどの人が町場に出ていってしまったために、昭和の初期くらいの景観をまったく残したまま止まってしまった、ほとんど廃村化した集落があるんですね。しかし、国の重要無形文化財に指定するほど古くはない、しかし、十分に昔の農村の暮らしの景観が、凍結されたみたいに残っているんですよね。一人だけ住んでいる、これを何とかできないかということを智頭町の中の好きな人たちが議論を始めて、幸いその中に役場の人もいて、そこを中心に物事が動いてきてそれに智頭町が乗る形、さらに国レベルのグリーンツーリズムなどの色んな施策がバックアップしていくフォーメーションを考えていくほうが色んな可能性が開かれていくのではないかと思います。
 今、民俗芸能、民俗文化に関する色んな法律が出ていますが、決まりましたからやって下さいと言われても、住んでいる人にとっては関係ないような話であることが頻繁にあったりして、村興しなどと言っても住民はみんな白けちゃっている。シンボルを決めましたと言っても、「知らん、何やそれ」というリアクションがあるという失敗例を見ないといけないと思う。あくまでも内側から、中間的な人達の集まりがきっかけになって何か進んでいく体制が考えられていいと思うんですよね。
 今、法律的・行政的レベルでも民俗芸能、地域文化が今までにないくらい様々な意味を与えられているわけですが、それをお上のプロジェクトという形にだけしてしまうと定着していかないし、持続可能なものになっていかないと思う。そうした時に、ボランティアというか好きな人達のグループを軸にというのが一つの方法になるかと思います。

村松氏:
 その内側から出てきた声を吸い上げて形にしていくために人のネットワークが必要なのではないかということですね。その辺りは山崎先生いかがですか。

山崎氏:
 橋本さんの話は私もよく分かるんです。ただし、農村のほうから言えば貧乏な所は見ては欲しくないということがありますね。田舎だからいいんじゃないかと、別 に斉藤さんに反発するわけではないけれど、それを商品だと思われては困る。誰だって自分の家の台所を見せて昔のやり方で良かったですねと誉められたくはない。そんな感じなんですね。
 ただし、ここをいかにリニューアルしていくかというのは、まことに難しい。日本の法律にはあほみたいに厳しいのがあります。これは橋本さん達に敢えて言いたいんだけど、民俗芸能とか文化庁とかのつき合いの人はぜひやって欲しいんだけど、日本の法律は色んな制限をしているんです。ちょっとスライドを見てください。これは大きな茅葺きの家ですね。地図がみなさんには見えないと思いますが、秋田県には約500軒の茅葺きの民家があります。再来年にはおそらく半分以下になるでしょう。
 一番上に茅葺きの家があります。右側に囲炉裏があります。一番上の家は1年前から空き家です。ほっとけば再来年くらいには崩れます。そういう状況なんですね。茅葺きをなぜお見せしたのかというと、ノスタルジックなイメージでは茅葺きはすごく大きい。それから、囲炉裏も大きいんです。ところが、これは日本の法律では、過疎地域にあろうがどこにあろうが民宿はできません。消防法で宿泊業の営業許可は下りません。地域報告で囲炉裏で酒を飲んでいる写 真がありましたね、あれは宿泊施設ではないはずです。民宿で囲炉裏のまわりで鍋物でもやろうとしても、これもできません。民宿で檜の風呂をつくっても取り払えと保健所から文句が出ます。田舎の家が民宿を始めた、後ろの山にすごくいい水があって、ずーっと何百年も飲んできた、誰もその水で病気をしていない、それをお客さんに飲ませようとすると殺菌しろ、カルキを入れろ、滅菌器をつけろと食品衛生法の世界が出てきます。
 消防法、食品衛生法、建築基準法、様々な法律が足を縛っちゃうんです。だから、農村の良さを活かそうとして色んな事を学者が考えても、私自分が学者だと思っていませんから敢えて言うんですが、本当に現場の生きている世界を昭和20年代の法律がいっぱい足を引っ張ってるんです。それをやめてくれないかと言いたい。
 なぜグリーンツーリズムが広がってきたかというと、農村のお母さん方がいっぱいヨーロッパに視察に行きました。私が行ったところをいっぱい紹介しました。その人達がドイツやフランスの農家を視察してあんまり手間をかけないで、普通 の暮らしの中でこういうもてなしができるんだなと分かって、自分でもできるというんで日本でも始めたというのが大きいと思うんです。その人達が感動して帰ってくるのは色んなことがあります。農村はきれいだった、これはよく言います。それから奥さん達が堂々としていたと。
 もう一つは手作りの食品が食べられたということです。例えば田舎に行ってハムとかソーセージとか、ビールはあんまり無いかもしれませんが、ワイン、りんごのお酒ですね、そういう全部自分の家で作ったものをお客さん達に出す。このお酒に関しても、日本は全然できません。ここで飲んでると言うと捕まっちゃうから言いませんが、かの有名などぶろくというお酒がありますね。あれは造れないし、売れない。ところが、ヨーロッパの場合はあれを直売所で売っているんです。日本は酒税法があって、売らせないし造らせません。これは101年前の法律です。それをなんで今さらまともに守らせるんだと思います。
 私は日本全国がグリーンツーリズムになるとは思っていないんです、実際には、農家の茅葺きに囲炉裏の家になんか泊まりたくないという人はいっぱいいるんです。冬は寒いですしね、お年寄りにはあんまり人気ないんです。おそらく昔のつらい思い出が出てきそうな気がするからかもしれません。私は、とにかく農村の良さを活かす時のために、日本の農村全部に適用しろとは言いません、そういう法律をせめて過疎地域という苦労している条件の悪い所だけでもいいから、なるべく緩やかにしてほしい。

村松氏:
 101年も前の法律で私達が縛られている、そういうことが今でも生きているということは、やはり時代の流れにはそぐいませんよね。もう少し早急な手当をしてほしいなという気がします。
 アンさん、農村に惹かれるのはなぜなんでしょう。農村と都会とが交流していくに当たって、こういう所を直していくといいのにという点についてはどうですか。

アン・マクドナルド氏:
 それを全部話したら講演会になってしまいそうなので、デザートのほうに話を持っていきます。たぶん、農村に惹かれている一番大きな要素は、そこに『噛める物語』があることです。この外人が訳の分からない日本語で何を言おうとしているのかを説明したいと思います。
 私はありのままの農村が好きで、立派な建物があったりするのは好きじゃないんですが、この前飯山に行ってきました。ごちゃごちゃの毎日からちょっと一服したい時には、農村に必ず行くんですね。そこで、民宿があってそこに泊まってたんです。夜は囲炉裏に座って、そこは法律に違反しているのかもしれないけど、役場が目をつぶってくれているんですねきっと。囲炉裏を囲んで炭で餅を焼いたり色んなものを焼いたり、飲んだりしてて。「あら、いい炭使ってるね」とそこの主人に言ったら、「うん、この裏で76歳の夫婦が焼いているんです」私が見てみたいと言ったら、「もし良かったら明日でも連れて行きます」と言ってくれて、これが私の『噛める物語』になるんですけど。
 炭を焼く所に行くと、森の話がいっぱいあるんです。76歳の主人から森がこの50年間どういう風に変わってきたのかという話を聞いて、奥さんに「いつ雪が降り始めるんですか」と聞いたら「やあ、テレビは全然当てにならないから」と言いました。とにかく山のほうを見るんだそうです。そして、ここ50年間に気候がどのように変わってきたかということを話してくれました。彼らの色んな話が実はこの炭の包みの中に入っているような気がするんですね。その物語を正月に友達と一緒に火鉢でも買ってどこかで、あるいは囲炉裏のある所で餅を焼きながら、飯山の物語をベースにしたもう一つの物語をつくろうかなと考えてます。私はそういう所に惹かれますね。
 だから、原始人饅頭などのお土産はいっぱいあるんですけど、手作りの物語が入っていて、他人の人生も味わえるようなものが、実は農村のあちこちに転がっていると思うんですね。もっとそっちのほうを活かせたら面 白いかなと思います。

村松氏:
 それはやはりアンさんの外からの眼差しによって発掘されたものということですよね。さあ、斉藤さん、ありのままの農村に来て体験をしてもらう、これからのグリーンツーリズムのあり方、こんな風にもっとなって行ったらいいなということはありますか。

斉藤氏:
 今回のモニターツアーに私どもも参加させていただきました。古川町の現地の事務局はホテル季古里のスタッフの方々が担当したんですが、当初私どものほうに、どういうコースをつくればいいんでしょうかというご質問をいただきました。その時に「いや、地元のみなさんでお話し合いをしてつくっていくものです」とお答えしました。それが一番適当ではないかと思うんですね。というのは、地元の方が自分達のまちや山村の良さをしっかりと感じ取っていただいて私どもに教えていただける、しかもその方々が指導者という形で私どもに教えていただければ一番幸いではないかと思います。ただ、私どもも当然ゲストという形で行くわけですが、それなりの高い見識を持って行かないと失礼になると思います。そういう中で、お互いにきちっとした見識を持って教えられる、あるいは教えるという輪ができればと思います。
 もう一つは、ヨーロッパと一番違う所なんですが、山村部の地域振興においても行政のリーダーシップが低いのではないかなと思います。旅行社にもそういう情報がなかなか届きません。国土庁あるいは農水省にしても、色々なコンテストをやられますが、全国の色々な努力をしている農・山・漁村部・島の情報が私どもの所へ的確に届くような一元的なシステムであるとか、ましてや、個人の方々が行かれる場合もきちんとした情報をPRしていただくことが大事ではないでしょうか。例えば、ドイツで言えば、農家民宿がありますが、こんな分厚い電話帳のようなリストがあるんです。それは国が作っています。それを見ると予約もすべてできるというとても素敵なシステムなんですが、そういうことがあって初めて第一歩が始まるんではないかと思います。

村松氏:
 その行政のリーダーシップ性が必要だというのは先ほど橋本先生がおっしゃった、その内側から農村の人たちがこういうことをしたいと言った時に、それを支える人の輪、ボランティア的な人と人とのネットワーク、そうした力、そういったものも必要であるということに通 じて来ると思います。
 ではなぜ、農村に惹かれるのか私もちょっと考えてみました。言葉を生業としているので、言葉に絡めて考えてみました。言葉には大きく分けて二つの種類があると思うんですね。言わなければならない言葉と、言わなくてもすんでしまう言葉がある。言わなければならない言葉というのは、例えばしつけの言葉、こうしなさい、ああしなさい、家に帰ったら手を洗いなさい。こういう言わなければならない言葉が都会に住んでいると、すごく増えています。
 その反面で、言わなくてもすむ言葉が減ってしまっているなと思うんです。例えば、ワァー、今日はなんて空がきれいなんだろうとか、ああ銀杏の樹がこんな黄金色になって、まるで豆電球をたくさん付けたみたいだねって、これ言わなくても暮らしていけちゃうんですよね。でも私、農村、山村、漁村に行くと、やはり、言わなくてもすんでしまうそういう言葉、気持ちのいい言葉、ああ、水が冷たい、ああ、空気がきれい、ワァー、このヤマメって、本当においしい、そういう、言わなくてもすんでしまう言葉がポロポロ出てくる、そしてそれが心地よさにつながるんだなーっていう気がします。
 まあ20世紀というのは自然を破壊した上に、技術をもって私達が安心できる安全な暮らしを築いて来ました。でも21世紀はいのちの時代と木村先生はおっしゃっていました。私達が破壊してしまった自然、この自然をよみがえらせ、保存して、そして自然に癒される時代になるのではないかと思います。
 そういう意味では都市と農村も、もっと太いパイプをもって、ありのままの自然の中で、自然の中に都会の人が行って、自然を体験するということ、それがいのちの尊さを育んでいくのではないかなという気がします。最後に一言ずつ、言い足りないことがございましたらどうぞ。
 橋本先生から。

橋本氏:
 恐らくこういう現代社会において言えることは、もちろん都市と農村に関しても、つながってはいるわけですね。生産者と消費者という形で。でもそれは一方通 行的であったりして、あるいはつながり方の回路がすごく限られていたりする。でも本当はちょっと見方を変えてみると、もっといろんな多様なつながり方だとか、両方がそれぞれ取り入れるようなことが、もっとたくさんあるのでないかと思うのです。
 これは大学と地域社会というのもそうで、千葉大なんて千葉市にあるんですけれど、そういう意味ではつながっているんですけれど、ほとんどインターラクションがないんですよね。千葉市と千葉の住民と千葉大というのは。それが何か当たり前の様な感じだけれども、実はうまくその関係が機能していない。そこで、ちょっと何かいじってみることによって、これはよそから芸人さんを呼ぶことによってやってみようと思っているんですが、何か新しい関係を生みだせるんじゃないかと思うんですよね。恐らくこういう試みって、今回は都市と農村でしたが、もっと他にも色んな場所で出来るんじゃないでしょうか。山崎さんが言うように、下部構造的な法律の拘束なんてのはいっぱいあるので、それは一つずつ、やっつけて行かなくてはと思います。
 たぶんそういう方向性というものが、今のポストモダン的な現代社会に見られるような共通 の問題なのかなと、僕は思います。

村松氏:
 はい。山崎先生。

山崎氏:
 私の場合は、先ほども申し上げましたように、とにかく農家に所得を残すという、増やすというと大げさなので、なるべく残したいという言い方しかしていないんですが、今日、お話申し上げたのは農業プラス観光という世界ですね。あと二つあると見ています。
 それは農業プラス教育という、子ども達を動物に触らせて、牛小屋の掃除をさせたりして、いのちの尊さという情操教育の世界ですね。これが今、広がっています。農家の方も、一生懸命そういうのを受け入れたりしているのがあります。
 もう一つの流れが、実は農業プラス福祉というのが出てくるだろうと見ています。私、ドイツの調査が割合長いんですが、農家が老人ホームを作る。介護ハウスを作る。グループ訪問を作る。そういった世界が、農村という良さを活かして、例えば、空気がいいです。食べ物が安全です。それにやはり、農家の人はアットホームです。そういった世界が福祉という世界に結びついています。
 私が秋田県でやっているツーリズム花丸大学というのも150人位の農家の人がいるんですが、40人くらいがいずれは、自分の農地を使って、そういう介護ハウスを作って見たい、そのための勉強をしている人もいます。
 ドイツなどでは健康回復民宿というのが広がっています。これは民宿に行って遊ぼう、宴会を開こうというのではないんですね。農家民宿に滞在をして健康になろうという世界です。これは農村でしか出来ない大変な財産だと、そういう分野が今、広がっています。民宿で競争相手が増えて、ダメになってきたら、老人ホームに切り替えようという、そういう融通 性もあります。建物そのものはうまく使える。ですから私は、そういう長い目でグリーンツーリズム、農村観光というものをぜひ見ていっていただきたいと思います。
 最後に一言だけ、国土庁はですね、過疎対策室を持っているんだから、あそこの対象地域だけには、ぜひ、どぶろくを売らせるようにしていただきたい。

村松氏:
 はい。ありがとうございます。
 ではアンさん。どうぞ。

アン・マクドナルド氏:
 山崎先生の後で話すのはとても辛いですね。すごい説得力があるんですね。私も賛成。どぶろく、大好きですから。ぜひよろしくお願いいたします。
 最後の一言だけ、感想に過ぎないんですけれど。日本はずいぶん変わってきたか、変わりつつあるなという感じですね。10年前にカナダ人である私が農村に入っていった時には、農村と交流するのはやはり変わり者というような目で見られましたが、都会人が例えば農村に行くとしたら、非常に開発されたホテルみたいな所にしか行かなかったりで、農村はほとんど見ないで、観光客として通 過していました。
 今、バブルがはじけて、よかったと言ってはいけないんでしょうが、ある意味でバブルがはじけたことで、世紀末も迫ってきた影響もあると思うのですが、豊かさがなんなのか、自分の人生で本当に何を求めればいいのか、というクエスチョンマークを色々内側で日本社会の人たちが問いただしているうちに、この際の見直しというか、見る目がずいぶん変わってきたなと今日、改めて感じました。

村松氏:
 はい。ありがとうございます。
 それでは斎藤さん。

斎藤氏:
 そうしましたら、お願い事として3つあるんですけれど。やはり、農村の豊かな自然を保存して欲しい。そして2番目に自給自足の生活文化を保全していただきたい。それと、歴史とロマンある文化を創造して欲しいということですね。
 そこにいて何もしなくてもよいということはどういうことかというと、やっぱり自由にやりたいんですよね、都会の人たちも。ですから自由ということは何かというと、そこで歩けるということなんですよね。自由に歩き回れる、そういう自由な空間。そういうものがとても大切ではないか思います。
 ですからたぶん、古川町の方々たちも、やはり飛騨の匠が残る農家のきれいなたたずまいがあり、しかも、集落毎に鎮守の森があって、しかも浄土真宗のお寺がたくさんあるんですね。そういう自分たちが住んでいる町の良さというのが、多分見えてきたんじゃないかなと思います。

村松氏:
 はい。バブルに躍っていた頃は見えなかった世界が、今私達に見え始めてきたのかも知れません。そういう意味では足元を見つめる時代になったと思います。
 会場の方、何かご質問やご意見がございますでしょうか。・・・・
 いらっしゃいませんね。
 今日もこの会場に来るときに思ったんですが、電車の中でも何でも、都会の人って、本当にせかせか歩いています。そしてぶつかっても、ごめんなさいもないですよね。でも田舎に行くと、とびっきりの笑顔で、こんにちはと言ってくれます。山道で出会うとちょっと会釈をしてくれます。やっぱりこんにちはと言っている時、みんな笑顔になりますよね。本来、人と人が出会う時は、そういう笑顔の挨拶があってもいいんじゃないかなという気がします。
 そういう意味で私は、農村、山村、漁村に行くとそういった笑顔にたくさんふれることが出来て、そして自分本来の優しさとか、いのちの尊さとか、頑張ろうという気がわいてきますよね。ですから都会と農村との交流には法律上、色々制約がある、どぶろくが売れないとか、囲炉裏があると宿泊できないとか、行政機関のリーダーシップが足りないとか、まだまだたくさんの取り組まなければならない課題があります。でも、とにかく私達が都会と農村との交流というのを、未来に向けて行っていくことによって、本当の意味での心の豊かさ、ゆとりとは何なのかということを見つめて、取り戻す時代なのではないかと思いました。
 5時終了予定だったのですが、ちょっと時間が延びてしまいました。
 よろしいでしょうか。パネリストの皆様、ありがとうございました。

(拍手)

進行役(平田):
 ありがとうございました。ご出演の皆様には、かなり本音の部分をご披露いただいたのではないかと思います。それではここで最後になりましたけれども、農村漁村文化協会常務 原田より閉会の挨拶を引き続き行わせていただきます。お願いいたします。

原田氏:
 パネリストの皆さんありがとうございました。司会の平田さんご苦労様でした。会場の皆様にちょっとご報告したいことがございますが、本日お出でになっている方は、2階席を含めて約500名です。正確に申し上げますと483人の方がお見えになっておりますけれど、その中で東京からいらっしゃた方は実は半分に満ちておりません。東京から216人の方がお見えになっています。後は神奈川、埼玉 、千葉を首都圏ということで含めましても、316人の方です。
 ですから後の方は、遠くは青森、宮崎県からいらっしゃっている方もございます。さっきお話の出た、飯山からもお見えになっているはずです。
 というわけで、今日のこの会、農村と都市の交流のことを考える会、私はあえて農村の方を先に言いましたけれど、農村と都市の交流を考える会に集まった方が、気がついてみたらもう既に、農村の方と都会の方がいらっしゃると、こういうことでした。大変ありがとうございました。
 それから木村さんが、21世紀は農の時代だ、21世紀は農村空間の時代だとおっしゃっていました。そうだと思います。これはあまり急いでやりますと、かえってバブルとかになりそうなので、じっくり落ち着いてやりたいと、こういう思いであります。
 それで農村空間といいますのは、実は歴史の深さ、重さを十分に持っている空間だと思うので、そういう意味で、今日の会合の副題に「歴史ロマンの里・田舎の豊かさの再発見」とある、この歴史というところ、ちょっと頭に入れて終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。

(拍手)

進行役(平田):
 閉会のご挨拶をさせていただきました。
 それではステージ上のパネルディカッションにご参加いただいた皆様方を、今一度の大きな拍手でお見送り願いたいと思います。どうもありがとうございました。

村松氏:
 あの、笑顔が日本を元気にさせると思いますので、笑顔でお別れしましょう。
 どうも皆様ありがとうございました。

進行役(平田):
 それでは以上をもちまして「都市農村交流シンポジウム」全プログラムを終了させていただきたいと思います。どうぞお帰りの際はお忘れ物などなきよう、気を付けてお帰りくださいませ。
 本当に本日のご来場、ありがとうございました。失礼いたします。